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僕のおじいちゃんは占い師でした

今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」

私の祖父は占い師でした

父方の祖父は僕が生まれる前に亡くなっていたのでどんな人だったか知らないのですが、母方の祖父は僕が結婚する1ヶ月前まで元気でおちゃめな人でした。

祖母いわくプレイボーイで(何と言っても船乗り)髪には毎晩ポマードを塗るような祖父でしたが、夜には占い師(手相、易占い)もしていたそうな。祖父の家には免状が貼ってあったし、占い師としての名前も持っていました。

名前は「呑舟」(どんしゅう)一晩で5合のお酒を呑む豪快な祖父らしい名前。

でも船乗りからイメージするような豪快な感じではなく、いつも穏やかで優しい祖父でした。戦争に行かされたときに近くで爆弾が破裂し鼓膜が破れたことで耳が全く聞こえず、言葉のやり取りはいつも筆談。

それが逆に占い師としての集中力の元にでもなったのでしょうか、人気があったのだとか。実は結婚する前、妻を連れて祖父のところに遊びに行ったことがあるんです。占いが出来ることも言ってたし、何と言っても僕が愛する祖父だったので。

祖父の占いでまさかの結果が

彼女の手相を見てほしいと祖父に言うと嬉しそうに笑い、見てあげようと言いました。おそるおそる手を差し出した妻の手を指で押さえたり、虫めがねでまじまじと眺め、ふむふむとうなづくこと一分あまり。どんな占い結果がでるか僕と彼女は興味津々。相性はいいのか悪いのか、もしかして何かあるのか・・・そして祖父はゆっくりと顔を上げるとこう言ったのです。

「・・・・きれいな手だな」 エロジジイか!!!!

その後一応占いの結果は聞いたんですが、どうやら悪くはなかったらしいです。でも今思うとなんだかちょっと引っかかることもあったのかなかったのか。しかしその後話はトントンと進み、結婚式の日取りや購入したマンションの引き渡しなどで忙しくなったある日、祖父はなんの前触れもなく亡くなってしまったんです。

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亡くなる前の日に会えた

亡くなる前日、購入して入れるようになったマンションに行って片付けなどをしていると、すぐ近所にある私の実家に祖父が来ていると連絡がありました。普段は少し離れたところに住んでいるのでなかなか行かないのですが、私の実家なら車で20分もかからないので、せっかくだし会いに行こうと妻と車を走らせて実家に。

実家に着くと祖父はお酒を飲んでご機嫌で嬉しそうでした。男の孫というのは数えるほどしかいなくて、非常にかわいがった僕が結婚するのはさぞ嬉しかったんだと思います。次会えるのは結婚式が終わって披露宴のときだからちょうどあとひと月あとくらい。その時には京都のホテルの宴会場を借りて両家の親戚を集めて賑やかにやろうと思っていたんです。

で、次の日。

仕事で外回りをしていた僕に電話をしてきたのは父で、「おじいちゃんが亡くなった」といきなり言われた僕は本当に信じられませんでした。だって昨日出会ったし、元気にしてたし、お酒飲んでたし、嬉しそうだったし。ついこないだ妻になる僕の彼女の手を握って「きれいな手だ」ってニヤニヤして言ってたんだから。

仕事を大急ぎで片付けて向かった病院ではきれいに整えられた祖父の姿がありました。急性の心不全で苦しむこともなくスッと亡くなったのだとか。お酒もたばこも楽しんでいた祖父でしたが、亡くなる前の数年は健康のためだからとみんなでお酒は少量に、たばこは取り上げてしまったんですが、実際こうして亡くなってしまうとみんなで「もっと好きなようにさせてあげれば良かった」と泣きました。

人間って生きてるうちにやりたいことをやらないとダメですね。ダメだって言われてもやっぱりやりたいことは自分でやり通さないと。

僕の身の回りで初めて亡くなったのがこの祖父でした。この後数年で立て続けに父方の祖母、そして数年で母方の祖母もなくなり、あっというまに「おじいちゃん、おばあちゃん」がいなくなってしまったのですが。

お通夜、お葬式と時間が流れていっても悲しみというのはまったく消えないのに、斎場に行き出棺を見送り小さな骨になってしまうとなんだか違うものに祖父が変化してしまったようで、なんだか「二度と会えない存在になったな」という諦めがついたことを覚えています。

とはいえ、実家に帰ると祖父とまったく同じ目をした母がいるわけですし(これが本当に似ていてもう)本棚の前ではおすましした顔の祖父の写真が飾られていますし、なんといっても歴史が好きなことや小説が好きなことなどは完全に祖父からの影響なのです。

霊魂なんて信じないけど

このブログにも書いたことがありますが、僕はお化けとか霊というものを信じていません。信じていませんが祖父のいた記憶とか受けた恩とか楽しかった思い出というのは僕の心の中にずっと残っています。それがもし見える人がいるのなら、それは霊というものなのかもしれません。

中国の陰陽思想から生まれたのが八卦ですが、八卦から生まれた言葉に「当たるも八卦当たらぬも八卦」っていうものがあります。当たることも当たらないこともあるのが八卦なのだから、占いの結果なんて気にしないでいいのだという意味ですよね。

結婚する前の前途多難な?意気揚々な?二人の前で神妙な占い結果などを口にせず、「手がきれい」だなんてごまかしてくれたのは祖父なりの愛情だったのかもしれません。

敬老の日、ですね。

なんでお題が「おじいちゃんおばあちゃん」なのかと思ったら、9月18日は敬老の日だったんですね。Wikipediaによると敬老の日というのは「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としている、ものだそうです。

まだおじいちゃん、おばあちゃんがお元気なのなら、プレゼントが出来なくても電話をしてあげるとかメールをしてあげるとか手紙を書いてあげるとか。

きっと喜んでもらえると思いますよ?みんな亡くなってしまってから思うのはずるいかもしれませんが、いなくなったら何もしてあげることが出来ないんです。

祖父と祖母の金婚式のときに寄せ書きをしたんです。あれはたしか僕が大学生くらいの頃だったと思うのですが。そのときに僕が書いたのは「いまから孝行します」でした。お小遣いをもらったり甘えてきた自分がもうすこしで就職する、就職したら給料から何か買ってプレゼントしよう、そんな気分だったと思うんです。

でも結局、就職してお年玉を数回挙げた程度で孝行が終わってしまったのが今となってはやっぱり残念だったりするのです。だから孫として孝行出来る人は気持ちだけでも!ね。