「俺は美術の専門高校に入ったけど、大して才能がないことにすぐに気づいた。あの高校はレベルも高かったしな」
たしかに受験生は全国から集まっていた。日本で最初に設立された画学校で、今でも美術の単独高校というのはここだけのはずだ。年に一度、美術館を借りきって行われる展覧会は、そのへんの美大の展覧会を超えていたと私も思う。私たちは洋画科の生徒だった。河原の絵の才能については、わからない。感覚的に鋭い作風ではあった。佐伯祐三の画風にすこし似ていた。ただ、やはり演技の才のほうが恵まれていることはたしかだろう。
河原は話しつづけた。
「おまえは地元の美術大学へ進み、俺も地元の普通大学を出た。覚えてるか?」
もちろん覚えてるよ、と私は苦笑した。
「どうして東京芸大を受験しなかった?」、河原は真剣な目つきになって私の顔を見た。「先生も勧めてた。洋画科のなかでもおまえの才能は飛び抜けてた。別格だった。あの学校の洋画科でだぞ」
「今さらそんなことを言われてもなぁ」
今さらそんなことを言われても苦笑いを浮かべるしかない。当時、河原はちっともそんなことを言ってくれなかった。
私は美大を出てから、実家の伝統工芸職を継いだ。父親がそれを望んだからだ。おまえには絵の才能がまるでないとはっきりと言われた。一人息子なのもあり、断れなかった。絵筆一本でやっていける自信も、こちらとてなかった。伝統工芸、と言っても独創性のようなものは一切必要とされない仕事だ。織物の工程のひとつ。職人的な手作業。同じことの繰り返し。父親の他界した今も、私は一人でその仕事をつづけている。
河原はまだ私の顔をのぞき込んでいた。やっと視線をそらす。コーヒーカップを手に取って今度は口をつける。カチャン、という音を立ててカップをソーサーへ戻した。長くかたちのいい指だなと私は思う。横顔も整っている。彫りが深いのにくどいという印象を与えない。切れ長で繊細そうなその目のせいだろうか。シャープな顎の輪郭のせいだろうか。こんなにハンサムに生まれてくるというのはいったいどういう気持ちがするものなのだろう? この二十年来、たぶん何千回となく考えたことを、私はまた思った。河原は咳払いをひとつし、話をつづけた。
「俺はリフォーム関係の会社に営業として就職した。なんとなく気楽そうな社風に思えたからだ」
「営業と言ってもテレフォン・アポインターみたいなものだったんだろう?」、私は確認した。
そうだ、と河原はうなずいた。「まさにテレアポだよ。〈テリ〉と呼ばれる電話帳のコピーを持って片っ端からかけまくるんだ」
「それはそれでキツそうだ」
「慣れればそうでもない」と河原は言った。「50分やったら10分間の休憩がくる。ラクなもんだよ」
彼はその支店で何度もトップの成績をおさめた。完全実力主義、と銘打った会社だったが、本当に完全実力主義の会社だった。河原の給料は一年もしないうちに冗談のような額に跳ね上がった。景気のいい時代でもあったのだろう。
「ほとんどの同僚は話すほうに力点を置くんだよ」、河原はうっすらと笑いながら、上体を私のほうへ傾ける。「アポインターなんだから当たり前だと思うかもしれないけど、そうじゃない。リフォームなんか考えてもいない人間を説得しようったって無理なんだ。2、3万で済む話じゃないんだからな。『そうですか、それでは改築しましょう』なんて言ってくれる確率はおそろしく低い。だから俺は意識を集中して、とにかく聞くんだ。この人は家に手を入れることを少しでも考えてるかな、ってな。たとえ相手が黙っていたとしても、沈黙のなかには様ざまな想いがめぐってる。それを読むんだ。その気がゼロだとわかったらさっさと切る。次へいく。一日の時間は限られてるんだ。これは、と思える人間が出たら気持ちを込めてトークする。そういうことだよ。だから俺は同じ勤務時間でも仲間の三倍ちかくの件数をかけてた。脈がない、ってわかったらすぐ切って次へいくからな」
「才能だ」
「まあな。素質はあったんだと思うよ。俺の得意なことではあった。だけど── 」と手のひらでテーブルの上の空気を軽く下に押さえつけるような仕草をした。「好きなことじゃあない」
得意なことと、好きなことか── 。
「会社は基本的に残業がなかった」、河原は言った。「そんなに夜晩くまで営業電話をかけまくれないからな。奥さんの了解がとれた家へ、旦那の帰ってくる夜間にかけて面談を取り付ける〈設定者〉っていう担当もあったんだけど、その役はきっぱりとことわった。どうしてだか覚えてるか?」
もちろん覚えている。河原はさっきからわかりきったことばかり聞いてくる。まるで私の記憶をはっきりとさせておきたいかのように。しかし、この会話はいったいどこへ向かって流れてるんだ?
河原はセミプロみたいな劇団に所属していた。だからクローザー的な夜勤はことわっていたのだ。私も何度か公演を観に行った。見ごたえのある芝居もいくつかあった。
「素人劇団だよ、あれは」と河原は言い捨てた。「でもけっこういい金、取ってたよな。いま思うと恥ずかしい。でもまぁ、俺は演じることが好きだった。絵を描くことよりも。テレアポすることよりも」
私はうなずいた。河原は木造りの壁に後頭部をあずけ、遠くを見るような目もとになる。黄色みをおびた電灯の光に、まっすぐな鼻筋がきれいに縁取られた。
「定時まで働いて、そこそこの給料をもらい、あとは芝居の稽古と発表会だ。おまえのような気を許せる友人もいた。ガールフレンドも五、六人はいたな。文句の言える毎日じゃない」
それで文句を言われちゃあ堪ったもんじゃない、と私は手のひらを振ってやった。だけどおまえは──
「だけど河原は、プロの俳優になると言って上京していった。二十八のときだよ」
「けっこうな歳だ」
「けっこうな歳だよ。ふつうは十八のときにすることだ」
たしかにな、と河原も笑った。「十八か── そうだよな── 」、小さく首を振りながら、そうつぶやいた。真面目な顔になって私のほうを向く。声の調子も何かきっぱりとしたものに変え、
「俺は休みになると、ある場所へよく一人で行ってたんだ。山のなかにある、学習ゾーンをかねた砂防ダムなんだけど」
「なんだそれは?」、砂防ダム? 学習ゾーン?
河原はその場所を説明した。私が電話で言った四つ目の喫茶店から、たしかにそう遠くないところのようだった。
河原の話によると、上流からの土砂災害をふせぐため、昭和の初めにかけて砂防工事が何度も行われたのだという。自然と調和したかたちのダムがいくつも建設された。先人たちのその技術を見学してもらおうと、ベンチなども配された現在の「学習ゾーン」となったのだという。もちろん、今でもダムとしての機能を立派に果たしている。
私は首をかしげた。「この土地に住んで三十九年になるけど、そんな区画があるなんて聞いたこともないぞ」
あぁ、と河原もうなずいた。「俺もたまたま見つけたんだよ。この水路をたどってったらどこへ着くんだろう、って感じで街なかから山ンなかへどんどん入ってってな。地元の人間も大半は知らないと思う。途中の地点にある沈砂池(ちんしゃち)── と言っても原っぱみたいなもんなんだけど── まではごくたまに人が来るんだよ。だけど、行き止まりまでは来ない。沈砂池からまだまだずっと先だからな。ダムのわきにある急角度の石段を20メートルものぼったりするんだぜ。シャツは汗で背なかにくっつくし、腿なんて痛いくらいに張ってくる。山道をひたすら歩き、ダムも五つも六つも越えなきゃならない。そんなにしてまで誰がもっと先まで行く? とにかく── 石積みダムのある突き当たりの場所で、人と会ったことなどそれまで一度もなかった」
「でも、出会った?」
「出会った」
「そもそも── 」と私は聞いた。「そんなところで何をしてたんだよ」
芝居の稽古だよ、もちろん、と河原は口をすぼめるようにして答え、笑う。「馬鹿みたいだけどさ── 。でもさ、この歳になって、つくづく思うよ。ココは馬鹿なことをするためにあるんだってな。へたに利口ぶろうとすると、それこそ本当の馬鹿になっちまう」
きっかけ ③ へ つづく