函館奉行所
現在、函館奉行所は五稜郭のほぼ中央にあります。
実は函館奉行所がこの場所に再築されたのは2010年(平成22年)と、ごく最近の話しなのです。
函館奉行所と五稜郭
箱館(はこだて)の開港当時、奉行所は函館山のふもとにありました。
港や街を一望出来る見晴らしの良い場所、現在の元町公園付近にあったのです。
外国船が入港するようになると、見晴らしの良い場所は外国の軍艦から狙い撃ちをされる危険な場所となり、移転が検討されるようになりました。
移転先に選ばれたのが函館の隣り町、当時の亀田村柳野。
函館から三キロ離れた緩やかな丘稜地、ここに移転が決まったのです。
役所の周りを土塁で囲む計画でした。
この土塁こそが後の洋式の城『五稜郭』となるのです。
1860年(万延元年)五稜郭が完成。
1862年(文久2年)五稜郭の中に奉行所の建築が始まります。
1864年(元治元年)奉行所の建築がほぼ終わり、箱館山のふもとから五稜郭へと奉行所は完全移転されました。
そして時は1869年(明治2年)、箱館は函館へ、蝦夷地は北海道へと名称が改められるようになるのです。
その後の函館奉行所
1869年(明治2年)戊辰戦争の最期の地となった函館五稜郭。
榎本武揚率いる旧幕府軍が降伏し、函館戦争は終結。
五稜郭は新政府軍に明け渡されました。
新政府は五稜郭内にある奉行所を、役所として利用する事はありませんでした。
1871年(明治4年)、北海道開拓史本庁が札幌に移転される計画となり、その庁舎を作る材料とする為に、奉行所庁舎の大半が解体されたのです。
1922年(大正11年)、歴史上の重要な史跡として指定され
1952年(昭和27年)、北海道唯一の国指定特別史跡となりました。
1983年(昭和58年)、本格的な保存整備の為、五稜郭内の文献資料の調査が始まります。
当時の市立箱館図書館、市立箱館博物館、更に北海道立文書館、国立国会図書館、東京大学資料編纂所の資料から、五稜郭全体の平面図、奉行所の古写真など、築造に関する重要な資料が集められました。
函館市中央図書館所蔵
2006年7月、当時と同じ五稜郭の中央に奉行所の復元が開始されます。
可能な限り当時と同じ材料を用いて同じ工法で建てる事をコンセプトに、宮大工を始め日本全国から伝統建築技術に卓越した職人を集め
2010年(平成22年)に完成しました。
かかった総工費28億円。
そして140年の年月を経て、函館市へ引き渡されたのです。
五稜郭と赤松のある風景
五稜郭には20~24メートルほどある立派な赤松が残されています。
この赤松は五稜郭が築造された当時、徳川幕府が新潟の佐渡島から苗を持ってきて植えたものと言われています。
五稜郭内に86本残されている樹齢150年の赤松は、貴重な国有財産となっています。
自分は仕事として10年ほど前から函館へ来させて頂いています。
毎年ここの赤松を見ているのですが、見る度にその幽玄な雰囲気に圧倒されます。
それはこの赤松の風景が北海道でもここ函館と七飯町でしか見る事が出来ないからであり、この赤松の大木を目にすると函館に来たんだなぁと、実感がジワジワとわき上がってくるのです。
今年は仕事ではなく、自分の為にこの赤松を撮りました。
盆栽のように枝を伸ばす赤松を見ていると、葛飾北斎の描く浮世絵が浮かんでくるのです。
どうやったら一枚の写真を浮世絵っぽく出来るのか挑戦してみたかったので。
エグくならないギリギリの所まで加工して。
自分が感じた浮世絵感を出してみたかったのです。
どうでしょう。
上手く浮世絵感、出てますでしょうか (笑)
※ 資料 函館市HP / 函館、南北海道観光ガイド / 函館奉行所公式ウェブサイト / 函館公式観光ガイド
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