- 作者: 吉岡桂子
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2017/05/24
- メディア: 単行本
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うーん、せっかくもらった本なのであまり悪く言いたくはないんだが、もう少し何とかならなかったんだろうか。いや、おもしろいところはあるんだが、それがゴシップでしかない。本来、つかみでしかない部分だ。でも本書はそれで終わり。本当に重要な話に踏み込まない。
まず、「興亡」というので、ちょっとびっくりするよね。ぼくは人民元が滅びたとか、そんな兆候があるという話は聞いたことがなかったもので。では人民元が滅びる話がどこから出てくるんだろうか? それがねえ……
ないんだよ、これが。何も、まったく。何一つ。
強いて言うなら、最後ビットコインの話がちょっと出てくるくらい? あとはスマホ決済で紙幣が使われないとかだけど、それは人民元がなくなる話じゃないよね。
まあ「亡」がないのは勇み足だし、タイトルはマーケティング上の配慮で針小棒大になることもあるだろう。ではそれ以外の部分は? 「興」の部分は?
これまた、実にしょぼい。基本、冒頭部分で毛沢東が人民元紙幣に自分の顔を使わせなかったというエピソードを並べる。で、その理由は? 多少の時系列めいた話に、いろんな人の雑談めいた憶測が並ぶ。でも結局なにか分析があるわけではなく、いろんな人に話をききました、いろんなところに行ってみました、というだけで、その旅行記を並べておしまい。
毛沢東とお金の話なら、もっと重要でおもしろネタはあるはずなんだけどなー。毛はお金そのものに不信感を持っていて、その廃止を真面目に考えていたこともあったはずなんだ。ポルポトたちが政権をとってカンボジアを地獄に陥れていたとき、連中は毛沢東に会いにいくんだけれど、そのときに毛沢東が「おれたちですらできなかったお金の廃止をやるとは!」と驚愕したという話がある。紙幣から、毛沢東のお金に対する見方を掘り下げ、それが中共の金融政策をどう左右したかを見ることもできるはずなんだけれど、そういった本質的な話は一切なし。
そしてそのしょぼい「興」と、中身のない「亡」の間はなにがあるかというと、目立つエピソードをもとにしたゴシップだけ。戦前の日本が中国で円を普及させようとしたが苦労したし、日本負けちゃってご破算となりました、という話とか、最終的に日本が敗戦した以上、どうでもいいエピソードでしかないと思うんだがそれを延々とのべたてる。そして、そこから日本の円と人民元とのつながりを述べようとして、三重野以来のバブル戦犯日銀総裁たちが中国の中央銀行とそれなりにつきあいが深かったことを述べる。でも、それがすべて個人レベルのつきあいがありました、という話の域をでない。日銀マンのだれかがウォンというイヌを飼ってました? それがなんだっての? まして著者がその犬に会ったことがある? そんなことに何の意味があるの?
たとえばそこで、かれらの影響で中国がやたらに緊縮的な金融政策を採るようになりました、というような話であれば、そういう交際について紹介する意味を持つだろう。でも、そういうのはまったくない。単に、つきあいがありました、というだけ。ちなみに白川について、インタゲ話に翻弄されたというんだけど、どこがぁ? かれがもっと翻弄されてくれたら日本経済もずいぶん変わっていたと思うが、かたくなに緊縮を保っただけ。
あとは、世銀と中国のつきあいが~というんだが、中国でかいし融資先としてでかくなるのは当然でしょう。でも世銀の中国融資はチベット問題をめぐって波乱もあるし、世銀の融資方針が変わるにつれて中国への融資内容も変わったはずだけど……そんな話もなし。青木昌彦やスティグリッツが中国にいっぱい来ていたというんだけど、かれらは中国に何を指導したの? それで中国はどう変わった? 何もなし。
あとはチェンマイイニシアティブの話とか、アジア通貨危機の人民元切り下げ圧力の話、そのときのAMF構想の話とか。そしてAIIBの話とそれに伴うADBの話。いずれも何も本質的な話がない。そもそも、人民元の運用ってどういう考え方でこれまで行われているのか、管理通貨としてどんな考え方で実施されてるの? そういうきちんとした記述を行った部分なし。
たとえばIMFのSDRに導入されたとき、透明性の低い管理通貨を大量に混ぜていいんですかという批判がずっとあった。まずそこで言われている批判とは何なのか? 人民元ってどういう管理がされているの? そういう具体的な話はほとんどなし。さらに、SDRへの組み込みでラガルドがIMFの親玉になったのが大きな契機だったという話をする。ほほう、するとラガルドがなにやら中国の懐柔を受けていたのか? 何か特別なつながりがあったの? あるいは前任のストロース=カーンと大きな考え方のちがいがあったとか? ところがそんな話は一切なし。出てくるのはラガルドがスマートでタカラジェンヌみたいでとかいう話だけ。それならラガルド出てきても意味ないじゃん。契機になってないじゃん。
すべてそんな具合。何か大きなトピックが出てくる。そしてその周辺にいる人々のゴシップが並べられるんだけれど、そのゴシップが大きなエピソードの展開にどう関わったかはまったく書かれず、著者個人がその人に会ってインタビューしたときに、着こなしがーとか宴会の食事がー、入り口の置物がー、とかホントどうでもいい話になって、その人のインタビューも通り一遍の公式声明以上のことは何も聞き出せず、最後に「通貨はその国の基本である」とかなんとか、何のまとめにもなっていない漠然とした話がでておしまい。
結局、著者がいろんな人に会ったのはわかった。でも会ったことで何が明らかになったのかといえば……何も。アマゾンのレビューを見るとずいぶんほめられている。多くの読者はバカで、こういうゴシップをありがたく拝聴してなんかわかったつもりになるので、それはそれで仕方ないんだが、正直いってこれだけの人にインタビューしたんなら、もう少し何か本質的なことが一つでも解明できるはずだと思うんだが。ぼくは読んで、かなりの徒労感しかおぼえなかった。すみません、せっかくもらったのに。
付記:
上のはちょっと厳しすぎるかな、という気もしないでもない。多くの人は、AIIBって聞いたことがあっても、なんだか知らないし、また詳しく知りたいとも思っていない。AMFについてだって、きちんと理解したいわけではない。だからそういう読者向けに、通りいっぺんの解説をして、それにちょっとアメリカや日本や中国の政治的陰謀めいた話を、ちょっとえらそうな人のインタビューをもとに憶測っぽくからめておけば、なんか多くの人はわかったような気分になったうえ、「実はあれはアメリカの陰謀で〜」みたいな知ったかぶりもできるようになる。アマゾンのレビューやツイッターで誉めている人たちは、そういうのが嬉しくてたまらないみたいだし、その意味で商品としてはなりたっているとはいえるかもしれない。新聞の連載囲みコラムなんてほとんどがそんなもんだし、それに忠実といえばそれまで。いろいろ聞いた結果として何がわかったか明確にしないのも、新聞らしい日和見&責任逃れではある。
が、それにしてもだ。たとえばADBの本部が東京にならなかったのだって、政治的な策謀をあれこれ勘ぐってみせるのも結構だけど、東京ではADBの業務に必要な英語のしゃべれる一般スタッフがまったく調達できないというものすごい現実的な理由が大きかった、という話もよく聞くよ? 他の話だって、どういう現実的な要請から中国は各種の手だてを実施してるのか、という視点がないと、ほんと憶測と公式発表だけで何も深みがない。この手の話で、一つのバロメーターになる言葉が「基軸通貨」ってやつで、これを意味ありげに使ってる人はたいがい何もわかってないんだけど、この本はまさにその典型でもある。基軸通貨ってなに?食えるの?これでも読んでね。クルーグマンは「基軸通貨」なんていうまぬけな言葉は使わないけどさ。
Who's Afraid of the Euro?: Japanese
それに人民元の話をするんなら、国際的な要因の話だけでなく、国内要因の話がいるでしょ。通貨価値を維持するのは、為替レートの話とインフレの話と両方あるし。国内のバブルとかインフラ整備とか国営企業問題とかさ、そういうのと為替レートや国際化の話とはどう関連してるのかとか、まったくそういう視点もない。注目する現象は本当に通りいっぺん。そしてそれを何らかの枠組みでとらえなおす試みも皆無。一部の話は、いまの中国が最適通貨圏になってるか、という話に還元できると思うんだけど、それについての評価もなくもぞもぞしたインタビューのキャッチフレーズ出しておしまい。山形は、この分野で必要以上に耳年増だから、というのもあるだろう。でも、別にぼくにとって新しい知見がなくても、それを体系だってきちんと述べるのだって、こういう本の役目だと思うんだけどね。