サンフランシスコでの3年間
渡米から3年、米国で会社を始めて2年が過ぎました。ひとつの区切りとして、米国で会社をはじめた経緯から、Uberの初期投資家でありLAUNCHの創業者であるJason Calacanis氏から投資を受けるまでをまとめました。
自分の失敗や経験が、少しでもこれから米国で挑戦する人の参考になれば嬉しいです。少し長いですが、お付き合いください。
サンフランシスコへ
シリコンバレー、サンフランシスコと言えば、スタートアップの業界で働いている人であれば、誰もが関心のある土地だと思います。
僕もそのうちの1人でした。学生時代から、Facebook、Twitter、Airbnbなど、世界中で愛されるプロダクトが生まれるこの土地に、そしてそれを作る起業家に、心から憧れていました。
Blogger、Twitter、Mediumの3社の創業者であるEv Williams。TwitterとSquare2社を上場させたJack Dorseyなど。このような起業家の存在を知り、率直に、かっこいいなと思いました。彼らは、日本の起業家・経営者であれば誰もが憧れる、孫さんや三木谷さんとは、また違った魅力を持っていました。前者はプロダクトに哲学を持っており、後者は経営に哲学を持っている印象でした。
自分も彼らのようなプロダクトを作る側の1人になりたい。自分は日本に居る限り、ずっとサンフランシスコやシリコンバレーに憧れ続ける。そう思い、大学を卒業後、英語もろくに話せない、貯金もコネクションもないという状態で米国に渡りました。
渡米後の1年間
渡米直後は、右も左も英語も分からず、どこから手をつければ良いのかという状況でした。幸運なことに、連続起業家で、今では僕の兄貴分であるKiyoさんが、KDDIに会社を売却後、次の挑戦の場を米国に移したのと同じタイミングで僕が渡米したため、よくかまっていただきました。
Kiyoさんのアドバイスで、TechHouseというスタートアップ向けのシェアハウスと、TechWatchというインタビューブログをはじめました。
シェアハウスは、安価な住居を確保することで、少しでも長くSFに滞在するため。ブログはローカルの起業家や投資家に少しでも多く知り合いを作ることが目的で、その間に知見を深め、米国で取り組むアイディアを決めようというのが狙いでした。
結果、シェアハウスには、200人以上の人が滞在し、当時は日本のスタートアップ関係者にとって、ベイエリアでの入り口的な役割を果たせていたのではないかと思います。また、ブログでは、100人以上の起業家や投資家に出会うことができ、そのうちの何人かは今でも交流があり、友人と呼べる仲になりました。
共にシェアハウスを運営してくれた、長谷川(現在SFでラーメンEC)。共にブログを執筆してくれた、当時East Venturesのアソシエイトであった武田くんと杉山くん。そして、両方をサポートしていただいたEast Venturesの太河さんにはとても感謝しています。
1年間SFで生活をしたこと、またローカルの友人が増えるにつれて、来る前までは雲の上の存在であった、シリコンバレー、サンフランシスコが、段々と身近なものに感じられ、自分もこの地でできるのではないかと徐々に思えるようになりました。
なぜサンフランシスコなのか
渡米後の1年を通じて、「世界中の人々に使われるプロダクト」を作るには、サンフランシスコが世界中で最も適した場所だと思うようになりました。
世界中から潤沢な資金が、スタートアップ投資に集まるという側面もありますが、資金だけに関して言えば、中国やサウジなど、莫大な額が動いている場所は他にもあります。
ですが、「次のUberやAirbnbの作り方」という問いに対する知識やそれに答えられる人材が集まる場所は、世界中でここ以外にありません。
GoogleやFacebookを作ってきた経験のある人材が、UberやAirbnbを次の世界的なプロダクトにするのを助け、またその人材が、創業、投資、開発、グロース、デザインなど、あらゆる分野を通じて、次のUberやAirbnbを生み出すのを助ける。このサイクルにより生まれた人材の層の厚さと、そこに集積された知識量が他の比ではないと感じました。
やはり、世界中で使われるプロダクトを作るならここしかない。そう心に決め、この地での創業を選びました。
当時は、コネクションもない、英語も話せない、そんな自分がどこまでその知識や人材にアクセスできるかは分かりませんでしたが、やれるという根拠のない自信だけはありました。身の程知らずも、リスクが取れるという意味では良いのかもしれません。
日本でやれば良いのに
起業前は、「米国で成功するのは無理だ」「日本でやれば良いのに」「シリコンバレーの空気を吸いたいだけだ」と、米国での起業に否定的な意見を言われるのがほとんどでした。その度に、結果を出すまでは、彼らが正しい、自分が世界中で使われる良いプロダクトを作り、それに対して答えを出していくしかないなと、気を引き締めました。
一方で、一部の投資家・先輩起業家の方々が、僕の挑戦を信じてくれ、投資を通じて、米国でプロダクトを作るチャンスを与えてくれました。この投資の温かさは今でも忘れません。
First Believer
資金調達を経験したスタートアップの創業者にとって、一番最初に創業者を信じて、チェックを切ってくれた人(First Believer)への恩は忘れられないものがあると思います。ましてや、ディスアドバンテージの多い米国での起業となると、尚更です。
僕のFirst Believerは、Kiyoさんでした。同席していたミーティングの合間に「何かアイディア思いついた?ピッチしてみて。」と唐突に言われ、当時考えていたHotelTonightのAirbnb版のアイディアを話したところ、「それいいね。(資金)出すよ。今日会社にしよう。弁護士を紹介するから。」と。Kiyoさんの常軌を逸したスピード感にされるがまま、気付いたら自分の会社ができていた記憶があります。
East Venturesの太河さんは、VCで1番最初に僕を信じてくれた人です。ディスアドバンテージの多い、日本人ファウンダーの米国起業に対して「内藤はできると思う」と二つ返事で投資をしていただいたのを、今でも鮮明に覚えています。
太河さんと知り合ってから3年以上経ちますが、この人は僕の知る限りでは、間違いなく日本で1番のアーリーステージの投資家です。そして、僕が世界で1番の投資家にしたいと思う1人です。
他にも、何もなかった僕にチャンスをくださった、朝倉さん、國光さん、健さん、佐藤さん、進太郎さん、千葉さん、森川さんには、感謝で頭が上がりません。
失敗の瞬間
会社を始めて2年間、肝心のプロダクトは散々でした。はじめに作ったプロダクトは、Airbnbのラストミニッツディール(HotelTonightのAirbnb版)で、Airbnbで売れ残った在庫を、直前割引として安く販売できるマーケットプレイスでした。ですが…
・他のプラットフォームに依存し過ぎる
→ローンチ1週間後にAirbnbにバンされる
・ホストの獲得コストが高すぎる
→1室の獲得コストがホテルの比じゃなく高い
・ホストの使用頻度が低すぎる
→良い部屋であればあるほど、売れ残らないため、部屋を出してくれない
などの理由が、事業として致命的で、事業の可能性の低さを認識した段階で、このまま続けるか、プロダクトを変えるかの選択をする必要がありました。
心の中では、既に自分のプロダクトを信じられなくなっていましたが、当時は、まさか自分が事業を変えるなんて…、というくだらないプライドがあり、自分の失敗を認められず、事業が構造的にきついという現実を直視できずにいました。また、まだ何か打ち手があるのではないかという気持ちもあり、意思決定を先延ばしにしていました。
そんな自分を動かしたのは、Kiyoさんからのこんな言葉でした。
「起業家にとって最も大事なものは、起業家自身が信じているものの大きさと深さだ。さとるの信じているものに、顧客も、人材も、投資も集まる。起業家が信じているものが大きければ大きいほど、深ければ深いほど、優秀な人材や資金が集まる。アーリーステージの起業家にとって、それが全てだと言っても過言ではない。もし、さとるが今のプロダクトを少しでも信じられないのであれば、それはすぐにやめるべきだ。」
その言葉が、とても腑に落ちました。
自分自身が世界中で誰よりも、そのプロダクトを信じられるか。その問に、当時の僕は、はいと答えられませんでした。
また、Kiyoさんは「さとるは大きな事業を作りにここに来たんでしょ? 今の事業はうまくいけば数十億円で売れるかもしれない。でも本当にここでそれがしたいのか、一度考えてみて。後はさとるの選択だよ。」と続けました。
この瞬間が、僕が1度目のプロダクトを失敗した瞬間でした。
自分が自分自身のプロダクトを信じられなくなった時点で、またその事業がAirbnb以上のものにならないと分かった時点で、これを続ける意味はない。自分が心から信じられるプロダクを見つける、そこに妥協はしない。そう心に決めて、一度目のプロダクトを閉じました。
次のAirbnbの見つけ方
それからは、自分が心から信じられるもので、かつ次のAirbnbになるような大きな事業。その見つけ方を毎日考え続けました。
これについては、AirbnbやDropbox、Stripeなどの数々のホームランを生み出した、Y Combinatorの創業者、Paul Grahamの『ブラック・スワン農場』がとても参考になります。起業家・投資家を問わず、必読のコラムです。
彼はコラムで、以下のように言及しています。
この問題は「最高のアイデアは最初はダメなアイデアに見える」という事実によって、いっそう難しくなる。私はかつて、このことについて書いた。もし良いアイデアが誰から見てもよいアイデアなら、既に他の人がやってしまっているだろう、と。だから良い投資家は、周りのほとんどの人から『どこが良いのかサッパリわからない』と言われるようなアイデアに取り組むものだ。こう言ってしまうと、成果が見える時点までの行動は、『狂気とは何か』の説明と大差ない。
PGは数々のコラムの中で、Facebook、Microsoft、Airbnb、Dropboxなどのプロダクトも、最初はダメに見えたり、おもちゃに見えたと言及しています。
更に難しいのが、9割のプロダクトが実際にダメなままで終わる。そして、それがうまく行くかどうかは、誰にも(PG程の投資家でも)分からない。まさに、狂気の世界です。
PayPalマフィアの代表格であるPeter Thielも『賛成する人がほとんどいない、大切な真実』と言葉を変えて同様のことを言っているので、これはあながち間違いではないと思います。
2人の主張を自分なりの言葉に変えると、「多くの人に理解されないが、自分だけが信じられるなにか」を見つけることが、大きな事業を探す上で重要なのだと思います。
言葉で言うのは簡単ですが、これを実行するのは、ものすごく精神的負担が強いられます。人から理解されないものを自分の生業にしていくのですから。
僕はつくづくAirbnbの創業者が、著名投資家や起業家の仲間から「見ず知らずの人の家に金を払って泊まる人などいない。ダメなアイディアだ。」と否定され続け、よく途中で心が折れなかったなと思います。
彼らには、「賛成する人がほとんどいない、大切な真実に気付き、たとえそれが他人からはダメなアイディアに見えても、信じ続けられるなにか」があったのでしょう。
大きな事業を作るには、彼らがどのようにその信じられるなにかを見つけたのか、を自分の中で具体的にする必要があるのですが、中々腑に落ちる答えが見つかりませんでした。
狂気の2年間
1度目のプロダクトを畳んでから2年間、様々なプロダクトを試してきました。いくつか例を上げると、中古家具レンタル (Airbnbの家具版)や、旅行中の空き部屋を交換して無料で滞在ができるAirbnb for swappingのようなプロダクトです。
当時、Move Lootという家具の質屋的なマーケットプレイスが、First RoundやGoogle Venturesなどの著名投資家から累計$20M以上を調達し、界隈で話題になっていました。これを、購入ではなく、所有しないという形にしたら、もっと便利なのではないか。という考えで中古家具のレンタル事業を試したのですが、ユニットエコノミクスが働かないということで断念。その後、Move Lootも華麗に潰れました。
部屋を交換するアイディアも、仕組み的に等価交換が難しいのと、旅行するタイミングが一致する確率はめちゃくちゃ低いということで断念。貨幣は便利だなと再認識しました。
これ以外にも、多くのプロダクトを試してきましたが、自分自身が心から信じられるものは中々見つかりませんでした。
自分が心から信じられるプロダクトがない期間は、形容し難い苦しさがありました。事業は起業家の存在意義です。野球選手でバッターを名乗っているのに、振るバットがない。そんな状態が続きました。
その間は、自分がやっていることを人に話すのがとても恥ずかしく思えました。今は何をしているの?と聞かれても、自分のプロダクトの話をしたくない、自分を騙してまで言えるものがありませんでした。
投資家の1人である進太郎さんは、SFを訪れるタイミングで、よく食事に誘ってくださったのですが、僕は会う度に違う事業の話をしていた記憶があります。
そんな、見当違いな事業をコロコロと変えている自分が情けなく、もう人に何を話しても信じてくれないのではないかという恐怖さえ感じる日々でした。
胸を張ればいい
そんな中、僕を支え続けてくれたのは、Kiyoさんの言葉でした。
Kiyoさんは、いつも「難易度の高い挑戦をしているのだから、胸を張れば良い」と言ってくれました。この言葉に、僕はとても支えられました。夜、その言葉を思い出し、涙が流れる日もありました。
また、Kiyoさん自身が僕にかけてくれた言葉を1番体現しています。日本でのエグジットで、働かないでも生きていける資産も、日本での実績も手に入れました。Kiyoさんにとって日本は居心地の良い環境だったはずです。
ただ、それで満足せず、次の挑戦の場を米国に移し、日本での実績や経験がほぼ活きない環境で、日々挑戦しています。そんなKiyoさんの生き様を見て、この人には敵わないなと、心から思いました。僕が、最も尊敬する起業家です。こういう人が、最後に大きな結果を残すのだと思います。
いつか自分が心から信じられるプロダクトを米国で見つけるまで、諦めずにやり続けようと、踏ん張れたのは、Kiyoさんの支えがあったからです。
プロダクトの見つけ方
2年間探しに探して、自分なりに腑に落ちた、プロダクトの見つけ方は、「自分が欲しいが、まだ世の中にないもの」です。
これも、Paul Grahamが彼のコラム『How to Get Startup Ideas』で言及していたことでした。2年間の経験を通じて、彼の言葉が、自分の中で腹落ちするものになりました。
スタートアップのアイデアを得るには、アイデアを「考えてはいけない」。必要なのは問題を探し出すことだ。そしてあなた自身が抱えている問題であるほうが好ましい。これはMicrosoft、Apple、Yahoo、Google、Facebookにも共通するものだ。
考えて出したアイディアには、「ユーザーはこれが欲しいに違いないと」自分自身を思い込ませてしまう危険性があります。そして、その思い込みを前提に、ユーザーが欲しいかどうかを置き去りにして、ロジックを組み立てるので、その結果、「すごく納得はできるが、実は悪いアイディア」が生まれてしまいます。スタートアップあるあるです。
振り返ってみると、僕自身も、作ってきたいくつものプロダクトは、スタートアップのアイディアを考えようとして思いついたものばかりで、自分が欲しいものではありませんでした。1番最初のプロダクトで言うと、AirbnbとHotelTonightの組み合わせは新規性があり面白いのではないかといった間違った思い込みを前提にプロダクトを作っていました。
「自分が欲しいが、まだ世の中にないもの」これも言葉にするのは簡単ですが、これを見つけるのはかなり大変です。自分が心から欲しいものって、意外と自分自身ではよく分かりませんし、ほとんどの市場は既に最適化されており、大体の問題は既に誰かが解決しています。
逆に考えると、自分が欲しいが誰もそのニーズに気付いていないという発見は、市場がほとんど最適化されている環境で、最も正解に近いアイディアが見いだせる数少ない方法なのです。
また、モチベーションの持続という面でも、ゼロからイチを作る上で、自分が欲しいものを作ることは重要だと思います。短期的に会社を売ることを目的にする場合は別として、大きな事業を比較的長い期間をかけて作っていく場合、自分を騙して欲しくないものを作り続けることはできません。
先述した、Airbnbの創業者がなぜ、「ダメに見えるアイディア」を周りから否定され続けても諦めなかったのかというのも、創業者自身がホストの経験から、人は他人に部屋を貸すし、他人の家にも泊まるという事実とその価値をいちユーザーとして確信していたからだと思います。
ニッチで終わるか、大きくなるか
9割のプロダクトが実際にダメなままで終わる中で、一部のプロダクトが、ニッチから大きな事業になるための抜け道を見つけてきたと、PGは指摘しています。しかし、その抜け道があるかどうかは、誰にも分からない、ただ、Apple, Microsoft, Facebook, Airbnbなどの全てのプロダクトは、すべからずニッチから始まっているとも言及しています。
これに関しては、究極、後付でしか分からないことなのかもしれません。とは言え、起業家である以上、運任せで事業を決められません。
考え方としては、「自分が欲しいが、まだ世の中にないもの」というアイディアの起源に「人々の行動/思考の変化」もしくは「技術の変化」などの大局的な変化が組み合わさることで、大きな事業になるかどうかが決まるのだと思います。
これは、多くの人が言う「トレンド」とは異なります。トレンドとは既に顕在化されているもので、AirbnbやUberの創業者が事業を始める際に、「これからはシェアリングだ!」「全てがオンデマンドになる!」と思い立って事業をはじめたわけではありません。
「彼ら自身が欲しかったが、まだ世の中になかったもの」、に「行動or技術の変化」が、がっちりハマり、大きくなった時に、それがトレンドと呼ばれるようになるのだと思います。
Airbnbの場合は、「家賃が払えないので、空き部屋を旅行者に貸そう」といった創業者自身のニーズから始まり、それと「安い/便利なら、人の家に宿泊しても良いじゃん」という人々の思考の変化ががっちりハマりました。
Uberの場合は、「タクシー拾うの辛すぎ」といった創業者の不満から始まり、それと「スマートフォンの普及」という技術の変化ががっちりハマりました。
とは言え、これも振り返ってみて、はじめて分かること(大衆が理解できるレベルになること)なので、ゼロからイチを作っている最中の創業者は、周りからみると狂気そのものなのだと思います。
欲しかったもの
ある日、米国での生活で、自分が当たり前に受け入れているが、思えばすごく苦痛に感じていたことに1つ気付きました。それは「賃貸」でした。
渡米から3年間、何度か引越しを経験したのですが、今の賃貸の形ってすごく辛いなと感じました。主に、1)契約期間と2)引越しの手間です。
米国の場合は1年契約が求められるのが一般的で、早期の退去には違約金が発生します。なので、契約期間内の引越しの場合は、皆CraigsList(米国大手の掲示板)のSublets (個人間の賃貸の又貸し)を利用していますが、膨大なコミュニケーションを要するので、めちゃくちゃ手間がかかります。また、大家さんにバレないかといった精神的な負担も大きいです。
それと、引越しに手間がかかってすごく辛い。家具の移動や水道・電気・インターネットのセットアップなど、出入りするのにかなりのエネルギーとコストを必要とします。僕は1年未満に引っ越す機会が多かったので、もっと柔軟な契約期間で簡単に引っ越せる方法はないものかと思っていました。
そこで、ふと思いついたのが、ホテル住まいです。ホテルは家具付きだし、水道・電気・インターネットのセットアップも要らない、契約も月借りができる。ホテルを通じて、柔軟な住居を提供できるのではないかと。
ホテル住まいは割高な印象がありますが、Airbnbの台頭により、一部のホテルに空室が生まれているのであれば、それを安く貸して貰えるのではないかと考えました。
そこで、我々は、1)ホテルが安く部屋を出してくれるか。2)ホテルに住みたい人がいるか。の2つを検証してみることにしました。
まずは、サンフランシスコ市内の全てのホテルへ電話をかけました。すると、いくつかのホテルがOKを出してくれ、$1,600/月で貸しても良いと言ってくれました。SF市内のアパート(1ベッドルーム)の平均の値段が$3,000以上するので、これは破格の値段です。
次に、自分以外でホテルに住みたい人がいるかどうかを検証するため、ホテルのリスティングをCraigsListに投稿し、問い合わせがくるかどうかを確かめました。結果、1人の男性が、長期で住みたいということで、入居が決まりました。これはいける!と感じた瞬間でした。
こうして半年前にはじまった、ホテルを賃貸できるプロダクトは、今では、累計で100人以上のユーザーがホテルに滞在し、月間の流通総額では$100Kが見えてきました。自分自身もホテルに住んでいます。
「人々の行動/思考の変化」という点では、Airbnbが宿泊(Stay)と居住(Live)の境目を曖昧にしたことが我々にとっての機会であると考えています。Airbnbのユーザーが「宿泊するのって、別にホテルじゃなくて、人の家でも良いじゃん」と考える一方で、逆に「住むのって、別に家じゃなくて、ホテルでもいいじゃん」と思える人が存在するのではないか。
Airbnbはあくまで、短期宿泊にフォーカスし、「住むように宿泊する」がプロダクトのコアですが、我々は逆のベクトルから「宿泊するように住む」を実現できるのではないかと考えています。
また、この半年間、ユーザーを通じて分かったことは、ユーザーにとってホテル自体が重要なのではなく、契約期間、家具、引っ越しなどの手間を考えずに、どこでも一定の質の生活が始められること、言い換えると、宿泊するように暮らせること、が彼らの求めているものだということが分かりました。
長期契約と引越しの手間がなくなれば、人々の住むという概念は変わるのではないのか。これが我々が挑戦する問いです。
こうして、ようやく自分が信じられるプロダクトが見つかりました。
Jason Calacanis氏からの投資
米国の会社としてやるからには、米国の著名投資家からサポートを受けたい。そう考えていると、ある日、Kiyoさんが、Uberの初期投資家でLAUNCHの創業者であるJason Calacanisが、彼が新しく始めたアクセラレーターで、投資先を探している趣旨をツイートしていると教えてくれました。
ダメ元で、メールにてピッチをしてみると、
と、返信がきて、直接会うことに。
彼は、米国で実績もコネクションもない僕らに、『寿司なら銀座だ!』と言って、投資を決めてくれました。こうして彼が米国で初めて僕らを信じてくれた人になりました。
Jason Calacanisと言えば、This Week In Startupsが有名で、Paul GrahamのコラムとJasonの番組を見て育ってきた僕としては、彼から投資を受ける日が来るとは思ってもいなかったので、感慨無量です。
2年間やってきて、初めて米国の会社として認められた気がしました。そして、ようやくこの地でスタートラインに立てた瞬間でした。
彼は今までに、UberやThumbtack、Evernoteなどの、後にユニコーン(評価額1000億円+)と呼ばれる幾つものスタートアップに投資をしてきました。僕の会社が、彼のもうひとつのユニコーンになり、何としてでもこの御恩を銀座の寿司と共に返したいです。
良いプロダクトを作る
2年間の苦しみは、自分の実力不足や、甘さが原因なので自業自得です。ただ、この地で会社をはじめて本当によかったなと思います。実績がなくとも、英語ができなくとも、やり続けていれば、スタートラインには立てました。
ステージが上がるにつれて、苦労することも増えると思いますが、この地で結果を残すまでは、祖国の地を踏まない気持ち(用事があれば帰りますが)で、精進していきます。
また、2年間苦しい中、諦めず共に戦ってくれた共同創業者の田中には心から感謝しています。
3年前、僕がサンフランシスコに来る前に持っていた、この地への憧れと根拠のない自信は、今もまだ不思議と残っています。
まだまだ、Ev WilliamsやJack Dorseyの背中は遠いですが、彼らと肩を並べられるその日まで、胸を張って良いプロダクトを作っていこうと思います。