こんにちは、たけのこです。
最近、何かと出てくる「フェイクニュース」や「オルタナティブファクト」、「情報操作」。
私たちは何を信じて、何を疑えばいいのか。
情報社会が進めば進むほど、個々にそれが問われているように感じます。
今回は真実について思うを書きたいと思います。
都合が良いものを真実と思う危うさ
嘘と真実ともう一つの真実
まだ記憶が新しいところで言えば、DeNAのまとめサイトが根拠不明の医療情報を掲載していたとして、10のサイトを閉鎖しました。
また、トランプ大統領就任式でスペンサー報道官が「就任式に集まった人数は史上最大だった」という発言に事実と違うという批判が相次ぎました。
批判に対して、コンウェイ大統領顧問は、「オルタナティブファクト(もうひとつの真実)だ」と反論しました。
こうした、メディアでも話題になるフェイクニュースや何が真実かわからなくなる情報は、私たちの身近なところにも潜んでいます。
食品の表示や、企業の不正、ネットの情報、広告…目にする情報の多くがそういったものになっているかもしれません。
あなたが見ている情報や、信じているものは本当に正しいものでしょうか。
あなたは何を持ってそれを正しいものと信じますか?
会社に入って見えてきたもの
学生までは見えている情報には真実と嘘があり、嘘を見抜く力が必要という事しか考えていませんでした。
しかし、会社に入り私は一つの真実に対して5つも6つも「もう一つの真実」を作っていました。
それは、私自身が持っている情報が真実でありながら、外へ展開していく情報を戦略的に「もう一つの真実」に変えていたのです。
それが嘘かと言えば決して嘘の情報を提供していたわけではありません。
視点を変えてみればそういう見方もできると、論理的に説明がつく範囲での「もう一つの真実」を作っていたんです。
嘘ではないし、真実か問われれば真実です。
でも、本当の真実ではない。
もしかすると私が掴んでいる本当の真実が、違っているかもしれないんですけどね。
そうなると、もうわけわかんなくなってきます。
私の仕事だけでこれです。
同じような境遇の中で、仕事をしている人もいるのではないでしょうか。
「もう一つの真実」のためのストーリーを作り上げる
私の仕事では「もう一つの真実」を作り上げるときに、必ずそれに合わせたストーリーを組み立てます。
自分が発信する情報を、相手に真実と思わせるためですね。
どういった情報を組み合わせれば、相手に疑いをもたれず、真実と思い込ませるかを考えるのです。
疑いを持たれたとしても、二重三重の防壁を用意してをおくことで、本当の真実にはたどり着けないようにストーリーは構成されます。
そうすると「もう一つの真実」が、相手にとっての本当の真実に変わっていくのです。
そのための、ストーリー。
物語作りなのです。
一度信じると都合よく解釈してしまう
人は新しい情報に対峙したときに真偽を疑うかもしれませんが、それが本当だと信じた途端、都合の良いところだけを見るようになるところがあります。
信じさせてしまえば、目につくところや、都合のいい情報しか見えなくなるのです。
もし疑いを持ったとしても、ストーリーから外れないような策を仕込ませるので、都合のいい情報から逃げられないんですよ。
テレビで納豆がダイエットに役立つと放送されれば、スーパーで納豆が売り切れるようなものです。
人は真実よりも、自分の欲しい情報を求めているのかもしれませんね。
本当の真実なんて誰にも分らない
こんな仕事していると、目に見えているもの、聞こえてくる情報がどこまで本当か信じられなくなります。
もう真実なんてどこにもないんじゃないかって。
世の中は脚色された「もう一つの真実」で回っていて、真実はあってもそれは誰にもわからないのではないかと思います。
ずいぶん前に見たドラマで次のようなセリフがありました。
「私たちは神ではない、真実なんてわかるわけがない」
今の社会、大量の情報を得ることで真実を知ったつもりになりがちなのですが、実際のところ誰かの作ったストーリーの上を歩かされていて、現実に盲目になっているんじゃないかな。
想像力を働かせ疑い続けること
私が伝えたいことは、人とのコミュニケーション、TV、ネット、雑誌等の情報を考えずに真実と捉えることが如何に危険かということです。
脚色されていない真実なんてどこにもないと思います。
では、何を信じましょう。
一番は自分の目で確かめることですが、何もかもそうすることはできません。
私は情報に対し「想像力を働かせ、疑い続けること」が大切だと思います。
マクロやミクロに物事を見たり、視点を変えてみる、ここで言っていることは本当なのか疑ってみる。
案外、一瞬でバレるような嘘に騙されていることは多いものです。
統計やグラフなどは騙されやすいですね。
なぜそうなのか。
繰り返し考えることが、真実に近づくための方法だと思います。
人に考えられたストーリーの上を歩くことを止めるには、自分の頭で考え続けることではないでしょうか。