冤罪で排斥された人、削除された人が今のアメブロjwだらけの先駆者の一部になっています。しかしながらどうしても見られる論調が「あれは冤罪でない、排斥(削除〕相応だったのだ」が暴論ってわからないかな。
その手がかりになるのは一年前に、会衆の長老と電話でやり取りした事です。
私はその前に支部に、冤罪排斥や削除ばかりやって奉仕部門は霊的殺人を繰り返し反省がないから、無駄に造反者を増やしてますねと書いてやりました。案の定反応し、会衆の長老を使って打診して来ました。
長老ON「この方(実名、ご本人に手紙盛り込み了解済み〕って排斥された方ですよね?」
私「そうですよ。」
長老ON「兄弟、長老してたからわかりますよね(聖書読みだす〕食事も挨拶もしてはならないと。排斥された方と交わったんですか?」
私「そうですよ」
長老ON(割りと動揺しながら〕
「兄弟は排斥された方と交わった事についてどう思われますか?」
私(排斥された方全てと交わりますが、
敢えて冤罪系に絞って話しました〕
エホバが決めたものではなく、人間が長老が勝手にやった事だから、冤罪なので交わりますよ。」
長老ON(割りと自信持って〕
「兄弟は、冤罪だって何故言い切れるんですか?兄弟は審理委員会の場にいなかったでしょう?」
私「ON兄弟だって同じでしょう?冤罪じゃないって何故言い切れるんですか?兄弟は審理委員会の場にいなかったでしょう?」
長老ON「エホバが決めたことに兄弟は楯突くんですか?」
私「何言ってるんですか?その人は何もしちゃ居ないのに、強姦したって相手側の嘘の意見鵜呑みにした長老に屈したんですよ!冤罪にハメられる人間の気持ちわかりますか?ON兄弟の息子さんが冤罪に…あ、ならないですね、長老の息子は冤罪にハメられませんね〜。」
長老らは、私が排斥者と交わった考えは改めるわけもなく、しかし私を排斥に出来る十二分な理由を掴みながら一年経過しました(笑)
それで結局思うんだけど、冤罪だって言ってる人を冤罪じゃないと言うその屈折率は何パーセントですかね。
上記やり取りのように長老はね、問題を扱う見地から、私に冤罪じゃないと言いますが、ネットのやり取りで、あれは冤罪じゃない冤罪じゃないってその人は面と向かった際に例えばオフ会などでその人に
あなたは冤罪じゃないです、あなたと話しましたがあなたには排斥(削除〕になる資質があります。繰り返しますがあなたは冤罪じゃないです。
と言えますか?言えないんですよリアルでは。ネットだから言えるだけ。
ぼくはね、男性として、他人の冤罪の可否を白黒つけるべきじゃないと思います。
だっていつ冤罪やでっち上げの罪で逮捕されるかわからないんだもん。
明日、電車内で痴漢扱いされて逮捕されかねないですから。
だから、他人の冤罪の可否をネット上でとやかく言う人は足元すくわれますよ。
その人がもし冤罪痴漢逮捕されたら、こう言うんでしょうね。
俺はやってない!
これは冤罪だー!って(笑)
明日は我が身ですよ冤罪被害なんてね。
だからネットで冤罪食らったって言ってる人を嘲笑うべからず。
ある方が言われてましたが
「自分が経験した事がない事を全く理解出来ない人は残念過ぎる。」と。
冤罪って自己申告で良いんじゃないんですか?