久々に更新します。
皆さんは「音楽」は「魔法」だと思いますか?
よく「マジック」などといって音楽やその評価で関連付けられる言葉として使われる「魔法」という言葉ですが、本当に音楽は魔法なのか?
女性シンガーソングライターの大森靖子が発表した「音楽を捨てよ、そして音楽へ」ではそんなことをテーマに歌われています。
ダサい ダンス ダウンロード
って言ったら負けのマジカルミュージック
君話してたこと もっと大事だった気がするんだ
お天気だってよかったし お財布だって空じゃなかった
身体検査の前の日に 下剤を呑んで軽くなって
ピョンピョン跳ねたらイジメにあった
たのしそうなやつムカつくんやって
画用紙一面の真っ赤な海も ブルーにしろって教育された
友達になりたい子ばっかなんで
サヨナラも言わずに いちぬけた
面白いこと 本当のこと 愛してるひと 普通のこと
なかったことにされちゃうよ なかったことにされちゃうよ
面白いこと 本当のこと 愛してるひと 普通のこと
言わなくても伝わるマジカルミュージック
抽象的なミュージックとめて
ダサい ダンス ダウンロード
って言ったら負けのマジカルミュージック
ドキドキしたい ドキドキしたい
赤い実はじけたい はじけらんないよ
そこでどうですかマジカルミュージック
邦楽洋楽夢のよう YO! YO!
んなわけあるわけねーだろ
音楽は魔法ではない
隣のババアは 暇で風呂ばっかはいってるから 浴槽で死んだ
私は歌をうたっている どういうことかわかるだろ
ノスタルジーに中指たてて ファンタジーをはじめただけさ
全力でやって5年かかったし やっとはじまったとこなんだ
音楽は魔法ではない
でも、音楽は
この曲で非常に印象的なフレーズである「音楽は魔法ではない」という言葉。そして最後に続く「でも、音楽は」という言葉。
先日、
千葉県で9/9に行われた「BAYCAMP2017」という音楽フェスで
この曲に関してある事件が起きました。
(※私は実際に行っていないのでTwitterなどからの情報がメインです)
出演者である大森靖子が最後の曲として、この「音楽を捨てよ、そして音楽へ」を歌ったのですが、
大森靖子の直後に別のステージでライブを行うYogee New Waves(以下ヨギー)というバンドが、
大森靖子のステージから「音楽を捨てよ、そして音楽へ」が聴こえていたようで、
「音楽は魔法ではない」に対して「音楽は魔法だよ」
とアンサーをしてライブを開始。
さらにライブ中にヨギーのベースの弦が切れるというアクシデントが発生。
ベース弦が演奏で切れることはほとんど無いからか、単純にサブを持っていなかったか分かりませんが
そこで(別ステージの)大森靖子のバンドのベースを借りて演奏をしたそうです。
それを後にTwitterで知った大森靖子氏は激怒し、こうツイートしています。
これの何がロックなの?「音楽は魔法ではないでも音楽は」に何が続くのか、どんな気持ちで曲をつくってライブをしているか、それを平気で踏みにじる人間の音楽の魔法とやらに、弦が切れたとかでうちのバンドの楽器で加担させられた。そんなロック死ねhttps://t.co/69OpL539Ih
— 大森靖子🌏 (@oomoriseiko) 2017年9月9日
この曲ですくいかった気持ちを持ったお客さんもつらくなって帰ってしまった人もいる、まじで申し訳ない。イベント始まったばかりだったのに。人の大切な気持ちすら守ってくれないのがロックとかいうのならマジでもう一生ロックフェスなんかでなくていいバイバイってかんじ。
— 大森靖子🌏 (@oomoriseiko) 2017年9月9日
人それぞれ考え方があるのは自由だよ魔法ごっこ勝手にどうぞ。
— 大森靖子🌏 (@oomoriseiko) 2017年9月9日
血とか骨とかいろんなもの混ぜて爆発して丸焦げになってリアル死にかけてやっとつくった魔薬が私の曲。
音楽そのものは魔法じゃない、音楽が魔法的な可能性を秘めているだけ。あとは自分とそこにいる人次第。
とにかく私は私が一番音楽好きって思ってるよ明日も。そんなのミュージシャンみーんなおもってるだろうけど!
— 大森靖子🌏 (@oomoriseiko) 2017年9月9日
というわけで、もう今日になった、夏の魔物よろしく、私の魔物をよろしく
また、ブログも更新(消されてたので魚拓)
大森靖子氏の目線からこの騒動が描かれております。
要約すると「ライブも見てないのにそんな軽薄なノリで私の曲のメッセージを否定して、その上で私の表現媒体の一部である楽器(ベース)を本人許諾無しで借りて演奏するな」。
これがホッテントリ入って結構賛否両論ありました。
個人的に引っかかった部分として、「ヨギーのボーカルの角舘健悟は『音楽を捨てよ、そして音楽へ』を一度も聴いたことが無いのだろうか?」
「ベースって本人許諾無しで借りれるものなのか?しかも別ステージだし」「というかそもそも本人ってベーシスト?大森靖子?」という3点があるのですが、それは両者によって語られないとわからないですね。
ヨギー側もツイート。
そして
大森靖子のバックバンドを務めたりするなど仲が良く、また音楽業界でも交友関係の広いピエール中野氏が仲介に入ることに。
これで解決してくれると良いですけど。
話は変わりまして、
「音楽は魔法ではない でも音楽は」の続きは文字通り、聴く人通りの答えがあると思う。
「音楽を捨てよ、そして音楽へ」では音楽というものは万能=魔法ではないと歌われている。
例えば
ダサい ダンス ダウンロード
って言ったら負けのマジカルミュージック
の歌詞なんてものすごく痛烈だ。
これらのテーマ(たぶん政治も)って、音楽で結構タブーとされているけど、つまりは音楽から汚いところを排除して、その上魔法だなんて呼んで、美化だけしているわけで。
音楽ってそんな綺麗なだけのもの?美しいところだけ見せればいいのか?
身体検査の前の日に 下剤を呑んで軽くなって
ピョンピョン跳ねたらイジメにあった
たのしそうなやつムカつくんやって
画用紙一面の真っ赤な海も ブルーにしろって教育された
その人のことを知らないのにレッテルを貼って、排除して。
そんな人間を音楽は救えるのか?みんなを救えないそんなモノを魔法って呼べるのか?
僕には 音楽は魔法なんてものじゃない。みんなよく考えてほしい。という歌に聴こえる。
しかし、ブログにもある通り、誰よりも音楽に一番魔法的な魅力を感じてるのもまた彼女だ。
「でも、音楽は」の先はきっと、僕は希望の類だと思う。そう信じたい。
一方で「音楽は魔法だよ」と言ったヨギーも本当に音楽への愛とセンスが爆発した素晴らしいバンドだ。
ヨギーの角舘くんが言った「音楽は魔法だよ」という言葉って、プロミュージシャン 特に彼らのようなバンドが言うとものすごい寂しさを感じるんですよね。
かなり暴論ですが、「音楽は魔法」だなんて本当に思っている訳ないだろ と。
話は飛びますけど、僕の大好きな歌に「君が僕を知っている」というRCサクセションの曲があります。
その曲では
「例え今までしてきた悪いことだけで有名になってもどんな時でも何から何まで僕が君のことをわかってあげるよ」
という本当に素敵なメッセージを発信しているのですが、僕はあの歌から猛烈な寂しさを感じるのです。
それは 人間は他人のことを何から何まで本当に分かってあげることは出来る訳ないからなんです。けど、それでも「君」を信じたい という信じる姿に僕は美しさを感じてこの曲が愛おしいのです。
「音楽は魔法だよ」なんて恥ずかしいことを言い切れる人こそ 音楽によって救えない悲しさと寂しさを知ってるんじゃないでしょうか。
確かに軽んじて使われることも多いですが、ヨギーが断言したその言葉は(ノリだとしても)彼らが音楽の魔法的な側面を信じている美しさを感じました。
ヨギーの「Listen」という曲では
悲しませないでおくれよ ロックンロールは死なない
だろう? だろう?
ロックンロールは死んだ死んでない なんて言葉もさんざん手垢がついた言葉ではありますが、彼らはあくまで「死なない だろう?」と繰り返します。
もしかして死んだかもしれないし、死んでないかもしれない。けど「信じよう」という力強さと美しさが感じられる。
でも、それを信じたいけれど、信じられないし、信じたい大森靖子も美しいし、大好きです。
2組ともライブ見たことあるしアルバムも一通り聴いているんですけど、本当にエモーショナルで素晴らしい音楽を届けてくれます。
ぜひこの機会に聴いてみてください。
最後に「音楽を捨てよ、そして音楽へ」からの一節を。
隣のババアは 暇で風呂ばっかはいってるから 浴槽で死んだ
私は歌をうたっている どういうことかわかるだろ
ノスタルジーに中指たてて ファンタジーをはじめただけさ
全力でやって5年かかったし やっとはじまったとこなんだ
音楽は魔法ではない
でも、音楽は