いつの頃からか分からないけれど、物語(特に異世界転生系)の中でスキルという概念が確立されてきた。最大公約的に説明すると、スキルというのはその世界に存在する剣技とか魔法とか料理の腕前とか、なんらかの特別な能力のことだ。そして重要な特徴として、
というものがある。例えばスキル 絶対結界であれば、このスキルを持つ相手と対峙したキャラクタは「ふむ、"絶対結界"か。これはちとやっかいじゃ」なんて相手を評価したりする。
どうにも、このパッケージングされた能力としてのスキルが物語中に出てくると、キャラクタにリアルを感じない。キャラクタがそのスキルを使える理由が納得できない。
逆に、ちゃんと一般人キャラクタが魔法を使える理由があるのはいい。例をあげると、マンガ図書館Zで読むことができる「轟世剣ダイ・ソード」(http://www.mangaz.com/book/detail/74251)は普通の学校が、校舎もろとも剣と魔法のファンタジー世界に転移してしまう物語だ。この中で、魔法は、才能があるもののみ使える精神力のようなもので、主人公を含む何人かの生徒が使い手になる。注目して欲しいのは主人公が魔法を使えるようにある理由だ。もともと主人公は超強いトランスフォーマみたいなロボットの搭乗者に選ばれていて、魔法の才能もあるはずだと周りから思われていた。しかしそれに反してなかなか魔法を使うことができなかった。そして、物語も佳境に入ってきた時このセリフがあった。
「会長・・・ぼくはゆうべ夢を見ました 元の世界で普通に学校に通っている夢・・・ぼくが魔力を使えないのはどこかでそれを使いたがっていないから 怖がっているから それがあまりに強大であったから 自分が望まないのに与えられた力だったから どこかでダイソードと自分を区別したがっているからです 魔力を自分のものだと認めてしまったら 自分が自分でなくなりそうな気がして」
このセリフを読んだ時、この魔法は主人公だから使えるようになったんだと深く納得できた。ただの中学生だった主人公が、異世界で冒険して、命をかけて戦って、誰かを守って、だから力を使えるようになったんだと。翻って、このようにキャラクタとその特殊能力が密接に結びつくことには全く問題を感じず、すんなりと納得することができるのだけど、特殊能力がパッケージングされたスキルとしてキャラクタから分離され、単なる普遍的なキャラクタパラメタとなってしまうとどうにも無味無臭に思えてしまう。スキルがあるから強いとかって書かれると、絵の才能がある人だって、絵の練習しないと安定していい絵はかけないだろうって思う。もっと言ってしまえば、スキルシステムがある時点で、どうにもゲームみたいに、定義されきった世界に思えてしまうのだ。誰がスキルシステムを用意して、スキルを確認できるような仕組みを作って、新しいスキルとかを管理しているんだよと。デザイナでもいるのかって思う。