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世界平和・広宣流布の再始動

 投稿者:ミネルヴァの梟
 投稿日:2017年 9月12日(火)12時48分51秒
国連安保理で、北朝鮮制裁決議が採択された。

中・ロも反対せず、全会一致だが、石油の全面禁輸はやはり行われず、ほぼ予想通りの結果。
中・ロの反対を見越して、あらかじめハードルは下がっていた。
それは昨日の時点で既に分かっていた事で、安倍首相が、何か新たに重大な決定がなされたかの様に言うのは、私には理解できない。
自分が、さも大活躍したかの様に、印象付けたいだけだろう。

内容的にはそれ程でもないが、一応、全会一致で採択されたという事で、北朝鮮が反発し、また何かやって来る事は考えられる。


戸田先生の原水爆禁止宣言。
本幹の放送では、最も重要な、核兵器を使用した者は死刑にすべき、という部分が、ものの見事にカットされていた。
核兵器を使用する可能性がある、米国大統領に気をつかったのか、安倍首相に気をつかったのか知らないが、師匠の指導を平気で改ざんする、現執行部のやり方を、はっきりと目に焼き付けておくべきだろう。

重要な部分がどこかも判断できない様な連中に、創価学会の指導、運営を任せてはおけない。
三代の師匠の教えが、急速に破壊されている絶好の証拠だ。ある程度入信の古い人なら、誰でも気がつく。

生命の重さを最も知る人が、敢えて死刑にすべきと宣言する、その意味もわからない様なヤツらが、小賢しく師匠の言葉を編集しクサっている。


いよいよ選挙か?という情報が出回っているが、選挙準備に約半年掛ける喪価学会は、まだ動いていない。選挙するのは勝手だが、それで勝てる訳もない。

しかし一年のうち半分を、選挙に費やす宗教団体などどこにある。
客観的に見て、もう政教一致そのものではないか。

現時点では内閣法制局も、政教一致ではないとしているが、解釈を変えますよ、と脅されればイチコロな喪価学会公明党だ。

実際、安保法制の時、それまでは反対していた公明党が、政教一致という言葉を出されるや否や、一晩で賛成に寝返った。

政府に媚びるために選挙を頑張り、逆にその事が原因となって政府から脅されるとは、何たる醜態か。完全にドツボに嵌まっている。

政府と戦うという選択肢を、元々排除しているヘボ将軍ダーハラ。敵に媚びる事が唯一の戦法。そんな将軍について行っても、勝ち目はない。



 

時系列

 投稿者:飛翔こそ蘇生
 投稿日:2017年 9月12日(火)12時44分25秒
時系列の拾い物です。
http://blog.livedoor.jp/gogensanzin/sg2017.pdf
 

会憲

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策
 投稿日:2017年 9月12日(火)12時41分53秒 編集済
信濃町のネット対策チームの対策です。

原田学会の会憲が発表されました。

この会憲に大きな問題点があります。
また原田学会が「仏法の正統から外れた外道」である証明ともなる会憲です。

この原田学会の会憲問題点。

①会長を弾劾する制度がありません。
②①ですから会長を絶対的な存在としています。

この会憲のように教団のトップを絶対とする思想は過去の歴史からも間違いであります。
また僧宝である日興上人の指導にもありません。

日興上人の教団トップへの考え方。

御書
時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事。
通解
たとえ、日興の後に教団を統括する貫主であっても、日蓮大聖人の仏法に背いて、勝手な自説を立てた場合には、これを用いてはならない。

この御書は日興上人の遺言です。
①教団を統括するトップであっても「日蓮大聖人の仏法」に「相違」することがある。

②そのような教団トップが出現したのであれば、「用いてはならない」

このように朝夜の勤行で「南無」する日興上人が厳命しています。

牧口先生、戸田先生、池田先生「以後の会長」では「日蓮大聖人の仏法に相違」する会長が出現することは明白です。
であるならば、今回の改憲にある「会長を絶対的」な存在にしてはダメなのも当然です。
日興上人が仰せの通り「用いない」=「弾劾」できる「会憲」でなくては、仏法の正統とは言えなくなってしまいます。

創価学会が仏法の正統を名乗るのであれば、教団のトップを「絶対的」にしてはダメなのです。
「弾劾」できる制度がなくてはならないのです。

このように考えると原田学会が「日興上人、創価三代会長の正統から外れた外道」であることが明確になったのが、「原田学会の会憲」なのです。

皆様は原田学会に騙されてなりません。
私は池田先生が原田に騙されるな!秋谷に騙されるな!谷川など論外、八尋は悪党!そう叫んでいらっしゃると確信します。
 

谷川先生期待しています。

 投稿者:非会員
 投稿日:2017年 9月12日(火)11時52分33秒
次期指導者、谷川先生期待に期待してます。

カリスマたっぷり、池田先生より
会員を引っ張る人物です。
 

聖教が狂うのを見よ(再)

 投稿者:メンチカツ
 投稿日:2017年 9月12日(火)11時33分39秒
本日の聖教1面広告
●厄払いの極意
●人生のトラブルはすべて厄。その解決法を伝授します。
「厄払いの護符付き!」

この広告の件で朝から多宝の同志、副婦人部長から電話を頂く。
怒り・動揺・疑念の声・・・・ 声をあげるべき時を逃してはならないと伝える。
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先生の顔写真と同じ紙面に江原啓之の馬鹿顔が並んだのである。
前回は最終面にこっそり掲載。
今回は堂々の1面掲載である。

広告枠の大小で許される問題ではなかろう。

信濃町の狂いの顕在化が進行拡大中である。
 

スターティング・オーヴァー

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2017年 9月12日(火)11時16分51秒
いま読んだのですが、元職員3名のブログ『「7.17横浜座談会」報告(後編)』が面白い。こんな座談会なら行きたかった。Eさん、Fさんの話をもっと詳しく聞きたい。
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-126.html
>「実はですね、ついこの間、某大学にガルトゥング博士の研究をしているゼミがあって、タダで聴講できるというのでちょっと行ってきたんです。そこで、『私は学会員で、安保の時に反対の声を上げたんだ』って自分のことをカミングアウトしたら、クリスチャンの人から“宗教間対話をやろうよ”っていう話が持ち上がったんです。」Eさんはその時、初めて出会った2人のクリスチャンや信仰を持たない2人の方々に、仏法の「九識論」や「十界論」について語ったという。すると、「仏法の原理をもっと知りたい」との声が上がった。Eさんは、師匠池田先生の思想と哲学を根幹に仏法を弘めようと必死に折伏精神で話をしたという<

→感動しました! これが本当の折伏です! 私の経験上「九識論」は(内もだが)外部にウケが良い。
「トランスパーソナル心理学」はこの「九識論」を取り入れていますが、実はトランスパーソナル心理学の研究者には「元牧師」が多い。確か諸富祥彦さんもそうだったと思うが?

「日蓮仏法はただの宗教じゃない」。奥深い。これは何かあるに違いない。九識論にはそう思わせるパワーがあります。
そういう意味では『日蓮仏法3.0』の日本語版出版は急がなければなりません。2.0さんは十分に地中海の島で、太陽の降り注ぐ海岸で寝そべっていただけましたでしょうか。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73458
十分でしたら続きは道頓堀川で寝そべって頂くこととして、そろそろお仕事に戻られてはいかがでしょうか。(笑)ClearSkyさんの資料も参考にして頂きたいと思いますが、要は21世紀語で折伏はされなければなりません。もはや精神論は捨てなければなりません。(一部で報じられている、掛布の退団は金本の精神論重視、は本当か? 大丈夫か?)


「饅頭は食べてみな分かれへんのや!」という奴が今でも私の地域では活躍しています。この信心のことはやってみないと分からないという意味ですが、これは最後の〆の言葉です。当然です。やってみないと分からないのは。だからこの饅頭理論は9回表に登板するストッパー、クローザーなのですが、これが1回表から出て来る。早すぎる。だから負ける。つまらなくて観客は逃げていく。結果を焦らず、時間をかけて対話を楽しむべきです。駆け引きも楽しむべきです。盗塁したり牽制球を投げたり。

そんな代打の切り札にも日蓮仏法3.0は活躍するでしょう。データ上、8回以降だけならムチャクチャ強い阪神タイガースには伝統的に代打の切り札がいました。桑野、切通、大島、永尾(、川藤は「?」)……遠井、真弓、八木、桧山、関本らは晩年転向組だが、『この代打が凄い!2017』では、伊藤隼太だろうか。
野球では代打で流れが変わることが多い。新しい流れを創っていきたい。

“共に生きる僕たちの人生 とっても貴重なんだ 僕たちは成長したよね 昔とは違う”
“僕たちがそう気付くまでずいぶん時間がかかった”
“誰のせいでもないよ 時が経つのが早すぎたんだ”
“でもね 君をこうやって見つめると 再び僕たちは恋に落ちていくんだよ”
“二人で新しいスタートを切るように”
“そう僕たちは新しく始めたのさ”
“今こそ翼を広げて飛んで行こうよ 一日たりとも無駄にしないでさ ねえ君”
“これが僕ら二人の新しいスタートなんだよ そう僕たちは新しく始めたのさ”
『スターティング・オーヴァー』ジョン・レノン
https://www.youtube.com/watch?v=Op-uIUIktWY

『夫即身成仏論』オンデマンド (ペーパーバック) ? 2017/5/17 松戸行雄 (著)
「人間主義の日蓮本仏論」への進化・深化   絶賛発売中!!!
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72980
 

卒業

 投稿者:虹の戦士
 投稿日:2017年 9月12日(火)11時11分35秒
YouTube動画サムネイル>>この動画を再生する

そろそろ卒業して自由になるときかな?
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今日は竜の口の法難の日。
四条金吾のような信心で
ありたいと思うのでした。

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斉藤由貴さんの名前から、尾崎豊さんを
思い出しました。そして、尾崎豊さんの
謎の死と創価学会が関与したとの噂も。
”尾崎豊”、”創価学会”で検索すると
いろんな情報がヒットします。
たとえば、

http://emajika.net/post-4324/

創価学会の光と影。組織が大きくなれば
なるほど、その影の部分も大きくなるの
ではないでしょうか。

一人の人を大切にするといいながら
組織を大切にする。それがひとりの体験談を
組織運営に都合の良いように書き換えようと
することからもわかります。

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日蓮大聖人様の五重の相対で
現在の原田学会をみてみると・・・?。

原田学会は斉藤由貴さんのモルモン教
よりも劣ってるように思えますね。

タイにもいろんなお坊さんがいます。
ニュースにも破廉恥坊さんのことが
ときどきみかけます。

でも、まじめなお坊さんは朝の托鉢
は裸足で歩き、虫がいても殺したりは
しません。ゴキブリがいたらすぐに
殺虫剤で殺してしまう私とはちがいます。
生命を奪うということでは、ゴキブリも
人の命も同じです。

このまじめなオレンジ色の
衣を着て街の中を歩く人たちをみかけると
もしかしたら、上座部仏教のほうが大乗仏教よりも
優れてるのではと思えてきます。

結局は変えることができるのは自分自身
だからです。

上座部仏教の教義はWikipediaをみてみると以下
のように書いてありました。

限りない輪廻を繰り返す生は「苦しみ (dukkha)」である。
この苦しみの原因は、無明によって生じる執着である。
そして、無明を断ち輪廻から解脱するための最も効果的な方法は、
戒律の厳守、瞑想の修行による八正道の実践であるとする。
上座部仏教では、釈迦によって定められた戒律と教え、悟りへ至る
智慧と慈悲の実践を純粋に守り伝える姿勢を根幹に据えてきた。
古代インドの俗語起源のパーリ語で記録された共通の三蔵 (tipitaka)
に依拠し、教義面でもスリランカ大寺派の系統に統一されている点など、
大乗仏教の多様性と比して特徴的である。

出家者と在家信者の関係は、衆生の無知蒙昧を上から啓蒙するといった、
上から下への一方的な関係ではない。自力救済を目指し修行する出家者
とは、在家者にとっては自分になり変わって悪行を避ける営みに専念する
存在である。俗世の損得で言えば無用な存在ながら、脱俗し悪行を避けて
生きる出家者を肯定し布施することで在家者は功徳を積む。十波羅蜜をと
るが、波羅蜜は人格形成のための日常的な所作としての位置づけで、
大乗仏教のものと順序や名称が異なる。

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突然、創価学会仏ではなく”原田学怪物”という
言葉が頭に浮かんでしまいました。
みんなの幸の城の天守閣には怪物
が住んでいます。仏ではなく怪物です。
怪物が世界広宣流布、それは人類の
滅亡ではないでしょうか
---------------------------------




http://imagine-happy-life.tokyo/

 

訪中団

 投稿者:五分の魂
 投稿日:2017年 9月12日(火)11時09分38秒
本来ならば、博正主任副会長が行かれるべきだった。
誰を寄越すか、中国はそこを見ている。
良し悪しは別として、田中真紀子夫妻がこのタイミングで訪中している。
こういう感覚は対中外交としては重要だ。
 

ひかり様

 投稿者:mission
 投稿日:2017年 9月12日(火)11時05分22秒
おはようございます(^^)/
腹駄組織に起こる、ひかり様の『問答アルアル』久し振りに爆笑させて頂きました!
>見てはいたんですが<なんとなく解ります(笑)
でも、ひかり様は『宿坊の重鎮』だと密かに思ってるんです私。
これからも『問答アルアル』お願いしま~す(^^)

けれど…居てるょね、あんなそんなの幹部達。
いつも群をなしてるくせに、内情は陰口満載。
「十四誹謗」なんぞ どの吹く風です(怖い 怖い)

「圏幹部同士で大喧嘩」大聖人の教えとは、ほど遠~い世界で暮らしはるのかね?
ひかり様 曰く「悩乱」状態。いゃ?常だとしたら「常態」か(失笑)

「8月の座談会を期日前最終日や投票日にもってきて内部投票率アップをはかる姑息さ」
ほんま↑「げッ!」だょ。開いた口が閉まらん。

「高齢者をワゴン車で座談会会場からまとめて連れ出す」
日頃は目もくれない会員達を↑あの手この手で餌食にするだね。
度が過ぎたら「公選法違反(投票干渉罪)」で、しょっぴかれるょ。

「幹部の役職名」…ナンチャラカンチャラ総合長に総合婦人部長ね(苦笑)
今はやりの「役職剥奪」以外は、殆ど降格人事が無いんで上が詰まる詰まる。
覚えてられない。名札ぶら下げて~^^;

「間違うとヘソ曲げる幹部がいるじゃん」←ほんと!いるいる。
どっかのキャッチコピー「言葉と生きていく」を地でいく様な「肩書と生きていく」幹部様達は、ぎょうさん居てますね(^^)
腹駄学会って、そんなもんです。

 

谷川主任副会長さまの御影写真がありませんが?

 投稿者:珍説 谷川革命 (笑笑
 投稿日:2017年 9月12日(火)10時24分50秒
カンビースさまのご投稿の通り、谷川主任副会長さまの御写真掲載が有りません。どうされたのでしょうか?

池田先生みたいに、一気に北朝鮮へ赴かれてアメリカ対話センター所長の役目を果たされているのでしょうか?期待しています。一発逆転のスタンドプレー!!さすが、対話センター所長!北朝鮮問題を一気に解決する対話外交?どうなのでしょうかね?
 

卒業

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2017年 9月12日(火)09時54分58秒
missionさん、鋭いところを突かれますね。仰る通りです。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/74050
>やがて一部の人々は『邪悪で狂暴だから殺したのではない。普通の人間も人を大量に殺す事があるのだ』と気付いていく。<
>だからこそ裁判を間近で傍聴したハンナ・アーレントは、アイヒマンを「平凡な人間が行う悪」「悪の凡庸さ」と形容した。<
>腹駄学会においても、思考停止で人間の質をも放棄した偉くもない平凡な幹部から「言論のホロコースト」が平然と続けられているのです。指示するヒトラーは、誰なのか?<
>「貴方はアイヒマンか?」と問い掛けなければいけない<

→何も特別じゃない普通の人たちです。地獄界も仏界もある。そして誰しもアイヒマンになり得る。あの尼崎連続殺人事件の精神鑑定でもこのアイヒマンを取り上げています。

普通の人びと。オウム真理教・麻原彰晃もそうです。映画『A』からはそれが伝わって来るとして、監督=森達也さんには非難が集中しました。「私もオウム、麻原と一緒だって? そんなことは認めない!」と。森さんは死刑廃止論者としても有名で、麻原の取材も続けています。糞尿垂れ流し状態で、明らかに精神に異常を来しているとのことです。
(森さんの本がなぜか大阪だけが売れるということで、ジュンク堂協力=中央図書館での講演に行ってきました。)

森さんらの取材によると、どうも地下鉄サリン事件は麻原の本意ではないらしい。それらしい言動を確かに麻原はしていたが、内心では怯えていた。しかし、オウムの中にテロに向かおうとする「空気」が醸成されて行き、その「空気」に飲まれていった結果、あの惨事時に至った。麻原はヒトラーでもなかった。『顔のないヒトラーたち』が沢山いたのだ。
http://kaononai.com/
あの大東亜戦争もそうだったと私は理解しています。あの超悲劇の責任者が誰もいないのです。“ただ、なんとなく、どうも戦争しないといけないような「空気」”だった。そして、さらに超々悲劇は“ただ、なんとなく、どうも戦争をやめてはいけないような「空気」”だった。草食動物ニッポンジンはこの「空気」に極めて弱い。

ミネルヴァの梟さんの仰る通り、「やっぱり右?」という「空気」が強められていると思います。自民の支持率が戻ったらまた風見鶏は右を向くでしょう。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/74030
https://mainichi.jp/articles/20170912/k00/00m/030/072000c?fm=mnm

それに引き換え、我々ひのえうまのスター=斉藤由貴さんは幸せな人です。それでも。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/74039
前にも言いましたが、彼女の
「♪ああ 卒業式で泣かないと 冷たい人と言われそう」
https://www.youtube.com/watch?v=6yPJG_IozHQ
と敏感に「空気」を読んで反応する様は草食動物ニッポンジン「一億総アイヒマン」の業病ともいうべきDNAを端的に表していると思います。
それこそ『卒業』したいと強く思います。
 

シナモンゴ―様の代理投稿について

 投稿者:dekahappy
 投稿日:2017年 9月12日(火)09時31分22秒
シナモンゴ―様代理投稿ありがとうございます。

池田先生へのサリン襲撃事件。

私は裁判報道の中で知りました。

1、何故、その直後に被害届を出さなかったのか?
また、オウムに捜査が入って、動きがとれなくなってからでも、事実関係を確認したのか?
もしくは、出せない理由があったのか?

2、何故、一般会員が知らない池田先生の動静を、襲撃実行犯が知り得たのか?

外部、内部。国家権力が絡み合って、
闇は思っているほど深いです。

先生お一人で戦っておられた。

あまりにも愚鈍な私。
懺悔の題目をあげます。
 

二十一世紀への対話 146

 投稿者:まなこ
 投稿日:2017年 9月12日(火)08時32分15秒
4 日本が貢献する道

【池田】 日本人は、しばしば、他文明の吸収、消化に特異な民族的素質を発揮してきたといわれますが、周知の通り、この特質の現われ方は、時に応じ機に応じて、さまざまに変遷してきています。
たとえば、日本古代の国家誕生の初期には、中国の体制を模範にして政治的・社会的機構を整えましたし、生産技術や芸術一般についても、多くを中国や朝鮮から学んでいます。飛鳥・天平期の文化にはこうした模倣の色彩が色濃く残っていますが、平安期ともなると、新しいものを吸収するのは中断して、これまでのものを消化して、そこから独自の文化を創造しています。その後、鎌倉・室町時代には再び吸収がなされました。しかし、江戸時代に入ってからは、鎖国体制が長く続き、その間、外来のものは斥けられ、日本的な独自の文化が花を咲かせ、庶民の生活にまで深く根をおろしていきました。ところが明治期を迎えると、政治体制の交代とともに日本文化の状況は再び一変しています。維新以後、ヨーロッパにならった近代化の波が、急激に高まったわけです。第二次大戦後の今日も、日本は本質的にはそうした西欧化の流れのなかにありますが、とくにアメリカからの影響が強まっている点が注目されます。
ただ現在では、その西欧からの摂取もすでにその頂点を過ぎて、同化、そして創造期に入ろうとしているように思えます。今日の日本にみられる混乱は、この転換のあらわれといえるでしょう。もっとも、見方によれば欧米文明の急激な摂取による混乱が、次の同化.創造への移行をやむなくしているともいえるのでしょうが――。

【トインビー】 西欧は、その近代技術がつくりだした人為的環境によって自然的環境を圧迫してきた結果、自らが問題を抱えており、この西欧文化の影響によって日本人が混乱させられているのは、別段驚くべきことではありません。日本人にとって、唐時代の中国文化よりも近代西欧文化のほうが対応しがたいのも、理の当然です。しかし、日本人は、非西欧民族のなかでは、この西欧の問題との対応に最も成功してきているのではないでしょうか。ロシア民族に比べても成功していますし、中国、インド、イスラム圏の諸民族などより、はるかに成功しています。
日本人はこれまで、四つの異なる方法によって、西欧からの衝撃に対応しようと試みてきました。まず第一に、十六世紀には、どちらかというと無批判に西欧の文化・宗教を受け入れました。第二に、その後西欧との接触が進むと、今度は対応策を翻し、極端に孤立化しようと試みました。ついで第三に、徳川幕府の鎖国政策がもはや続行不可能なことに気づくと、明治維新を断行し、二つの世界で相異なる目的のもとに、同時に生き抜く実験を試みたわけです。すなわち、近代西欧世界においては、技術、経済の分野に、また貿易、外交、戦争など国際関係の分野にその目的をおき、他方、日本の伝統的世界においては、国民生活の文化面・精神面に生きる道を求めました。しかし、この第三の西欧文明への対応策は、一九四五年に、日本の破局となって終わりました。それ以来、日本人は第四の実験を行なってきました。彼らは、第二次大戦での最終的な軍事的敗北を、今度は非軍事面で――つまりそれまで西欧の独壇場だった技術上の妙技を競い合うゲームで――西欧を打ち負かすことによって、埋め合わそうとしたわけです。
この試みにおいて、日本人は今日センセーショナルな成功を収めています。しかし、技術というのは、人間事象のほんの一部にすぎませんし、しかもその最重要部門でもありません。人間は心身相関の生命機能体ですが、私はその物質的要素よりも、精神的要素のほうが重要だと信じています。私はまた、日本人もこのような信条をもっているという印象を受けるのです。

【池田】 ええ、それは日本の伝統的な信条でした。私は、いまこそ、この信条を失わないよう、堅持すべき時だと考えています。そこで、今後の世界に日本が何をもって寄与できるかといえば、私は二つの点があげられると思います。第一点は、さきほども申しました、日本民族独自の創造性です。第二点は、他文化との融和的精神において諸民族の手本になりうるという点です。

【トインビー】 おっしゃる通りです。しかし、多少異なる観点から、この問題を考えてみたいと思います。私の想像するに、日本人はいまおそらく次のように自問しているのではないでしょうか。――「自分たちは、これまであまりにも技術の分野のみに努力し、注意を傾注しすぎて、精神面をなおざりにしてきたのではあるまいか。戦後おさめた勝利といっても、それはあまりに一面的にすぎたのではないだろうか。自分たちは技術面での勝利を、はたしてそれに見合う精神面の勝利によって、バランスをとってきただろうか。そうでないのなら、この両面のバランスをとることこそ、今後めざすべき主要な課題ではないだろうか。とすれば、現代世界において日本が果たすべき精神的役割とは、一体何だろうか」と――。
これは、あくまで日本人だけにしか答えられない疑問です。外国人がこれに答えを出そうとするのは、危険なことです。たとえその外国人が、私と同じく、日本民族に深い尊敬と愛着を抱く人であっても、それは変わりありません。しかし、ここではあえてその危険を冒して、提言を試みましょう。
日本人はいまや、近代技術面では他をしのぐ、卓越した能力を見せつけました。ところが、この近代技術は、すでに世界中いたるところで、始末におえないものになりつつあります。それは物質的な豊かさをもたらしつつも、その過程で、物質的にも精神的にも汚染を生み出しているわけです。したがって、人類にとっては、この技術を規制していくことが――排斥ではなく抑制することが――必要です。これを換言すれば、人間が、技術よりもはるかに歴史の長い、人間自身の欲望を抑制しなければならないということです。欲望の歴史は生命の歴史と等しいのですから――。
日本人はこれに必要とされる精神的資産をもっています。日本の伝統的宗教は、仏教であれ神道であれ、いずれも人間と自然との協調が人倫の道であることを説いています。これは、人間には自然を威圧し支配すべき特権があると想定し、この特権を擁護する西欧のユダヤ教的伝統と、よい対象をなすものです。この西欧的な道は、破局へと向かうものです。これに対して日本民族は、人類を、より安全で、より幸福な道へ先導できるものと、私は信じています。
日本民族は、西欧の近代技術を自家薬籠中のものとしつつも、これによって固有の宗教的伝統を失うことはありませんでした。この伝統こそ、自然を汚染し人間生活を非人間化している近代技術に対して、適正な精神的解毒剤となるものです。この日本的伝統は、人間の尊厳性とともに、人間以外の自然の尊厳性をも擁護しているからです。
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、谷川主任伏怪鳥様は、ドコに行かれたんデスかぁ~(笑)

 投稿者:カンピース
 投稿日:2017年 9月12日(火)08時26分53秒
おはようございます。原田怪鳥様、第1回全国青年教育者実践報告大会の開催、誠におめでとうございま~す(笑)

また、あわせまして、中国訪問団の寺崎副会長らの中国社会科学院日本研究所の代表の方と懇談、誠にご苦労様で~す(笑)

あれれぇ~、原田怪鳥様、谷川主任伏怪鳥様の御名前がありませんが、いったいどうされたんデスかぁ~(笑)

御写真にも谷川主任伏怪鳥様の御姿がありましぇ~ん、早々に御帰国されたんデスかぁ~(笑)

それとも、御病気(二日酔い?・まさかの性病?)デスかぁ~(大爆)

御参加されたのであれば、当然御写真もあろうコトですしぃ~、御名前も掲載されるハズデスよねぇ~(笑)

過日の政教珍聞でも、「谷川主任伏怪鳥様ら」と訪問団のトップに名前が報道されておりましたしぃ~(笑)

ナニか? 特別な理由でもあったんデスかぁ~? 例えば、ゲームに忙しかったとか(爆)

まあ、選挙の指揮官として、現場に派遣されながら、ゲームばっかりやっていて、選挙の「せ」の字も無かったとの逸話もありマスしぃ~(笑)

履歴だけは、創価学会の部門部門のトップを歩んだようになってマスが、その実態は、女性問題だらけの谷川主任伏怪鳥様(笑)

表敬訪問して、谷川主任伏怪鳥様の人格を見透かされなくて、かえって良かったのかもしれましぇ~ん(大爆)


また、原田怪鳥様にお願いでぇ~す(笑)、原田怪鳥様は教育を「聖業中の聖業」と位置付けていらっしゃいマスが、

で、あるならば、創大の人事に口出すのはやめましょうねぇ~(笑)

また、創大の教授陣に圧力をかけるのも止めましょ~う(笑)

カネに任せて名前を売るための、野球・陸上等スポーツ引き抜き入学も止めたらいかがデスかぁ~(笑)

どうひいき目に見ても、宣伝のためとしか見えましぇ~ん、師匠の理想はソコには無いはずデスよぉ~(笑)

「聖業」なのデスからぁ~、安保法案での創大からの声も無視して、コンペートーを支援された原田怪鳥様、

どうか、大学の自治権を揺るがすコト無く、「聖業」を目指していただけマスように、期待しないで待ってまぁ~す(爆)




 

聖教が狂うを見よ

 投稿者:メンチカツ
 投稿日:2017年 9月12日(火)08時11分8秒 編集済
本日の聖教1面広告
●厄払いの極意
●人生のトラブルはすべて厄。その解決法を伝授します。
「厄払いの護符付き!」

この広告の件で朝から多宝の同志、副婦人部長から電話を頂く。
怒り・同様・疑念の声・・・・ 声をあげるべき時を逃してはならないと伝える。
--------------------------------------------------------------
先生の顔写真と同じ紙面に江原啓之の馬鹿顔が並んだのである。
前回は最終面にこっそり掲載。
今回は堂々の1面掲載である。

広告枠の大小で許される問題ではなかろう。

信濃町の狂いの顕在化が進行拡大中である。
 

ファイト・ソング

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2017年 9月12日(火)07時54分44秒
元職員3名のブログより ついに今日!!!
『【告知】「9.12(火)裁判」勝利の決意(告知動画アップのお知らせ)』
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-124.html
http://www.labornetjp.org/news/2017/1504495253910yumo
https://www.youtube.com/watch?v=yb5UqonHbHs&feature=youtu.be
>お時間の許す方は、傍聴に来ていただければ、大変に嬉しく思います。一回の裁判の時間は短時間で終わってしまう裁判ですが、終了後は場所を移して、裁判の状況報告をさせて頂く懇談会も行なう予定です。<
もし可能なら力を貸してあげて欲しいと思います。ホームグラウンド化を。どうか。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/62326
http://6027.teacup.com/situation/bbs/63215

それと、ブログの更新もされています。
『「7.17横浜座談会」報告(後編)』
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-126.html

“あたしが言わなかったことすべて 脳の中の巨大な鉄球のよう”
“今夜 大声で叫んでやる 今回はこの声が聞こえるかしら?”
“これがあたしの戦いの歌”
“あたしの人生の歌を取り戻すの あたしが正しい歌を証明するの”
“力があふれてくる (ちょうど今はじまった)あたしは強くなる”
“戦いの歌を演奏するわ”
“他の誰も信じなくてもかまわない”
“だってあたしの中に戦いのエネルギーが満ち溢れているんだから”
『ファイト・ソング』レイチェル・プラッテン
https://www.youtube.com/watch?v=xo1VInw-SKc

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
http://amzn.to/2fxRlFX
 

法難に寄せて・・

 投稿者:史人
 投稿日:2017年 9月12日(火)07時41分27秒
朝から勤行していて、やはり30分経ったところで思考が安定してきました。
そして、更に30分余り(34分タイマー)で丁度6時の時に、何者にも随わないことに思い至りました。
結局1時間半以上は座っていたわけです。

世界平和文化祭に出た時に池田先生・日顕が顔を出された時に私一人が誰にも随わず、すぐには立たなかったことにもおもいを馳せました。
それは決してよいことではないです。
しかし、その時既に私の心の中では誰にも随わない信心の骨格が出来上がっていました。

それこそ、御書のあちこちに書かれていることでした。
顕正○などが御書をあまり読ませないのは、何者にも随わない人が現われたら自分達が困るからです。
御書を読んでいくと、それに気づくこととなります。

石虎将軍の例えも信のことを書かれていますが、実は虎をも恐れない、虎にも随わないことを示していると言えます。

そして弘安二年の弟子の法難でよいことがあるのは不思議であり、悪いことがあるのは当然と思いなさい等です。

何者にもとは、妻子眷属さえ、身は随うとも心は従ってはならないし、また、釈尊成道の最後に死さえ厭わない姿を見せて、それに至ったとされます。
以前に書いた純陀のことについても、寧ろ、釈尊にとっては有難いことでした。

事の戒壇にばかり目が行きがちですが、事の本懐こそが重要であり、弟子が日蓮大聖人と同じく何者にも随わない姿を見せたことこそ大事でした。

御本尊を拝む時もそう、拝ませて貰うのではなく、何者にも恐れない心を以て拝むことこそが大事と見ています。

信じるとはつまりはそういうことに全部繋がっていくし、そういう心を若い時に自分のものにしておくことこそ生きる肝心と言えると思います。


そして、お題目が進むにつれて、お題目三唱の時でも、心が定まった、いつもとは全く違うものとなりました。
声仏事を為すというよりも心仏事を為すものかなと思います。
早まって唱えるのでもなく、ただゆっくり規則正しくもなく、済んだ声で一語一語繋げていくような感じでした・・・。
 

映画『ハンナ・アーレント』

 投稿者:mission
 投稿日:2017年 9月12日(火)07時16分13秒 編集済
say様が投稿された【師匠の側にいながら狂っていく五老僧に囲まれ『それでも誰かが聞いてくれる』と池田先生はスピーチを続けて下さいました】本当に そうだと強く思います。

say様が紹介されていた「ハンナ・アーレント」の詳細を知ったのは、3年振りに自民党の第2次安倍内閣が与党に復帰した翌年の2013年の暮れでした。
11月6日の夜、国の安全保障に関わる重大な秘密を漏らした公務員や民間人を処罰する為の「特定秘密保護法」が、参院本会議で自公の賛成多数で可決*成立、その強行さにムカついた事を思い出します。

国会前には法案の採決を反対する沢山の人達が集まっていたのに、採決の瞬間を見るスマホの光の中で静まりかえった あの時の情景。
法案が可決された後も国会周辺の各所で、深夜まで抗議する人々のシュプレヒコールの声を暫く忘れられず、この頃から公明党に疑問を抱き腹駄執行部の荷担を知り始めたのです。

ホロコーストで6百万ものユダヤ人を強制収容所に移送する指揮的役割を担ったアイヒマンが、ドイツ敗戦後の1960年に拘束されエルサレムで裁判…それくらいの認識しか無かった私ですが、2013年8月に自民の麻生が、憲法改正論に関して「ナチス政権の手口を学んだらどうか」等の発言が大問題→後に撤回した事もあり、12月頃に上映された『ハンナ・アーレント』の内容に興味をもちました。

最後のナチス高官として邪悪な鬼のように語られてきたアイヒマンが、法廷に登場した時TVを観ていた世界の人々は、貧相で実直そうな姿が余りにも普通の人間に映り驚いたそうです。
「私は指示に従っただけだ」と繰り返すばかりのアイヒマンは、世紀に残る裁判で今度は自分が死の危険に晒される事になる。

裁判は何日も中継されたが、やがて一部の人々は『邪悪で狂暴だから殺したのではない。普通の人間も人を大量に殺す事があるのだ』と気付いていく。
だからこそ裁判を間近で傍聴したハンナ・アーレントは、アイヒマンを「平凡な人間が行う悪」「悪の凡庸さ」と形容した。
映画『ハンナ・アーレント』は、ドイツ系ユダヤ人の哲学者の女性を描いた事実に基づく物語。

アーレントはザ*ニューヨーカー誌のレポートに『ヒトラーの命令どおりに動いただけの“平凡な人間”なのでは…』と感じたままに指摘し、世界中で「アイヒマン擁護だ」大批判が巻き起こり、様々な誹謗中傷を受けた。
勤務していた大学からは辞職して欲しいと告げられる。だが「絶対に辞めません」と拒否した彼女は、学生達への講義という形で、初めての反論を試みる。

・世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪なのです。そんな人には動機もなく、信念も邪推も悪魔的な意図もない。彼のような犯罪者は人間である事を拒絶した者なのです。
・アイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果モラルまで判断不能となった。
・思考ができなくなると、平凡な人間も残虐行為に走るのです。“思考の嵐”がもたらすのは、善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。
・私が望むのは、考える事で人間が強くなる事です。危機的状況にあっても考え抜く事で破滅に至らぬように─。

アイヒマンは裁判で「ユダヤ人をガス室に送ったのは自分の意志ではなく上層部からの命令だった」と主張した。
その姿はアーレントの眼に、組織の調和を乱さない事を重んじ、言われた通りにしか動かない思考停止が悪を生む…映画を通じて「主張したいこと」は この真理だった。

【考える事で人間は強くなる】池田先生の御指導と同じです。
組織の中で「おかしい!出来ません!」と言えないのは、悪に染まった組織論理に従っているのだ。
腹駄学会においても、思考停止で人間の質をも放棄した偉くもない平凡な幹部から「言論のホロコースト」が平然と続けられているのです。
指示するヒトラーは、誰なのか?

そして、過去に犯した戦争も秘密保護法*安保法制*共謀罪…自公政権から生まれる論理にも「貴方はアイヒマンか?」と問い掛けなければいけないと強く感じています。

 

わが友に贈る 2017年9月12日

 投稿者:どうみょうてん
 投稿日:2017年 9月12日(火)07時15分59秒
「人材育成の秋」到来!
伝統の教学試験へ
受験者に真心の応援を。
共に御書を心肝に染め
広布への誓いを新たに!
 

宮川日護師の代理投稿です。

 投稿者:シナモンゴー
 投稿日:2017年 9月12日(火)06時45分35秒 編集済
重大時により、拡散をお願い致します。

添付の御写真は、先生、御奥様より頂戴した御写真である。その御顔には、笑顔がない珍しい御写真である。

弟子は、その意味を深く拝すべきである。

「 まだ聞かぬ.

人のためには. ほととぎす.

 いくたび聞くも.

 初音( はつね )なりけり 」

御開山日興上人の御和歌である。

我が師、日蓮大聖人様が、
お説き遊ばされた御法門は多岐に渡り、その数膨大にして、難解である。

我が師が遺された遺文は、その数繁多にして、他の邪僧
、邪師の邪文の追従を許さない。

民衆を苦しめる国家権力と戦い続けられ、競い来る障魔迫害の嵐の中、

我ら凡愚なる弟子を憐れみ、お送り下さった御手紙の数々。

処を追われ、或いは鎌倉の地より、流刑地の佐渡の地より、又、雪深き身延の沢より、

御本仏の、我ら凡愚を目覚めさせんと下さったお手紙、又、御法門の宝文。

紙も、筆も、墨さえも、儘ならぬ御環境の中で、我が御身の危難をも顧みず、下さったお手紙の数々。

弟子を思われるが故に、筆は止まる事なく、紙無きが故に、筆墨が乾くのを待ち、紙面の裏にまで、お認( したた )め下さった御本仏様の大慈悲は、唯、此の身を仏法に捧ぐる色心の捨己をもってしても、足りない。

江戸末期に書かれた吉田松陰先生の留魂録でさえ、拘束地からの書状であり、後世の我々が見る事が出来たのは、奇跡に近いと言われている。

事実、原本は紛失している。

然るに、あの鎌倉時代に遺されたお手紙が、今日、これだけ、紛失する事なく現存している事は、

御本仏、日蓮大聖人の、昭和、平成に生きる凡愚の弟子に対する広大無辺の慈悲故であると感じ、伏して御書を拝する日々である。

以前にも投稿した文章であるが、兄弟子日興上人の、和歌に倣い、日蓮大聖人、発迹御顕本の日に感謝して、再投稿させて頂く。

今、一刻の猶予なき正邪乱れいる此の時、

日蓮大聖人直系の弟子、
池田先生の直弟子として、
御書を拝したい。

華果成就御書に曰く.

[  よき弟子をもつときんば.
          師弟・仏果にいたり・.

あしき弟子をたくはひぬれば.
          師弟・地獄にをつといへり.

師弟相違せば.なに事も成べから

ず   ]      ( 900頁 )

師弟不二、
これこそが、絶対の勝利の法たる法華経の兵法の第1である。

先生は、ある時、おっしゃった。

「  牧口先生は、戸田先生を見出された。

戸田先生には、私が居た。

私には、誰も居ない。」

「  皆んな裏切った。奥さんだけだった 」とも。

又、先生は、

「 あの時(54年)、学会は私を見捨てた。だけど私は、学会を見捨てないよ 」と。

「  だから、守って欲しい、

糺して欲しい 」とも。

師匠が、弟子を、どれだけ深く、愛して下さっているか、再び、御書を拝したい。

[  返す返す今に忘れぬ事は.
首切られんとせし時.

殿は供して.馬の口に付きて・
泣き悲しみ給いしをば・

いかなる世にか忘れなん、

設( たと )い殿の罪ふかくして.
地獄に入り給はば

日蓮を・いかに仏になれと.
釈迦仏.誘(こし)らへさせ給うとも

用ひまいらせ候べからず.

同じく地獄なるべし、

日蓮と殿と共に地獄に入るならば.

釈迦仏・法華経も地獄にこそ・
をはしまさずらめ ]

( 崇峻天皇御書 1173頁).

文永8年(1271年)9月12日.

立正安国の為、
全民衆の幸せの為に、

民衆から搾取の限りを尽くす
当時の鎌倉幕府権力者に対して、

命を惜しまず国家諫暁なされた我が師、日蓮大聖人、

伊豆に流され、
額を斬られ、御腕を折られ、弟子を殺され、幾多の苦難を受け、

遂に、斬首の刑場に向かう途上、

大聖人は、熊王と言う童子を使いに出し、弟子の四条金吾にその旨を伝える。

着の身着のままで駆け付けた金吾は、刑吏より大聖人が乗られた馬の手綱を貰い、馬を引いた。

武士であり、人前で落涙するなど恥である事は承知であったが、金吾は、馬の口に付いて、我が大聖人を見上げて嗚咽した。

大聖人と共に、殉死すると覚悟する事で金吾の涙は止まる。

その時の四条金吾に対して、大聖人は、

例えば、四条金吾が武士である故に、殺傷があったかもしれない、もし、その罪によって、金吾が地獄に行くならば、私も金吾と共に地獄に行く、と。

例え、釈尊や三世十方の諸仏が、

「 日蓮大聖人、貴方は法華経に身を捧げ殉じたのだから、仏として仏の世界、寂光土においで下さい 」と、

いくら、言っても、

私は従わないよ。

弟子が地獄に行くのなら、

師匠である私も、誰が何と言おうと、弟子と一緒に地獄に行きます。

と。

法華経に殉じた日蓮大聖人と、

その私の処刑を悲しみ泣いてくれた弟子、四条金吾が、共に地獄に行くならば、

釈尊や諸仏、そして法華経も全てが、地獄にあるでしょう、

地獄即寂光、地獄即仏界の原理を現ずるでしょう、と。

これが大聖人の弟子を思う心であり、

我が師、池田先生が全会員を思う慈悲である。

いよいよ、午前2時半、丑寅の刻に差し掛かる時、にわかに騒がしく、簡易に造られた刑場に大聖人は、刑吏によってお連れされる。

大聖人の急を、聞いて駆け付けた信徒の数は数十名となり、

本来なら内々に処刑するはずであったが、仕方なく、民衆信徒が斬首の邪魔しないように柵で仕切られる。

いよいよ、処刑役の武士2人の1人が、刀を抜いて上段に振りかぶる。

再度、御書を拝したい。

「  兵士(つわもの)ども.
うちまはり・さわぎしかば、

左衛門尉.申すやう只今なりと泣く、

日蓮申すやう.

不覚の殿ばらかな・これほどの悦びをば・笑えかし、

いかに・約束をば・たがへらるるぞ  」

四条金吾は、自らの太刀の刃を両手で掴み、師より一瞬早く、割腹する覚悟であった。

師の斬首される御姿を見る事が弟子にとって、どれ程の苦しみであるか、金吾は、太刀取りが太刀を振りかぶった瞬間、

「 只今なり!」絶叫して、泣いた。

そして、腹に突き立てた白刃に、渾身の力を入れようとした。

一瞬、金吾の脳裏に次の言葉が走った。

「  無念なり、金吾生涯の遺恨なり 」

今、正に師匠である日蓮大聖人が首を切られ、

弟子である金吾も殉死する。

それは日蓮仏法の滅亡を意味した。

金吾には、その悲しみ、苦しみ、絶望しかなかった。

金吾の刀が正に腹を貫こうとした時瞬間、

師匠の大音声が轟いた。

「 我が弟子、四条金吾殿は、
仏法の道理を御存知ではなかったか!

法華経を広めれば迫害は、当然ではないか!

今、迫害されていると言う事は、

法華経の行者の証明ではないか。

此れ程の悦びを笑いなさい!

久遠の昔に、

私と共に妙法に命を捧げようと約束した誓いを、

どうして、  忘れるのか!」

金吾は、師匠の魂の叫びに、ハッと我にかえり、

今、正に腹を貫こうとしていた刀を投げ捨て、

「  そうだ!今こそ、

師弟一体となって、

弟子が獅子王となって戦う時である。

誰が居なくとも、
この私が、
断じて、師を護る!」と、

心の中で叫んだ。

金吾は、
長刀で腹を切ろうと白刃を素手で握っていた手から滴り落ちる血を、殉死の決意に変えて、

金吾は、袂にいれていた数珠手に、

大聖人のお題目の大天を貫くように響き渡る南無妙法蓮華経と言う唱題に唱和した、

集っていた檀信徒も、涙を払い、御題目に唱和した。

眼前の不幸に、嘆き悲しんでいる時ではない。

全世界を救済すべき、この偉大な日蓮仏法を滅亡させてなるものか!

例え、私、1人になろうとも、
私が、師匠を御守りする。
師匠と共に、戦うのだ!

その1人1人の決意が、
波動となって、天空を揺るがす祈りとなって暗黒の世界に響き渡った。

その後は、師弟一体の祈りに、

諸仏、諸天が舞い降り、

悪党共は、大聖人の首を切る所か、

馬から降りて大聖人に膝まづき、逃げまどう。

大聖人は、笑いながら、

「 日蓮は、幕府が即刻、首を切るほどの大罪人なのに、何故遠くに退くのか?

早く、近くに来て、しっかり抑えなさいよ!

早く、首を切りなさいよ。

夜が明けたらたら、見苦しいから早く切りなさいよ 」と、

笑いながら、おっしゃっても、

突然、真夜中に出現した光り物、諸天善神の脅威に逃げ惑い、うずくまるばかり、

日蓮大聖人の仏法が如何に凄いか。

そして、1人1人の弟子が、
師匠の思いを知り、師弟一体となった時、

100%の不可能が可能になると言う
法華経の兵法。

大聖人門下、池田先生の直弟子が、どれほどの力を持っているかを心に、

悪党どもを笑い飛ばしながら、

更に
御書を拝したい。

「  江の島のかたより.
月のごとく・ひかりたる物.
まりのやうにて辰巳のかたより戌井のかたへ・ひかりわたる、

十二日の夜の.あけぐれ.
人の面(おもて)も・みへざりしが.

物のひかり.月夜のやうにて人々の面もみなみゆ、

太刀取り. 目くらみ・たふれ臥し兵共(つわものども)おぢ怖れ・興醒(けうさ)めて.一町計りはせのき、或は馬より・をりて・かしこまり

或いは馬の上にて・うずくまれるもあり、

日蓮申すやう・いかにとのばら・かかる大禍ある召人には.遠のくぞ.

近く打ちよれや打ちよれやと・たかだかと・よばわれども・いそぎよる人もなし、

さて夜あけば・いかにいかに首切るべくは.いそぎ切るべし.
夜明けなば見苦しかりなんと・
とかくの返事もなし ]

(913~914頁)

今、原田学会、原田喪価学会は、師匠池田先生の価値を創造しゆく偉大な創価学会を、

その薄汚い欲望と、権力欲の為に、価値を、喪失する学会、喪価学会へと、貶めた。

恰も、全てが、先生の御指示であるかの如くに、純粋なる会員を騙し、偽り、苦しめた。

先生、御奥様を恰も、幽閉するが如く、その御行動を規制し、御発言を封じ、( 昨日配信した )毛沢東が、和かに微笑み、その裏で周恩来首相を死に追いやり、周総理の養女、孫維世さんを犯し、囚人等に犯させ、頭に直径2センチ、長さ10センチもあろうかという杭を打ち込み殺した。

未だに、数十名の周総理の弟子以外に、その事実は知らされていない!

昨日の投稿には、汝ら、獅子身中の虫を、断罪すべき正義の真実が隠されている事に気づき、震え上がっているだろうか!

先生の御命を狙い、オウムと手を組み、実行。

牙城会のメンバーや、日光警備の警備員が、事実、サリンを、吸入し、吐き気や、めまいを訴えてる被害が出ている明らかな、オウム真理教に於ける池田先生殺人未遂事件であるのに、何故、被害届けを出さず、闇に葬ったか?

私の手許には、日光警備の野地喜久治社長からの手紙がある。

更に、オウムとのお友達の誰かさんが、オウムとの連携を隠蔽する為に、地下鉄にサリンをまけと指示したと言う話も出て来ている。

やがて、全ては白日の元にさらされるであろう。

私は、腹を刺された事によって、更に更に、強くなった。

この投稿は、今日中に世界に配信されるだろう。
 

21世紀への選択 「囚われの鎖」から解放する「如実知見」 P156  投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2017年 9月12日(火)03時51分31秒
「囚われの鎖」から解放する「如実知見」 P156  投稿します。
ポイント
*、池田
・・・・略・・・常に注意を向け、「正見」「如実知見」へと向けてゆくのが、仏教で説く
「空」の理論です。

・・・・略・・・
漢訳でいえば「諸行無常」が仏教の主張であり、慣習の「囚われの鎖」から、私たちを解放

しようとしたのが釈尊であり、竜樹なのです。

*、テヘラニアン・・・・・・・
 カント的見解からすれば、いかなる言葉も、それを述べたとたんに現実への妥当性を

失ってしまいます。

 現実は絶えざる流動のなかにあるのに、言葉は硬直して化石化するのです。


*、池田

 ・・・・略・・・ 硬直した言葉や意識、概念に囚われていてはなりません。本質を見失

います。

「絶えざる流動」のなかにある事物のありのままの姿を、仏教では「諸法実相」といいます。

その諸法の実相を見るのが「如実知見」です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
生涯&広布一筋兄弟さま、お声かけありがとうございます。

北朝鮮に対する、アメリカ、日本、中国、韓国、ロシアの干渉、貿易制限圧力、石油禁輸等々

に対しての、生涯&広布一筋兄弟さまの指摘、まさに私が思っていたことと、全く一緒です。

北朝鮮を追い詰めて、暴発させてはいけません。

北朝鮮国民は、「いじめられている、飢え死にしてもまけるものか」と頑張ると思います。

戦前の日本人がそうでした。

だから、如来如実知見が大事なのです。

池田先生も 【硬直した言葉や意識、概念に囚われていてはなりません。】と教えられているでは
ないですか。

横田めぐみさんのご両親は、もっと北朝鮮に圧力をと申されていましたが、これほど北朝鮮に

経済封鎖の圧力をかけても、めぐみさんは帰ってこない・・・現実を踏まえましょう。

良いとか、悪いとかいう問題ではありません、平和でなければ拉致被害者は返しません。

まなこさま、トインビー博士との対談デジタル化は、骨の折れる使命でしょうが、大変有益に
思っています。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
御義口伝講義巻下 より
寿量品廿七箇の大事  如来如実知見(にょらいにょじっちけん)

 如来は、ありのままに正しく、人生、社会、宇宙の真実の姿を見ておられるとの意である。

 いま、世界を大きく二分している思想は、唯物、唯心の二大思想である。これは、共に、偏った
思想であり、この一方をもって絶対とする考え方が、時代を大きく混乱と破壊の方向に追いやって
いることは、明白である。

むろん、唯物、唯心の両思想だけではない。世界には、さまざまな人間観、人生観、社会観、時代
観があり、それらが互いに錯綜している。宗教にいたっては、さらに多種多様である。

しかしながら、それらの思想、哲学が、たとえ部分的には違った内容をもっていても、部分間で
あるがゆえに、それを現実に実践化した場合には、歪みを生ずることは当然である。

しかるに、おのおの自己の思想に執着して偏狭となり、世界を混乱に陥れていることは残念でなら
ない。

いま、世間で、学者と称せられている人達のなかには、専門的には、鋭い、洞察眼をもった人もいる
であろう。
だが、これら分化された学問の根底にある人間の問題、人生の問題、全体的な、社会、時代の把握に
ついては、きわめて近視眼的である点が指摘されよう。

 人間生命をはじめ、一切の万象について、ありのままに正しくとらえ、その法理を完璧に説き
明かしたのが仏法である。

色心不二といい、永遠の生命哲理といい、依正不二といい、その他、仏法哲理はことごとく、
如来如実知見の法理である。

われわれが、真に、正しく、人生、社会、時代を覚知していくためには、一切を如実知見される
仏の説法を信ずる以外にない。

この信心に住したときに、われわれの人生も、如来如実知見の人生とあらわれることを確信すべき
である 
 

21世紀への選択 「囚われの鎖」から解放する「如実知見」 P156

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2017年 9月12日(火)03時43分27秒
21世紀への選択 「囚われの鎖」から解放する「如実知見」 P156

池田
 ともかく、そのような「つくられた客観」「邪見」に陥りがちなわれわれの性向に、常に

注意を向け、「正見」「如実知見」へと向けてゆくのが、仏教で説く「空」の理論です。

テヘラニアン
 よく理解できます。

池田
 「空」は残念なことに日本では誤解されて、虚無主義的に用いられることが頻繁です。

しかし、「空」の理論は、私たちが当然と考えている言葉や概念が、人工的であり、慣

習的につくられたものであることを示すものです。

この慣習的につくられたものを、仏教では「サンスカーラ」、「行」と言います。

「すべての慣習的につくられたものは、恒常ではない」、漢訳でいえば「諸行無常」が

仏教の主張であり、慣習の「囚われの鎖」から、私たちを解放しようとしたのが釈尊で

あり、竜樹なのです。

テヘラニアン
 カント的見解からすれば、いかなる言葉も、それを述べたとたんに現実への妥当性を

失ってしまいます。

現実は絶えざる流動のなかにあるのに、言葉は硬直して化石化するのです。

スーフィー的な考え方からすると、貧困(ファガル)、もしくは、何もない状態(ヨァ

ナ)が最高の精神的高みにあると考えます。

象徴的、これは自身を「永遠」に溶け込ませるために、世俗的な所有物や先入観から解放

された状態を言っているのです。

池田
 そうです。現実は、千変万化です。硬直した言葉や意識、概念に囚われていては

なりません。本質を見失います。

「絶えざる流動」のなかにある事物のありのままの姿を、仏教では「諸法実相」といいます。

その諸法の実相を見るのが「如実知見」です。

テヘラニアン
 その点をよく言い表している二つの対句が、ルーミーの詩にあります。

「愛の秘密を教わった人は誰でも 口は閉ざされ唇は封じられる」

「人びとの紛争は意味論に始まる さらにより深い本質に近づいていくにつれ、

調和が支配する」

池田
 もちろん、一切の言葉を放棄しては「対話」は成り立ちません。

言葉にからみつく「囚われの心」を注意深く剥がしながら、「如実の智慧」、「真実を語る

言葉」は成立してくるのでしょう。

「口は閉ざされ」と語ったルーミーは、決して沈黙したのではありません。

彼は詩人でした。「言葉の天才」でした。

つまり、この美しい対句の「口」や「唇」、紛争を始める「意味論」とは、変化してや

まない物事の流動する本質から外れたものです。

先ほどあなたが言われた「化石化した言葉」であり、「倒錯」なのです。

 

創価学会も邪教です。

 投稿者:コンペー
 投稿日:2017年 9月12日(火)00時16分52秒
「人間 池田大作」の番組インタビューで池田先生は断言した。

「『僧侶が上、信徒が下』『創価学会では会長が上、会員が下』そんな考え方はとんでもない間違いです。本末転倒です。もし学会がそうなったとしたら、創価学会も邪教です!」

先生の間違いない、お言葉です。
 

同盟題目

 投稿者:
 投稿日:2017年 9月11日(月)23時55分59秒
今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に

原田会長、副会長、弁護士、二枚舌の方々に使われる
使用人、創価学会職員の方々が
速く、世界平和の祈りができます様に
御題目をおくらせていただきました
おやすみなさい

 

同盟題目は23時より開始です。

 投稿者:信濃町の人びと
 投稿日:2017年 9月11日(月)22時53分54秒
よろしくお願い致します。参加は任意です。
池田先生と奥様のご健康、ご長寿を祈ります。
また、世界に争いがないよう、災害が起きないよう題目を唱えます。
 

斉藤由貴さん②

 投稿者:魂の炎
 投稿日:2017年 9月11日(月)22時05分33秒
寝たきりオジサン様

モルモン教会の指導者は懐が深いですね~(笑)

何処かの宗教団体では、質問するだけで「危険人物扱い」(涙)
懐が狭いですね。

教えの高低浅深は置いておいて、斉藤由貴が羨ましいですね。
 

師匠と呼吸を合わせる

 投稿者:謎の弟子X
 投稿日:2017年 9月11日(月)21時52分17秒
「池田先生と呼吸を合わせよう」と、師匠が今何を考えているだろうか、思いを馳せる。
池田先生が、心の中の戸田先生に毎日、朝は今日一日の決意をご報告し、夜は戦いの結果をご報告をしておられたように。

池田先生が、朝6時頃に勤行をしていると聞いて以来、私が朝に勤行するのはその時間帯になりました。
私は、ある時から、世界地図を仏間に置いて、紛争地域にマークを付けて祈っています。戦争状態にあるのは約17地域あります。国同士の争いで死者が出ている地位は24以上あります。(国連、外務省などの分類で諸説あります)

「世界広宣流布」を祈る池田先生は、きっと争いに心を痛めているはず、そしてその地域にいる同志一人一人のことを祈っているはずだと。

池田先生は、小さな単位では、妻や家族や近隣の人や知人について、とても細やかに具体的に祈っているはずです。
そうでなければ、あれほどたくさんの人に対して、過去のことから現在の悩みまで、とっさに指導し続けられない。
 私も、真似して、近所のオッちゃん、オバちゃんのことを商売で困ってないか、病気してないか細かく祈っています。嫌いな人も祈ります。悪い人のことも祈ります。仏性を信じて祈ります。

私も「師弟不二の祈り」で師匠と呼吸を合わせてまいります。

 
 

斉藤由貴さん

 投稿者:寝たきりオジサン
 投稿日:2017年 9月11日(月)21時13分39秒
女優の斉藤由貴さんが今日不倫を認めたそうですが、信仰しているモルモン
教会に「私から地元の教会の指導者に除名処分をお願いしましたが、

『教会のために由貴さんがいるのではない。由貴さんの人生のために教会が
あるのです』というお言葉をいただきました」と除名処分を求めたものの
慰留されたそうです。

どこかの宗教団体みたいに批判しただけで役職解任や除名するところとは
違ってふところが深いですね。
 

寝たきりオジサン様

 投稿者:ひかり
 投稿日:2017年 9月11日(月)19時58分46秒
ほんと、お久しぶりです。

宿坊、見てはいたんですが。

幹部のめちゃくちゃぶり、もはや理解不能。

はっきり言って、「悩乱」です!

まあ一部であれば良いがと思っております。

知事選挙のポスターまで、山口代表と自民党候補のツーショットですからねえ。

でもって、
8月の座談会を期日前最終日や投票日にもってきて、内部の投票率アップをはかる姑息さ。

末端だってバカじゃありません。

ポスターの欺瞞は外部に指摘され
「学会員て利用されてんだよね、カワイソ」

「高齢者をワゴン車で座談会会場からまとめて連れ出す危ない人達、学会員」というわけです。

これを宗教団体ならぬ集票団体と言われても謹んで認めるしかありません。

 

ひかり様

 投稿者:寝たきりオジサン
 投稿日:2017年 9月11日(月)19時37分37秒
久しぶりにお見かけしました。お元気そうでなによりです。

役職っていろんな名前があって関係性がわからないですよね。
圏本部長とか圏総合長とか、さあどっちがどちでしょう?(笑)
 

破邪顕正の師子吼は何処からくるのか?

 投稿者:mission
 投稿日:2017年 9月11日(月)19時19分43秒 編集済
池田先生は《勝利の人間学・破邪顕正こそ学会精神》の中で仰られています。
【日蓮仏法の魂は「立正安国」である。大聖人は、人間を不幸にし民衆を苦しめる魔性と真っ向から戦い抜かれた。
「正しさ」は「強さ」である。破邪顕正とは「声」の戦いである】(抜粋)

元職員3名の方達の裁判もそうです。
解雇(2010-10)後すぐに「解雇撤回訴訟」に踏み切るが、本部側が捏造証拠を乱発し最高裁まで争われた訴訟は敗訴(2015-10)が確定。
けれど今度は、新たな「損害賠償請求訴訟」(2016-3)を開始し、明日(9/12)で9回目です。
3名の方達自身が不当解雇された「被害者」と思っているのなら、時間*資金*労力を費やす裁判なんかせずに他の職場を探し安楽な生活を手に入れていたでしょう。
では どうして困難な道を選んだのか?

秘密保護法*安保法制*共謀罪…疑問を持ち反対する学会員達が、国会前集会に参加し声を上げたのは何故?
元職員3名が主催する本部前の「サイレントアピール」に全国各地から集った70名もの学会員達は、堂々とプラカードを掲げ参加している意味は何処にあるのでしょう?
宿坊の掲示板での投稿者達の「厳しい声」も閲覧だけの方達の想いも、きっと同じ…1つだと思います。

腹駄執行部の積み重なる悪行が、師匠*池田先生の御指導に反しているから!
歴代会長が築き上げた創価学会を 精神を破壊し続けているから!
生命の奥底にある想いは、ただ それだけだと思います。
『師は針の如く、弟子は糸の如し』(宿坊様)なのです。

「東京牧口」前でのオウムによるサリン噴霧の殺害未遂…7年程前に男子部幹部から聞いて知っていました。
先生の行動を知り尽くした上での犯行が、なぜ外部への漏洩したのか?漏らしたのは誰?
重大殺人未遂事件を警察に通報せず隠蔽するのが、直弟子と自ら宣う腹駄怪鳥の化けの皮を剥がした本当の姿なのです。

※通報せず隠蔽したのは「外部に漏洩した者」について厳しく調べられバレるから。
疑問に思われている方が居られるので…1993年~1995年を考えてみて下さい。
自民党が、公明党の支持母体である創価学会に対して攻撃を展開していました。
宗教法人法の改正に伴い、池田先生の証人喚問を要求し、反創価学会キャンペーンの嵐。
国家を仕切っている与党自民党時代の警察庁が、生易しい聴取をすると思えないですょ。
空屋&腹駄怪鳥時代からの「自語相違」や「自己矛盾」…最近では「核兵器廃絶」に関してでも証明されてます。
その心根は、池田先生の言動全てを認めたくない…違うでしょうか?時様。

会務の執行権限*人事権*版権*印税等に口出しできぬ様に 池田先生を名誉会長に祭り上げ、師匠を讃える「二枚舌」で指導は本や文書には残さず絶版にし、都合の悪い箇所は次々に改竄して電子図書にする。
『師匠を利用し食い潰す腹駄学会に従うな』と「厳しい声」をあげようと決めた人達の何処がいけないのか?

【「名誉」の偶像を大誓堂に安置。生死は一切報道しない。名誉印税は本部が管理。
地方の会館跡地に簡素な住居を建てて住まわせ、会員と接触させない】
こんな↑悪辣な決めごとを企む「第六天の魔王」を、私は絶対に許せない!

《諸法実相抄の御指導*2006年*創立記念日最高会議》
【私たちの唱える題目は、ただわが身の平安のみを願う題目ではない。
広宣流布のための題目である。悪と戦うための題目である】
 

Oさんと爆笑

 投稿者:ひかり
 投稿日:2017年 9月11日(月)19時01分34秒 編集済
「いやあ まいった まいった」
頭をぽんぽんとたたくようにして
Oさんが、

Oさん「8月の座談会でさ、幹部挨拶を△さんに頼んだんだけどさあ」

ひかり「はいはい、ギョロ目の△さんね」


O さん「(笑)そう。その△さんの役職名がわかんないんだよね」

ひかり「最近はいちいち調べないとね。間違うとヘソ曲げる幹部がいるじゃん」

O さん「そうなんだよ。総合ナントカ総合長とかさ、意味わかんないよ」

ひかり「役職名がヘンテコだね(笑)」

O さん「でさ、たまたま県幹部の婦人部が来てた時に、△さんの役職名って何ですかって聞いたんだわ」

ひかり「役職名は何なんですか結局」

O さん「それがさ、いきなり怒りだしてさ、びっくりだよ」

ひかり「え~、何ですかそれ」

O さん「あの人間はキチガイだから呼ぶんじゃないよって言ったんだよ!」

ひかり「絶句」

O さん「絶句でしょ」

ひかり「はい。何が起きてるんだろ?」

O さん「知らねー(爆)」

ひかり「末端にきて、どう思われるかなんてどうでもいいのかな?」

O さん「なんかさ、壊れてるよね」

ひかり「どうして△さんをキチガイなんて言うんだろ?」

O さん「そうそう、聞いたんだよ。そしたらさ、大喧嘩したんだって。大喧嘩、幹部同士で」

ひかり「呆れた。関係ないじゃん、こっちには。△さんは人気あるから呼ぶんじゃん」

O さん「勝手に幹部が妨害。勝手に分断。何のマネだよ」

ひかり「今の流行?(爆)」








 

SaySaySayさん。

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ
 投稿日:2017年 9月11日(月)18時46分22秒
こちらこそありがとうございます。

今回は私が保管している教学部レポートの中の「会憲」関連のレポートを投稿させて頂きまし

た。

信濃町界隈及び各方面の職員幹部が口をそろえて怪文書だの、そんな事実は無いだの、見たこと

も聞いた事もないと言い続けた教学部レポート。

少々改定が加えられ、時間もかかっているものの、この教学部レポートで危惧をしていた当時の

心ある教学部や筆者が問題提起したとおりの現状になっている事実をどう説明されるのか?

信濃町界隈の執行部へお聞きしたい。



>ダメよ~さん、『復習・教学部レポート』シリーズ、ありがとうございます。分けていただい

>ているのが読み易くて良いですね。新来者のために勝手にこれまでを整理。

復習・教学部レポート①
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73982
復習・教学部レポート②
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73984
復習・教学部レポート③
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73997
復習・教学部レポート④
http://6027.teacup.com/situation/bbs/74014
 

カルト集団の悪

 投稿者:
 投稿日:2017年 9月11日(月)17時38分27秒
池田大作サリン襲撃未遂事件 ...過去にその記事を読んだ事はあったが、記憶から薄れていた。
しかし、今改めて時系列を考えながら読んでみると、何か腑に落ちないものがある。

1993年 12月18日
 池田大作サリン襲撃未遂事件発生
  オウム真理教は事前に池田が演奏会に出席するという情報を入手していた。
  創価大学の近隣にある創価学会施設「東京牧口記念会館」にオウム真理教の
  サリン噴霧トラックが到着し、3kgのサリン溶液を噴霧した。

  (しかし創価学会では警察への通報をしなかった。)

1994年 6月27日
 松本サリン事件発生
  被害者は死者8人、重軽傷者660人に及んだ。戦争状態にない国において、サリンのような
  化学兵器クラスの毒物が一般市民に対して無差別に使用された世界初の事例であり、
  同じくオウム真理教による地下鉄サリン事件を除けばその後も類が無い。
  無実の人間が半ば公然と犯人として扱われてしまった冤罪未遂事件[2]・報道被害事件でも
  ある。その背景には、ずさんな捜査を実施した警察とマスコミのなれ合いがあったとも
  言われる。

1995年 3月20日
 地下鉄サリン事件
   3月20日午前8時ごろ、東京都内の帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ、以下営団
   地下鉄)、丸ノ内線、日比谷線で各2編成、千代田線で1編成、計5編成の地下鉄車内で、
   化学兵器として使用される神経ガスサリンが散布され、乗客や駅員ら13人[注 1]が死亡、
   負傷者数は約6,300人とされる。


1996年 1月
  池田大作サリン襲撃未遂事件の犯行の事実は、1996年1月の松本サリン事件公判で明らかに
  されるまでのおよそ3年間公にされることはなかったとある。

「学会迫害の悪人は厳罰で
野たれ死ぬまで攻め抜け」

とまで言い切り、「悪」に対しては厳しい態度をとるのが学会の信条と表明しているのが、これでは自語相違ではないか。
それとも、それは「学会迫害の悪人」(その定義もあやしいが)だけに限るのか。

どうして、すぐに警察へ通報しなかったのか。
何か、通報しない方がいい理由があったのか。
腑に落ちないのである。
その時すぐに警察に通報していれば、6か月後に起きた松本サリン事件を防げたかもしれない。
更に、その9か月後に起きた、地下鉄サリン事件にも何らかの影響を与えられたかもしれない。

そう考えるのは、私だけであろうか。

死者8人、重軽傷者660人 -- 松本サリン事件
死者13人、負傷者6300人 -- 地下鉄サリン事件

多大な犠牲者である。
 

ガス抜きしないと大変なことに。

 投稿者:五分の魂
 投稿日:2017年 9月11日(月)15時33分21秒
この度、2017年9月度本部幹部会の録画放映会に参加し、戸田先生の原水爆禁止宣言の記録映像を拝見した。
この記録映像を観た会員たちは、何を感じたことだろう。弟子に対する遺訓として残された宣言は、池田先生に引き継がれ、SGIが発足し、今や世界192カ国・地域にまで大発展を遂げ、世界平和を希求する一大潮流となっている。
一方で、今年国連で「核兵器使用禁止条約」が核兵器を持たない国々の賛成だけで採択されたが、日本は条約交渉会議にすら参加しなかった。池田先生は本年6月6日付のジャパンタイムス誌への寄稿文の中で、「日本は今こそ交渉会議への参加に踏み切るべきだ」と強く主張されている。創価学会が支援している公明党は池田先生の呼びかけに応えることなく、交渉会議に参加しなかった。これは周知の事実であるが、この公明党の対応について創価学会は公式に何もコメントしていない。
創価学会としては核兵器廃絶を高らかに叫び続け、自らが支援する公明党は池田先生の呼びかけにも応えず、条約交渉会議にすら参加しないのに、それを黙認するという自己矛盾。
そんな状況に賢明な会員は現学会執行部に不信感を募らせているに違いない。
池田先生の心の叫びに応えられない弟子としての反省の弁もなく、聖教紙面でいくら核兵器廃絶を叫んでみても、徒手空拳の空しさを感じるだけである。現執行部が、現在の状況と今後の展望について誠実に会員に説明する姿勢を見せない限り、会内の現執行部に対する不信のマグマは溜まり続け、いつか爆発的な噴火を招くことを心配する。
ここ数年の創価学会は、執行部らが決めたことに対する会員への説明責任が十分果たされず、運営手法が乱暴な印象を受ける。会則の変更や、教義解釈の変更、更には最近の会憲の制定についても同様である。
 

「「悪と戦う心」に功徳は光る。幹部の行動で組織は決まる」

 投稿者:通行人
 投稿日:2017年 9月11日(月)13時12分35秒
京都乃鬼 様のご意見に同意します。

ーーーーーーーーーーーーー
大聖人は、功徳について、「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」(御書762ページ)と仰せです。
悪を責めることによって、自分自身の生命の罪、濁りも滅し、福徳清らかな生命が生じる。これが功徳です。

仏法においては、本来、上も下もない。全員が平等です。誰が偉いのでもない。「妙法を信じる心」が純粋で、強い人が偉いのです。権威主義でも、組織主義であってもいけない。組織は、人間が幸福になっていくための手段です。

創価学会は、どこまでも、平等主義であり、人間主義でいくのです。
(アメリカ本部の友と、「教育」と「人生」を語る)2000年8月23,24日 長野研修道場
 

政権延命の為の火遊びを、止めろ

 投稿者:ミネルヴァの梟
 投稿日:2017年 9月11日(月)12時17分30秒
昨日は北海道で地震。震度4。

来月の本幹は北海道と、発表しただけで地震が起こるとは、何とも凄まじい原田執行部の害毒だ。(笑)
これだけ連続して、宇宙にまで異変が起こるのを、仏法者なら、ただの偶然で片付けるべきではないだろう。

安倍内閣の支持率が不支持率を上回った様だが、調査したのはNNN、日テレ読売系だ。

3K、ゴミ売り、犬HK と呼ばれるアベ友三羽ガラスの中の一角。
安倍内閣の、御意向に沿うような報道しかしないので、その分を差し引いて見るべきだ。

前回調査から1ヶ月。その間に安倍内閣が何か良い事をしたかといえば、何もしていないではないか。
ただひたすらに、国民が数々の悪事を忘れるのを待ち、更に目をそらす為に北の危機を煽ってきただけだ。

なのに、この時点で支持率が回復するとしたら、日本国民は馬鹿だからどうせすぐ忘れる、という政府の考えが正しいと証明する事になってしまう。

もう1ヶ月経ったから、もうそろそろ支持に戻していいか~とか、北朝鮮を軍事力で叩くべきだ!とかの、馬鹿げた理由で、あの政権を支持するのは非常に危険な事だ。

戦争が始まれば、最悪日本にも核ミサイルが飛んで来るという事を、覚悟して言っているのだろうか。
日本にミサイルが飛んで来なかったとしても、韓国のソウルは30分で火の海になり、100万単位で人が死ぬ。
他の国だからいいのか?

北朝鮮問題の解決策として、対話を望む人は29.4%   それに対し、武力行使を望む人が10.6% も居るとは驚きだ。

よほど死にたいのか、戦争になっても自分は死なないと思っているのか、とにかくひどい平和ボケだ。
戦争というものを、まともにイメージする事すら出来なくなっているのだろう。

全面戦争になれば、100万どころか死者は1000万単位かそれ以上。中、ロが参戦する様だと、第三次世界大戦さえ起こりかねない。
自衛隊も米軍に従って参戦。中国も北朝鮮との軍事同盟に従って参戦。
日本の米軍基地や原発を狙ったミサイルも飛んで来る。

武力行使を支持した10.6%は、いったい何を考えているのだろう。無責任極まりない人達だ。


国連安保理の北朝鮮制裁決議が、今日にでも採決される。

おそらく中・ロは賛成しないか、賛成しても石油は止めないだろうと予想される。
かつて日本は、石油を止められて太平洋戦争に突っ込んで行った。

対話による解決しかないと言う、プーチン氏に頑張ってもらいたい。
圧力圧力、制裁制裁、としか言わない日本の首相が、私には軽薄な馬鹿に見えてしょうがない。

 

再選択

 投稿者:飛翔こそ蘇生
 投稿日:2017年 9月11日(月)11時45分37秒
同じことを学び合う
または、同じ目的をもって活動していく。

まずは、実際に身近に
集い合う地域の仲間がいる。

そこで得たエネルギーを
家庭へ、仕事へ、社会へと還元していく。

そこで、病気や、種々困難があった時
実際に学んできたこと

例えば病気の寛解や全治が実現化する。

その蘇生円満を実現する世界が
対話によって相乗的に開かれる。

そういう力ある在家の信仰の団体。

初めからアカデミックなだけでは
そういった大衆の中で広がっていくものでは無いし

いざ、大きな社会システムに対した時
大衆的なだけでは
根本的な、大衆の不満を解決するものにならない。

深い仏法哲理と
世界に開かれた対話(識者との対談)によって
両面を高いレベルで実現した
真の21世紀にあるべき信仰を体現した団体。

その自分たちの活動によって得た票で
民衆の代表として政治家に代弁してもらう。

こういった理想像が
池田先生の下で実現していた

と、思い込んでいた。

つまり、世間の人びとのつながりは利害によるものだが
我々の信心の世界は、そんなものは寄せ付けない
美しく、民衆に利を与え、大いなる善であると。

民衆の声の代弁者であるはずの議員たち
民衆の幸福に奉仕するはずの幹部たちは

「さぁ、与党入りした!
今こそ我らの理想の実現を!」

というところで
蓋を開けてみると

とうの昔から
寄せ付けないはずの利害に汚れ
醜く、民衆を害する、大きな悪に膨れ上がっていた。

民衆の多くも、学び合っていたつもりで
全く、その場その場の事として聞いていただけで
自ら行動を起こすということが出来ず

新たな「その場において正しいこと」を
幹部の言葉、本部の打ち出しに求め上書きする。

これはむしろ、民衆が権威を生み育てるような
危険な構図である。

池田先生はこのことも
厳しく教えて下さっていたというのに、

ああ、なぜ何も成せずに
ここまでになってしまっているのか。

どこかでベクトルが間違って

「迷い」を自身の信仰で
悩み考え行動し体感して解決するのではなく

まるで「悟り」がそこに存在して
絶対的な言葉として発されているような

自身の外にある「言葉」への「隷属」の構図になっている。

創価の中で
誰の言い分が正しく
誰が間違っているのか。

その互いの疑い合いだけでは
視野は狭くなり

バイアスとして働いて抜け出せない。

自分のことだ。

外に視野を広げ
内に心を掘り下げて

この一念三千を自身の事として
一人ひとりが
その住む世界を改革するのだ。

あなたは一人立てば、
勝利者への道を必ず歩めるのだ。

本当には何が必要で
何が必要ないのか
もう一度選択するのだ。
 

大きな声でマスコミを使って叫ぶと真相が隠せる?・・

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール
 投稿日:2017年 9月11日(月)11時08分21秒 編集済
ロシアが演習を行うと、大きな声で世界に叫ぶ納豆、違ったNATO

ロシアの演習は我らの防衛力のテストだ~ 、我らへの挑発~

https://www.bloomberg.com/news/articles/2017-09-10/russian-war-games-aimed-at-provoking-west-u-k-s-fallon-says

だそうです。

Natoはゴルバチョフとレーガンの約束を無視、Nato兵力・ミサイルはロシア国境まで進出済み・・

今でもウクライナを動かし、ロシアを挑発し続ける納豆(Nato)・・

太平洋岸では北方領土を返せ~、そこに米軍ミサイル基地を~・・

アジアで米韓大軍事演習を頻繁に行い北朝鮮を圧迫・・

イラク・シリア・リビアの悲劇を見た北朝鮮

国防衛のために核兵器開発をせざるを得ないが・・

ミサイル発射実験をすると、それを挑発という・・

この北朝鮮が日本だったらどうであろうか?

太平洋戦争前のように・・

経済封鎖、日本への石油輸出禁止、艦船製造に対する海外からの禁止条項

想像できるだろうか、今、日本がアメリカから見放され、もちろん、韓国も敵対視

そこに、ロシア・中国が見本近海で日本攻撃を想定しても大規模演習を何度も・・

ただ、各国からの要求を飲むだろうか

まずは、考えよう、北朝鮮の立場に立って・・

問題解決はそんなに難しくないはずだが・・・

ミサイルを売りたい、権益を吸いたい連中、北の豊富な地下資源を狙う連中は

そうは言わない、そうさせないのである

彼らの最終の狙いはロシアと中国・・

「半月のユーラシアを征服するものは世界を征服する」と言った

ブレジンスキーの亡霊を継承する輩・・(彼は最近亡くなった)

戸田先生が言われたように、全ては経済・資源をめぐっての紛争・・

怪物は北朝鮮の外、また、その惡の一部は我らの内・・にあり

そこに、祈りの焦点を・・


**ユーラシアの半月地域とは
中国、キルギスタン、タジキスタン、アフガンなどの中央アジアから、中近東、
コーカサス、ロシア南部、ウクライナ地域をさす。
そこには未開発の豊富な天然資源・・
詳しくはインターネットで・・・










 

アイルランドに平和を

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2017年 9月11日(月)10時43分53秒 編集済
ゴルバチョフが自ら先に核兵器を削減し始めた時はかつてない衝撃があった。入信前だ。
互いに銃を突きつけ合って、自分から先にその手を降ろす勇気。刑事ドラマや映画でたまに目にするが、実際その場面に直面したら……とてつもない勇気が必要だ。ゴルバチョフはそれをやって見せたが、その決断が容易でなかったことは想像に難くない。

種類は違うだろうが、あの冷戦以上に、人類にとって危険な時期はあっただろうか。
それでもその困難を乗り越えたことを、今こそ思い出したい。

私はゴルバチョフを、20世紀を代表する英雄と思うが、彼一人だけではない。
聞くところによると、作家でゴルバチョフの盟友のチンギス・アイトマートフが「貴方と同じくらい偉大な人物が2人いる。ネルソン・マンデラとダイサク・イケダだ」と会わせたのが、あの池田先生との友情の始まりだそうだ。ゴルバチョフはMr.ダイサク・イケダとの対談を率直で素晴らしかったと『ゴルバチョフ回想録』に書き残している。

「このベルリンの壁も30年ともたない」と、池田先生の言われた通りになったと知らされた時は驚いた。もちろん入信後だ。中学の社会科先生が「我々の生きている間は無くならない」と言っていたことが印象深く残っていたからだ。

これも全て池田先生のお陰とは言わない。しかし、あの困難な時代を突き抜け……そして今の世界、特に日本の実情を見ると、「全て池田先生の生命力次第」に見える。

自分の無責任を棚に上げて言うのが私の良い所だ。
……なのに、2010年以降、池田先生の生命力低下に比例して、日本・世界の立正安国が崩れ、広布が逆転、不幸が進んでいくのは「結局ソウカガッカイてダイサク・イケダしかいなかった」「他はショボかった」「ロクな弟子はいなかった」と思わざるを得ない。

あの冷戦以上に厳しい時代はない。昨夜の『NHKスペシャル スクープドキュメント 沖縄と核』<再放送 2017年9月20日(水)午前0時10分~0時59分(19日深夜)>を見て、あらためてそう思った。いつ世界が破滅しても不思議ではなかったのだ。沖縄は完全に侵略状態だった。今も人質にとられ、軟禁状態だろうか。
種類は違うだろうが、あの時代に比べたら、池田先生の死闘と比べたら今の危機はマシだ。

問題はひとつ。「ダイサク・イケダがいない」ことだけだ。この問題を解決すればあとは何とかなる。リトル・イケダを如何に増やすか。これまで出来なかったことだ。ビット・イケダかも知れない。縮小型であったとしても「相似形」であればいい。確かに問題は数多くある。しかし「道、遠くてもそれしかない」。(映画『人間・池田大作』)

今日は「9・11」。

“アイルランド(SGI)をアイルランド人(SGIメンバー)に返そう 彼らの国が奪われるのを許してはならない 今すぐアイルランド人(SGIメンバー)に返すんだ”
“大英帝国(日蓮世界宗)よ、おまえは大変なことをした でも誰もその事を知らない この僕と同じように…”
“海の向こうで、おまえは大変な事をやらかした”

“大英帝国、そして誰もが人間は自由と言っている”
“だけど、海の向こうでは僕に似た顔をした人が 神と国家を夢に描き、最低の思いをしている”
“牢屋の中に座っている 何もせずひれ伏せというのか? あきらめろというのか? それとも発狂しろということか?”
“アイルランド(SGI)をアイルランド人(SGIメンバー)に返そう 彼らの国が奪われるのを許してはならない 今すぐアイルランド人(SGIメンバー)に返すんだ”
『アイルランドに平和を』ポール・マッカートニー&ウイングス
https://www.youtube.com/watch?v=r0zGVVcsbPg
この曲は記念すべきウイングスのデビューシングルなのだが、その政治的な歌詞ゆえに英国BBCでは放送禁止となったいわく付きの作品である。1972年1月30日にアイルランドで起こった「血の日曜日事件」に心を痛めたポールが、緊急でレコーディングして発表されたものだ。
 

改めて・・

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール
 投稿日:2017年 9月11日(月)10時14分10秒 編集済
透徹したトインビー博士の中国に対する明晰な分析と予測に感銘・・

まさに、その通り、中国・世界は動いています・・

それを引き出した先生・・

まなこ様も、毎日、本当にありがとうございます。

できれば、もう少し、一回ごとを短くしていただければ・・・

(すみません勝手で・・まなこ様の労作業に心から感謝しています)

また、テヘラニアン博士と先生の対談も凄い・・

(鈴之助様の労作業に感謝)

次第に佳境・・テヘラニアン博士が、仏法に近づいてきた所に差し掛かってきたのでしょうか・・

しかし、スーフイニー・イスラムも凄いですね、

私の友人に仏法の説明を幾度かした際・・

(・・互いの教えの勉強です・・人間としての・・)

仏法の教えを説明すると、相手がそのような話イスラムにもあるのでよくわかる・・と・・

例えば同生同名天の話

イスラムの世界にも同じ教えがあるそうで、驚きました。


話は変わりますが、今、米国を襲っているハリケーン・イルマ、

風速200キロ、いまは100キロ程(マイルだと60mph)

信じられないような風速です・・

ホームレスになる方たちが大勢出ているようで・・

フロリダ・マイアミはSGIAの中心会館がある所だそうで・・総罰だという人も・・

大変です・・でも、そういうことでも起きない限り人はバイアスから離脱できない

動執ショウギを起こさせる戦いをやっておられる同志に乾杯

さて、ローマでは大洪水・・多くの被害が出ています。

メキシコの大地震・・

また、なぜか、台湾と香港を狙ってばかりの今年の台風です・・

何か、理由・根拠があるのでしょうか・・
 

スタンド・バイ・ユー

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2017年 9月11日(月)09時14分23秒 編集済
元職員3名のブログより いよいよ明日!!!
『【告知】「9.12(火)裁判」勝利の決意(告知動画アップのお知らせ)』
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-124.html
http://www.labornetjp.org/news/2017/1504495253910yumo
https://www.youtube.com/watch?v=yb5UqonHbHs&feature=youtu.be
>お時間の許す方は、傍聴に来ていただければ、大変に嬉しく思います。一回の裁判の時間は短時間で終わってしまう裁判ですが、終了後は場所を移して、裁判の状況報告をさせて頂く懇談会も行なう予定です。<
もし可能なら力を貸してあげて欲しいと思います。ホームグラウンド化を。どうか。(雨雲はこっちが引き受けた。)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/62326
http://6027.teacup.com/situation/bbs/63215

“隠している傷を見せて”
“もし翼が折れちゃったら 私の翼を使って そしたらあなたの翼も開くようになるわ”
“だって私はあなたの味方よ”
“涙のおかげで景色が輝いて見える
“あなたが傷ついてるの知ってるわ でも私もよ”
“たとえ私たちがボロボロになっても 切り抜ける方法を見つけられるわ”
“ねぇ あなたは一人じゃない”
“たとえ天国が見つからなくても 私はあなたのそばにいる”
“真実はあなたが信じているものの中にあるんじゃないかな”
“信じる気持ちには理由があると思うから”
『スタンド・バイ・ユー』レイチェル・プラッテン
https://www.youtube.com/watch?v=bwB9EMpW8eY

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
http://amzn.to/2fxRlFX
 

プリーズ・ミスター・ポストマン

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2017年 9月11日(月)09時00分9秒
missionさん、映画『ヒトラーへの285枚の葉書』の紹介ありがとうございます。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/74009
>恐怖心で世界を変える事はできない…しかし一人一人の声は小さいかも知れないが、必ず未来は変えられる。ヒトラーを怖れる事なく葉書を書いたドイツ人夫婦の勇気ある行動…夫婦がとった行動の意義を思いたい。<

→同感です。師匠のそばにいながら狂っていく五老僧に囲まれ、「それでも誰かが聞いてくれる」と池田先生はスピーチを続けて下さいました。2006年以降スピーチに至っては、五老僧が「無かったことにしよう」と「すきかえし」しようとしても、KS部OBさんや無冠さんらが電子化して残して下さいました。波動は万波と響くのです。
奴らが「用いない」とした「信の題目」は受信を、「行の題目」は発信を、現代的に表現できるでしょう。「一人立つ」がやがて妙法のオーケストラとなっていくのです。

不思議とこの1~2年、ナチス、ヒトラー、アイヒマン、ハンナ・アーレント関連のDVD化がやたらと多いです。特に、なぜかアイヒマン。宿坊での話題と共通します。
アーレントに関しては今『100分de名著 アーレント 全体主義の起原』がETVで放送中です。テキストも販売されています。
http://www.nhk.or.jp/meicho/
>毎週月曜日/午後10時25分~10時50分 <再>水曜日/午前5時30分~5時55分、午後0時00分~0時25分(Eテレ)<

ダメよ~さん、『復習・教学部レポート』シリーズ、ありがとうございます。分けていただいているのが読み易くて良いですね。新来者のために勝手にこれまでを整理。

復習・教学部レポート①
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73982
復習・教学部レポート②
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73984
復習・教学部レポート③
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73997
復習・教学部レポート④
http://6027.teacup.com/situation/bbs/74014

“ねぇ、ちょっと待ってよ、郵便屋さん ちょっちだけ時間をおくれよ”
“郵便屋さん、ちゃんと探してみてよ 鞄の中に僕宛ての手紙はない?”
“お願いだよ、郵便屋さん もうずっと長いこと、それを待っているんだ”
“最後に彼女の手紙をもらってから、もうずいぶん経つんだよ だから今日はきっとあるはずだよ 遠く離れたところにいる彼女からの報せがさ”
“郵便屋さん頼むから 僕宛ての手紙がないか、もっとよく調べてみてよ”
“僕はここでずっと待ってたんだよ 郵便屋さん ずっと辛抱強く”
“あの娘が僕のところに帰ってくるという たった一枚のはがきか手紙を”
“最後に彼女の手紙をもらってから、もうずいぶん経つ 今まで何日も僕の前を素通りしていったけど もう僕は泣きそうになっているんだよ”
『プリーズ・ミスター・ポストマン』ビートルズ
https://www.youtube.com/watch?v=xRdtlwVBQ8A
 

二十一世紀への対話 145

 投稿者:まなこ
 投稿日:2017年 9月11日(月)08時23分21秒
3 中国と世界

【池田】 博士はかつて「未来に発生しうる一つの可能性として、全世界が中国によって支配され、植民地化されるかもしれない」と述べておられますが、それはどのような根拠からでしょうか。また、現在でもなお、その可能性はあるとお考えでしょうか。
私の考えでは、中国人はむしろ外に向かって征服主義を推し進める野心的民族というより、本質的には自国の平和と安泰を望む穏和主義者だと思うのです。事実、中国は戦争をしかけられないかぎり、自分のほうから手を出した事実はありません。近代に入ってからアヘン戦争、日中戦争、朝鮮戦争と、中国が関係したこれまでの戦争は、いずれの場合も、いわば自衛戦争であったとさえいえると思うのです。
博士は、中国人の気質は、かつての世界主義から近代に入って民族主義に変わったと述べておられますが、私もそれは正しいと思います。しかし、そうした転換の事実は、侵略主義的になったことを意味するものではないと思います。むしろ中国人の民族主義は、アヘン戦争以来の、日本をも含めた外国勢力の侵略に対する、やむをえない反応であったというべきではないでしょうか。そして、民族主義というのも、対外的な反応の一面であって、基本的にはいまも世界主義、中華主義が強く流れていると思うのです。これまで中国がとってきた孤立的な外交姿勢も、一つには革命後の国内整備のためでしょうし、もう一つは中国即世界という、誇り高い伝統主義のあらわれだと考えるのですが――。

【トインビー】 私も、基本的には、中国の姿勢についてのただいまの分析に賛成です。かつて中国について「眠れる巨人を起こすな」といったのはナポレオンだったという記述がありますが、イギリスはナポレオンを退けるや、時を移さずアヘン戦争を起こして、中国の目を覚ましてしまいました。
一八三九年、つまりアヘン戦争の勃発以来、中国の関係した戦争はもっぱら自衛的なものだったという御意見は、まったくその通りです。ただし、中国人の解釈では、この自衛という意味にも、清朝の絶頂期――つまり乾隆帝統治の後半期――に帝政中国が到達した国境線を回復することが含まれてくると思うのです。中国のチベット再征服は、チベット人からみれば侵略的な植民地主義の行為だったわけですが、それをなぜ中国が行なったのか、そして、かつて中国の最も良き友邦であったインドとなぜ不可解な仲違いをしたのかは、いずれも中国人の解釈によるこの自衛の概念によって、理由が明らかになります。
中国は、ヒマラヤ高地のわずかばかりの領土をめぐって、インドとの関係を決裂させましたが、この地域はそれ自体中国にとって価値あるものではなく、戦略的にもあまり意味をもちません。にもかかわらず、中国にとっては、この地域はある種の象徴的な意味をもつものだった、と私は推測するのです。なぜなら、インドの主張する国境線は、中国がきわめて弱体で異議を唱えられなかった時期に、イギリスが設定したものだったからです。 中国が、一七九九年、つまり乾隆帝の没年当時の国境線を越える膨張を望んでいるという兆候は、何一つ見当たりません。事実、アムール川沿岸で最近ソ連と衝突はしたものの、中国がアムール川左岸とウスリー川右岸の向こうの広大な地域を回復すべく、真剣に考えている様子は少しもみられません。この地域は、一八五八年から一八六一年の間に、中国がやむなくロシアに割譲したものですが、そこの住民にみられる中国的色彩は、当時もいまも微々たるものにすぎません。
しかしながら、アヘン戦争以後の中国の対外関係には、何かそれまでの中国の歴史にみられなかった新しさがあります。一八三九年のアヘン戦争まで、中国は、旧世界の半分を占める東アジアで、文字通りの“中華王国”でした。日本だけは政治的に従属しなかったとはいえ、この日本も含め、周辺諸国がすべて中国文明を採り入れており、その意味で、中国は“天下万物”を治めてさえいたわけです。
かつて中国が、旧世界西端部の、非中国的文明をもつ諸民族と初めて接触したのは、紀元前二世紀の後半のことでした。しかし、その後中国に大きな衝撃をもたらしたものといえば、近代西欧による衝撃以前には、ただひとりインドあるのみでした。そしてこのインドからの衝撃とは、仏教の伝播という平和的な形のものでした。しかも中国は、その導入と同時に仏教を中国化してしまいました。これはあたかも、匈奴から満州民族に至るまでの北方諸蛮族がかつて何度も中国全土を、あるいはその一部を征服しながら、結局は自らが中国化されてしまったのと同じ原理です。
ところが、十七世紀に入り、これら蛮族に代わって北方の新たな隣人として登場してきたロシア人に対しては、中国も、彼らを中国化することはできませんでした。さらに、十六世紀に中国を侵略し、十九世紀には一時的な支配を行なった西欧諸民族に対しても、中国化はできませんでした。この西欧の一時的支配はすでに過去のものとなりましたが、しかし、その影響は今日なお残存しています。かつてのインドからの影響と同じく、それは中国を非中国的宗教に改宗させようというものでした。すでに中国は仏教を中国化しましたが、今度は共産主義を中国化しようとしているようです。しかし、中国化された共産主義は、中国化された仏教と同じく、中国民族の世界観と生活様式に深い影響を与え、これを大きく変容させるものと思われます。
一八三九年に至るまで、中国が他文明世界との間にもった関係は、一つの大きな例外、つまり平和裡の仏教への改宗という、インド文明からの衝撃を除けば、概して表面的なものにすぎず、さして重要なものでもありませんでした。ところが、過去五百年間に、西欧諸民族がその世界的勢力伸張によって技術面・経済面における人類の統合化を図ったため、この西洋の主導による、本来西欧的な枠組みのなかでなされた統合化への過程が、日本とともに中国をも、新たな地球的文明の網のなかへと導き入れました。こうして、一八三九年のアヘン戦争以来、中国は世界的な仕組みのなかで軍事、経済、政治、文化、技術、宗教など、あらゆる人間活動の分野において国際的関係を深めていきました。今日では、すでに西洋による一時的な軍事的、政治的、経済的支配は振り払いましたが、もはや身を引いて孤立をかこつことはできません。西洋による衝撃のおかげで、中国にとっての世界は、かつての旧世界の東側半分から、いまや全地球へと広がっているのです。中国は二度と再び、東アジアの孤立した“中華王国”に立ち戻ることはできないのです。

【池田】 国際社会における中国の立場を考えてみますと、さきに国連における北京政府の代表権回復をあのように遅らせたのも、これまで中国を孤立化に追いやってきたのも、むしろアメリカをはじめとする自由主義諸国であって、中国自身にその責任を負わすことは、的を射ていないと私は思います。
いずれの国も多少なりともそうした傾向をもっていますが、とくに中国は、自らを受け入れてくれる席がどのようなものであるかについて、きわめて敏感です。つまり、戦後四半世紀にわたって不当な処遇を受けてきたため、はたして新たに与えられる席が中国の国際的地位を正当に評価したものであるかどうか、その“原則”をきわめて重んじたわけです。
基本的には、中国は、西欧化の結果としての米ソ二大強国による世界支配に対して、がまんのならないものを感じているのではないでしょうか。これに対しては、もちろんフランスも、あるいはイギリスも、根強い反感をもっているでしょうが、それでもこれらの国々は、現実には従っていくという妥協的な外交上の柔軟性をもっているようです。しかし、中国の場合は、そうした妥協よりも、原則を堅持する姿勢のほうが強いようです。
国連復帰にさいして見せた態度のなかにも、もしこの原則にふさわしい席が用意されないなら、むしろ国際社会の孤児となっても正当な評価が与えられるまで待つ、という決意があったのではないでしょうか。ともあれ、そうした中国が、いよいよ国際社会に復帰したことによって、今後、世界全体の動向は大きく影響されていくことでしょう。

【トインビー】 中国は、地球人類社会にあって、今後どのような役割を果たしていくでしょうか。西欧諸民族の勢力拡張とその一時的支配によって形成された地球人類社会は、すでにその支配力を脱しており、そのまま今後とも存続するように思われます。この最近新たに形成された地球人類社会にあって、中国は、たんに三大国、五大国、あるいはそれ以上の数の強大国のうちの一国という地位にとどまるでしょうか。それとも、全世界の“中華王国”たることが、いまこそ中国に負わされた運命なのでしょうか。
これは人類全体にとっての関心事ですが、なかんずく、中国と地続きの隣国であるソ連、さらに狭い海域を隔てながらも、やはり隣国である日本にとって、大きな関心事であるはずです。アメリカは、東アジアの大陸沿岸や沖合の島々からグアム島へ、ついでハワイヘと、撤退することができます。いざとなれば、北米西海岸まで撤退してしまえば、中国との間に、全太平洋の広さを距離としておくことができるわけです。もっとも、今日では、こうしたたんなる物理的距離というものは、さほど意味をなさなくなっています。誘導ロケット弾の発明が、太平洋の広さといえども、一つの掘割なみの幅にせばめてしまったからです。中国を含めて地球上の全国家が、常に互いの直撃射程内にあるというのが、今日の実情です。
そこで、私自身の予想を申し述べれば、人類全体が単一の社会を形成するところまで、世界の統合化がなされるだろうということです。原子力時代に入った今日、この統合化は、もはや軍事的征服――かつて地球上の広大な部分を統合してきた伝統的方法――によっては、なしえないでしょう。同時に、私の予見するこの平和的統合は、特定の地理的・文化的基軸を中心にして結晶していくことになるはずです。この基軸は、アメリカやヨーロッパやソ連ではなく、東アジアになることを、私は予感します。
中国、日本、朝鮮、ベトナムなどからなる東アジアは、大きな人口を擁しています。これらの諸民族は、その活力、勤勉さ、勇気、聡明さの面で、世界のどの民族にもひけをとりません。彼らは、地理的にいっても、中国文化や仏教という共通遺産をもつ点からいっても、はたまた本来外来的な近代西欧文明と妥協せざるをえないという共通の課題を抱えている面からいっても、互いに一つ絆で結ばれています。しかも、中国人にあっては、世界のどんな民族よりも首尾よく、数億の民を数千年にわたって政治的・文化的に結束させてきています。彼らはこうした政治・文化的統合の技術を示し、それに成功したという類いまれな経験をもっているわけで、しかもそうした統合化こそが、今日の世界の絶対的要請なのです。中国人が、東アジアの諸民族と協力して、この不可欠かつ不可避と信じられる人類統合の過程のなかで、主導的な役割を演じるだろうという理由は、ここにあるのです。
私の推測に誤りがなければ、世界の統合化は平和裡のうちに達成されることでしょう。これこそ、原子力時代にあっての、唯一の可能な道です。ただし、中国民族といえども、いつの時代にも平和的であったわけではありません。戦国時代には、古代ギリシアや近代西欧と同じく、分裂抗争していました。しかし漢朝以後は、戦国時代の好戦的精神を捨て去っています。漢の初代皇帝・劉邦が中国の再統一を果たしたのは、はるか遠く紀元前二〇二年のことでした。それに先立って秦の始皇帝が行なった政治統一は、武力制圧によるものだったため、彼の死後、地方的ナショナリズムの復活という反動が起こっています。漢の劉邦の場合は、中国人の民族的感情の均衡を、地方分権主義から世界主義へと恒久的に傾かせました。しかも彼は、秦の始皇帝の挑発的な専制的言動とは対照的に、世才を巧みに用いてこれを成し遂げたのでした。
未来の世界統合者は、この中国における第二の、より大きな成功を収めた統合者のように、世界主義的な考えをもち、同時に目的達成に向かってことを進めるさい、世才にたけていることが要求されるでしょう。現在の諸民族のなかで、人類の集団自殺に代わる唯一の道となる世界統合化に対して最も準備が整っているのは、独特の思考法を二千年余にわたってつちかってきた中国民族です。私は、旧世界の半分といわず、人間が住んだり通ったりできる地球上の全地域に政治統合をもたらすべき未来の政治家の原型を、漢の劉邦にみるのです。そうした政治家とは、中国人でしょうか、日本人でしょうか、それともベトナム人になるでしょうか、あるいは朝鮮人でしょうか――。

【池田】 二千年余にわたる統一を保ってきたという歴史的経験から、中国が世界の統合化への新しい基軸となる資格をもっているという御指摘は、今後の世界を考えるうえで、きわめて重要な示唆を含んでいると思います。また、漢の高祖・劉邦による中国の政治的再統一は、歴史的業績としてたしかに高く評価されるべきでしょう。
しかし、もう一面からいえば、劉邦の成功は、その前任者の始皇帝の荒療治があったからだとはいえないでしょうか。つまり、始皇帝はたしかに長期にわたる支配体制の確立には失敗しましたが、法と慣習において地方別にばらばらだった中国を、強権をもって統一することにより、劉邦による統一支配政権の確立を可能にした、と私は考えるのです。もし始皇帝がいなかったら、劉邦自身がそれをしなければならなかったでしょう。その場合、劉邦の役は、誰か別の人物が演じたかもしれません。
ともかく、中国の場合も、強力な武力によって統合化が行なわれたわけで、その後、儒教的倫理や、天子といった理念的な象徴によって統一が維持された面もありますが、それでも中央政府の軍事的支配力が弱まったときには、国内は幾度か分裂の危機に陥っています。
したがって、私が申し上げたいのは、これからの世界に実現されるべき統合の方向は、中国のような中央集権的な行き方ではなく、各国が平等の立場と資格において話し合うという、連合方式ではないかということです。その意味において、どこが中心になるというよりも、どこが先駆的な模範を示すかということだと思います。私自身の考えでは、ヨーロッパにおけるECの試みが、その手本になるのではないかと予想しております。これは、時間はかかっても、全世界の手本となるよう、ぜひ成功させてほしいと念願しています。
 

信心無きものに勝利なしヽ(^○^)ノ

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール
 投稿日:2017年 9月11日(月)07時55分44秒
栃木の久保田です。m(._.)m

皆様、おはようございます。m(._.)m

規約、会憲と色々と悪足掻きしているようだけれども、題目の偉大な力を知らない者には信心の深い人に勝つことは出来ない事でしょう!

悪いと分かっていることでもやってしまう行動から見ても因果の理法も、永遠の生命観も信じていない事が分かってしまう。

相手が強いとルールから変えてしまう!権力者の上等手段だね ヽ(^○^)ノ人として中身の無いピーマンが┐('~`;)┌

でも信心の力にはお前らじゃ勝てないぞヽ(^○^)ノ

はははは( ´∀`)はどっち道姑息なことしか出来ねーだろ

 

今、祈るべきこととは?

 投稿者:京都乃鬼
 投稿日:2017年 9月11日(月)07時39分45秒
いつ、ナニを祈るか、
それぞれ個人の自由や。

一方ではな、祈りの内容は、
その人の境涯を表しているとも言えるな。

信心したての頃ならやで、
自分の悩みしか祈る事が出来ひん場合もあるやろ。

でもな、境涯が上がってきたら
他人のコトも自然に祈れるようにもなるもんや。

その他人さんを祈れるようになってもやで、自分に関係する人だけを祈るとなると、少し残念な気がするねん。

やっぱり、

「ワシらの師匠なら、今、ナニを祈ってるか?」という事も慮(おもんば)からんと、師弟不ニの祈りにはならへん様に思うねん。

では、皆様方、「今」ワシらの師匠はナニを祈っていると思いまっか?

それぞれの境涯で考えてみまへんか?


ワシか?

ワシは、近所のおばちゃんやおっちゃん、学会員はんや師匠の健康も祈るけどもやな、「今」はな、

アメリカのハリケーンの被害者やメキシコの地震の被害者
及び、一番大事なのは
北朝鮮とアメリカとが軍事衝突しない様にと、死ぬ気で祈ってるで。
 

己心の法と「信」の生命論理!

 投稿者:螺髪
 投稿日:2017年 9月11日(月)06時27分15秒
 おはようございます。

 「生命」の骨格は「信」です。「信」の周辺にあるものを、生命論理的に探ってみました。

 「南無」とは、「帰命」です。「帰(き)し」「命(もとづ)く」ことです。「人」と「法」、「迹門」と「本門」があります。
 「南無とは梵語なり此には帰命と云う、人法之れ有り人とは釈尊に帰命し奉るなり 法とは法華経に帰命し奉るなり 又帰と云うは迹門不変真如の理に帰するなり 命とは本門随縁真如の智に命(もとづ)くなり帰命とは南無妙法蓮華経是なり」(御義口伝708㌻)。

 「帰命」とは「信じる」ことでもあります。もとより、「何」を信じるかも大切ですが、「どう」信じたかが一切を決めます。その「どう信じた」かに、個々の「智慧」が反映します。「智慧」とは「三千」です。「智慧」のようにしか「どう信じた」かの実像はないからです。いま、その「どう信じたか」の「智慧」がどのようなものであるかが問われる時なのでしょう。「南無」とは「永遠」に、その「何」を「どう」信じるかの「道」でもあります。

 遠くに求めていた「仏」が実は近くにあった、外にもとめていた「仏」が実は内あった、畏れおののき、崇拝もしていた不可思議な「妙法」が実は己心にあった、それが実は宇宙の根源の法の「妙法蓮華経」ということになるのではないでしょうか。その実の体が「南無妙法蓮華経」です。「仏」です。それを端的に語って頂いているのが、「一心に仏を見る心を一にして仏を見る一心を見れば仏なり」(義浄房御書892㌻)ではないでしょうか。

 「心」から「一念」、「思い」から「一念」の世界に入っていくと、もはや「心」や「思い」は、単に「個」の領域にとどまるものではなく、他者や、非情、国家、地球という領域をも超え、宇宙にまで共通するある種の“振動”であるようです。だから「祈り」が叶う。「神通之力」と同じものです。「神通之力」というのは、その「一念」の大きさを言っているのではないかということです。

 「言(ことば)と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり 凡夫は我が心に迷うて知らず覚らざるなり、仏は之を悟り顕わして神通と名くるなり 神通(じんずう)とは神(たましい)の一切の法に通じて礙(さわり)無きなり、此の自在の神通は一切の有情の心にて有るなり 故に狐狸も分分に通を現ずること皆心の神(たましい)の分分の悟なり 此の心の一法より国土世間も出来する事なり、一代聖教とは此の事を説きたるなり 此れを八万四千の法蔵とは云うなり是れ皆悉く一人の身中の法門にて有るなり、然れば八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」(三世諸仏総勘文教相廃立563㌻)。

 「神通(じんずう)」というのは、「願い」や「祈り」の意味を持つものと言っていいのでしょう。つまり「一念」です。

 「緒精霊」というのも、己心の中の「識」と言っていいのかもしれません。己心の中の「他者」です。それは、「宇宙」が己心から見た“宇宙”であるのと同じです。己心から星々、月、太陽を見ています。万人が見る宇宙は、その見方が整合し、「意味」が共通化されているだけです。人は、見る位置、見る時、あるいは見方によって「識」が千差万別ですから、本当は人の認識はさまざまです。「月でウサギが餅つきする」とも見ます。

 その己心の中のどの一人でも憎むことがあっては、己心は安穏とはなりません。憎しみは“瞋り”だからです。その人を憎しむ“瞋り”が、ほかならぬ、自身の己心を傷つけることになります。自身の成仏の妨げになります。「万人成仏」というのは、自身のみならず、己心の中のどの他者(識)も成仏することと言えます。それには、その己心の他者の“善”を積み増すことです。“善”が増えれば、その人は“善人”です。“善人”が自身を傷つけることはありません。“善”というのはその人のいいところと言っていいでしょう。

 「皆悉く一人の身中の法門にて有るなり」「八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」――つまり、それは己心の法ということです。もし、己心の法がそのすべてだとするなら、己心の“諸精霊”が悪鬼では、己心は休まることはありません。「万人成仏」は、そのすべての“諸精霊”が善鬼となることだと言えます。その鬼神の一人ひとりに「善」の意味を追善し、ほかならぬ、己心が安穏することこそ、「万人成仏」のもうひとつの意味なのではないのでしょうか。

 「一念」というのは、その「力」と「智慧」であるようです。「一念」と言っても、凡夫には自在には扱えませんから、「祈り」ということなのでしょう。「祈り」が「一念」の強さ、その向き先となります。その「一念」とはまた、生命の“発動性”そのもの、つまり「法性」にほかなりません。「神通之力」と同じです。だからこそ、「狐狸も分分に通を現ずる」と仰せなのでしょう。

 畜生と言えども「祈り」や「願い」はあります。平たくいえば「願望」です。「狐狸」(こり=きつねとたぬき)の「一念」と言っていいのでしょう。畜生界の「智慧」です。「力」です。哺乳類のムササビが空を飛んだり、クジラが海に舞い戻ったり、「生物」の“進化”の原動力であるかも知れません。おそらくは、「生」と「死」を掛けた「祈り」であったに違いありません。


 

21世紀への選択 言語による認識の限界を厳しく批判 P152投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2017年 9月11日(月)03時35分37秒 編集済
21世紀への選択 言語による認識の限界を厳しく批判 P152 投稿します。
ポイント
*、テヘラニアン・・・・・・・
 この考えをさらに進めたのが、近代哲学の祖イマニエル・カントです。

 カントは不可知の世界と現象の世界とを区別しました。

 不可知の世界としてカントが考えたのは「名辞」の世界です。

 人間は世界を認識するために世界に「名前」をつけます。

 名前で分類し、理解可能なものにして、認識するのです。

・・・・・・・・人間の知識は時間と空間に限定されています。対話だけが時空を超えることを
可能にします。


*、池田
 カントは理性、彼の言葉を使えば「悟性(Verstand)」の限界を見抜いていた。

 合理的な理性で人間はすべてを理解できるというのは、人間の傲慢であり、越権である

と考えた。

私たちは「理性崇拝」の結果としての「アウシュヴィッツ」や「ヒロシマ」の悲劇を見

てきました。

ゆえに、人間の理性の限界を示唆したカントの批判は、非常によく理解できます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カントは雑誌情報によると、「批判哲学」物事の本質を見極めると言う事を主張、哲学の巨人。

池田先生は、カントを人間の理性の限界を示唆したとされ、結果をアウシュヴィッツ」や

「ヒロシマ」の悲劇を見よと、申されています。

【人間の理性は"もの"そのものを認識することができず、それに「名前」をつける。・・・~】

【その人間の精神の落とし穴をカントは指摘したのです。】

ポイントとしてこの文章の間の事を含めて、思索されることを進めます。

下段に雑誌プレジデントより、面白い記事を見つけました。

鈴之助
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
目に見えるその奥を「知る勇気」こそが必要
技術革新に伴い、「物」も変化する
・・・・・・・・・略・・・・・・・・・・・・・
この状態を哲学者の平原卓氏は、「人間仕様の埋め込み型メガネをかけているようなもの」と
たとえる。

「そのメガネ・を外した世界を人は知ることができません」というのだ。

私たちは、確固たる「物」をありのままに捉えていると思いがちだが、実は違うというのが
カントの主張だ。

「物」という対象に人の認識が従うのではなく、対象物は人の認識に従うことで規定される。
これは当時の人々の物の見方を180度変える「コペルニクス的転回」だった。

カントの生きた時代から200年以上経った今、私たちを取り巻くのは目に見える「物」ばかりで
はない。

たとえば、ビットコインなどの仮想通貨がいい例だ。

脳科学者の茂木健一郎氏は「貨幣はもはや、硬貨や紙幣という物に縛られなくなりつつある。

ただし、目に見えないビットコインの発行や取引には、ものすごい高性能のコンピュータと

膨大な電力消費が必要。物がない仮想通貨の価値も、物に担保されています」と

分析。
「つまり、技術革新に伴って、カントの唱えた『物自体』の定義を改めて問い直すべき
時代になっています」と述べる。


ブレ一クスルーを生み出す

「物自体」の可能性に迫るには、表面的なことに目を奪われるのではなく、物事の本質を追求
する姿勢が必要だ。

カントは著作『啓蒙とは何か』の冒頭で、「知る勇気をもて(サペーレ・アウデ)」と言って
いる。

「知る勇気とはすなわち本質を見ようとすること。

人間が日頃認識している『物』ではなく『物自体』を見ようとすることは本質をつかむきっか
けになる。

そうした姿勢は、現代の破壊的イノベーションとも深い相関関係にあるのです」(茂木氏)

常に新たなイノベーションを求められるビジネスパーソンにとっては、カントの哲学を知る

ことで、大きなブレークスルーを生み出すきっかけをつかめるかもしれない。
 

21世紀への選択 言語による認識の限界を厳しく批判 P152

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2017年 9月11日(月)03時28分51秒
21世紀への選択  言語による認識の限界を厳しく批判 P152

テヘラニアン
 この考えをさらに進めたのが、近代哲学の祖イマニエル・カントです。

 カントは不可知の世界と現象の世界とを区別しました。

 不可知の世界としてカントが考えたのは「名辞」の世界です。

 人間は世界を認識するために世界に「名前」をつけます。

 名前で分類し、理解可能なものにして、認識するのです。

池田
 人間の精神作用の分析が、次第に精緻になってきた哲学史の過程を、実に簡潔かつ

明瞭に示してくださいました。

ある意味でプラトンとカントは逆の立場に立ちますね。

プラトンでは人間の理性が認識する世界はイデアの世界、理想世界です。

プラトンは、言葉や人間の理性的認識のほうを感覚より、優位に置いていました。

テヘラニアン
 しかし、カントの主張では、理性はそれほど優位には立っていません。

池田
 そうですね。カントは理性、彼の言葉を使えば「悟性(Verstand)」の限界を見抜いていた。

 合理的な理性で人間はすべてを理解できるというのは、人間の傲慢であり、越権である

と考えた。

私たちは「理性崇拝」の結果としての「アウシュヴィッツ」や「ヒロシマ」の悲劇を見

てきました。

ゆえに、人間の理性の限界を示唆したカントの批判は、非常によく理解できます。

悟性だけに寄り掛かってつくられた見解や哲学、意見が、「独断」に陥るということを、

カントは見抜いていたのです。

テヘラニアン
そういう意味で「独断」を批判したカントも、私たちが求めているのと同じ「開かれた対話」

の条件を求め続けたと言ってもいいかもしれません。

 たしかに、認識の点においては、人は事物の本質を知ることができない。

しかし、人は現実の人生において、崇高なるものを求め続け、永遠なるものを求め続けねば

ならない。

この限りにおいて、人間は自由をもつことができるというカントの主張と、私たちのこの

対話とは同じ志向性をもっています。

人間の知識は時間と空間に限定されています。対話だけが時空を超えることを可能にし

ます。

池田
 同感です。カントの精神は私たちが語り合った「永遠なるもの」を希求する「宗教

的精神」と呼応しあうでしょう。

さらに、ここで私は、仏教とカントの「認識論」の類似点について、もう少し述べさせ

ていただきたいと思います。

人間の理性は"もの"そのものを認識することができず、それに「名前」をつける。

ある意味では「名前」で限定をして、自分に理解できる形にして、人は何かを認識する

のです。

「男」「女」、「敵」「味方」、「ムスリム」「キリスト教徒」等々。

そうして分類されて認識されたものは、決して私たち一人一人の前にいるかけがえのない

個人ではない。

その人間の精神の落とし穴をカントは指摘したのです。

仏教が主張するのはまさにそれと同じものです。

いままで何度か話し合いましたが、釈尊も、また、竜樹も、われわれの概念的な認識、

また言語による認識に対して、厳しい批判を行いました。

そういう意味で仏教は、同時代のプラトン等より、約二千数百年後のカントを彷彿とさせ

るのです。

テヘラニアン
 そうですね。まさに、それは仏教の卓越せるところです。

世間でしばしば行われる二分法・・・善と悪、光と闇、黒と白、民主と独裁・・・は、

いずれも、真実の世界を十分には定義しえない人間の心のなせる業でしょう。

その限界を仏教は示唆したのです。

そうした二分法は世界の現象を分析する最も原始的なやり方といってよいでしょう。

池田
 人は多様で多彩な世界を、如実には認識できず、そういうように単純化し分類し

てしまうのです。

 しかも、自分は善、光、白、民主主義の領域の側に入れて……。

テヘラニアン
 その意味で、私たちは真理の探求において、「言葉の囚われ人」です。

私たちが真実を追求する過程において言語を超えて、音楽や芸術、宗教的儀式や沈黙

にまで手を延ばさなくてはなりません。

池田
 「客観的」と決めつけている事柄にも主観や偏見が入り込んでいるのです。貧しい

人を見て、「無教養に違いない」「不作法に違いない」とか、決めるのもそうです。

たしかに、金銭的な理由などで、大学などの「学校制度による教育」は受けていないかも

しれない。しかし、それと人格とは別です。

こつこつと、手仕事一筋で生きてきた職人さんのほうが、有名な大学を出た官僚など

より、立派な人格者であるという例を私はたくさん見てきました。

この人たちは、学校制度での高等教育は受けられなかったかもしれないが、人生から教え

を受けたのです。

テヘラニアン
 まったく同感です。「人々の声は神の声」という言葉があります。

だから、たとえ欠点はあっても民主主義が政府のあり方としては一番優れているのです。




 

日本初の写真展

 投稿者:tesuto
 投稿日:2017年 9月11日(月)03時02分5秒 編集済
写真展「写真家チェ・ゲバラが見た世界」─ テーマ・没後50年チェ・ゲバラは何を見つめ 夢見たのか─ 約240点の中に 「広島の原爆死没者慰霊碑・ 1959・日本」があり そのキャンプション(説明文)に「ゲバラは 被爆14年後の広島に衝撃を受け 『日本人は、米国にこんな残虐な目にあわされて怒らないのか』と広島県庁職員に問いかけた。フィデル・カストロ議長は、2003年広島を訪れ、ゲバラの気持ちを理解した」とありました。 ゲバラは先生と同じ1928年生まれです

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