2012年04月22日

アイヌの多様性について

まずは、「問題の焦点」(http://poronup.seesaa.net/article/266008405.html)で書いた「1」について見解について検討してみる。


「アイヌ」と呼ばれる人たちが実際に存在してきたし、現在も存在していることは誰も否定できないだろう。
それをある人は「アイヌ民族」と言い、ある人は「アイヌ系日本人」と言う。
また「アイヌ人」という言い方も存在する(こちらは私の経験から言うと、当事者たちにはあまり好まれないし使われない)。


言うまでもなく均一な民族はどこにも存在しない。
民族の区分けに大きな指標になるのは、言語と文化であろうが、1つのものに数える民族の中に多様な文化や言語があるのは当たり前のことなのである。


「アイヌ」と呼ばれる集団の中に、言葉や文化の多様性があることは公然の事実である。
アイヌを大きく分けると、北海道アイヌと樺太アイヌ、千島アイヌということになるが、それぞれ言葉や風習にさまざまな違いがあったことはよく知られている。


たとえば、文化人類学者の河野本道は「<アイヌ系日本国民>を「アイヌ民族」と言えない学術的根拠」という文章を『わしズム』に寄稿している。

――――――
「アイヌ民族」という用語が使われると、普通には「アイヌ」を一民族として理解することになろう。しかし、「アイヌ」が自ら一社会集団を形成したということは歴史上一度もなく、言語上の近似性を認めることができるにせよ文化を総じて見ると一律と認めることはできない。
――――――


アイヌ自らが国家のような社会集団を形成することはなかった。
しかし、国家を形成しなかった人たちは民族ではないということにはならないだろう。

ヨーロッパのバスク人しかり、中東のクルド人しかり、世界中にいろいろな民族がいるが、国家を持たなかった、持てなかった人たちは民族ではないだろうか。


アイヌに関しても、北海道アイヌにおいても地方によって言葉が違う。沙流アイヌや十勝アイヌ、石狩アイヌなどなど、地方地方で言葉や風習が違うのは確かであるが、それぞれをわざわざ別の民族と考える必要はない。

これをいくら強調しても、それは「アイヌ」という集団の中に文化的多様性があることを言っているだけに過ぎないのである。
和人の中にも、青森だの福島だの大阪だの風習や言葉の違いがあるわけで、それと大きな違いはがない。


しかし、たとえば北海道のアイヌについても、ある程度の地域ごとの社会集団(もしくは共同体)を形成していたことは分かっている。
村ごとに、みんなてんでバラバラに生活していたわけではない。

とりあえず北海道に話を限定するが、アイヌは川筋ごとに、点々と村(コタン)を形成していたと言われている。その村ごとに、いわゆる村おさ(kotankorkur)が存在したようであるが、川筋ごとにその地域をまとめるような首長がいたことが少なくとも中世以降については分かっている。
posted by poronup at 01:47| 北海道 ☔| Comment(0) | 民族論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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