今回も前回同様、国のサバイバルの話を書かせていただきたい。
実は、8月の頭に講演会をするために中国に行ってきたのだが、とにかく人の多さと車の多さに圧倒された。
少子化問題は楽観視できない?
北京の道は結構広く、片側6車線くらいの道が当たり前にある。にもかかわらず、昼間でも相当な渋滞をしていた。どのくらい車があるのかと驚嘆したわけだ。
そして、日本人にとって悲しいことだが、日本は中国市場への進出が相当出遅れていることを痛感させられた。とにかくアウディ製を始め、やたらにドイツ車が多い。北京に関しては政治判断でタクシーはみんな韓国最大手のヒュンダイ製だった。
その韓国車が、米韓合同演習などに伴う中国の反韓感情から、急に売れなくなっているらしい。自動車に限らず、スマホなどのシェアの低下も悲惨と言っていいくらいの話だという。
資本主義の世の中では、特に現在のように世界的に消費不足の時代には、大きな市場を持っている国は強い。早晩、韓国も中国に泣きを入れる可能性が大きい。トランプが、「北朝鮮とビジネスをする全ての国との貿易停止を検討している」とツィッターで表明したそうだが、その中に中国が含まれるなら、アメリカ経済も相当の返り血を浴びることになるはずだ。
中国経済の先行きを不安視する人は多いが、人口が多いだけでなく、その中で中流の割合が増えつつある。やはり成長市場であることは間違いないと考えるほうが妥当だろう。
実は、私は日本の少子化については、ある程度楽観視していた。
10年ほど前、PISA調査の義務教育修了者の学力が世界一とされているフィンランドに視察に行ったことがある。その際に、フィンランドの教育学者や教育政策の担当者に聞いた言葉が今でも頭に残っているからである。「人口が減るのは仕方がない。人口が半分になるなら、教育の力で一人当たりの生産性を倍にすればいい」と。
まさに至言である。フィンランドの場合は、子どもの数が減ったなら、それだけ一人当たりの教育費をかけ、クラスを少人数化していたが、日本は受験が楽になるので学力低下が止まっていない。だから私はゆとり教育に反対し、少子化で学力低下が起こるなら、大学入学資格試験を作るべき(フィンランドにはそれに相当するものがある)と提言してきた。
少子化があっても教育の力で生産性は維持される。AIやロボット技術の進歩により、教育レベルが低くても生産性が維持されるかもしれない。しかし、消費のほうは人口が減ると、よほど高付加価値のものが売れたり、値段を高く設定できない限り、全体のマーケットは縮小していく。