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代理投稿します

 投稿者:シャクソンファイブ  投稿日:2017年 9月13日(水)09時24分10秒
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  おはようございます。
宮川氏の代理投稿致します。



投稿カテゴリー追加。

今まで、
1. 我が師池田先生との思い出.
2. 不思議なる縁(えにし)シリーズ.
3. 坊さんは見たシリーズ.
の3シリーズでお送りしてきたが、
更に「 仲路中道 」の 「 さらばシリーズ 」を追加する。

これは、私が日蓮正宗を離脱する前に仲路中道( なかみちちゅうどう )の
ペンネームで、宗内の実態を暴露した本であるが、
既に、この本は絶版となっており、宗門の実態を知りたいとの声が
繁多であると共に、続編、「 さらば信濃町、さらば信濃町慕情 」を
読みたいとの同志の方々の願いに少しでも応えたいとの意味から
少しずつ小出しにしたい思う。

以前話した様に、「 さらば日顕 さらば大石寺 」は、
嫉妬に狂った法主日顕への別離と、謗法と化した大石寺への別離であったが、
続書「 さらば信濃町、さらば信濃町慕情 」は師匠である池田先生の慈悲の精神、
絶対平和思想を踏みにじる原田ら信濃町への別離と共に、
自らの意志で師匠を求め、日蓮仏法の奥義を学ばんと苦難の道を歩むのではなく、
組織に依存し、幹部を盲目的に信じ、自ら判断する事なく
多数派に付和雷同する弱き心、先生が最も嫌われる傍観者の心を
信濃町への慕情として、その弱き自己との別離をタイトルに込めた。

この本が世に出る事はない。
内外に与える影響があまりにも大きく、そのニュースソース自体が、
私の最も尊敬する改革僧侶、故・大橋正淳師の手記によるところが多いからである。
師との約束で、2030年迄は出さないと誓ったからである。
その内容は、大橋師でなければ知り得ない内容も繁多である。

戦時中、牧口先生、戸田先生が逮捕されるや、自分の寺に所属する檀信徒の
御本尊様を寺に持参させ、全て燃やした大謗法の坊主の所行。
(その坊主は、既に亡くなっているが、学会内では、正義の僧侶として
尊敬され、一族は学会僧として現存している)や、御自身が被害に遭われた
筆頭副会長の1億円詐欺事件など、克明に記録されている。

しかし時が時である故に、本の出版でなく一部の引用であれば、
大好きな大橋師も許してくれると思う。

その前に、先程イギリスの同志より、今回の問題を幹部に説明したいが
ドイツの人に分かるように説明を願いたいとの事で
丑寅勤行の後に少々まとめたので添付させて頂く。

原田学会に対する不信は、世界的に拡がっているようだ。
「 今まで正しいと思って、学会を信じてきたが、昨今の原田会長らを信頼できない。
今回の問題は、大聖人の仏法上、宗教批判の原理から教えて欲しい。」
との内容であり、大急ぎで纏めて送った内容である。

*海外の同志への解答*

天台(派)は、宗教批判判別の方途として五重の相対を以って、
その正邪・優劣を決した。
細かくは省くが、いわゆる、
1. 内外相対.
2. 大小相対、
3. 権実相対、
4. 本迹相対、
5. 種脱相対、
である。

しかし濁世末法に於いては、文底独一本門による救済しか叶わぬ故に、
日蓮大聖人を本仏と仰ぎ南無妙法蓮華経を唱える教団が、
益々、五重の網の目を潜り抜け、正邪分別し難きに当たり、
師匠( 戸田先生、池田先生 )は、密かに、二重の相対を加味されたのである。
しかして、文底独一本門の完結を見るのである。
いわゆる、第六の相対と第七の相対である。

第六の相対ーー宗創相対と号す。
唯一絶対にして清浄無比と信じてきた日蓮正宗宗門に、
魔が入り込み、民衆を誑( たぶら )かし、落とすのである。
七百年間法灯連綿と続いてきた宗門が、広宣流布を遂行する
創価学会を迫害する系図である。

戸田先生は大聖人を迫害した輩が仏立宗などの邪宗の坊主と生まれ、
今度はそれらが、日蓮正宗( にちれん せいしゅう )の中に出て来るのであります、
と明確に教えられている。( 戸田城聖先生指導集 )

そして正に、銀河系宇宙、太陽圏、地球に於ける広宣流布が達成せんとした時に、
出現する第六天の魔王こそ第七の相対、池創相対、民幹相対である。

つまり我が師、文底独一本門の教主・日蓮大聖人
昭和平成の主・三代会長就中、池田先生の絶対平和思想、自由、平等の
慈悲の思想と、形骸化した組織、権威によって人間性を封殺する
デーモン( 悪魔 )との相対なのである。

先生は会長御就任後、直ぐの昭和38年7月19日より京都大学学生を
対告衆として百六箇抄講義を始めて下さっておられる。
その中に於いても、更には2010年の1・26平和提言に於いても、
明確に、その組織に潜む魔王の存在を教えしめされているのである。

先生の百六箇抄講義から不渡余行法華経の本迹.
義理上に同じ・直達の法華は本門・唱うる釈迦は迹なり、
今日蓮が修行は久遠名字の振舞いに、芥爾計も、違わざるなり。
「 日蓮大聖人の仏法は、民衆と妙法とを直結させた仏法であります。
しかもその妙法は、民衆の生命の内に脈打つ実在である。
これほど権威を否定し、人間の存在の尊厳性を高らかに謳い上げた宗教はない。

私たちは、人間主義の宗教である偉大なる日蓮大聖人の仏法に巡り会えたことを
深く感謝しつつ、日々の行学に励みたいものであります。
妙法即御本尊と、私たちとが直結することこそ仏法の根本であり、
極意であります。
それはまたあらゆる人々が、御本尊と自分との関係に生きることでもある。

たしかに、妙法広布を推進する組織はなければなりません。
だが、御本尊と自分との直結という仏法の極意、本義に立つならば、
組織はあくまで、この直結をより深くするという根本目的のための
手段と言っても過言ではないでしょう。

この目的と手段を履き違える時、その組織はたちまち権威主義と
ドグマに囚われ、民衆を苦しめる魔物と転化するのであります。」と。
昭和40年のご指導である。

学会が、未だ未だ組織最優先で驀進していた時に、先生は既に戸田先生が
指摘された第六の相対の後に、控える第七の敵の存在をお教え下さって
いるのである。
そして真実の広宣流布の方程式を揉み消すべく、魔は当時の最高幹部の
身に入り、百六箇抄御講義を中断させたのである。
先生の真実のご指導の悉くを消失せしめんとした秋谷の謀略は、
先生の指導を死守し守り抜いた三浦氏によって保管されている。
三浦氏との連絡が途絶えた今、彼の無事を祈るものである。

近年、原田学会の教学アドバイザーとか言う肩書きの宮田某と言う、
習い損ないの学者擬(もど)きや、離脱離山の心意気を忘れ、
師を裏切った禿人どもが、我が師、日蓮大聖人の偉大なる仏法を
浅はかな智慧を以って判断して、述べていると聞いた。

曰く「 世界流布を視野に入れだ場合、釈尊を本仏に立てた方が良い 」などと。
先だって、私を騙し、畏れ多くも日興上人御書写の本尊を不敬した
憂宗護法なんたら、という団体に所属する佐藤伴道も、この学者擬きと
原田の指示なるかとの知らせも受けた。開いた口が今だに塞がらない。

偉大な日蓮仏法の妙魂は民衆救済であり、世界の平和である。
その根本は、慈悲である。
その慈悲の片鱗すら感じない師敵対の原田らの家来如きが云々するのは、
五万年程早い。

大聖人、池田先生の弟子を騙し、御本尊を不敬した罪は永劫に消えない!
感情的になったが、奴等の処断は梵天にまかせ、話を先に進めたい。

今回は、愚著「 さらば日顕 さらば大石寺 」より前書きをお送りする。

序章ー

ーー最愛の創価学会の皆さまへ.
私、仲路中道( なかみち ちゅうどう )は、長く日蓮正宗僧侶として、
籍を置いて参りました。
私は、今回の宗門問題を、思うにつけ、こちら側、つまり宗門僧侶の側に
根本の悪の原因があったと結論せざるを得ないのであります。
信心修行の根本道場たるべき大石寺大坊は、信心修行を、通して向上しようと
願う若芽を摘み取り、踏みにじる、まさに、畜生・修羅の世界でありました。
その中にあって、私、仲路中道は、それでも常に初心を思い起こし、
原点に還りつつ、悪に染まるまいと、苦しみもがきながら、信心の戦い、
自身との戦いを続けて来たと自負しています。

私の誇りは、何があろうとも御本尊様に唱題する事をやめなかったことです。
こういう言い方をすると、随分と不思議に思われるでしょうが、僧侶として
出家した者が、御本尊の前で、ゆっくりと唱題すると言う信仰の基本、
それが許されない世界が宗門なのであります。

そして、そういう異常な体質が、実は大石寺大坊生活の中で育まれている。
そのなかで、白き心が、黒き心に染められ、信徒、なかんずく学会の人々を
バカにし、恨む心が育てられているのではないか。
仲路中道は、僧侶としの苦渋に満ちた四半世紀を、「 地涌からの通信 」に、
「 ある僧侶の回想 」として発表して参りましたが、今回、それらも含め、
更にその後の出来事を追加し、「 完結編 」としてまとめ、
もはや衰亡しゆく以外なくなった宗門の実態を世の人々に明らかに
するものであります。

ただ、この本を出版するにあたり、仲路中道は、
ただ一人の人間ではないと言う事をご了承下さい。
一人称で表現し、一人の回想の形式を用いましたが、仲路中道は、
創価学会を愛する十数人の僧侶の共有の名前です。
また登場人物も仮名にしてあります。しかし、一人一人の思い、
そして願い、一人一人の苦しみ、そして戦い、ここに記した全ては、
さまざまな仲路中道が体験した事です。

北海道の仲路中道、
東北の仲路中道、
東京の仲路中道、
中部の仲路中道、
関西の仲路中道、
中国の仲路中道、
四国の仲路中道、
九州の仲路中道。

大聖人の仏法を守り、御遺命たる広宣流布の唯一の遂行団体である
創価学会を愛し、その統領たる池田大作先生を敬愛してやまない
僧侶の心のなかに、仲路中道は存在するのです。

この書を読まれた方は、驚かれる事でしょう。信じられない事でしょう。
ことに、広宣流布に一途に進んでこられた学会員の方々には、
予想もつかない事ばかりでしょう。

でも、すべて真実です。この本を皆さんが手にされる頃、
仲路中道は、もしかしたら、日蓮正宗を離れて池田先生のもと、
尊い広宣流布の戦いをしているかもしれません。

池田先生の広宣流布の戦いにおいて、もしも僧侶が本当に必要であるのなら、
それは学会のなかから生まれるべきだと思います。
学会員であり、なおかつ僧侶である。
広宣流布をまことに推進している団体が、池田先生率いる創価学会である以上、
僧侶といえども、学会と行動をともにしてこそ、大聖人の弟子と言えるでありましょう。

その意味からも、私は学会活動をする僧侶こそ、
真の僧侶であると考えるのであります。
妻帯せず、肉を食せず等が仏法三千年の出家の原則である以上、
厳密な意味での出家は、今日の日本において存在しないでありましょう。
であるならば、今後、僧侶とは、職業としての僧であると
割り切るべきであります。
国家公務員も、弁護士も、大工さんも、仕事が終われば座談会に出席し、
学会活動をする。僧とて同じです。

袈裟を着している時は、僧として行じるけれども、
衣を脱げば、学会員として広布の戦いに汗を流す。
その中にこそ、真の和合があるのではないでしょうか。

僧と言うだけで、一切、信徒と同じ修行をしない。
更に、奥さん、子供までが特別の成仏の位を与えられたかのごとく、
ひたいに汗することなく、折伏する者をバカにする。
ここには人間的成長も、人間革命もない、否、信心そのものがないと
言いたいのであります。

しかし、現実、僧侶の世界においては、信徒と同じ事をする必要は
全くなしとの不文律があります。
私たちの今日までの僧侶としての戦いは、その不文律に対しての抵抗でした。
殴られ、蹴られ、バカにされながらも、1日1時間の唱題を実行してきた仲路中道。

また、聖教新聞に掲載された池田先生の指導の切り抜きを、
親から送ってもらい、それを貪る様に読み続けながら、広布への思い、
学会の偉大さを実感してきた仲路中道。

そんななか、その切り抜きを先輩に見つかり、スクラップブックが
破れるまで、それで額を殴られ続けた事もありました。
本堂で夜中に唱題しているのを見つかり、外に出され、入れて貰えず、
冬の寒風の中、一夜を過ごした仲路中道もおりました。

その時、もしも本当に、先輩たちの言う事が正しく、私が間違っていると
いうのなら、御本尊様に題目を唱える事が悪であり、創価学会、池田先生が
悪であると言うのなら、広宣流布自体が悪である。
もし、そうならば、どうか私に真実を教えて下さいと泣きながら
唱題をしたのです。
今、その中学生時代の事を振り返ると、やはり私たちの思った道、
進んだ道は、絶対に正しかったと確信致します。

大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を確実に遂行されているのが
池田先生であります。
真実、大聖人の命脈が、宗門、学会、いずれに流れたるやと問うた時、
私たちは、御本尊根本に数十年修行してきた日蓮正宗僧侶として、
「 断じて、それは学会の中にあり!」と、心の底から叫びたいのであります。

大聖人の命脈の流れのなかに身を置く事を願う時、僧形をなすよりも、
学会員として、池田先生のもとに居ることに、生命の底からの、
安らぎを覚える事でありましょう。

この書を、最愛の創価学会の皆様方、そして三世を通して尊敬申し上げる
池田先生、そのほか、私たちを支えた下さる全ての皆様方に捧げます。

1992年1月2日,

以上です
 
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