池田大作サリン襲撃未遂事件 ...過去にその記事を読んだ事はあったが、記憶から薄れていた。
しかし、今改めて時系列を考えながら読んでみると、何か腑に落ちないものがある。
1993年 12月18日
池田大作サリン襲撃未遂事件発生
オウム真理教は事前に池田が演奏会に出席するという情報を入手していた。
創価大学の近隣にある創価学会施設「東京牧口記念会館」にオウム真理教の
サリン噴霧トラックが到着し、3kgのサリン溶液を噴霧した。
(しかし創価学会では警察への通報をしなかった。)
1994年 6月27日
松本サリン事件発生
被害者は死者8人、重軽傷者660人に及んだ。戦争状態にない国において、サリンのような
化学兵器クラスの毒物が一般市民に対して無差別に使用された世界初の事例であり、
同じくオウム真理教による地下鉄サリン事件を除けばその後も類が無い。
無実の人間が半ば公然と犯人として扱われてしまった冤罪未遂事件[2]・報道被害事件でも
ある。その背景には、ずさんな捜査を実施した警察とマスコミのなれ合いがあったとも
言われる。
1995年 3月20日
地下鉄サリン事件
3月20日午前8時ごろ、東京都内の帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ、以下営団
地下鉄)、丸ノ内線、日比谷線で各2編成、千代田線で1編成、計5編成の地下鉄車内で、
化学兵器として使用される神経ガスサリンが散布され、乗客や駅員ら13人[注 1]が死亡、
負傷者数は約6,300人とされる。
1996年 1月
池田大作サリン襲撃未遂事件の犯行の事実は、1996年1月の松本サリン事件公判で明らかに
されるまでのおよそ3年間公にされることはなかったとある。
「学会迫害の悪人は厳罰で
野たれ死ぬまで攻め抜け」
とまで言い切り、「悪」に対しては厳しい態度をとるのが学会の信条と表明しているのが、これでは自語相違ではないか。
それとも、それは「学会迫害の悪人」(その定義もあやしいが)だけに限るのか。
どうして、すぐに警察へ通報しなかったのか。
何か、通報しない方がいい理由があったのか。
腑に落ちないのである。
その時すぐに警察に通報していれば、6か月後に起きた松本サリン事件を防げたかもしれない。
更に、その9か月後に起きた、地下鉄サリン事件にも何らかの影響を与えられたかもしれない。
そう考えるのは、私だけであろうか。
死者8人、重軽傷者660人 -- 松本サリン事件
死者13人、負傷者6300人 -- 地下鉄サリン事件
多大な犠牲者である。
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