バングラデシュの現代政治とイスラーム――ダッカ襲撃テロ事件から考える

バングラデシュの首都ダッカにあるレストランが武装集団に襲撃され、日本人7名が犠牲となったテロ事件から1年と2ヶ月。欧米諸国とも良好な関係を築き、穏健なイスラーム国家とみられていたバングラデシュでの大規模テロ事件は、日本のみならず国際社会に大きな衝撃を与えた。

 

同国では、独立戦争時にパキスタンの側について虐殺行為に荷担したものを裁く戦争犯罪裁判が、現政権与党であるアワミ連盟によって実施されているが、裁判ではイスラームの教義に則った国家建設を主張するグループの指導者が被疑者となっている。そして、その判決に呼応するかのように、2013年頃よりイスラーム武装勢力によるものとみられる襲撃事件が増加していた。殺害された日本人は、ODA(政府開発援助)事業で同国を訪れていたことから、外務省やJICAは援助事業従事者の安全対策の強化に乗り出している。

 

 

バングラデシュとは

 

バングラデシュは、ベンガル語で「ベンガル人の国」を意味し、1971年にパキスタンから独立した。独立に際し、日本が早い段階で承認の意思を示したことに加え、二国間援助では、日本が最大の援助国ということもあり、対日感情は極めて良い国である。人口の9割をムスリムが占めており、イスラームがバングラデシュの社会規範や人々の行動様式に大きな影響を与えている。貧困や災害といった負のイメージが先行しがちだが、1990年代より縫製業を中心として好調な経済成長を維持しており、2016年度のGDP成長率は7.11%と過去最高を記録した。世界第8位となる1億6000万の人口に加え、ベンガル湾を有し、大量輸送にも優れた地理的特性から、テロ以降も同国へ進出する企業は増加傾向にある。また、2006年にムハマド・ユヌス博士がグラミン銀行とともにノーベル平和賞を受賞したことがきっかけで、「ソーシャル・ビジネス」といった新たな援助手法やビジネスモデルでも注目を集めている。

 

安定した経済成長とは裏腹に、政治状況は混迷を深めている。バングラデシュでは、1991年に実質的な民主化がなされて以降、バングラデシュ民族主義党(Bangladesh NationalistParty:BNP)とアワミ連盟(Awami League: AL)の二大政党が交互に政権を担ってきた。2008年の総選挙ではALが大勝したが、同党が実施した選挙制度改革や、独立戦争時の戦争犯罪を裁く国際犯罪法廷に野党が反発し、ホルタル(ゼネスト)や抗議デモが頻発する事態となった。最近では市民がこれら野党の動きに同調することも少なくなってきたが、依然として与野党間の対話は進んでおらず、ALによる一党支配体制が続いている。

 

 

アワミ連盟による戦争犯罪裁判の実施

 

現政権与党で、1971年のバングラデシュ独立を牽引したALは、1991年の民主化以降一貫して、独立戦争でパキスタンに協力した者を戦争犯罪人として処罰することを主張してきた。これにより、戦争を経験した世代の支持を集めると同時に、ゲリラ兵として戦った者も多い党員をまとめ上げ、党内の結束を強めてきた。

 

同党は、2008年12 月の国会総選挙でも戦争犯罪裁判(以下、戦犯裁判)の実施を選挙公約に掲げて戦い、3分の2以上の議席を獲得して地滑り的勝利を収めた。そして、この圧倒的な議席数を背景に、2010年3月に、3人の裁判官と7人の検察官、12人の調査官を任命し、戦犯裁判のための国際犯罪法廷を開く体制を整えた。国際と名付けられているが、1973年にALが制定した国内法である「国際犯罪[法廷]法(International Crime[Tribunal]Act)」に基づく裁判であることから、その中立性には国内外から疑問符がつけられた。特に被疑者となったイスラーム主義政党の指導者と関係の深いパキスタンやトルコなどの中東諸国、死刑に反対の立場をとる欧州諸国は裁判の実施に強い懸念を示した。

 

裁判の対象は、1971年のバングラデシュ独立戦争で、独立運動を弾圧したパキスタン軍に協力した者や虐殺行為に荷担したとされる者たちである。独立戦争に際しては、一部のイスラーム指導者やイスラーム協会(Jamaat-e-Islami:JI)を中心としたイスラーム主義政党が、親パキスタンの立場から「和平委員会」と呼ばれる組織を結成し、独立に反対した。そして、イスラーム主義政党の地方・学生団体としてラザーカールやアル・バダル、アル・シャムスといった組織を編成し、和平委員会の下、ALの活動家や独立を支持する知識人、ヒンドゥー教徒を虐殺した。反独立派はバングラデシュ独立による東西パキスタンの分断と、それによってヒンドゥー教徒が多数を占めるインドの影響力が南アジアで拡大することを恐れ、パキスタンに加担したとされる。

 

国際犯罪法廷によって、2013年から2017年にかけてJI幹部6人と最大野党BNP幹部1人に死刑が執行された。これに対して、JIとその学生組織であるイスラーミー・チャットラ・シビルが激しい抗議運動を展開し、暴徒化した一部のメンバーが治安部隊と衝突した。また、各地でヒンドゥー寺院や仏教寺院が破壊され、ヒンドゥー教徒の家屋や商店が焼かれるなど、治安が急速に悪化した。ALは、暴動を主導したとして2013年8月にJIの選挙資格を剝奪した。これにより、イスラーム主義層は、代表を議員として国会に送り込むことにより、自らの主義主張を合法的に伝えるすべを失った。同時に、イスラーム武装勢力は、ALをイスラームの明確な敵として認識するに至った。

 

 

イスラーム武装勢力による襲撃事件の増加

 

戦犯裁判に社会の注目が集まりはじめた2013年初頭より、イスラーム武装勢力によるものとみられる襲撃事件が増加した。襲撃の対象は、反イスラーム的であるとされたブロガー、外国人、宗教マイノリティに大別される。

 

ウェブ上で政治的意見を発言するブロガーは、バングラデシュにおけるインターネットの普及によって、急速にその存在感を増してきている。特に、ALが戦犯裁判を推し進めることにより、戦犯推進派や保守的かつ武装主義的なイスラーム思想に対して批判的な立場をとる人びとが政権のお墨付きを得た形となり、活発に発言するようになった。また、自らの意見を誰からも精査されることなく容易にウェブ上で流布することができるようになったことから、イスラームに関する議論が過激な批判の応酬となって、互いの憎悪を高め合う結果となった。

 

これらを背景として、2013年頃から過激なイスラーム思想を批判する書き込みを行っていたブロガーや、戦犯裁判で被疑者に厳罰を求める運動をウェブ上で展開したブロガー、彼らの著作を発行する編集者、LGBT(性的マイノリティ)の権利を求める活動家などが、何者かに襲撃される事件が続いた。これに対してIS(イスラーム国)やインド亜大陸のアルカイーダ (Al Qaeda in the Indian Subcontinent: AQIS)は、彼らをイスラームの伝統的な教えに反する「無神論者」や「世俗主義者」であるとして犯行を認める声明をだした。

 

宗教マイノリティに対しては、シーア派宗教施設における無差別発砲事件や、イスラームの少数宗派であるアフマディヤのモスクにおける自爆テロ事件、ヒンドゥー教徒や仏教徒、キリスト教徒、イスラーム少数宗派に対する襲撃事件などが発生し、ISからの犯行声明がだされた(表参照)。

 

 

表 2016年にISのバングラデシュ支部を称する組織が犯行声明を出した少数宗教に対する襲撃事件

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(出所)テロ続発が脅かす安定成長への道(日下部 2016 p.467)

 

また、2015年には外国人をターゲットにした襲擊事件が3件発生し、イタリア人2名、日本人1名が死傷した。外国人に対する襲撃事件がISの犯行声明の下、立て続けに発生したことに加え、ISの広報誌「ダービク12号」において、バングラデシュにおけるテロ活動の強化を示唆したことから、政府、各国大使館は警戒を強めた。【次ページにつづく】

 

 

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