臆病な詩人がアイドルオーディションに出てみたら〈後篇〉

臆病な詩人こと、文月悠光さんのWikipediaの経歴には〈2013年に、講談社が主催する女性アイドルオーディション「ミスiD2014」へ応募して、個人賞を受ける。〉という一文があります。なぜ詩人がアイドルオーディションに? 今もその質問から逃れられない文月さんの受難、前篇に引き続き後篇です。世間の逆風にさらされつつ最終選考に残る中で、文月さんの胸の内にどんな気持ちが培われていったのでしょうか。

 4年前の夏、唐突に「ミスiD」というアイドルオーディションに出場した私。
 しかし、手放しに応援してもらえるわけもない。

「詩人」の肩書きを持つ私は、「詩を利用するな」「おこがましい」と厳しい非難を浴びた。一時はオーディションに応募したことを深く後悔し、心が折れた。


 批判者の多くは、ひとしきり非難した後でこう言い添える。

「今は若いからいいけど、あと5年10年したら……」
「数年後には消えている」

 若いからチヤホヤされて、女の子だからって重宝されて、いい気になって消費されて、そんなのいつまで続くと思う? と脅し文句のような一言。
 彼らは不確定な未来を人質にして、「痛いよ、みっともないよ」と特定の誰かを指さし、足を引っ張る。そうすれば、大人の振りができる、って信じているんだろう。

 確かに、一つの価値が持続することは稀だ。でも持続しないからこそ、尊い価値もある。
 自分の価値を自覚して誇ることの、何が悪いのだろう。「今の自分」に賭けて、瞬間的な歓びに生きることの、何が悪い?

「自分の存在で救われる人がいるかもしれない」ってどうして夢見ちゃいけないんだろう? 一度くらいは夢見たことあるでしょう? 忘れたような顔しないでほしい。


 ええい、ままよ。憤った私は、自分を批判するツイートを一つ残らずリツイートした。すると、なんだか胸がスッとした。

 今さらなんだというのか。10代での文学賞受賞をきっかけに、周囲の対応は一変した。
 世間から「天才」と持ち上げられる反面、意に沿わないことがあったのか、今まで目をかけてくれた大人たちの一部は、なぜかそっぽを向いた。大きな渦の中に放り込まれたようだった。知らない人から容姿のことで叩かれたり、心当たりのない噂を流されることもあった。

 当時18歳だった私は、そのことを「当然だ」と諦めて受け入れることも、覚悟して闘うこともできずに、ただただ困惑して憤った。反論の術もなく、私は周囲の評価を飲み込み続けた。

 Twitterにはリツイートという拡散機能がある。もう他人の一方的な評価を、一人で抱え込む必要はないのだ。私はリツイートボタンの矢印に、念を込めて指を置いた。今まで無いことにされてきたものを、押しつぶされそうな息苦しさを、目を背けずにみんなに見てほしい。

 使命感にも似た勇気が湧いてきた。私はようやく、自分の闘い方を見つけられた気がした。

ポエドルとして最終選考へ

 半ばやけくそな気持ちで始めた、批判のオールリツイート。その行為自体が、一種の布教活動にもなったのだろうか。少しずつ応援の声も増えていき、私の詩集を買ってくれる人や、なんと「ミスiDでは文月推し」と語るファンも現れはじめた。
 その様子に再び心を決める。なんとしても私はオーディションをやり遂げて、結果を残さなければ。もう後へは引けないのだ。


 大方の予想を裏切り、私は応募総数2714名からファイナリスト35名に残り、最終選考に勝ち進んだ。

 第2詩集刊行と同時期だったこともあり、かつてないほど多くの取材を受けた。東京新聞夕刊の一面に“ポエム+アイドル めざせ「ポエドル」”という見出しで、顔写真付きのインタビューが掲載され、さらにその記事が東京MX「五時に夢中」で紹介された。

 2ちゃんねるにスレッドが立ち、アンチの数は雪だるま式に増えていった。
「ポエドルとか自称してるからさぞかしかわいいんだろうなと思って検索したらアイドルとは呼びにくい顔。メンヘラのドヤ顔ポエムを、公共の電波に乗せちゃってる感じがつらい」といった反応が典型的なものだった。

 おい、「ポエドル」を自称した覚えはないぞ! 文句あるなら、作品を読んでから言えよ! と今すぐその人たちの家の玄関口を訪ねて回りたい衝動にかられ、苦笑した。

 詩人がアイドルオーディションに出てみたら、ひとりでに「ポエドル」という肩書きが生まれ、みんながそう呼びはじめる……。肩書き一つでこんなにも見え方が変わるなんて、おもしろいじゃないか。自分はその現象を観察して楽しめばいいんだ、と少しずつ開き直っていった。

「ミスiD」という名の女子校

 外部の反応が熾烈なのに対して、オーディション内部は案外平和だった。
 はじめは候補者と目を合わせるのも怖かったが、幾度か場を共にするうちに、私は何人かの子と個人的にご飯を食べに行ったり、遊びに行ったりするようになった。

 中高生時代、遠くから見ていたキラキラした女の子たちと、こんなに近くなれるなんて! まるで、かつての自分が体験できなかった青春をやり直しているみたい。あふれ出す実感に、胸がいっぱいになった。

 それにしても端的に言って、変な人たちばかりだった。
 声が小さすぎて聞こえないグランプリ受賞者、剛速球を投げる元野球少女グラドル、金太郎のよだれかけを着こなす女優、古代民族の末裔を集めてアイドルユニットを作ったお姉さん—。リア充もサブカルもオタクも「ミスiD」という名の女子校の中で仲間となった。

 投票の呼びかけに苦戦したり、アンチの心無い一言に傷ついている子は多く、顔を合わせれば、慰め合いや励まし合いに発展する。距離が縮まるにつれて、完璧でリア充に見える女の子たちの本音が聞こえてきた。

 理想の彼氏はいない、仕事が決まらない、家計はギリギリ。抑えがたくある「誰かに自分を見つけてもらいたい」というシンデレラ願望。でも「このままじゃダメな現実もよくわかってる」……。彼女たちの話を聞いているだけで、「面倒くさい!」と匙を投げたくなる。

 そんな誰にでもある悩みやこじらせを抱えながら、彼女たちは「それでもがんばるしかない」と前を向く。一見完璧な美少女たちは、実はちっとも完璧ではなく、愛すべき欠点を持っていた。


 ずるいようだが、私は初めから、美少女たちと同じ土俵で闘う気は毛頭なかった。「詩人」という他にない立ち位置だからこそ勝ち残れたし、結果としてその集団に受け入れてもらえた、という思いがあった。

 とてもアウェーな場なのに、不思議と居心地が良かった。一人一人の個性があまりに違うので、比較する気にもならなかった。自分にはない彼女たちの華やかさや屈託のなさを、拝みたいような気持ちで見つめていた。それは一種ファンにも近い「観察者」のような立場だったと思う。

 私はファイナリスト34人それぞれに、1人ずつの魅力から34編の詩を書いた。オーディションを実際に闘っている自分にしか見えない、彼女たちの魅力を残しておきたい。最終選考までの2週間、Twitterで「#ミスiD詩集」のタグをつけて詩を投稿し続けた。
 詩と各候補者の解説を冊子にしてイベントで勝手に売ったり、ミスiDの握手会でファンに配布したり。そんな行為も許されてしまうのが「ミスiD」。同じ土俵で闘っているわけではないからこその強みだった。

 最終的に、当時の審査員だった作家の柚木麻子さんから、私は個人賞をいただいた。「候補生の中で一番、世に出なきゃいけない理由、しょっているものの大きさを感じた方です」という柚木さんの審査コメント。「見ていてくれる人はいるんだな」とうれしかった。「詩人」という異色の存在にも、審査員の方々は真摯に向き合ってくださった。

 結果発表後のお披露目イベントでは、ミスiD詩集の詩に曲をつけ、本賞受賞者である寺嶋由芙さんに、サプライズで唄ってもらった。作曲をお願いしたのは、ロリータから金太郎服まで着こなし、特別賞を受賞した細川唯さん。

 私はとても誇らしかった。詩がアイドルという器を得て、確かにスポットライトを浴びている。これこそが、自分の夢見ていた光景だった。


「心をいつも動かしていたいの」
この駅のホームに立つのは今日で最後。
彼女は振り返ることなく飛び乗った。
各駅停車で
会いに行きたい人がいるから。

エントリーNo.29 寺嶋由芙さんに宛てた詩

自分のために闘うこと

 私がささいなきっかけで起こした行動は、周囲を大いに動揺させた。おそらくアイドルオーディションに出て、詩人ほど物議を醸す存在はいなかったのだ。
 一方ミスiDをきっかけに、私の存在を新たに知る人も少なくなかった。その場で知り合った人に、開口一番「あ、アイドル詩人の方ですね!?」と言われ、引きつり笑いを浮かべることも。

 詩の魅力を知ってもらいたい。そんな動機を表明して始めたミスiDの活動だったが、詩の世界から聞こえてくる声は批判的なものが目立った。
「文月さんの活動は、詩を汚している」とまで言われたときには、さすがに「私は何のために闘っているのだろう?」と悲しくなった。

 でも、その言葉によって目が覚めた。
 所詮、私は自分のためにしか闘えないのだ。誰かの期待を背負うことなどできない。

 自分のために闘い抜いて、己の実力や至らなさに気づく。そこからようやく誰かの思いに応える資格を得るのだ。でなければ、欲深い私は「もっと認められるはず」と他人の承認ばかり求めて、どこまでも傲慢になってしまう。

 ある新聞記者の方は「『詩の世界を背負ってほしい』と大人たちに言われたことを内面化していたんじゃないですか?」と尋ねてきた。そうかもしれなかった。そうだとしても、ミスiDにエントリーしたのは、自分で決めたことだった。

「背負ってほしい」とは言うけれど、その「背負い方」については誰も教えてくれない。だから私は私のやり方で背負おうとしたのだ。

 今の私は、当時の自分に説教したいことがいっぱいある。

 悪者のなり方が中途半端だ。詩の世界の外に出ようとしたのに、詩人たちの反応を気にしてどうする。息苦しかった中高生時代の過去は、胸に秘めておきなさい。お前が向き合うべきは、かつての同級生ではなく、詩を敬遠する世間なんだ、と。

 でも、あの頃みたいなまっすぐな挑戦を、またやれるのなら、別の形でやってみたい、と考える自分がいる。捨て鉢でもいい。格好悪くても、滑稽でも、がむしゃらに立ち向かったという記憶が、自分の「未来」を支えてくれるように思うから。

私も誰かのアイドルなのか

 ミスiDのオーディションに出て一年が経った頃、Twitter上で意外な声を目にした。

「中学生でブログを書いていた頃から、文月さんをネットで拝見していて、親近感が持ててファンでした。ミスiD出場をきっかけにアイドルとして見るようになり、トークイベントにも行きました」

「文月悠光さんは、彼女が高校生の頃のブログからずっと応援してる。高校卒業~大学入学~卒業の経過や、ミスiDに出たり、色んな挑戦を見守ってる自分は、完全にアイドル応援のテンションです」

 驚いた。アイドルオーディションに出る前から、私はとうに誰かのアイドルであったなんて。

 私がミスiDに出たのは、「本気で詩を書いています」と自分の口で宣言したかったからだ。「私もアイドル(=本気マジで闘ってる女の子)なんだよ」と。「詩が好き」と話せなかった同級生を、詩を無いものとする人たちを、その宣言によって、一人でもいいから振り向かせたかった。

 彼らの呟きは、まるでそのことを知っていたかのようだ。心の底から救われた。

 よかった、私はちゃんと自分のために闘えていたんだ。


「わたしって最高でしょ?」
 自撮り写真を武器に、SNSであえて露悪的に振る舞う女の子たちがいる。彼女たちの覚悟はすごい。若さを表に打ち出し、顔を晒せば、批判を浴びることもわかっているはず。それでもやりたいことを曲げない、という姿勢が好きだ。無責任かもしれないけれど、突き抜けてほしい。

 次の「アイドル」(もしかしたら「ポエドル」)を引き継ぐ人は、そういうタフでクレバーな女の子たちから出てくる気がする。元女の子として、私は彼女たちの背中を押すような詩を書きたい。

 某美少女戦士のテーマソングが、頭の中にこだまする。女の子は何度だって変身して、未来を夢見て闘えるはず。高らかに声を上げ、ビルを渡り、街を越えて、あの輝く月まで飛ぶ。

 そうして私だけの「伝説」をつくる。



文月悠光さんが、ライターの武田砂鉄さんとトークイベントを行います。

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