<link href='https://www.blogger.com/dyn-css/authorization.css?targetBlogID=7111172504922246706&amp;zx=67b26a9e-695c-4cc3-a28b-71f592696c29' rel='stylesheet'/>

2017年1月27日金曜日

虚しさ

 久しぶりに感情を書き付けたくなった。というのも、今年度の後期の授業が終わったらしい。アルバイト先で同じ大学の後輩を通じて知った。名実ともに私の大学生活がほぼ終わったことになる。他人より2年間も長く過ごしてしまった。楽しいことも多々あったが、それは枝葉に過ぎず、本質的にはただ虚しい生活だった。

 この6年間で、私を取り巻く環境は大きく変わった。一番変わったことといえば、やはり家庭環境だろう。たった数年のうちに事実上一家離散した状態になり、家族の誰とも連絡が取れなくなってしまった。父と弟の連絡先はもともと知らないし、知っていたところで別に連絡を取りたいとも思わない。しかし、妹とも連絡が取れなくなってしまうとは予想もしていなかった。家族との仲は決して良くなかったが、それでも血の繋がった人間が死んだ時にそれを知る術すらないというのは何とも浅ましい。

 家族だけではない。友人も、手にすくった水が指の間からこぼれ落ちるようにいなくなってしまった。滅多に帰省しなかったので地元の友人とは疎遠になり、様々な後ろめたさがあって大学の友人とも会うことがなくなった。もともと資産も地位もなく、身一つで上京した私にとって、唯一構築し、残すことができるものと言えば人間関係だけだったのに、それすら数年の間に失ってしまった。

 家族も友人も、また新しく作ればよいではないかとも思ったが、私にはそれすら無理だだろう。友人を作ろうにも、年齢を経るごとに多くの人が自身の家庭を持ち、それを維持するだけで精一杯になるのだ。既存の関係を保つことすらままならない人が多い中で、新しく関係を築いてくれる奇特な人がどれほどいるだろうか。家族となると尚更難しい。私の人間性の問題もあるが、家庭環境に難がある人と結婚したいと思う人などまずいないだろう。

 大学に入学してからの6年間、すべてを失い、何も残せず、何も作れない状況に陥ってしまった。ただ虚しいばかりだ。東京外国語大学に進学することを決めたのは自分だ。だから、大学に入ったことを後悔してはいないが、自身の決断が招いた結果であるがゆえに虚しさが残る。

2016年9月22日木曜日

人間性

 就職活動に失敗したら自殺しようと真剣に考えていたことがあった。それなのに、未練が芽生えてしまった。些細なことがきっかけだ。本格的に暑くなり、気持ちを一新するために家の中を徹底的に掃除した時、蛍光灯を替えた。まだ使える蛍光灯を新しいものに取り替えて捨てた。7月頭、自分自身を売り込む営業活動がことごとく失敗に終わった頃だった。いよいよ将来を悲観し、死ぬときの段取りを立てていた。取り外した蛍光灯を集積場に持って行った時、使えるのに捨てられる蛍光灯が自分自身に重なって見えた。体はまだ稼働するのに、人生の前途を放棄することが勿体なく思えた。そうして、就職活動のセカンドシーズンが幕を開けた。

 就職活動第1期とは異なり、人材紹介会社を通じてキャリアコンサルタントと綿密な話し合いを重ね、自分自身や会社について徹底的に分析した上で選考に臨んだ。自己と相手に対する理解を深めたことで、かなり順調に活動することができた。コンクリートジャングルを熱線が照り返す中でスーツを着込むのは気が滅入った。就職活動を開始した3年生に混じると心理的な圧迫感を覚えることもあった。それでも、第1期に比べれば苦痛の度合いは遥かに下がっていた。しかし、それは途中までのことであった。

 人材紹介会社を通じて就職活動を行うことの利点として、選考のフィードバックを得られることが挙げられる。自己のパフォーマンスに対するブラッシュアップが容易となるのだ。しかし、私にとってはその利点が仇となった。私は最終選考で多くの会社から落とされた。その理由は「能力値は充分高いが、弊社の社風には合わない」というものだった。同様の理由で落とされることが何度も続き、就職活動を続行する気力が完全に失われてしまった。

 多くの金と時間をかけ、高次の選考で落とされる徒労感への耐性はついていた。落とされた事自体が問題ではない。「合わない」として何社も続けて突っぱねられた、その理由が問題だった。人間は各々育った背景も性格も価値観も異なるから、組織風土と各々の人間性は必ずしも合致しないということは理解している。しかし、受けた会社からことごとく「合わない」と言われてしまえば、自己の人間性に対する疑義が生じてくる。どの組織にも合わないとなると、私という人間そのものが社会から必要とされていないことの証明になってしまう。人間は社会的動物である。単独で生きることができない生物である以上、社会に適合しなければならない。その社会から必要とされていないということは、即ち生きる価値が無いということではないか。

 能力が低いのならば潔く諦めることができる。諦めずとも、能力を高めるための取り組みならばいくらでも存在する。私は、能力値については充分であると言われた。自分自身について分析・理解し、相手に私という人間を理解してもらうための話も用意した。会社のことも自分自身と同様に理解した。自分で調べ、社員から話を聞き、キャリアコンサルタントからレクチャーを受け、第一、第二、第三の視座から俯瞰して理解を深めた。選考を受けるにあたって入念に準備を重ね、熱意も持っていた。各社からのフィードバックを受け、課題の発見と改善も怠らなかった。第三者の目も通し、独りよがりになってしまうことも防いだ。私が選考を通過し、入社すれば人材紹介会社に金が入る。そのため、キャリアコンサルタントも真剣に課題の発掘と改善に協力してくれた。就職活動第1期よりも真摯に自分と相手の双方に向き合った自負がある。その結果が「合わない」の連鎖だった。個人間の関係でも合う人と合わない人がいるのは当然のことである。しかし、この人とならばうまくやっていけると思った相手から立て続けに拒絶されて気丈に振る舞える人間は少ないだろう。それと同じことである。

 準備不足、能力不足ならば挽回できるし、就職活動第2期ではその点について不足はなかった。しかし、人間性を否定されてしまえば打つ手が無いではないか。私の人間性は24年間を通じて形成されたものだ。今更変えようがない。異なる人間を演じて失敗に終わったのならまだ納得できる。自分の人間性と会社側の風土・求める人材をあらゆる視座から分析し、合致すると思われた組織から否定されてしまった。能力については肯定的に評価されたので、アピールの仕方が悪かったからということでもないようだ。自分自身について幼少期から振り返り、考えや性質についてその背景から話してことごとく否定されたということは、即ち私という人間は社会にとって不要だったということだ。どうにか自分自身を強引に納得させて進路を確保することはできたが、結局、私が過ごしたこれまでの24年間は一体何だったのだろうか。

2016年8月10日水曜日

 疲れた。もう人に会いたくない。人と話したくない。負けるというのは惨めなものだ。就職活動、というよりも人生そのものにおいて周囲の人間に敗北したのは火を見るよりも明らかだ。まだ希望を持っているふりをして元気であるように取り繕うのに疲れた。

 志望する企業から内定をもらうという、皆ができたことをできなかった時点で就職活動という人生のフェーズにおける敗北が決定した。就職活動で敗北は、人生そのものの敗北に連動する。何に対する敗北だろうか。まずは、他者に対する敗北。一歩先を行かれている時点で既に同期に対しては敗けているが、この敗北にはまだ耐えられた。いつか追い越してやるという希望があった。同期に追いつくことができなくなったことと、明らかに下にいた人間から追い越されたことが何よりつらい。

 日本社会では一度の失敗が命取りである。なのに、決定的な失敗を犯してしまった。これによって同期に追いつくことは到底不可能になった。追い越されたというのは昔、塾で指導していた生徒に追い越されたということである。先日、私が大学1年生の頃に英語を教えていた生徒に声をかけられた。懐かしく思って近況を尋ねると、1年の浪人の後、今は一橋大学に通っているそうだ。運動部に入り、毎日練習で忙しいらしい。私と違って良い企業に就職できるのはほぼ確実だ。かつて私が偉そうに講釈を垂れていた人間が、私よりも上の存在になってしまった。後輩に追い越されたことよりもはるかに辛かった。

 他者だけではない。自分自身に対する敗北でもある。絶対に失敗してはならない、失敗するものかと意気込んでいた局面で失敗してしまった。過去の私が理想としていた私は、永遠に理想止まりになった。過去の理想については既に別の記事で書いたので省く。とにかく、現実の自分が理想の自分に負けたのだ。自分自身に対する敗北とはそういう意味だ。

 これまで関わった様々なコミュニティでの集まりで近況について聞かれると、私は必ず本音を隠す。気長に、ぼちぼちやっていると。心理も行動も間逆の状況にあることは、このブログを少しでも読めば明らかだ。嘘をつくのは疲れるが、絶対に本音は言わない。皆に敗北したことが恥ずかしいという思いもあるが、赤の他人の鬱屈した愚痴を聞いたところで誰も得しないからというのが最大の理由だ。集まりの場でそのようなことを話しても疎まれ、雰囲気が悪くなるだけだ。他人の苦境など誰も興味を持たないし、私がどうなろうと結局のところどうでもよいのだ。だから嘘をつく。でも、疲れた。ならばいっそ人に会わなければ、話をしなければよい。ただ、それはそれでつらい。つらいが、最良の手段なのだろう。

 本当に卑屈な人間になってしまったものだ。他者に対して様々なことで負い目を感じてしまう。嫌な人間だ。

2016年7月10日日曜日

人生の正体

 高校生の頃だろうか、将来の目標や人生の展望について同級生と語ったことがあった。歳月を経ることで開けた視界に入ってきたのは、自己の無能がもたらした現実だった。私の将来はもっと希望のある、満ち足りたものかと思っていた。この鬱屈とした日々、これがあの時語った私の将来だったのか。そのようなはずはない。汚い現実を拒む自分がいた。しかし、就職活動の先が見えない今になって思う。鬱屈とした、惨めな日々であっても、確かにあの時同級生と語った私の将来なのだ。空虚な、取るに足らない人生だが、これこそが私の人生の本質であり、終着点である。

 もはや、人生におけるほとんどのことを諦めている。以前に書いた、生きていく中で私が求めることも、叶えようがないのだからどうでもよい。家を買う、結婚するといった人生設計に対する希望もそれなりに持っていた。今となってはそうした希望も、これまでの人生も全て無意味なものになってしまった。以前から計画していた旅行を実行に移すことができれば、それだけで充分満足感を得られるだろう。他のことに関しては何も望まないし、望む資格もない。

 これまでの軌跡を振り返ると、何一つとして思うように進まなかった。妥協の産物と失敗の蓄積が私の人生を形成してきた。力量不足と言えばそれまでの話だが、やはり悔しさは残る。人生を諦めた現在では、勉強や就職活動といった、皆ができたことを私はできなかったことが本当に悔しい。一緒に飯を食い、遊び、飲みに行った連中が成功した姿を見てきたのだ。思うような人生にならなかったことよりも、彼らに負けたことが悔しい。

 ただ、負けたことも現実だ。悔やんでどうにかなる話ではない。敗北を受け入れ、まっさらな気持ちで今後の身の振り方を考えたい。死ぬことも選択肢としては残っている。他の道を選ぶとするならば、どのように計画をたてるべきか。結論を出すまで残されたのは数か月のみ。冷静に考えねば。

2016年7月1日金曜日

青春の後ろ姿

 昔の写真を見た。胸の底から何かこみ上げつつも不思議と押し潰されるような感情が芽生えた。懐かしさに対する気持ちの高揚。友人たちと疎遠になったことに対する虚しさ。美しい人生を生きる友人たちへの羨望。過去の失敗に対する後悔。それらひとつひとつが、惨めな日々を生きる私の鬱屈とした感情を溶媒として混ざり合い、私の心に圧迫感を与えているのか。

 松任谷由実が歌っているように、写真の中の自分がわけもなく憎らしい。楽しい日々を過ごし、屈託無く笑っている写真の中の私が憎らしい。大学入学後、ありとあらゆる岐路で誤った選択肢を進み、今に至っている。無責任に笑う写真の中の楽しげな私に、憤りつつも羨んでいる。

 それにしても、随分と失敗ばかり重ねてきたものだ。あの時、あの人に、あの出来事に対する後悔が募る。あの人に優しくしていたならば、今と違う何かがあったかもしれない。自分に対してもっと素直に行動していたならば。理性的な判断をしていたならば。筋道だった戦略を立てて行動していたならば。一時の感情に任せたようなことをしなかったならば。それで何か変わっていただろうか。今と違う未来が存在しただろうか。友人たちと同じく、美しい人生を歩めたかもしれない。少なくとも、現実世界の今よりは良い日常を謳歌できたかもしれない。そんな不毛な雑念ばかり頭をよぎる。

 「あの頃の私に戻って あなたに会いたい」という詞で歌は締めくくられる。私もあの頃の私に戻りたい。そして、誰かひとりと言わず、いろいろな人に会いたい。私自身にも会いたい。叶う見込みが欠片もない願いである。本当に不毛なことばかり頭に浮かぶ。

 就職活動、そして私自身の人生そのものに対する諦めをようやく持とうとしていたというのに。過去に対する不毛な雑念が、諦めの境地への道のりに支障箇所を設ける。全てを忘れられたら少しは楽になるかもしれない。これもまた不毛な雑念か。

2016年6月23日木曜日

劣等感

 人間という生物は自分が持っていないものを持つ人に対し劣等感を覚え、羨望の念を持つものだと私は思っている。私は、努力する才能を持っている人に対して強い劣等感を覚える。努力できるのも才能のひとつである。自覚はしていたが、この期に及んで怠惰な日常を繰り返していることを省みて、私にはその才能が備わっていないことをつくづく実感する。自画自讃するのは気が引けるが、私は他の人よりも要領は良いと思っている。大学入学まで、大抵のことについて要領を掴んだ行動をすることで乗り切ってきた。しかし、要領の良さだけで生き抜けるほど世の中は甘くないのかもしれない。努力を怠った代償が、現在の私の生活に大きく立ちはだかっている。

 大学2年のときに私が働いていた学習塾で、中学受験のために社会科を教えた子のことが頭をよぎる。その子はお世辞にも才気煥発とは言えなかった。歴史や政治経済の要点や流れを理解させる作業には非常に骨が折れた。しかし、彼女はこれまでに私が出会ってきた人々の誰よりも努力家だった。他の子とのお喋りに無駄な時間を費やさないよう、食事の時間を意図的にずらしていた。私が課した、小学生にはかなり厳しい分量の宿題も必ずこなしてきた。大人の基準に照らし合わせても、彼女の努力は方向性と分量の両面で称賛に値するものだった。

 最終的に、彼女は第一志望の中高一貫校に合格することができた。その経験が、将来における私との差になるだろう。正しい方向性の努力を伴った成功体験が彼女の思考回路に刻まれたのだ。私が行動する際の思考回路に、努力を組み込むことは難しい。これまでの私自身の成功体験は、要領良く物事の重点を掴むことによって成り立ってきた。努力よりも、楽をすることが優先される思考回路が完成しているのだ。私と違い、彼女は今後の人生で何かに取り組むとき、中学受験の時と同様に遂行に向かって努力するだろう。わずか12歳の段階で、努力に裏打ちされている充実した人生を送ることを確定することに成功したのだ。

 彼女も今後の人生で何らかの困難に直面するだろう。そこで努力できるか否かの違いは、困難に対する行動が失敗に終わった後の心境に大きな変化を生じさせる。困難に立ち向かった結果が失敗であった時、努力のできない私のような人間は過去を悔いることになる。あの時努力していれば、あの時怠けていなければ実現可能性が今よりも高かったのかもしれないと、長い期間に渡って後悔の念に苦しめられる。現に、努力不足がもたらした留年という取り返しのつかない結果によって、就職活動での苦難と後悔という現実が私につきまとっている。彼女のような人ならば、そのような状況に陥ることは有り得ない。何事においても正しい方向性と分量の努力をするだろう。困難に立ち向かった結果が仮に失敗に終わっても、努力した末の実力不足なのだから致し方無いと潔く諦めることも可能だ。私のように、後悔を振り払うために幻想を追い求めて見苦しく足掻くことはないだろう。

 私が駅で働いていることを知って以来、彼女は週に2回ほど改札口に顔を出して普段の生活や悩みといった取り留めもない話をしてくれる。私が授業をしていた時から既に3年以上経過している。学校生活の話を聞く限り、勉強でも部活動でもしっかりと努力しているようだ。やはり、努力によって成功を勝ち取った経験が財産となっているに違いない。未だに私のことを覚えていて、用もないのに話すために来てくれるのは嬉しい。嬉しい反面、私より8歳も年下の女の子に対して劣等感を覚える。私も彼女のように努力をできる人間であったらと、馬鹿げた感情を持ってしまう。そのように悔やんでいるのならば、今から少しずつ自分を変えれば良いではないか。しかし、それすらできずに自分に負け、怠惰に身を沈めてしまう。私は自分よりもずっと年下の人ができたことすらできない、人間としてポンコツの存在だ。

2016年6月17日金曜日

中途半端であるということ

 私は浜松町の高層ビル群を見上げていた。5年前、私が見た景色そのものだった。私は、かつて思い描いてきた自己の姿に到達する機会を、遂に失ったことを悟った。2011年3月、私は父と羽田空港からモノレールに乗り、東京での生活を築こうとしていた。あの時、自己の将来についてどのように考えていたのか、今となっては詳細に思い出すことはできない。ただ、大見得を切って上京したからには実に学を修め、よき日々を過ごし、集大成としてひとかどの地位を手に入れ、充実した人生を送りたい。大筋としてそのような望みを持っていたことは明らかである。

 その地位を手に入れるには、私の能力は中途半端だった。自身に対して課していた重圧とは裏腹に、望みを叶えられそうかという観点から鑑みるに、どうやら就職活動は失敗に終わりそうだ。まだ完全に失敗したと結論付けるにはいささか早いが、望みは薄い。2年も留年したとはいえ、エントリーシートはそこそこ通過した。面接もある程度は乗り切ることができた。しかし、高次の面接で篩いにかけられてしまう。

 地元をこよなく愛し、地元という狭い世界に甘んじて生きることに満足し、日々を楽しく生きることに無上の価値を見出す人々がいる。所謂、マイルドヤンキーと呼ばれる人々だ。これまで私と関わってきた人々の中にも、そうした人種は当然のことながら存在する。彼らの近況を垣間見ると、なんと楽しげなことか。実に羨ましい。私は、こうした人々と立場を同じくしたいとは思わなかった。勉強はできた。そのことが自尊心を肥大化させた。彼らとは違い、自分は頭脳を働かせて社会の上層部で活躍すべき人間である。そう考えていた。また、以前に書いた経済的成功を遂げ、自分が育った環境を反面教師として家庭を構築するためにも、社会の上流へ遡上せねばならなかった。

 しかし、私には膨れ上がった自尊心や上昇志向に見合う能力がなかった。自惚れていただけだった。お山の大将が真の実力を持った人と戦ったところで、如何に勝つための算段を立てられようか。愚かしくも、就職戦線で敗退を重ねるまで私はそのことに気付かなかった。敗北した事実が、パソコンのディスプレイからお祈りメールという形で幾度と無く映しだされる。ディスプレイが発したお祈りメールを示す映像信号が、網膜や視神経を経て現実を示す媒体として脳髄に染み渡ることでようやく自身の置かれた状況を理解するに至った。

 本当に私は中途半端な人間だ。上のステージに登ってみたものの、そこで戦うための能力や実績を身につけることを怠り、競争に敗れてしまった。能力や実績を身につける努力を続けるための能力が足りなかったと言うべきか。どっち付かずの宙ぶらりんで、遂に行き場を失ったのだ。

 そう思うと、自分の将来に対する諦めが生じてくる。私のこれまでの人生は全て無駄だった。ひとえに能力の欠如が引き起こした結末である。ただ、悔しさは残る。大学で親交のあった人たちは、どのような場へ出ても恥ずかしくない社会人として働いている。就職活動を成功させ、相当に良い企業に勤めている。一緒に授業を受けた、サークル活動に取り組んだ、飯を食った、酒席でくだらない話をした、遊びに行った友人たちができたことを私はできなかったのだ。自分の能力が至らなかったことを思い知らされ、本当に悔しい。今はただ、残された一縷の望みにすがり、細々と就職活動を続けている。見込みが薄いことは分かっている。悔しさのみが原動力である。