湘南隠居倶楽部

ここではない、どこかへ

人生をマラソンに例えるなら

人生においてやる事が無い。

そういった虚無感を抱えながらも

日常は過ぎて行く。

 

マラソンランナーで言うならば、

僕はある意味走り終えた人間。

いや、リタイアしたのかもしれない。

とにかくレースには参加していない。

 

 

果たして、僕に何ができるだろうか?

 

 

最近はブログが楽しい。

言葉を扱う事に何か生き甲斐を

感じている。大袈裟かもしれない。

本気でそう感じている。

 

走り終えて旗を振っているのか?

それともリタイアして見守って

いるのか?そもそもレースには参加

せずに誰かを見守っているのか?

色々と考えてしまう。

 

 

僕の出した答え。それは僕は

普通のランナーでは無かったと言う事。

 

 

 

【人生をマラソンに例えるなら】

僕はマラソンという競技の中で

何を担うのか?きっと、そもそも

の話が普通の競技者では無い気がする。

 

妄想力で言うならば、僕は少年時代は

将来を期待されたランナーだったが

不慮の事故で片脚を失ってしまい

人生に絶望しているような男だ。

(何か凄い設定キター)

 

 

走ってる人が羨ましいなって。

義足を見て思うんだよね。

 

 

でも、ある時その男は人生の苦しみに

立ち向かっていく。脚が無いけれども、

走れないけれども、自分にできる事は

何だろうかって?

 

 

そこで少年は旅に出る。考える。

義足の脚で必死で色んな土地へ行き

出会い、別れを繰り返す中で成長

していく。

 

勿論、偏見の目や差別にもあう。

脚が無いって同情もされるだろう。

 

そういった中でも歯を食いしばって

旅を続ける。いつからか、無い物は

無いって気付くし、無いからこそ

他の何かで補える事に気付く。

そして、生かされてる事にも気付く。

 

 

旅を終えた時に少年は青年に

なっていた。

 

 

そして、新たなる使命に

燃えるんだよね。青年は言う。

「今まで出会った人達の為にも

ここで終わるわけにはいかない」 

 

 

ある時、陸上競技場に行ったら

競技用の義足を付けて走る青年

になっているわけ。そこで見事に

復活を遂げるわけですよ。

 

 

物語の最後に青年は

失くした脚の話をインタビューで

聞かれるんだけど、笑顔で答える。

 

「この脚が無かったから

気付けた事がありました。

知れた事がありました。

出会えた人達がいました。

無い物ねだりをするより、

今を信じたい。」

 

 

【何が言いたいかというと】

完全に適当な妄想力で己の

人生をマラソンに例えて語って

いる。

 

結局は失った事を

受け入れてしまって、むしろ

失ったから得たものがある。

そのように清々しく答えたい。

 

 

要は、喪失感が薄れてきたって事。

むしろ、色々あったからこそ

わかった事があったって事。

出会えた人や考えがあるって事。

 

 

これがストーリーか。

 

 

今日は疲れているから、

何を言ってるかわからない

けれども、ドラマを楽しもうぜ。

オッパッピー!おやすみ...!!!