『経済学的思考のセンス』、『競争と公平感』(いずれも中公新書)などの著作でおなじみというよりも、最近はEテレの「オイコノミア」でおなじみといったほうがよい大竹文雄による経済学的な読み物。
 先にあげた2冊と同じく社会問題などを経済学の切り口で分析しながら、最新の行動経済学の知見などを紹介しています。
 「オイコノミア」を見ている人は、他の経済学者の先生に比べて大竹先生はネタが豊富だと感じているかもしれませんが、それは本書でも遺憾なく発揮されています。「オイコノミア」でコンビを組んでいる又吉直樹の『花火』や西加奈子『サラバ!』の書評や司馬遼太郎についての講演なども組み込まれており、タイトルにもある「競争」とキーワードを中心にしてさまざまなネタが楽しめると思います。

 目次は以下の通り。
プロローグ 競争で強みを見つける
第1章 身近にある価格戦略
第2章 落語と小説の経済学
第3章 感情と経済
第4章 競争社会で生きてゆく
第5章 格差社会の真実
エピローグ イノベーションは、若者の特権か

 第1章の冒頭で紹介されているのはチケットの転売問題です。
 去年の8月に有名アーティストが新聞でチケット転売に反対する意見広告を出したことを覚えているひとも多いと思います。数千円のチケットが数万円、場合によっては10万円以上に高騰するようなケースもあり、「本当にチケットが欲しい人に行き渡らない」、「アーティストとファンの関係を壊す」、「アーティストに利益が還元されない」といった理由で転売に対して批判が高まっていました。

 これに対して、伝統的な経済学は、熱心なファンかどうかはチケットに払える金額で測ることができるし、そもそも超過需要があるのだからアーティスト側はもっとチケットの価格を上げるべきである、と考えるでしょう。
 あくまでも価格メカニズムによって問題は解決されると考えるのです。

 しかし、この考えについてはさまざまな異議があがると思います。
 ファンの熱意を測れるのはチケットに出せる金額だけではなく、例えばケンカやチキンレースでも測れるかもしれませんし(純粋に「強い気持ち」だけを測るならば命を懸けるチキンレースが一番良いかも)、チケットの価格を高くすれば学生などの若いファンがコンサート会場から締め出されることになりアーティストの人気は持続しにくくなるかもしれません(現在であれば嵐のコンサートなどはチケット1枚5万円でも埋まると思いますが客席の風景はずいぶん変わるでしょう)。

 「だから経済学なんて非現実的なんだ」と言いたくなるところですが、この本ではその先の経済学を紹介しています。
 プリンストン大学教授のアラン・クルーガーの分析では、チケットの価格を引き上げないのは、まず、それが新規顧客獲得戦略であり、超過需要をつくりだすことで人気を維持する戦略であるというものです。また、行動経済学の知見から一度保有したものは価値を高く見積もるという人間のバイアスをとり上げ、転売市場で必要以上に価格が高くなってしまう可能性を指摘し、さらにチケットの安さは一種の「贈与」あり、それがファンの忠誠心をあげるという考えを紹介しています。

 そして、解決策としてコンサートのチケットの一定枚数をオークションに出し、定価以上の価格がついた分については慈善団体に寄付するというアイディアを披露しています。これならばどうしても行きたいファンはオークションで買えばいいわけですし、アーティストも強欲だとの批判を免れることができます。
 現在の経済学が、実際の人間の行動に寄り添った分析を行っていることがわかると思います。

 この他、第1章では、「他店よりも高ければ値下げします」との広告が価格を下げないという暗黙の共謀であることや、くまモンの戦略を検討しています。
 
 第2章では、落語の「千両みかん」から「私的価値」と「共通価値」の違いを説明したり、司馬遼太郎の作品や又吉直樹の『火花』から「競争」の重要性を指摘しています。

 第3章で扱われるのは人間の感情の問題です。
 例えば、「怒り」の感情はなかなか自分でもコントロールできないもので厄介です。研究によると、怒っている人はよりリスクを取りやすくなり、問題の責任が他人にあると感じるようになるといいます(68p)。
 怒っていると、単純に握力の強さを競うようなゲームではより力が発揮できますが、メンタルなゲームでは成績が悪くなります。また、他人との協力行動をとらなくなるとのことです(72p)。

 このようなことを聞くと「経済学というよりもほとんど心理学ではないか」と思う人もいるかと思いますが、2002年に心理学者のダニエル・カーネマンがノーベル経済学賞を受賞したからもわかるように(カーネマンの研究については『ファスト&スロー』を参照)、行動経済学や実験経済学と行った分野では急速に心理学との融合が進んでいます。
 「経済学者が「怒り」について研究して何になるんだ?」と思う人もいるかと思いますが、リスクというのは経済学における非常に重要な概念であり、リスクに対する態度が感情で大きく変わるとすれば、経済学は人々の感情も考慮に入れる必要があります。

 第4章では、そうした人間の感情やバイアスについての研究が政策などにいかに活かされる可能性があるかということが述べられています。
 例えば、たんに節電を呼びかけるだけではなく、その家庭と電力やガスの消費が似た家庭の消費量を示して省エネについて助言したところ、2%以上電力消費が減少したとの実験がありますし、インフルエンザのワクチン接種についても、たんに日時を知らせるだけでなく手帳に日時を書き込ませると接種率が上がるそうです(120-121p)。
 人間のバイアスを利用したちょっとした介入が人々の行動を大きく変えることもあるのです。

 第4章の最後でとり上げられている児童扶養手当の「まとめ支給」の問題などは、行動経済学の知見が人々の暮らしを改善させることができるわかりやすい例だと思います(現在の4ヶ月に1度のまとめ支給では無駄遣いしやすいし、借金にも頼ってしまいがちで貧しい家庭のためにならない)。

 また、経済においては見知らぬ他者に対する一般的な信頼や、他人に親切にされたらそのお返しをすべきだという正の互恵性が重要です。それが高い社会や組織では協力が進み発展する可能性が高まります。
 では、こうした傾向をどうやって育てていけばいいのか?その答えの一つが教育になります。
 この本では板書中心とグループ学習中心の教育を比較してグループ学習中心の国のほうが一般的信頼が高まるとしています(ただし、成績に関してはどちらかに偏るよりも両方の組み合わせが重要(141-142p))。
 
 さらに徒競走で順位をつけない小学校で教育を受けた人ほど、「利他性が低く、強力に否定的で、互恵的ではないが、やられたらやり返すという価値観を持つ傾向が高い」という著者らの研究が紹介されています。
 学校側としては互恵性を育てるために、あえて競争で明確な順位をつけないようにしているのでしょうからこの結果は衝撃的です。

 著者は教育学者の苅谷剛彦の議論を引きながら、こうした教育が個人の能力差を生まれながらの素質の差ではなく努力の結果であるという価値観を生みがちで、それが「競争に負ける=怠けている」という価値観を生んでいるのではないかと類推しています。
 もう少し精密なデータや分析を見てみたいところではありますが、日本の教育と社会の現状を考えるとある程度納得できるものではないでしょうか。

 最後の第5章では著者が以前から何度か書いている格差の問題がとり上げられています。
 格差というとセンセーショナルに報道されることが多いですが、この本で紹介されている日本のトップ10%の所得が580万円でトップ1%の所得が1270万円と聞くと、また違った風景が見えてくるのではないでしょうか(日本の経済が停滞していることも実感する)。
 もちろん、格差への対策は必要で著者も否定してはいませんが、日本はアメリカのように一部の金持ちが富を独占しているというような社会ではないのです。

 このようにさまざまな興味深いトピックをとり上げながら最新の行動経済学の知見などをわかりやすいかたちで紹介しているのがこの本です。
 ここで紹介されているすべての知見に納得したわけではありませんが(個人主義の国ほど豊かになるというゴロニチェンコの研究の紹介(152-154p)などは疑問も残る)、経済学のという日常の眺めとはちょっと違った視点からの切り口が生きており、社会問題やライフスタイルを見直してみるひとつのきっかけとなるでしょう。


競争社会の歩き方 - 自分の「強み」を見つけるには (中公新書)
大竹 文雄
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