台湾の多くの人々、半世紀もの日本統治時代を高評価している

NEWSポストセブン / 2017年9月15日 7時0分

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紅毛港保安堂に祀られる御神体「神艦 38にっぽんぐんかん」

 世界の人々は日本に対しどのような思いを抱いているのだろうか──今号より始まるジャーナリスト・井上和彦氏の世界の親日国を巡るレポートは、私たちの先祖が残した大いなる遺産を感じさせてくれる。第1回は、世界で最も日本と関係の深い台湾である。

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「日本人よ、胸を張りなさい!」

 台湾を訪れる日本人にいつもそう激励の言葉を掛けてくれた“愛日家”蔡焜燦(さいこんさん)さんが7月17日に90歳で亡くなった。

 蔡さんは、その著書『台湾人と日本精神』(小学館)で、台湾がなぜ世界一の親日国家であるのかを自身の日本統治時代の経験を踏まえて余すところなく綴っている。

 なるほど、日本人が台湾を訪れても外国を感じないというより台湾ほど日本を感じる国は他にないといっても過言ではないだろう。

 観光客の多くが立ち寄る龍山寺では、年配者から違和感のない日本語で声を掛けられ、日本時代の懐かしい思い出などを話してくれることもある。それは、台湾が1895年の下関講和条約で日本領土となり、台湾の多くの人々がその後半世紀もの日本統治時代を高く評価しているからである。

 こうした年代の人々を“日本語族”と呼び、日常会話でも日本語を使う人は多い。そんな日本統治時代を懐かしむ日本語族の人々らは、日本の短歌を詠む「台湾歌壇」という同好会を作って毎月短歌を詠んでいるのだ。

 台湾を旅すれば、きっといまならまだ日本語族の人々と出会うことができるだろう。蔡焜燦氏はいう。

《台北の鉄筋コンクリート製下水道施設などは、東京市(当時)よりも早く整備され、劣悪な衛生状態を改善することによって伝染病が一掃された。そして、あらゆる身分の人が教育を受けられるよう、貧しい家庭には金を与えてまで就学が奨励された事実を忘れてはならない。

 戦後、台湾経済がこれほどまでに成長した秘密は、日本統治時代に整備された産業基盤と教育にあるといっても決して過言ではない。同様に、台湾の近代史はこうした日本統治時代を抜きに語ることはできないのである。》(『台湾人と日本精神』)

 台湾にはそんな日本統治時代の建物がいたるところに残っており現在も使われているから驚きだ。

 かつて台湾統治の中心であった赤レンガ造りの瀟洒な台湾総督府は、今も台湾総統府として使われている。また国立臺灣博物館などこのあたりの立派な洋風の建物の多くは日本統治時代のものであり、中には、日本ではまったく見かけなくなった「林田桶店」という桶屋さんまでそのまま残っているから面白い。日本統治時代の駅舎も数多く残されており、そう思って眺めてみるとなんともノスタルジックな気分になる。まさしく台湾の各都市は“日本建築博物館”のようでもある。

 台南には、土木技師・八田與一(はったよいち)が1920年から10年かけて完成させた当時東洋一の規模を誇った烏山頭ダムがあり、そのほとりには、八田與一の銅像と八田夫妻の墓碑が建つ。

 嘉南平野を豊かな穀倉地帯へと変貌させた八田與一の功績は今も讃えられており毎年5月8日の八田の命日には、八田夫妻の墓前で慰霊祭が執り行われている。さらに2011年には「八田與一記念公園」が開園し、八田與一が暮らした家などが復元されて見学できるようになっているのだ。

【PROFILE】井上和彦(いのうえ・かずひこ)/1963年生まれ。法政大学社会学部卒。軍事・安全保障・国際政治問題を中心に執筆活動を行う。著書に『大東亜戦争秘録 日本軍はこんなに強かった!』(双葉社)、『撃墜王は生きている!』(小学館文庫)など。

※SAPIO2017年10月号

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