Yoshiie Hiroyuki
1971年3月31日生まれ 長野県出身 O型 牡羊座
昭和46年 |
3月31日生まれ。 |
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昭和63年 |
北星学園余市高等学校に編入。 |
平成2年 |
明治学院大学法学部に入学。 |
平成11年 |
母校・北星学園余市高校の教師になる。 |
平成15年 |
4月、ドキュメンタリー番組が放送され大反響に。 10月、「ヤンキー母校に帰る」がドラマ化。 |
平成17年 |
4月、横浜市教育委員会教育委員に就任。 |
平成18年 |
10月、内閣官房教育再生会議担当室室長に就任。 |
平成19年 |
4月、東北福祉大学特任准教授に就任。 7月29日、参議院議員選挙当選。 |
平成21年 |
10月、自民党政務調査会 文部科学部会長に就任。 |
平成22年 |
4月、自民党政権力委員会(ネクスト・ジャパン)教育・人材育成・文化・スポーツ担当大臣に就任。 自民党長野県連政治スクール「信州維新塾」を開講。初代塾長に就任。 10月、自民党SC文部科学副大臣に就任。 |
平成24年 |
10月、自民党政務調査会文部科学部会長に就任。 SC(シャドウ・キャビネット)文部科学大臣に就任。 11月30日、日本再生のため参議院議員を辞職。 12月16日、神奈川県第十六区選挙区にて衆議院議員選挙当選。 12月27日、文部科学大臣政務官に就任。 |
平成25年 |
10月、文部科学委員会理事・北朝鮮による拉致問題に関する特別委員会理事に就任。 12月、自民党教育再生実行本部副本部長に就任。 |
平成26年 |
4月、松蔭大学特任教授に就任。 9月、自民党副幹事長に就任。 10月、地方創生に関する特別委員会理事に就任。 12月14日、衆議院議員選挙2期目当選。 |
平成27年 |
1月、文部科学委員会筆頭理事・地方創生特別委員会委員に就任。 10月9日、文部科学副大臣に就任。 |
平成28年 |
8月5日、文部科学副大臣を留任。 |
平成29年 |
8月22日、自民党政務調査会 財務金融部会長に就任。 |
出馬を思い悩んでいた私に、ある教え子がくれた言葉――。
「先生は、オレたちの夢なんだ。若者たちの声はまだ小さくて社会には届かない。
悲しいことだけど死ななければ報道もされないんだよ。
今、苦しんでいるオレたちにとって、本気で戦い続けてくれている先生は『希望』なんだ。
オレたちの声を届けて欲しい。変えて欲しい。そして、引っ張っていって欲しい。
若者と共にある政治家。そんな人は今までいなかったでしょ?
本当にオレたちがこれからの未来を創れるのだとするなら、先生はそれになって欲しい」
――心は固まった。
イジメ、不登校、未履修、親殺し、子殺し、育児放棄、そして自殺・・・
心を痛める悲しい出来事が次々に私たちに襲いかかる。
嘆きの声は日々、深刻になっているにも関わらず、一方、対策はいっこうに進まない。
今回の参院選は、本当に教育再生ができるのか、それとも若者たちを取り残したまま
うやむやになってしまうのか、それを占う『未来に直結した選挙』である。
私は教育に救ってもらった存在の全てを今、教育再生に賭けることを決意した。
私は考えるだけの徒にはならない。
嘆くだけの徒にはならない。
諦めの徒にはならない。
傍観の徒にはならない。
夢は逃げていかない、
自分が夢から逃げていくのだ。
私は、立つ。