江戸の琳派芸術
開催期間 2017年9月16日(土)〜11月5日(日)
月曜休館(ただし、9月18日、10月9日は開館)
展示概要
この度、江戸時代後期に活躍した絵師・酒井抱一(さかい ほういつ 1761 - 1828)と、抱一門きっての俊才・鈴木其一(すずき きいつ 1796 - 1858)の絵画に注目した展覧会を開催いたします。
17世紀の京都に生まれ、華やかに展開した〈琳派〉の美術。19世紀に入ると、姫路藩主・酒井雅楽頭(さかい うたのかみ)家の次男坊として生まれた抱一が江戸の町でこれを再興、さらに其一をはじめとする抱一の弟子たちが、いっそうの洗練を加えました。いわゆる〈江戸琳派〉の誕生です。
若いころから遊里・吉原にあそび、俳諧や狂歌、そして浮世絵など、市井の文化に親しく触れた抱一は、30歳代なかばころより、尾形光琳(おがた こうりん 1658 - 1716)の作風に傾倒してゆきます。光琳の芸術を発見したことは、抱一の画業に最大の転機をもたらす一大事だったといえます。抱一は、光琳を隔世の師と仰ぎ、その表現を積極的に受容、みずからの絵画制作に大いに生かしましたが、それは一律にオリジナルの忠実な再現を目指したものばかりではありませんでした。光琳の芸術に真摯に向き合い、ときに大胆にそれを乗り越えようとする試みこそが、抱一をはじめとする〈江戸琳派〉の画家たちの、光琳に対する敬慕の証しであったといえるでしょう。
この展覧会では、王朝的な美意識に支えられた京都の〈琳派〉を受け継ぎつつ、江戸という都市の文化の美意識のもと、小気味よい表現世界へと転生させた〈江戸琳派〉の特徴とその魅力を紹介いたします。
本展のみどころ
012001年以来!
待望の〈江戸琳派〉展
当館では16年ぶりとなる〈江戸琳派〉展です。抱一の代表作「風神雷神図屏風」をはじめ、所蔵する抱一・其一の絵画作品をほぼすべて展示。その魅力をあますところなく紹介します。
02再検証!〈江戸琳派〉にとっての光琳とは?
京都の〈琳派〉の芸術を、江戸の地で再興・発展させた〈江戸琳派〉。本展では、抱一と光琳の絵画のあいだに横たわる距離感に注目しながら、特徴を考えます。
03抱一門きっての鋭才
其一の魅力もタップリと!
抱一の後継者・鈴木其一。本展では、新時代の〈奇想〉の画家として近年注目が高まる其一の絵画の、ふたつのヴィジョンについて考えます。
04粋人画家・抱一の実像に迫る!
抱一の芸術を生み育んだ遊里・吉原。今回は、抱一と同時代の浮世絵とともに抱一の絵画をとらえ、都市に生きた画家の実像に迫ります。
展覧会の構成
各章の解説
第1章 光琳へのまなざし
─〈江戸琳派〉が〈琳派〉であること
今日、酒井抱一(さかい ほういつ 1761 - 1828)が〈江戸琳派〉の画家と呼ばれるのは、抱一が尾形光琳(おがた こうりん 1658 - 1716)に代表される、京の〈琳派〉のスタイルに深く傾倒し、みずからの制作活動のよりどころとしたことに由来します。ここでは、抱一による光琳芸術の受容と再創造の様子を、「風神雷神図屏風」や「八ツ橋図屏風」(以上、出光美術館)などを通してご覧いただきます。そこから浮かび上がってくるのは、敬愛する隔世の師の姿とともに、ある種のカウンター・パートともいうべき光琳像です。
第2章 〈江戸琳派〉の自我
─光琳へのあこがれ、光琳風からの脱却
抱一やその弟子・鈴木其一(すずき きいつ 1796 - 1858)など、〈江戸琳派〉の画家たちが生きた時代は、江戸という都市の文化が自我に目覚めた時代でもありました。もはや京の都の真似ごとではない、新奇な画題や表現を取り入れて見る人の意表をつくような俳諧性や機知性に、〈江戸琳派〉の大きな特徴があります。季節や気象の微細な変化に感覚を研ぎ澄ませ、その風物を軽妙に描き出した、〈江戸琳派〉ならではの表現をご覧いただきます。
第3章 曲輪の絵画
─〈江戸琳派〉の原点
江戸にある酒井家藩邸で生まれ育った抱一は、遊里・吉原にあそび、浮世絵や俳諧・狂歌といった文化に親しく触れながら、多感な青春期を過ごしています。こうした経験が、抱一の芸術の基礎を築いたといえます。ここでは、27歳の抱一が手がけた美人画「遊女と禿図」(出光美術館)を、抱一と同じく、武家の名門に生まれながら浮世絵師に転じた鳥文斎栄之(ちょうぶんさい えいし 1756 - 1829)の作品などとともにご覧いただくことで、抱一と〈江戸琳派〉の絵画をめぐる、横軸の一端に触れていただきます。
第4章 〈琳派〉を結ぶ花
─立葵図にみる流派の系譜
夏の風物詩である立葵(たちあおい)は、ふたつの意味において〈琳派〉を象徴します。光琳とその弟・尾形乾山(おがた けんざん 1663 - 1743)が描く草花にはこの花を取り上げたものが多く伝えられ、重要なレパートリーのひとつであったことが知られます。そして、彼らを慕う〈江戸琳派〉の画家たちにとっては、尾形兄弟の命月である6月(旧暦)を代表する立葵が、泉下の師に供える花として、特別な意味を持つことにもなりました。ここでは、立葵によって結ばれる、時空を超えた画家たちの紐帯、また同じ画題だからこそ見えてくる表現の特徴について紹介します。
第5章 師弟の対話 ─抱一と其一の芸術
抱一の門下からは、魅力的な弟子たちが数多く輩出しました。なかでも、近年注目を集めているのが、鈴木其一です。鮮烈な色彩と明快な画面構成に個性を発揮する其一の絵画には、むしろ師・抱一よりも強い光琳志向を感じさせるものがあります。抱一の「十二ヵ月花鳥図貼付屏風」と其一の「四季花木図屏風」(以上、出光美術館)など、ふたりの作品を見くらべながら、其一が抱一からいかなる表現を学び取り、魅力的な個性へと昇華してみせたのかを考えます。
コラム◎「光琳大好き! 酒井抱一の〈琳派〉顕彰」
兄の死とそれにともなう甥への家督相続(30歳)、度重なる転居(30歳、33歳)、そして出家(37歳)…、生活環境が目まぐるしく変化した抱一の30歳代、画家としての人生にも画期的な事件が起こります。尾形光琳の発見です。その出会いが具体的にどのようなものであったかははっきりしませんが、以降、抱一は光琳の芸術に深く傾倒してゆきます。
文化12年(1815)、抱一は、尾形光琳の没後100年を記念する事業をみずから企画・実行しました。のちに雨華庵(うげあん)と呼ばれる自分の庵での百回忌法要、光琳の菩提所である京都・妙顕寺への自作の「観音図」奉納、そして、根岸の寺院での光琳遺墨展開催です。遺墨展をきっかけに刊行された図録『光琳百図(こうりんひゃくず)』には、光琳の「八ツ橋図屏風」や「風神雷神図屏風」などの縮図がふんだんに収められており、抱一による熱心な光琳愛好の様子がよく伝わってきます。その後も、光琳墓碑の修築、さらに光琳の弟・乾山の顕彰にも取り組むなど、抱一の光琳に対する思慕の熱が冷めることはありませんでした。