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政権延命の為の火遊びを、止めろ

 投稿者:ミネルヴァの梟
 投稿日:2017年 9月11日(月)12時17分30秒
昨日は北海道で地震。震度4。

来月の本幹は北海道と、発表しただけで地震が起こるとは、何とも凄まじい原田執行部の害毒だ。(笑)
これだけ連続して、宇宙にまで異変が起こるのを、仏法者なら、ただの偶然で片付けるべきではないだろう。

安倍内閣の支持率が不支持率を上回った様だが、調査したのはNNN、日テレ読売系だ。

3K、ゴミ売り、犬HK と呼ばれるアベ友三羽ガラスの中の一角。
安倍内閣の、御意向に沿うような報道しかしないので、その分を差し引いて見るべきだ。

前回調査から1ヶ月。その間に安倍内閣が何か良い事をしたかといえば、何もしていないではないか。
ただひたすらに、国民が数々の悪事を忘れるのを待ち、更に目をそらす為に北の危機を煽ってきただけだ。

なのに、この時点で支持率が回復するとしたら、日本国民は馬鹿だからどうせすぐ忘れる、という政府の考えが正しいと証明する事になってしまう。

もう1ヶ月経ったから、もうそろそろ支持に戻していいか~とか、北朝鮮を軍事力で叩くべきだ!とかの、馬鹿げた理由で、あの政権を支持するのは非常に危険な事だ。

戦争が始まれば、最悪日本にも核ミサイルが飛んで来るという事を、覚悟して言っているのだろうか。
日本にミサイルが飛んで来なかったとしても、韓国のソウルは30分で火の海になり、100万単位で人が死ぬ。
他の国だからいいのか?

北朝鮮問題の解決策として、対話を望む人は29.4%   それに対し、武力行使を望む人が10.6% も居るとは驚きだ。

よほど死にたいのか、戦争になっても自分は死なないと思っているのか、とにかくひどい平和ボケだ。
戦争というものを、まともにイメージする事すら出来なくなっているのだろう。

全面戦争になれば、100万どころか死者は1000万単位かそれ以上。中、ロが参戦する様だと、第三次世界大戦さえ起こりかねない。
自衛隊も米軍に従って参戦。中国も北朝鮮との軍事同盟に従って参戦。
日本の米軍基地や原発を狙ったミサイルも飛んで来る。

武力行使を支持した10.6%は、いったい何を考えているのだろう。無責任極まりない人達だ。


国連安保理の北朝鮮制裁決議が、今日にでも採決される。

おそらく中・ロは賛成しないか、賛成しても石油は止めないだろうと予想される。
かつて日本は、石油を止められて太平洋戦争に突っ込んで行った。

対話による解決しかないと言う、プーチン氏に頑張ってもらいたい。
圧力圧力、制裁制裁、としか言わない日本の首相が、私には軽薄な馬鹿に見えてしょうがない。

 

再選択

 投稿者:飛翔こそ蘇生
 投稿日:2017年 9月11日(月)11時45分37秒
同じことを学び合う
または、同じ目的をもって活動していく。

まずは、実際に身近に
集い合う地域の仲間がいる。

そこで得たエネルギーを
家庭へ、仕事へ、社会へと還元していく。

そこで、病気や、種々困難があった時
実際に学んできたこと

例えば病気の寛解や全治が実現化する。

その蘇生円満を実現する世界が
対話によって相乗的に開かれる。

そういう力ある在家の信仰の団体。

初めからアカデミックなだけでは
そういった大衆の中で広がっていくものでは無いし

いざ、大きな社会システムに対した時
大衆的なだけでは
根本的な、大衆の不満を解決するものにならない。

深い仏法哲理と
世界に開かれた対話(識者との対談)によって
両面を高いレベルで実現した
真の21世紀にあるべき信仰を体現した団体。

その自分たちの活動によって得た票で
民衆の代表として政治家に代弁してもらう。

こういった理想像が
池田先生の下で実現していた

と、思い込んでいた。

つまり、世間の人びとのつながりは利害によるものだが
我々の信心の世界は、そんなものは寄せ付けない
美しく、民衆に利を与え、大いなる善であると。

民衆の声の代弁者であるはずの議員たち
民衆の幸福に奉仕するはずの幹部たちは

「さぁ、与党入りした!
今こそ我らの理想の実現を!」

というところで
蓋を開けてみると

とうの昔から
寄せ付けないはずの利害に汚れ
醜く、民衆を害する、大きな悪に膨れ上がっていた。

民衆の多くも、学び合っていたつもりで
全く、その場その場の事として聞いていただけで
自ら行動を起こすということが出来ず

新たな「その場において正しいこと」を
幹部の言葉、本部の打ち出しに求め上書きする。

これはむしろ、民衆が権威を生み育てるような
危険な構図である。

池田先生はこのことも
厳しく教えて下さっていたというのに、

ああ、なぜ何も成せずに
ここまでになってしまっているのか。

どこかでベクトルが間違って

「迷い」を自身の信仰で
悩み考え行動し体感して解決するのではなく

まるで「悟り」がそこに存在して
絶対的な言葉として発されているような

自身の外にある「言葉」への「隷属」の構図になっている。

創価の中で
誰の言い分が正しく
誰が間違っているのか。

その互いの疑い合いだけでは
視野は狭くなり

バイアスとして働いて抜け出せない。

自分のことだ。

外に視野を広げ
内に心を掘り下げて

この一念三千を自身の事として
一人ひとりが
その住む世界を改革するのだ。

あなたは一人立てば、
勝利者への道を必ず歩めるのだ。

本当には何が必要で
何が必要ないのか
もう一度選択するのだ。
 

大きな声でマスコミを使って叫ぶと真相が隠せる?・・

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール
 投稿日:2017年 9月11日(月)11時08分21秒 編集済
ロシアが演習を行うと、大きな声で世界に叫ぶ納豆、違ったNATO

ロシアの演習は我らの防衛力のテストだ~ 、我らへの挑発~

https://www.bloomberg.com/news/articles/2017-09-10/russian-war-games-aimed-at-provoking-west-u-k-s-fallon-says

だそうです。

Natoはゴルバチョフとレーガンの約束を無視、Nato兵力・ミサイルはロシア国境まで進出済み・・

今でもウクライナを動かし、ロシアを挑発し続ける納豆(Nato)・・

太平洋岸では北方領土を返せ~、そこに米軍ミサイル基地を狙っている・・

アジアで米韓大軍事演習を頻繁に行い北朝鮮を圧迫・・

イラク・シリア・リベリアの悲劇を見た北朝鮮

国防衛のために核兵器開発をせざるを得ないが・・

ミサイル発射実験をすると、それを挑発という・・

この北朝鮮が日本だったらどうであろうか?

太平洋戦争前のように・・

経済封鎖、日本への石油輸出禁止、艦船製造に対する海外からの禁止条項

想像できるだろうか、今、日本がアメリカから見放され、もちろん、韓国も敵対視

そこに、ロシア・中国が見本近海で日本攻撃を想定しても大規模演習を何度も・・

ただ、各国からの要求を飲むだろうか

まずは、考えよう、北朝鮮の立場に立って・・

問題解決はそんなに難しくないはずだが・・・

ミサイルを売りたい、権益を吸いたい連中、北の豊富な地下資源を狙う連中は

そうは言わない、そうさせないのである

彼らの最終の狙いはロシアと中国・・

「半月のユーラシアを征服するものは世界を征服する」と言った

ブレジンスキーの亡霊を継承する輩・・(彼は最近亡くなった)

戸田先生が言われたように、全ては経済・資源をめぐっての紛争・・

怪物は北朝鮮の外、また、その惡の一部は我らの内・・にあり

そこに、祈りの焦点を・・


**ユーラシアの半月地域とは
中国、キルギスタン、タジキスタン、アフガンなどの中央アジアから、中近東、
コーカサス、ロシア南部、ウクライナ地域をさす。
そこには未開発の豊富な天然資源・・
詳しくはインターネットで・・・










 

アイルランドに平和を

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2017年 9月11日(月)10時43分53秒
ゴルバチョフが自ら先に核兵器を削減し始めた時はかつてない衝撃があった。入信前だ。
互いに銃を突きつけ合って、自分から先にその手を降ろす勇気。刑事ドラマや映画でたまに目にするが、実際その場面に直面したら……とてつもない勇気が必要だ。ゴルバチョフはそれをやって見せたが、その決断が容易でなかったことは想像に難くない。

種類は違うだろうが、あの冷戦以上に、人類にとって危険な時期はあっただろうか。
それでもその困難を乗り越えたことを、今こそ思い出したい。

私はゴルバチョフを、20世紀を代表する英雄と思うが、彼一人だけではない。
聞くところによると、作家でゴルバチョフの盟友のチンギス・アイトマートフが「貴方と同じくらい偉大な人物が2人いる。ネルソン・マンデラとダイサク・イケダだ」と会わせたのが、あの池田先生との友情の始まりだそうだ。ゴルバチョフはMr.ダイサク・イケダとの対談を率直で素晴らしかったと『ゴルバチョフ回想録』に書き残している。

「このベルリンの壁も30年ともたない」と、池田先生の言われた通りになったと知らされた時は驚いた。もちろん入信後だ。中学の社会科先生が「我々の生きている間は無くならない」と言っていたことが印象深く残っていたからだ。

これも全て池田先生のお陰とは言わない。しかし、あの困難な時代を突き抜け……そして今の世界、特に日本の実情を見ると、「全て池田先生の生命力次第」に見える。

自分の無責任を棚に上げて言うのが私の良い所だ。
……なのに、2010年以降、池田先生の生命力低下に比例して、日本・世界の立正安国が崩れ、広布が逆転、不幸が進んでいくのは「結局ソウカガッカイてダイサク・イケダしかいなかった」「他はショボかった」「ロクな弟子はいなかった」と思わざるを得ない。

あの冷戦以上に厳しい時代はない。昨夜の『NHKスペシャル スクープドキュメント 沖縄と核』<再放送 2017年9月20日(水)午前0時10分~0時59分(19日深夜)>を見て、あらためてそう思った。いつ世界が破滅しても不思議ではなかったのだ。沖縄は完全に侵略状態だった。今も人質にとられ、軟禁状態だろうか。
種類は違うだろうが、あの時代に比べたら、池田先生の死闘と比べたら今の危機はマシだ。

問題はひとつ。「ダイサク・イケダがいない」ことだけだ。この問題を解決すればあとは何とかなる。リトル・イケダを如何に増やすか。これまで出来なかったことだ。ビット・イケダかも知れない。縮小型であったとしても「相似形」であればいい。確かに問題は数多くある。しかし「道、遠くてもそれしかない」。(映画『人間・池田大作』)

今日は「9・11」。

“アイルランド(SGI)をアイルランド人(SGIメンバー)に返そう 彼らの国が奪われるのを許してはならない 今すぐアイルランド人(SGIメンバー)に返すんだ”
“大英帝国(日蓮世界宗)よ、おまえは大変なことをした でも誰もその事を知らない この僕と同じように…”
“海の向こうで、おまえは大変な事をやらかした”

“大英帝国、そして誰もが人間は自由と言っている”
“だけど、海の向こうでは僕に似た顔をした人が 神と国家を夢に描き、最低の思いをしている”
“牢屋の中に座っている 何もせずひれ伏せというのか? あきらめろというのか? それとも発狂しろということか?”
“アイルランド(SGI)をアイルランド人(SGIメンバー)に返そう 彼らの国が奪われるのを許してはならない 今すぐアイルランド人(SGIメンバー)に返すんだ”
『アイルランドに平和を』ポール・マッカートニー&ウイングス
https://www.youtube.com/watch?v=r0zGVVcsbPg
 

改めて・・

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール
 投稿日:2017年 9月11日(月)10時14分10秒 編集済
透徹したトインビー博士の中国に対する明晰な分析と予測に感銘・・

まさに、その通り、中国・世界は動いています・・

それを引き出した先生・・

まなこ様も、毎日、本当にありがとうございます。

できれば、もう少し、一回ごとを短くしていただければ・・・

(すみません勝手で・・まなこ様の労作業に心から感謝しています)

また、テヘラニアン博士と先生の対談も凄い・・

(鈴之助様の労作業に感謝)

次第に佳境・・テヘラニアン博士が、仏法に近づいてきた所に差し掛かってきたのでしょうか・・

しかし、スーフイニー・イスラムも凄いですね、

私の友人に仏法の説明を幾度かした際・・

(・・互いの教えの勉強です・・人間としての・・)

仏法の教えを説明すると、相手がそのような話イスラムにもあるのでよくわかる・・と・・

例えば同生同名天の話

イスラムの世界にも同じ教えがあるそうで、驚きました。


話は変わりますが、今、米国を襲っているハリケーン・イルマ、

風速200キロ、いまは100キロ程(マイルだと60mph)

信じられないような風速です・・

ホームレスになる方たちが大勢出ているようで・・

フロリダ・マイアミはSGIAの中心会館がある所だそうで・・総罰だという人も・・

大変です・・でも、そういうことでも起きない限り人はバイアスから離脱できない

動執ショウギを起こさせる戦いをやっておられる同志に乾杯

さて、ローマでは大洪水・・多くの被害が出ています。

メキシコの大地震・・

また、なぜか、台湾と香港を狙ってばかりの今年の台風です・・

何か、理由・根拠があるのでしょうか・・
 

スタンド・バイ・ユー

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2017年 9月11日(月)09時14分23秒 編集済
元職員3名のブログより いよいよ明日!!!
『【告知】「9.12(火)裁判」勝利の決意(告知動画アップのお知らせ)』
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-124.html
http://www.labornetjp.org/news/2017/1504495253910yumo
https://www.youtube.com/watch?v=yb5UqonHbHs&feature=youtu.be
>お時間の許す方は、傍聴に来ていただければ、大変に嬉しく思います。一回の裁判の時間は短時間で終わってしまう裁判ですが、終了後は場所を移して、裁判の状況報告をさせて頂く懇談会も行なう予定です。<
もし可能なら力を貸してあげて欲しいと思います。ホームグラウンド化を。どうか。(雨雲はこっちが引き受けた。)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/62326
http://6027.teacup.com/situation/bbs/63215

“隠している傷を見せて”
“もし翼が折れちゃったら 私の翼を使って そしたらあなたの翼も開くようになるわ”
“だって私はあなたの味方よ”
“涙のおかげで景色が輝いて見える
“あなたが傷ついてるの知ってるわ でも私もよ”
“たとえ私たちがボロボロになっても 切り抜ける方法を見つけられるわ”
“ねぇ あなたは一人じゃない”
“たとえ天国が見つからなくても 私はあなたのそばにいる”
“真実はあなたが信じているものの中にあるんじゃないかな”
“信じる気持ちには理由があると思うから”
『スタンド・バイ・ユー』レイチェル・プラッテン
https://www.youtube.com/watch?v=bwB9EMpW8eY

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
http://amzn.to/2fxRlFX
 

プリーズ・ミスター・ポストマン

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2017年 9月11日(月)09時00分9秒
missionさん、映画『ヒトラーへの285枚の葉書』の紹介ありがとうございます。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/74009
>恐怖心で世界を変える事はできない…しかし一人一人の声は小さいかも知れないが、必ず未来は変えられる。ヒトラーを怖れる事なく葉書を書いたドイツ人夫婦の勇気ある行動…夫婦がとった行動の意義を思いたい。<

→同感です。師匠のそばにいながら狂っていく五老僧に囲まれ、「それでも誰かが聞いてくれる」と池田先生はスピーチを続けて下さいました。2006年以降スピーチに至っては、五老僧が「無かったことにしよう」と「すきかえし」しようとしても、KS部OBさんや無冠さんらが電子化して残して下さいました。波動は万波と響くのです。
奴らが「用いない」とした「信の題目」は受信を、「行の題目」は発信を、現代的に表現できるでしょう。「一人立つ」がやがて妙法のオーケストラとなっていくのです。

不思議とこの1~2年、ナチス、ヒトラー、アイヒマン、ハンナ・アーレント関連のDVD化がやたらと多いです。特に、なぜかアイヒマン。宿坊での話題と共通します。
アーレントに関しては今『100分de名著 アーレント 全体主義の起原』がETVで放送中です。テキストも販売されています。
http://www.nhk.or.jp/meicho/
>毎週月曜日/午後10時25分~10時50分 <再>水曜日/午前5時30分~5時55分、午後0時00分~0時25分(Eテレ)<

ダメよ~さん、『復習・教学部レポート』シリーズ、ありがとうございます。分けていただいているのが読み易くて良いですね。新来者のために勝手にこれまでを整理。

復習・教学部レポート①
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73982
復習・教学部レポート②
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73984
復習・教学部レポート③
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73997
復習・教学部レポート④
http://6027.teacup.com/situation/bbs/74014

“ねぇ、ちょっと待ってよ、郵便屋さん ちょっちだけ時間をおくれよ”
“郵便屋さん、ちゃんと探してみてよ 鞄の中に僕宛ての手紙はない?”
“お願いだよ、郵便屋さん もうずっと長いこと、それを待っているんだ”
“最後に彼女の手紙をもらってから、もうずいぶん経つんだよ だから今日はきっとあるはずだよ 遠く離れたところにいる彼女からの報せがさ”
“郵便屋さん頼むから 僕宛ての手紙がないか、もっとよく調べてみてよ”
“僕はここでずっと待ってたんだよ 郵便屋さん ずっと辛抱強く”
“あの娘が僕のところに帰ってくるという たった一枚のはがきか手紙を”
“最後に彼女の手紙をもらってから、もうずいぶん経つ 今まで何日も僕の前を素通りしていったけど もう僕は泣きそうになっているんだよ”
『プリーズ・ミスター・ポストマン』ビートルズ
https://www.youtube.com/watch?v=xRdtlwVBQ8A
 

二十一世紀への対話 145

 投稿者:まなこ
 投稿日:2017年 9月11日(月)08時23分21秒
3 中国と世界

【池田】 博士はかつて「未来に発生しうる一つの可能性として、全世界が中国によって支配され、植民地化されるかもしれない」と述べておられますが、それはどのような根拠からでしょうか。また、現在でもなお、その可能性はあるとお考えでしょうか。
私の考えでは、中国人はむしろ外に向かって征服主義を推し進める野心的民族というより、本質的には自国の平和と安泰を望む穏和主義者だと思うのです。事実、中国は戦争をしかけられないかぎり、自分のほうから手を出した事実はありません。近代に入ってからアヘン戦争、日中戦争、朝鮮戦争と、中国が関係したこれまでの戦争は、いずれの場合も、いわば自衛戦争であったとさえいえると思うのです。
博士は、中国人の気質は、かつての世界主義から近代に入って民族主義に変わったと述べておられますが、私もそれは正しいと思います。しかし、そうした転換の事実は、侵略主義的になったことを意味するものではないと思います。むしろ中国人の民族主義は、アヘン戦争以来の、日本をも含めた外国勢力の侵略に対する、やむをえない反応であったというべきではないでしょうか。そして、民族主義というのも、対外的な反応の一面であって、基本的にはいまも世界主義、中華主義が強く流れていると思うのです。これまで中国がとってきた孤立的な外交姿勢も、一つには革命後の国内整備のためでしょうし、もう一つは中国即世界という、誇り高い伝統主義のあらわれだと考えるのですが――。

【トインビー】 私も、基本的には、中国の姿勢についてのただいまの分析に賛成です。かつて中国について「眠れる巨人を起こすな」といったのはナポレオンだったという記述がありますが、イギリスはナポレオンを退けるや、時を移さずアヘン戦争を起こして、中国の目を覚ましてしまいました。
一八三九年、つまりアヘン戦争の勃発以来、中国の関係した戦争はもっぱら自衛的なものだったという御意見は、まったくその通りです。ただし、中国人の解釈では、この自衛という意味にも、清朝の絶頂期――つまり乾隆帝統治の後半期――に帝政中国が到達した国境線を回復することが含まれてくると思うのです。中国のチベット再征服は、チベット人からみれば侵略的な植民地主義の行為だったわけですが、それをなぜ中国が行なったのか、そして、かつて中国の最も良き友邦であったインドとなぜ不可解な仲違いをしたのかは、いずれも中国人の解釈によるこの自衛の概念によって、理由が明らかになります。
中国は、ヒマラヤ高地のわずかばかりの領土をめぐって、インドとの関係を決裂させましたが、この地域はそれ自体中国にとって価値あるものではなく、戦略的にもあまり意味をもちません。にもかかわらず、中国にとっては、この地域はある種の象徴的な意味をもつものだった、と私は推測するのです。なぜなら、インドの主張する国境線は、中国がきわめて弱体で異議を唱えられなかった時期に、イギリスが設定したものだったからです。 中国が、一七九九年、つまり乾隆帝の没年当時の国境線を越える膨張を望んでいるという兆候は、何一つ見当たりません。事実、アムール川沿岸で最近ソ連と衝突はしたものの、中国がアムール川左岸とウスリー川右岸の向こうの広大な地域を回復すべく、真剣に考えている様子は少しもみられません。この地域は、一八五八年から一八六一年の間に、中国がやむなくロシアに割譲したものですが、そこの住民にみられる中国的色彩は、当時もいまも微々たるものにすぎません。
しかしながら、アヘン戦争以後の中国の対外関係には、何かそれまでの中国の歴史にみられなかった新しさがあります。一八三九年のアヘン戦争まで、中国は、旧世界の半分を占める東アジアで、文字通りの“中華王国”でした。日本だけは政治的に従属しなかったとはいえ、この日本も含め、周辺諸国がすべて中国文明を採り入れており、その意味で、中国は“天下万物”を治めてさえいたわけです。
かつて中国が、旧世界西端部の、非中国的文明をもつ諸民族と初めて接触したのは、紀元前二世紀の後半のことでした。しかし、その後中国に大きな衝撃をもたらしたものといえば、近代西欧による衝撃以前には、ただひとりインドあるのみでした。そしてこのインドからの衝撃とは、仏教の伝播という平和的な形のものでした。しかも中国は、その導入と同時に仏教を中国化してしまいました。これはあたかも、匈奴から満州民族に至るまでの北方諸蛮族がかつて何度も中国全土を、あるいはその一部を征服しながら、結局は自らが中国化されてしまったのと同じ原理です。
ところが、十七世紀に入り、これら蛮族に代わって北方の新たな隣人として登場してきたロシア人に対しては、中国も、彼らを中国化することはできませんでした。さらに、十六世紀に中国を侵略し、十九世紀には一時的な支配を行なった西欧諸民族に対しても、中国化はできませんでした。この西欧の一時的支配はすでに過去のものとなりましたが、しかし、その影響は今日なお残存しています。かつてのインドからの影響と同じく、それは中国を非中国的宗教に改宗させようというものでした。すでに中国は仏教を中国化しましたが、今度は共産主義を中国化しようとしているようです。しかし、中国化された共産主義は、中国化された仏教と同じく、中国民族の世界観と生活様式に深い影響を与え、これを大きく変容させるものと思われます。
一八三九年に至るまで、中国が他文明世界との間にもった関係は、一つの大きな例外、つまり平和裡の仏教への改宗という、インド文明からの衝撃を除けば、概して表面的なものにすぎず、さして重要なものでもありませんでした。ところが、過去五百年間に、西欧諸民族がその世界的勢力伸張によって技術面・経済面における人類の統合化を図ったため、この西洋の主導による、本来西欧的な枠組みのなかでなされた統合化への過程が、日本とともに中国をも、新たな地球的文明の網のなかへと導き入れました。こうして、一八三九年のアヘン戦争以来、中国は世界的な仕組みのなかで軍事、経済、政治、文化、技術、宗教など、あらゆる人間活動の分野において国際的関係を深めていきました。今日では、すでに西洋による一時的な軍事的、政治的、経済的支配は振り払いましたが、もはや身を引いて孤立をかこつことはできません。西洋による衝撃のおかげで、中国にとっての世界は、かつての旧世界の東側半分から、いまや全地球へと広がっているのです。中国は二度と再び、東アジアの孤立した“中華王国”に立ち戻ることはできないのです。

【池田】 国際社会における中国の立場を考えてみますと、さきに国連における北京政府の代表権回復をあのように遅らせたのも、これまで中国を孤立化に追いやってきたのも、むしろアメリカをはじめとする自由主義諸国であって、中国自身にその責任を負わすことは、的を射ていないと私は思います。
いずれの国も多少なりともそうした傾向をもっていますが、とくに中国は、自らを受け入れてくれる席がどのようなものであるかについて、きわめて敏感です。つまり、戦後四半世紀にわたって不当な処遇を受けてきたため、はたして新たに与えられる席が中国の国際的地位を正当に評価したものであるかどうか、その“原則”をきわめて重んじたわけです。
基本的には、中国は、西欧化の結果としての米ソ二大強国による世界支配に対して、がまんのならないものを感じているのではないでしょうか。これに対しては、もちろんフランスも、あるいはイギリスも、根強い反感をもっているでしょうが、それでもこれらの国々は、現実には従っていくという妥協的な外交上の柔軟性をもっているようです。しかし、中国の場合は、そうした妥協よりも、原則を堅持する姿勢のほうが強いようです。
国連復帰にさいして見せた態度のなかにも、もしこの原則にふさわしい席が用意されないなら、むしろ国際社会の孤児となっても正当な評価が与えられるまで待つ、という決意があったのではないでしょうか。ともあれ、そうした中国が、いよいよ国際社会に復帰したことによって、今後、世界全体の動向は大きく影響されていくことでしょう。

【トインビー】 中国は、地球人類社会にあって、今後どのような役割を果たしていくでしょうか。西欧諸民族の勢力拡張とその一時的支配によって形成された地球人類社会は、すでにその支配力を脱しており、そのまま今後とも存続するように思われます。この最近新たに形成された地球人類社会にあって、中国は、たんに三大国、五大国、あるいはそれ以上の数の強大国のうちの一国という地位にとどまるでしょうか。それとも、全世界の“中華王国”たることが、いまこそ中国に負わされた運命なのでしょうか。
これは人類全体にとっての関心事ですが、なかんずく、中国と地続きの隣国であるソ連、さらに狭い海域を隔てながらも、やはり隣国である日本にとって、大きな関心事であるはずです。アメリカは、東アジアの大陸沿岸や沖合の島々からグアム島へ、ついでハワイヘと、撤退することができます。いざとなれば、北米西海岸まで撤退してしまえば、中国との間に、全太平洋の広さを距離としておくことができるわけです。もっとも、今日では、こうしたたんなる物理的距離というものは、さほど意味をなさなくなっています。誘導ロケット弾の発明が、太平洋の広さといえども、一つの掘割なみの幅にせばめてしまったからです。中国を含めて地球上の全国家が、常に互いの直撃射程内にあるというのが、今日の実情です。
そこで、私自身の予想を申し述べれば、人類全体が単一の社会を形成するところまで、世界の統合化がなされるだろうということです。原子力時代に入った今日、この統合化は、もはや軍事的征服――かつて地球上の広大な部分を統合してきた伝統的方法――によっては、なしえないでしょう。同時に、私の予見するこの平和的統合は、特定の地理的・文化的基軸を中心にして結晶していくことになるはずです。この基軸は、アメリカやヨーロッパやソ連ではなく、東アジアになることを、私は予感します。
中国、日本、朝鮮、ベトナムなどからなる東アジアは、大きな人口を擁しています。これらの諸民族は、その活力、勤勉さ、勇気、聡明さの面で、世界のどの民族にもひけをとりません。彼らは、地理的にいっても、中国文化や仏教という共通遺産をもつ点からいっても、はたまた本来外来的な近代西欧文明と妥協せざるをえないという共通の課題を抱えている面からいっても、互いに一つ絆で結ばれています。しかも、中国人にあっては、世界のどんな民族よりも首尾よく、数億の民を数千年にわたって政治的・文化的に結束させてきています。彼らはこうした政治・文化的統合の技術を示し、それに成功したという類いまれな経験をもっているわけで、しかもそうした統合化こそが、今日の世界の絶対的要請なのです。中国人が、東アジアの諸民族と協力して、この不可欠かつ不可避と信じられる人類統合の過程のなかで、主導的な役割を演じるだろうという理由は、ここにあるのです。
私の推測に誤りがなければ、世界の統合化は平和裡のうちに達成されることでしょう。これこそ、原子力時代にあっての、唯一の可能な道です。ただし、中国民族といえども、いつの時代にも平和的であったわけではありません。戦国時代には、古代ギリシアや近代西欧と同じく、分裂抗争していました。しかし漢朝以後は、戦国時代の好戦的精神を捨て去っています。漢の初代皇帝・劉邦が中国の再統一を果たしたのは、はるか遠く紀元前二〇二年のことでした。それに先立って秦の始皇帝が行なった政治統一は、武力制圧によるものだったため、彼の死後、地方的ナショナリズムの復活という反動が起こっています。漢の劉邦の場合は、中国人の民族的感情の均衡を、地方分権主義から世界主義へと恒久的に傾かせました。しかも彼は、秦の始皇帝の挑発的な専制的言動とは対照的に、世才を巧みに用いてこれを成し遂げたのでした。
未来の世界統合者は、この中国における第二の、より大きな成功を収めた統合者のように、世界主義的な考えをもち、同時に目的達成に向かってことを進めるさい、世才にたけていることが要求されるでしょう。現在の諸民族のなかで、人類の集団自殺に代わる唯一の道となる世界統合化に対して最も準備が整っているのは、独特の思考法を二千年余にわたってつちかってきた中国民族です。私は、旧世界の半分といわず、人間が住んだり通ったりできる地球上の全地域に政治統合をもたらすべき未来の政治家の原型を、漢の劉邦にみるのです。そうした政治家とは、中国人でしょうか、日本人でしょうか、それともベトナム人になるでしょうか、あるいは朝鮮人でしょうか――。

【池田】 二千年余にわたる統一を保ってきたという歴史的経験から、中国が世界の統合化への新しい基軸となる資格をもっているという御指摘は、今後の世界を考えるうえで、きわめて重要な示唆を含んでいると思います。また、漢の高祖・劉邦による中国の政治的再統一は、歴史的業績としてたしかに高く評価されるべきでしょう。
しかし、もう一面からいえば、劉邦の成功は、その前任者の始皇帝の荒療治があったからだとはいえないでしょうか。つまり、始皇帝はたしかに長期にわたる支配体制の確立には失敗しましたが、法と慣習において地方別にばらばらだった中国を、強権をもって統一することにより、劉邦による統一支配政権の確立を可能にした、と私は考えるのです。もし始皇帝がいなかったら、劉邦自身がそれをしなければならなかったでしょう。その場合、劉邦の役は、誰か別の人物が演じたかもしれません。
ともかく、中国の場合も、強力な武力によって統合化が行なわれたわけで、その後、儒教的倫理や、天子といった理念的な象徴によって統一が維持された面もありますが、それでも中央政府の軍事的支配力が弱まったときには、国内は幾度か分裂の危機に陥っています。
したがって、私が申し上げたいのは、これからの世界に実現されるべき統合の方向は、中国のような中央集権的な行き方ではなく、各国が平等の立場と資格において話し合うという、連合方式ではないかということです。その意味において、どこが中心になるというよりも、どこが先駆的な模範を示すかということだと思います。私自身の考えでは、ヨーロッパにおけるECの試みが、その手本になるのではないかと予想しております。これは、時間はかかっても、全世界の手本となるよう、ぜひ成功させてほしいと念願しています。
 

信心無きものに勝利なしヽ(^○^)ノ

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール
 投稿日:2017年 9月11日(月)07時55分44秒
栃木の久保田です。m(._.)m

皆様、おはようございます。m(._.)m

規約、会憲と色々と悪足掻きしているようだけれども、題目の偉大な力を知らない者には信心の深い人に勝つことは出来ない事でしょう!

悪いと分かっていることでもやってしまう行動から見ても因果の理法も、永遠の生命観も信じていない事が分かってしまう。

相手が強いとルールから変えてしまう!権力者の上等手段だね ヽ(^○^)ノ人として中身の無いピーマンが┐('~`;)┌

でも信心の力にはお前らじゃ勝てないぞヽ(^○^)ノ

はははは( ´∀`)はどっち道姑息なことしか出来ねーだろ

 

今、祈るべきこととは?

 投稿者:京都乃鬼
 投稿日:2017年 9月11日(月)07時39分45秒
いつ、ナニを祈るか、
それぞれ個人の自由や。

一方ではな、祈りの内容は、
その人の境涯を表しているとも言えるな。

信心したての頃ならやで、
自分の悩みしか祈る事が出来ひん場合もあるやろ。

でもな、境涯が上がってきたら
他人のコトも自然に祈れるようにもなるもんや。

その他人さんを祈れるようになってもやで、自分に関係する人だけを祈るとなると、少し残念な気がするねん。

やっぱり、

「ワシらの師匠なら、今、ナニを祈ってるか?」という事も慮(おもんば)からんと、師弟不ニの祈りにはならへん様に思うねん。

では、皆様方、「今」ワシらの師匠はナニを祈っていると思いまっか?

それぞれの境涯で考えてみまへんか?


ワシか?

ワシは、近所のおばちゃんやおっちゃん、学会員はんや師匠の健康も祈るけどもやな、「今」はな、

アメリカのハリケーンの被害者やメキシコの地震の被害者
及び、一番大事なのは
北朝鮮とアメリカとが軍事衝突しない様にと、死ぬ気で祈ってるで。
 

己心の法と「信」の生命論理!

 投稿者:螺髪
 投稿日:2017年 9月11日(月)06時27分15秒
 おはようございます。

 「生命」の骨格は「信」です。「信」の周辺にあるものを、生命論理的に探ってみました。

 「南無」とは、「帰命」です。「帰(き)し」「命(もとづ)く」ことです。「人」と「法」、「迹門」と「本門」があります。
 「南無とは梵語なり此には帰命と云う、人法之れ有り人とは釈尊に帰命し奉るなり 法とは法華経に帰命し奉るなり 又帰と云うは迹門不変真如の理に帰するなり 命とは本門随縁真如の智に命(もとづ)くなり帰命とは南無妙法蓮華経是なり」(御義口伝708㌻)。

 「帰命」とは「信じる」ことでもあります。もとより、「何」を信じるかも大切ですが、「どう」信じたかが一切を決めます。その「どう信じた」かに、個々の「智慧」が反映します。「智慧」とは「三千」です。「智慧」のようにしか「どう信じた」かの実像はないからです。いま、その「どう信じたか」の「智慧」がどのようなものであるかが問われる時なのでしょう。「南無」とは「永遠」に、その「何」を「どう」信じるかの「道」でもあります。

 遠くに求めていた「仏」が実は近くにあった、外にもとめていた「仏」が実は内あった、畏れおののき、崇拝もしていた不可思議な「妙法」が実は己心にあった、それが実は宇宙の根源の法の「妙法蓮華経」ということになるのではないでしょうか。その実の体が「南無妙法蓮華経」です。「仏」です。それを端的に語って頂いているのが、「一心に仏を見る心を一にして仏を見る一心を見れば仏なり」(義浄房御書892㌻)ではないでしょうか。

 「心」から「一念」、「思い」から「一念」の世界に入っていくと、もはや「心」や「思い」は、単に「個」の領域にとどまるものではなく、他者や、非情、国家、地球という領域をも超え、宇宙にまで共通するある種の“振動”であるようです。だから「祈り」が叶う。「神通之力」と同じものです。「神通之力」というのは、その「一念」の大きさを言っているのではないかということです。

 「言(ことば)と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり 凡夫は我が心に迷うて知らず覚らざるなり、仏は之を悟り顕わして神通と名くるなり 神通(じんずう)とは神(たましい)の一切の法に通じて礙(さわり)無きなり、此の自在の神通は一切の有情の心にて有るなり 故に狐狸も分分に通を現ずること皆心の神(たましい)の分分の悟なり 此の心の一法より国土世間も出来する事なり、一代聖教とは此の事を説きたるなり 此れを八万四千の法蔵とは云うなり是れ皆悉く一人の身中の法門にて有るなり、然れば八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」(三世諸仏総勘文教相廃立563㌻)。

 「神通(じんずう)」というのは、「願い」や「祈り」の意味を持つものと言っていいのでしょう。つまり「一念」です。

 「緒精霊」というのも、己心の中の「識」と言っていいのかもしれません。己心の中の「他者」です。それは、「宇宙」が己心から見た“宇宙”であるのと同じです。己心から星々、月、太陽を見ています。万人が見る宇宙は、その見方が整合し、「意味」が共通化されているだけです。人は、見る位置、見る時、あるいは見方によって「識」が千差万別ですから、本当は人の認識はさまざまです。「月でウサギが餅つきする」とも見ます。

 その己心の中のどの一人でも憎むことがあっては、己心は安穏とはなりません。憎しみは“瞋り”だからです。その人を憎しむ“瞋り”が、ほかならぬ、自身の己心を傷つけることになります。自身の成仏の妨げになります。「万人成仏」というのは、自身のみならず、己心の中のどの他者(識)も成仏することと言えます。それには、その己心の他者の“善”を積み増すことです。“善”が増えれば、その人は“善人”です。“善人”が自身を傷つけることはありません。“善”というのはその人のいいところと言っていいでしょう。

 「皆悉く一人の身中の法門にて有るなり」「八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」――つまり、それは己心の法ということです。もし、己心の法がそのすべてだとするなら、己心の“諸精霊”が悪鬼では、己心は休まることはありません。「万人成仏」は、そのすべての“諸精霊”が善鬼となることだと言えます。その鬼神の一人ひとりに「善」の意味を追善し、ほかならぬ、己心が安穏することこそ、「万人成仏」のもうひとつの意味なのではないのでしょうか。

 「一念」というのは、その「力」と「智慧」であるようです。「一念」と言っても、凡夫には自在には扱えませんから、「祈り」ということなのでしょう。「祈り」が「一念」の強さ、その向き先となります。その「一念」とはまた、生命の“発動性”そのもの、つまり「法性」にほかなりません。「神通之力」と同じです。だからこそ、「狐狸も分分に通を現ずる」と仰せなのでしょう。

 畜生と言えども「祈り」や「願い」はあります。平たくいえば「願望」です。「狐狸」(こり=きつねとたぬき)の「一念」と言っていいのでしょう。畜生界の「智慧」です。「力」です。哺乳類のムササビが空を飛んだり、クジラが海に舞い戻ったり、「生物」の“進化”の原動力であるかも知れません。おそらくは、「生」と「死」を掛けた「祈り」であったに違いありません。


 

21世紀への選択 言語による認識の限界を厳しく批判 P152投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2017年 9月11日(月)03時35分37秒 編集済
21世紀への選択 言語による認識の限界を厳しく批判 P152 投稿します。
ポイント
*、テヘラニアン・・・・・・・
 この考えをさらに進めたのが、近代哲学の祖イマニエル・カントです。

 カントは不可知の世界と現象の世界とを区別しました。

 不可知の世界としてカントが考えたのは「名辞」の世界です。

 人間は世界を認識するために世界に「名前」をつけます。

 名前で分類し、理解可能なものにして、認識するのです。

・・・・・・・・人間の知識は時間と空間に限定されています。対話だけが時空を超えることを
可能にします。


*、池田
 カントは理性、彼の言葉を使えば「悟性(Verstand)」の限界を見抜いていた。

 合理的な理性で人間はすべてを理解できるというのは、人間の傲慢であり、越権である

と考えた。

私たちは「理性崇拝」の結果としての「アウシュヴィッツ」や「ヒロシマ」の悲劇を見

てきました。

ゆえに、人間の理性の限界を示唆したカントの批判は、非常によく理解できます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カントは雑誌情報によると、「批判哲学」物事の本質を見極めると言う事を主張、哲学の巨人。

池田先生は、カントを人間の理性の限界を示唆したとされ、結果をアウシュヴィッツ」や

「ヒロシマ」の悲劇を見よと、申されています。

【人間の理性は"もの"そのものを認識することができず、それに「名前」をつける。・・・~】

【その人間の精神の落とし穴をカントは指摘したのです。】

ポイントとしてこの文章の間の事を含めて、思索されることを進めます。

下段に雑誌プレジデントより、面白い記事を見つけました。

鈴之助
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
目に見えるその奥を「知る勇気」こそが必要
技術革新に伴い、「物」も変化する
・・・・・・・・・略・・・・・・・・・・・・・
この状態を哲学者の平原卓氏は、「人間仕様の埋め込み型メガネをかけているようなもの」と
たとえる。

「そのメガネ・を外した世界を人は知ることができません」というのだ。

私たちは、確固たる「物」をありのままに捉えていると思いがちだが、実は違うというのが
カントの主張だ。

「物」という対象に人の認識が従うのではなく、対象物は人の認識に従うことで規定される。
これは当時の人々の物の見方を180度変える「コペルニクス的転回」だった。

カントの生きた時代から200年以上経った今、私たちを取り巻くのは目に見える「物」ばかりで
はない。

たとえば、ビットコインなどの仮想通貨がいい例だ。

脳科学者の茂木健一郎氏は「貨幣はもはや、硬貨や紙幣という物に縛られなくなりつつある。

ただし、目に見えないビットコインの発行や取引には、ものすごい高性能のコンピュータと

膨大な電力消費が必要。物がない仮想通貨の価値も、物に担保されています」と

分析。
「つまり、技術革新に伴って、カントの唱えた『物自体』の定義を改めて問い直すべき
時代になっています」と述べる。


ブレ一クスルーを生み出す

「物自体」の可能性に迫るには、表面的なことに目を奪われるのではなく、物事の本質を追求
する姿勢が必要だ。

カントは著作『啓蒙とは何か』の冒頭で、「知る勇気をもて(サペーレ・アウデ)」と言って
いる。

「知る勇気とはすなわち本質を見ようとすること。

人間が日頃認識している『物』ではなく『物自体』を見ようとすることは本質をつかむきっか
けになる。

そうした姿勢は、現代の破壊的イノベーションとも深い相関関係にあるのです」(茂木氏)

常に新たなイノベーションを求められるビジネスパーソンにとっては、カントの哲学を知る

ことで、大きなブレークスルーを生み出すきっかけをつかめるかもしれない。
 

21世紀への選択 言語による認識の限界を厳しく批判 P152

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2017年 9月11日(月)03時28分51秒
21世紀への選択  言語による認識の限界を厳しく批判 P152

テヘラニアン
 この考えをさらに進めたのが、近代哲学の祖イマニエル・カントです。

 カントは不可知の世界と現象の世界とを区別しました。

 不可知の世界としてカントが考えたのは「名辞」の世界です。

 人間は世界を認識するために世界に「名前」をつけます。

 名前で分類し、理解可能なものにして、認識するのです。

池田
 人間の精神作用の分析が、次第に精緻になってきた哲学史の過程を、実に簡潔かつ

明瞭に示してくださいました。

ある意味でプラトンとカントは逆の立場に立ちますね。

プラトンでは人間の理性が認識する世界はイデアの世界、理想世界です。

プラトンは、言葉や人間の理性的認識のほうを感覚より、優位に置いていました。

テヘラニアン
 しかし、カントの主張では、理性はそれほど優位には立っていません。

池田
 そうですね。カントは理性、彼の言葉を使えば「悟性(Verstand)」の限界を見抜いていた。

 合理的な理性で人間はすべてを理解できるというのは、人間の傲慢であり、越権である

と考えた。

私たちは「理性崇拝」の結果としての「アウシュヴィッツ」や「ヒロシマ」の悲劇を見

てきました。

ゆえに、人間の理性の限界を示唆したカントの批判は、非常によく理解できます。

悟性だけに寄り掛かってつくられた見解や哲学、意見が、「独断」に陥るということを、

カントは見抜いていたのです。

テヘラニアン
そういう意味で「独断」を批判したカントも、私たちが求めているのと同じ「開かれた対話」

の条件を求め続けたと言ってもいいかもしれません。

 たしかに、認識の点においては、人は事物の本質を知ることができない。

しかし、人は現実の人生において、崇高なるものを求め続け、永遠なるものを求め続けねば

ならない。

この限りにおいて、人間は自由をもつことができるというカントの主張と、私たちのこの

対話とは同じ志向性をもっています。

人間の知識は時間と空間に限定されています。対話だけが時空を超えることを可能にし

ます。

池田
 同感です。カントの精神は私たちが語り合った「永遠なるもの」を希求する「宗教

的精神」と呼応しあうでしょう。

さらに、ここで私は、仏教とカントの「認識論」の類似点について、もう少し述べさせ

ていただきたいと思います。

人間の理性は"もの"そのものを認識することができず、それに「名前」をつける。

ある意味では「名前」で限定をして、自分に理解できる形にして、人は何かを認識する

のです。

「男」「女」、「敵」「味方」、「ムスリム」「キリスト教徒」等々。

そうして分類されて認識されたものは、決して私たち一人一人の前にいるかけがえのない

個人ではない。

その人間の精神の落とし穴をカントは指摘したのです。

仏教が主張するのはまさにそれと同じものです。

いままで何度か話し合いましたが、釈尊も、また、竜樹も、われわれの概念的な認識、

また言語による認識に対して、厳しい批判を行いました。

そういう意味で仏教は、同時代のプラトン等より、約二千数百年後のカントを彷彿とさせ

るのです。

テヘラニアン
 そうですね。まさに、それは仏教の卓越せるところです。

世間でしばしば行われる二分法・・・善と悪、光と闇、黒と白、民主と独裁・・・は、

いずれも、真実の世界を十分には定義しえない人間の心のなせる業でしょう。

その限界を仏教は示唆したのです。

そうした二分法は世界の現象を分析する最も原始的なやり方といってよいでしょう。

池田
 人は多様で多彩な世界を、如実には認識できず、そういうように単純化し分類し

てしまうのです。

 しかも、自分は善、光、白、民主主義の領域の側に入れて……。

テヘラニアン
 その意味で、私たちは真理の探求において、「言葉の囚われ人」です。

私たちが真実を追求する過程において言語を超えて、音楽や芸術、宗教的儀式や沈黙

にまで手を延ばさなくてはなりません。

池田
 「客観的」と決めつけている事柄にも主観や偏見が入り込んでいるのです。貧しい

人を見て、「無教養に違いない」「不作法に違いない」とか、決めるのもそうです。

たしかに、金銭的な理由などで、大学などの「学校制度による教育」は受けていないかも

しれない。しかし、それと人格とは別です。

こつこつと、手仕事一筋で生きてきた職人さんのほうが、有名な大学を出た官僚など

より、立派な人格者であるという例を私はたくさん見てきました。

この人たちは、学校制度での高等教育は受けられなかったかもしれないが、人生から教え

を受けたのです。

テヘラニアン
 まったく同感です。「人々の声は神の声」という言葉があります。

だから、たとえ欠点はあっても民主主義が政府のあり方としては一番優れているのです。




 

日本初の写真展

 投稿者:tesuto
 投稿日:2017年 9月11日(月)03時02分5秒 編集済
写真展「写真家チェ・ゲバラが見た世界」─ テーマ・没後50年チェ・ゲバラは何を見つめ 夢見たのか─ 約240点の中に 「広島の原爆死没者慰霊碑・ 1959・日本」があり そのキャンプション(説明文)に「ゲバラは 被爆14年後の広島に衝撃を受け 『日本人は、米国にこんな残虐な目にあわされて怒らないのか』と広島県庁職員に問いかけた。フィデル・カストロ議長は、2003年広島を訪れ、ゲバラの気持ちを理解した」とありました。 ゲバラは先生と同じ1928年生まれです

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同盟題目

 投稿者:
 投稿日:2017年 9月10日(日)23時55分50秒
今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に

原田会長、副会長、弁護士、二枚舌幹部の言いなり
創価学会職員の方々に御題目をおくらせていただきました
ありがとうございました
おやすみなさい

 

復習・教学部レポート④

 投稿者:ダメよ~ダメダメ
 投稿日:2017年 9月10日(日)22時56分55秒
5.池田先生に攻撃が向かう可能性

①上記の全ては「池田先生の強い意向」として世界に発表されます。

教義の不安定化も、会員の信仰の動揺も、組織の混乱も、全て池田先生お一人が責任を負う形となり、池田先生が集中攻撃を受ける構図となっているのです。

  ②池田先生の歴史と業績が否定されかねません。

初代、第2代の教えを忠実に継承したことも、小樽問答で身延派を打ち破ったことも、正本堂を造ったことも、全ての意味が否定される可能性があります。

  ③池田先生の多くの著作がそのままでは使用できなくなります。

これから出される著作は直せても、過去に遡って、全ての著作を改訂することは不可能です。結果として、池田先生の自語相違が歴史に刻まれてしまいます。

  6.計画再考の必要  拙速に事を進めることのプラスよりも、圧倒的にマイナスが大きいことは明らかです。当初の目的であるはずの「世界宗教の体制の確立」が「世界宗教の体制の崩壊」につながりかねません。

  ①御本尊については、どのような方針を取るにしても、会員の機根を整えて、慎重の上にも慎重に進めるべきです。

  ②会憲については、世界広布の経験もない日本の弁護士が集まって机上の空論をこしらえるものではなく、世界広布の最前線で苦労されているリーダーの意見に謙虚に耳を傾けて、21世紀という人権と民主の時代に相応しい内容を目指すべきです。

  ③世界広宣流布の未来を見据えて、「会員のため」「池田先生のため」という原点に関係者全員が立ち返り、現在進行している計画を再考していく必要があると切に望む次第です。
 

同盟題目、よろしくお願い致します。

 投稿者:信濃町の人びと
 投稿日:2017年 9月10日(日)22時46分56秒
23時から開始です。池田先生と奥様のご健康、ご長寿を祈ります。  

代理投稿です

 投稿者:シャクソン ファイブメール
 投稿日:2017年 9月10日(日)22時21分48秒
宮川氏の代理投稿です。よろしくお願いします。

No.4   不思議なる縁( えにし )シリーズ
久遠の友との再会を果たす。


皆さんは、覚えておられるだろうか?1993年12月18日の出来事を。
あのオウム真理教があろう事か、我が師・池田先生をサリンでポア( 殺害 )しようとして、
逆にサリンを浴び、重体になっていた事を。
そして、その重大な殺人未遂事件は警察に通報される事なく闇に葬られたが、
後の松本サリン事件裁判で明らかになったということを。
その時身を呈して師匠を御守りしたのが、当時新潟の青年部幹部であった市場君である。
後日、信越女子部長となった市場智子さんの兄である。
先生は市場君に解らないように、指示を出された。
少々長くなるが当時のニュース、ウィキペディアから貼付するので、概要を掴んで欲しい。

ーー概要ーー

麻原によれば創価学会は『外道』であり[1]、『仏教団体を名乗りながら煩悩を肯定している宗教』で、
『原始仏教やチベット仏教を見下している』。[要出典]
またサンデー毎日から始まったオウムバッシングは聖教新聞を印刷している毎日新聞社グループと
創価学会が結託して行っているなどと主張していた[2]。
さらに在家で信仰をしているオウム信者をオウムから学会に改宗させようと
家庭訪問などを繰り返す妨害活動(折伏)をする学会員も現れ、
『池田大作は日本を侵略するフリーメーソンの手先であり「仏法」を曲げている』[3]
『多くの人をだまして来世悪趣に転生させてしまうのでこれを防がなければならない』[4]
『オウムの信徒数を創価学会並みに増やしたいが、それに至らないのは池田大作が小沢一郎を使って
国家権力を動かし妨害しているからだ』[5]
『池田大作は「仏敵」であるからポアしなければならない』。[要出典]

1993年8月、土谷正実がサリン合成に成功[6]。
オウム真理教はサリンの最初のターゲットとして池田をサリンで暗殺することを企図し、
最高幹部の村井秀夫らが行動に移した。
当初ラジコンヘリによる航空散布が検討されたが、ラジコンヘリが大破したため車両による攻撃に変更した[4]。

ーー経過 ーー
1回目は1993年11月、クシティガルバ棟で生成したサリン約600gを村井秀夫、新実智光、
中川智正らは乗用車に農薬噴霧器「霧どんどん」を載せて八王子市の学会施設に1回目の攻撃を行うが[7]、
サリンが車内にも入る、ボツリヌス菌散布用の霧どんどんも故障するなどして失敗[8][9]。
実行役らはガスマスクをしておらず若干サリン中毒の症状が出た[4]。

2回目は1993年12月18日(土曜日)で、
東京都八王子市の創価大学では演奏会が開かれる予定になっており、池田も出席することになっていた。
オウム真理教は事前に池田が演奏会に出席するという情報を入手していた。
当日未明、創価大学の近隣にある創価学会施設「東京牧口記念会館」にオウム真理教のサリン噴霧トラックが到着し、
3kgのサリン溶液を噴霧した。
しかし加熱気化式噴霧器による火災が発生したうえ、防毒マスクを着用していたせいで
会館の警備を担当している創価学会の牙城会の会員に怪しまれ、直ちに逃走した。
その際、実行犯の新実智光は防毒マスクを外したせいでサリンを大量に吸引し、重体に陥った。
新実に対し遠藤誠一や村井秀夫が人工呼吸を行い、
直ちにオウム真理教附属医院に搬送され、林郁夫らの治療の結果一命を取り留めた[8]。
この際林郁夫が中川智正に原因を尋ねると中川は「サリーちゃんでポアしようとした。」と答えた[7]。
林郁夫は、「サリーちゃん」が「サリン」を指すこと、
そしてオウムがそれを保有していたことをこの時初めて知った[10]。
池田本人には被害は無かったものの、当日警備していた牙城会員が一時的な視力減退や倦怠感など
サリン中毒特有の症状を訴えたという[11]が、後遺症は確認されなかったため、
創価学会では警察への通報をしなかった。
数名の牙城会員が、一時的な視力減退や倦怠感などの重傷を負ってはいたが、
学会側はこの事件を表沙汰にすることはなく、池田大作サリン襲撃未遂事件の犯行の事実は、
1996年1月の松本サリン事件公判で明らかにされるまでのおよそ3年間公にされることはなかった[12]。

しかし、創価学会の実質的な最高指導者である名誉会長・池田大作の行動予定の外部への漏えい、
流出という事態を重く見た学会は事件以降、池田の行動予定の情報管理を厳しくするとともに、
創価学会本部職員の中からボディガードを選抜した「第一警備」を発足させて池田の身辺警護に当たらせるとともに、
信者から選抜した金城会、牙城会、創価班などに、各会館の警備を強化させている[12]
先生をお守りした真正の弟子への先生からの揮毫。
(トインビー博士の言葉より)
「人格や文明が成長しつづける限り、外の戦場での外敵のつきつける挑戦は、
ますます考慮しなくて よいようになる。しかし、心の中の闘技場で
自分が、自分につきつける挑戦は、ますます考慮せねば ならなくなる」
( 敵は 内部にある)
大 作

これだけの重大殺人未遂事件を警察に通報せず隠蔽。先生の御行動を知り尽くした上での犯行。
先生が市場君に渡された「 敵は内部にある 」との揮毫とメモ。
身近な敵により、命を奪われた我が師の親友・周総理の真実を伝えたい。

大中国の父――
周恩来総理。
周総理と養女、孫維世(そん・いせい)との苦渋の歴史は殆ど知られていない。
毛沢東の嫉妬と欲望によって、引き裂かれ、殺されたその事実を我々は直視しなければならない。
命より大切な師匠のすぐ側に、師匠の最大の敵が居ることを本当に知らなければならない。
壮絶な内容ですが送ります。
孫 維世(そん いせい 1922ー1968.10.4)
生誕時の名前は 孫 光英
彼女は革命烈士であった孫 炳文の娘で、周恩来総理の養女となる。
話劇の女優及び監督として知られた。
1939年に養父 周恩来総理の指示で延安からモスクワへ留学、演劇を学んだ。
1946年に帰国した後、延安の四大美女と呼ばれた。
1949年12月、ソ連に向かう毛沢東にロシア語の通訳として随行。
この時、周恩来氏の養女である孫維世に対し、毛沢東は酒と薬を飲ませ無理矢理男女関係を結んだと言われている。
文化大革命時代には、周恩来氏の娘である孫維世は、女優としての名声の高さと、
毛沢東との男女関係から、毛沢東の妻、江青( こうせい )に嫉妬され、迫害を受け、激しい拷問を加えられた。
孫維世は養父である周恩来氏が署名した逮捕状をもって、北京公安局の留置場に送られ、
1968年 10月 4日に獄中で死亡。遺体は一対の手枷、足枷のみ身に付けた全裸の状態であった。
看守等の証言によると、江青が刑事犯罪者たちに、孫維世の衣服を剥ぎ取らせて犯させて、
輪姦に参加した受刑者を減刑したという。
又、孫維世の遺体の頭頂には大きな杭が打ち込まれていた。
周恩来氏は、最愛の娘の悲惨な拷問死に検死を要求したが、「遺体は、すぐに火葬する!」との回答のみがなされた。
更に、後年病床にあった周恩来総理の治療について、何らかの圧力により、最善が尽くされなかった事は、
周総理の主治医が自著で記している。
その中で、主治医は、毛沢東の指示によって、周総理の癌の手術は
完全に行なう事が出来なかった事や、抗がん剤治療も行う事が出来なかった事を記している。
ユン・チアン氏は明確に「毛沢東が周総理の治療の妨害を行なった」と記述している。
毛沢東は自分よりも、1日でも早く周総理を死に追いやることを指示して、周総理の死後8ケ月を生きた延びた。
優秀なる同志である周恩来氏を妬み、その娘を手込めにし、周氏にロシアのスパイの嫌疑をかけ葬り去ろうと画策。
自らの容疑の潔白を証明するための証しとして最愛の娘を官権の手に渡す署名をさせた。

娘を想像を絶する拷問で攻めたて、周氏がスパイであると嘘の供述をさせようとし
その為に父が署名した逮捕状を見せた。
しかし、孫維世は父を守る為に決して嘘の供述をしなかった。孫維世は殺された。
父、周恩来氏は、娘の検死すら認められず、自らの癌の治療も一部の摘出しかなされなかった。
絶大な力を持っているように見える周氏は、実は極悪なる内部の敵、
もっとも信頼していた毛沢東の裏切りによって、最愛の娘を犯され、殺され、自らの命も奪われた。
周恩来氏は中国の人民を守る為に、自分が失脚し、葬り去られるわけにはいかなかった。
最愛の娘を助ける為に、娘と共に処刑されれば、どれ程か、楽であったろう。
だが、周総理は生きた。血の涙を流しながら生きた。
中国の人民を守る為に、内部の最大の敵を倒す為に生きた。耐えた。
その、周恩来氏の思いを忘れてはならない。
以上です。


◎1993年 12月 18日にオーム真理教が先生の殺害を企て、牧口記念会館に向けて3キロのサリンを噴霧した際、
先生をお守りした真正の弟子への言葉。
(トインビー博士の言葉より)
「人格や文明が成長しつづける限り、外の戦場での外敵のつきつける挑戦は、ますます考慮しなくて よいようになる。
しかし、心の中の闘技場で自分が、自分につきつける挑戦は、ますます考慮せねば ならなくなる」
( 敵は 内部にある)
大 作
 

会憲・・・現場の反応

 投稿者:小作人@地上の発心
 投稿日:2017年 9月10日(日)21時17分43秒
会館宝城会でご一緒した本部幹部の方(交代着任でいつもとは別の人)に話を振ってみたら、

言葉も文化も違う各国SGIの制御を念頭に置いて、日本国内での「会則」を敷衍させたようなもの
・・・というイメージで語っておられた。

信濃町と掛け離れた行動理念で暴走するような海外組織への予防措置が狙いみたいな印象。
(先生の直弟子たる)日本の会長はエライのだ! 勝手な真似は許さん! ・・・身も蓋もない言い方だがそうなる。
個人名は出さないが、どうやら第二次宗門問題勃発時のインドネシア(セノスノト氏)、ガーナ(アソマニ氏)、スペイン(野口氏)のような事が再発しないように、先生ご存命のうちに手を打ったとの解釈。

そうだとしても、前文とか前半の条文が会則の完全コピペじゃん。また以前に制定したSGI憲章との兼ね合いは?・・と疑問を呈しても、さほど深くは意識されてないご様子。

だがこれでも真摯に答えていただいている部類で、地元の四者ほとんど皆スマホやパソコンでサイトをチェックすらしていない(全く読んでない)ふうなので議論もできない。。
 

思い込み(バイアス)

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール
 投稿日:2017年 9月10日(日)20時33分35秒 編集済
<記事抜粋貼り付け>

我々の偏見(バイアス)は思った以上に強固。事実ですら完全に無視をする(フランス研究)

我々は自らを理性的で、客観的な判断ができる存在だと思っていたい。

しかし人が抱くバイアス(思い込みと偏見)は想像以上に強いようだ。

最新の研究では、

人間は自身のバイアスに一致しない事実は無視してしまう能力が備わっていることが明らかにされている。

人は自分の信じたい説や信念を検証する際、それを支持する情報ばかりを集め、

反証する情報を無視または集めようとしない傾向がある。

また一度信じてしまったら、それが誤っていてもなかなかその記憶を訂正することができない。

仏高等師範学校(ENS)のステファノ・パルミンテリ氏は以前ENSやユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン

からの研究者でなるチームを率いて、人間はそれが後で痛い目を見ることになっても、

最も安易な方法へ偏向することを報告した。

そうした状況において、人はまだ具現化していない未来への影響を認識できないようである。

<貼り付け終わり>

出処:http://karapaia.com/archives/52245557.html

原田創価の真実を知った以上は忍辱の鎧を着て・・思い込みのメンバー、一人、一人を救っていく戦い・・

友人にも大聖人の仏法を伝えながら・・
 

「ヒトラーへの285枚の葉書」

 投稿者:mission
 投稿日:2017年 9月10日(日)19時38分3秒
ヴァンサン・ペレーズ(53)監督の映画「ヒトラーへの285枚の葉書」は、1940年のドイツが舞台でドイツ人作家ハンス・ファラダ氏によるゲシュタポの文書記録をもとに執筆した小説『ベルリンに一人死す』が原作。
実在したドイツ人夫婦が、ペンと葉書を武器にナチス政権に抵抗する運命を描いた映画です。

監督のヴァンサン・ペレーズ氏は、ガス室で殺された叔父や共和国軍の為にスペイン内戦でフランコ将軍のファシスト政権と戦って処刑された祖父を持つスイス出身の俳優。
父親はスペインの出身。母親の家族はドイツ系だが、ナチスから逃れて国外へ脱出した。

 《ストーリー》
フランスがドイツに降伏した第二次世界大戦中の1940年6月、戦勝ムードに沸くナチス政権下のドイツ・ベルリン。
古めかしいアパートで質素に暮らす労働者階級のオットーとアンナのクヴァンゲル夫妻のもとに、最愛の息子ハンスが戦死したと一通の封書が届く。
心の拠り所を失った二人は、悲しみのどん底に沈む。
またそんな折、隣家のユダヤ人老婦人の家に物盗りが入り、やって来たゲシュタポ(秘密国家警察)の前で自殺するという事件が起きた。

しかし ある日 息子を奪った総統や戦争が許せないオットーは、葉書に怒りのメッセージをしたため、街の一角にこっそり置き残すというレジスタンス運動を始める。
ペンを握り締め「総統は私の息子を殺した。あなたの息子も殺されるだろう」「自分を信じろ、ヒトラーを信じるな」「このカードを次に回せ」とヒトラーへの怒りのメッセージをポストカードに記す。
アンナは当初、夫の身を案じて冷ややかだったが、次第に協力して密かに街中に置くようになる。
細やかなレジスタンス運動を続ける事で魂が解放されていく2人だったが、やがてゲシュタポの捜査の手が迫る。

ゲシュタポで捜査を担当するエッシャリヒ警部は、増え続けるカードの出所に頭を悩ませていた。
国家親衛隊の大佐に急かされ、エッシャリヒは誤認逮捕したクヴァンゲル夫妻の隣人であるエンノを殺すことになるが、真犯人には たどり着けずに終わる。

ベルリンの街が空襲で荒廃してきた1943年、オットーは非番の日に工場に呼ばれ、そこで自分で書いたカードを落としてしまう。
オットーはこれを誤魔化すためナチ党員に届け出させるが、プロファイリングを進めていたエッシャリヒらによって逮捕される。
妻アンナも連行されたことを聞いたオットーは、今までに285枚のカードを書いてきたと告白。
クヴァンゲル夫妻がギロチンで処刑された後、エッシャリヒは回収された267枚のカードを窓から撒き、全てに目を通した唯一の人物として拳銃自殺するのだった。
【2016年ベルリン国際映画祭・コンペティション部門正式出品】

恐怖心で世界を変える事はできない…しかし一人一人の声は小さいかも知れないが、必ず未来は変えられる。
ヒトラーを怖れる事なく葉書を書いたドイツ人夫婦の勇気ある行動…夫婦がとった行動の意義を思いたい。

国家の最高地位である「総統」
創価の最高地位である「怪鳥」(会憲にて)
ゲシュタポのように「悪に手を貸した」人間の最後は、自身の行動を呪う地獄から抜け出す事は出来ないのかも知れない。
 

ブレイブ

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2017年 9月10日(日)17時22分26秒
元職員3名のブログより
『【告知】「9.12(火)裁判」勝利の決意(告知動画アップのお知らせ)』
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-124.html
http://www.labornetjp.org/news/2017/1504495253910yumo
https://www.youtube.com/watch?v=yb5UqonHbHs&feature=youtu.be
>お時間の許す方は、傍聴に来ていただければ、大変に嬉しく思います。一回の裁判の時間は短時間で終わってしまう裁判ですが、終了後は場所を移して、裁判の状況報告をさせて頂く懇談会も行なう予定です。<
もし可能なら力を貸してあげて欲しいと思います。ホームグラウンド化を。どうか。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/62326
http://6027.teacup.com/situation/bbs/63215
9・12 竜の口の法難
前日9・11はNYテロの日
9・15・2003は阪神タイガース優勝の日
9・16は私の入信記念日(2015年同日の随筆で池田先生は六大秘法を用いています。)
今週は「勇気」週間。勇気を出していこう! 本当のことを言おう!

“あなたは素晴らしい人になれる”
“名言が薬や武器に変わってしまうこともある”
“浮浪者(村八分)になることだってあるかもしれない”
“足りない愛に悩むかもしれない”
“それか大声で主張することだってあなたにはできる”
“はっきり言って傷つくことなんてないの”
“長いものに巻かれてしまったら”
“陽の無いような所に閉じ込められてしまう”
“時々暗闇が勝ってしまうけど”
“もしあなたがこうしたなら”
“言いたい事を言って”
“私も内心を言うとね”
“実はあなたが勇者になるところを見たいの”
“あなたが何を言っても”
“私は正直に言うよ”
“ただ見たかっただけよ”
“あなたが勇気を出すところを”
“皆ここにいる”
“皆が敵を睨んでる”
“崩れ落ちていってしまう事に恐れを感じながら”
“裏切る人だっていて”
“強い方に頭を下げる人だっていて”
“でも逃げないで、黙るのだけは止めてよね”
“この鳥かごを出ればあなたが生きる道があるかもしれない”
“こんな日々に明かりを灯すことだってできるかもしれない”
“どれだけあなたが勇気があるか教える方法はね”
“言いたい事を言って”
“あなたの沈黙の歴史をこのまま続ければ”
“良い事なんて何もないでしょ”
“良い事あったと思う?”
“あなたの言葉は全て空っぽのようにされてきた”
“なぜ彼らに真実を言わないの?”
“言いたい事を言って”
『ブレイブ』サラ・バレリス
https://www.youtube.com/watch?v=QUQsqBqxoR4
 

とあるブログの記事を紹介

 投稿者:通行します
 投稿日:2017年 9月10日(日)16時48分27秒
http://hasu-no-rakuin.hatenablog.com/entry/2017/09/08/052937
から引用。

以前にもアメリカの公文書関係で紹介があったブログです。中々ツボをご存知のようで。

「蓮の落胤-創価学会、話そうか
非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。」

2017-09-08
創価学会水泳選手権


あまり語られることはないですが、創価学会には泳ぎの達人が何人かいます。今日はその内の何人かを紹介したいと思います。
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H理事長
ミスター茶坊主。東大閥、早稲田閥、創大閥に囲まれながら理事長にまで泳ぎ詰めた、流れを見切る達人(本人は明治大学卒)。福島某というゴマ泳ぎの達人が失脚するという運にも恵まれる。閉じた場所で武勇伝を流布するなどきめ細かいフォームが特徴。女子部の教学力の無さを叱ったりするが、公の場でディカッションするなどの行動は決してしない。「弱きをおどし強をおそる」を体現する男。創大入学式では教授陣の失笑を買いながら創立者の威光を利用して“感涙モノ”のスピーチを学生に披露する。声は良いらしい。「池田先生はね!」を多用する事が小さな会合における学生向けスピーチの特徴。本人の体験談を聞いたことが無い。
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T主任副会長
輝かしい経歴を持つ。実績はそこまでない。人気は全くない。しかしながら“実力”をもって出世した、豪の達人。実態としては、A元会長一派にこき使われただけなのかもしれないが。何やら醜聞も多いが真偽は不明。真偽不明を幾つ都合よく解釈できるかで優劣が決まる石山系の特徴を体現しているのかもしれない。ただし教義の問題にはまるで関心がない。海外で泳ぐことも多いが、「SGIへの教義説明は翻訳者に任せればいい」という趣旨の発言を躊躇わずできる男。
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S副会長
早稲田閥でありながら東大出のTと馬が合うのか、Tの親友。今はね。政海という汚泥にまみれた海を泳ぐのが得意。票読みのA元会長とは違う方面の政海に強い。疲れた時は、本来緊急用に設置されているセーフハウスで酔ミングするらしい。公明海域のスタッフから公認で嫌われている、信濃町不人気選挙公認候補。スタッフ曰く「あの人に関しては諦めている」「どうにもならない」。国会議員の秘書ですら惨状を付近に漏らすほど。
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K主任副会長
創価大学1期生。直接的なエピソードを聞いた事はない。しかしながら、奥〇、〇田、田〇、〇吹、正木元理事長等の同性代、創価大学出身者から5年程遅れて副会長になっているにも拘らず、創価大学出身で主任副会長の任にある辺り、何らかの泳ぎの達人と見ていいだろう。ちなみに、Kと同じ年に副会長に任命された人物に、梶〇、寺〇がいる。梶〇氏は一時家族も連絡がつかなくなった(今は知らない)。寺〇氏は、ほぼ全ての役職を剥奪されている。やはり泳ぎの達人だろう。
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M岡〇夫
大石寺とかいう小さな山では泳ぎ足らず、創価学海という狭いけど深い汚れがたまりやすい海に飛び込んできた。そこを拠点にもっと広い海を目指していたのかもしれない。循環競泳を批判したことで名を成した。山の歴史を公表したことで一定の功績はあるが、「海壇本尊の真偽」などの危険海域には近づかない。佐藤優なる政海、言論海を泳ぎ渡る“文化人”と「創価学海を語る」という対談集を出版している。「酷い場所なので組織の中を泳げないと死にます」で済む内容を一冊の本にできるあたり才能がある。教学関係者に言わせると「本当に泳ぐのがうまい」らしい。
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K東哲研究員(某大学文学部教授)
実家が酒屋だったらしく、酔ミングの達人。酔ミング状態になると独演会になるらしい。「池田さんは教学ないからねー」みたいな発言のできる男。但し、酔ミングの席に限る。教学的な批判の大半をM田教授が引き受けてくれているおかげで、表立って批判される機会はあまりない。最近は日蓮宗と浄円寺で共泳(コモンズ)している。会員にはナイショ。院生時代の泳ぎ方とか書いてもいいけれど止めときます(若い時の石田次男氏の振る舞いを幾つか取り上げて、故人になってから死体蹴りの要領で全人格全人生を否定するような連中なら書くだろうね)。
つい最近、K研究員の酔ミング仲間、Y東哲研究員(某大学理工学部教授)がコンパでセクハラして保護者から通報されてトラブったけれど、何かコメントありますか?
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Y元某大学学長
流体政治泳ぎの達人。元々、専門が生物系でなかったにも拘らず、(情報系・生物系の)工学部創設に合わせて生物系研究者(学会員)と共同研究を行い “論文共著者”として実績を稼ぎ、工学部創設時から生物工学科教授として赴任。生物工学科長、工学部長、副学長と順調に出世して最後は学長になる。生物工学科は後々、生命情報と環境共生に分裂する。教授陣の中が悪かったらしい。その為、両学科の仲も悪かった。Yは環境共生に所属。学会員の教員が環境共生に固まったこともあり、学内政治力は環境共生が上となる。研究者としての実績は生命が上と聞いた。Yは、工学系学科の始まりである生物系学科(生命情報)を「いずれ無くしても構わない」と当時の環境共生人気(受験志望者)と政治力を背景に考える。ところがどっこい、年を重ねるごとに環境共生なる学科の人気は右肩下がり、いずれ定員割れを起こすだろうことが予測されてしまう。環境共生の定員割れ予測が、強制創造でなくて矯正創造でもなくて共生創造理工学科なるものを創設する理由となった(工学部の理工学部への改組)。共生創造理工学科なる学科は、実質的には生命情報、環境共生が再合体したものである。僅か20年の間に分裂と融合を繰り返した訳だ。既に本人は泳ぎ切った後(定年)だったので影響なし。某大学理系を迷走させた一人かもしれない。
因みに、学長就任を前に、就任前祝いパーティーを開いて一部の教授から顰蹙を買った。更に因みにだが、理工学部を引き継ぎそうな人物は“ある有名人”のお孫さん。遺伝的に酔ミングの免許皆伝だが、溺れる(悪酔い)ことも多い。
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補足
ジョーク記事なので泳ぎながら読んでください。
 

仏敵

 投稿者:一人のSGI
 投稿日:2017年 9月10日(日)16時25分43秒
陽光様も私も仏敵として祈られている可能性は大いにあるでしょうね。(笑)
無言電話が多いのは、私がまだ生きているか、過激なメンバーがチェックを入れているのかもしれません。

もっとも、釈迦は、”贈られた品を受け取らなければ、その品は贈った人に戻る”と言われています。
私はそういう祈りは受け取らないですね。

陽光様、ハリケーンは大丈夫ですか。
 

mission 様

 投稿者:一人のSGI
 投稿日:2017年 9月10日(日)15時56分27秒 編集済
>そして少し気になったのが、昨夜の御書引用の所に張られていた(その後に削除?)
URL「http://www.geocities.co.jp/inae_sokagakkai/index.html」は、
28日にもあったので開けてみると「日蓮大聖人御書全集を学ぶ・稲枝創価学会・Tommyのホームページ」
ネットで御書の検索をすると「Tommyさん」の掲示板は存じていたのですが「稲枝創価学会」
…滋賀県彦根市に稲枝駅がありますが?地域?名前?

「稲枝創価学会」で検索すると「Tommyのホームページ・大勝利SGI掲示板・稲枝創価学会のホームページ」
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.geocities.co.jp/inae_sokagakkai/index.html
「大勝利SGI」…何か御存知でしたら教えて下さい。<

http://6027.teacup.com/situation/bbs/73958

mission 様
ご意見ありがとうございました。
忙しくしていて返事が遅れていますが、とりあえず上記の件についてだけ先に 、、

1  創価教学研究室 (Tommyのブログ)
   創価学会・一壮年部が作成した御書講義・

     と
2 稲枝創価学会
  Tommyのホームページ

この両方のブログ、両方共Tommyさんの名前で別々に出ていますが、その件の事でしょうか?
私も詳しくは知りませんが、多分、1の方はTommyさんが一人で作成していて、2の方は御書講義集から
更に細かく講義されている為にもっと人手も入り、他のメンバーさんと協力して作成したものだと思っています。
しかし、両ブログの通解や講義の出所は全く同じところだと見受けられます。
一か所だけ例を挙げてみますが、その部分からも、両方同じだという事が、推察できると思います。

開目抄の初めの部分の講義です。

転載始め

1.
創価教学研究室 (Tommyのブログ)
創価学会・一壮年部が作成した御書講義・創価教学研鑽のためのブログです。
http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/1936116.html

開目抄 第二章 儒家の三徳

儒教といえども主師親の三徳あり、また、その三徳は仏教に比較して、いかなる位置にあるかをお説きなされた章である。
 なず第一に、能説の人を挙げて、その所尊の姿を示されている。
http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/1795138.html#more

2.

日蓮大聖人御書全集を学ぶ
稲枝創価学会
Tommyのホームページ
 http://www.geocities.co.jp/inae_sokagakkai/


開目抄講義

186:02~0186:12 第二章 儒家の三徳top

 儒教といえども主師親の三徳あり、また、その三徳は仏教に比較して、いかなる位置にあるかをお説きなされた章である。
 なず第一に、能説の人を挙げて、その所尊の姿を示されている。
http://www.geocities.co.jp/inae_sokagakkai/kaimoku/newpage1.html#0007

転載終わり

以上の様に、句読点まで全く同じです。
しかも誤字(「なず」は「まず」の間違いでは?)まで同じです。(Tommyさん失礼します。)

大白の先生の講義や、学会の御書講義集などは、ほとんど手元にないので、私自身は、どちらも重宝で使わしてもらっています。
これらのブログがなかったら、私の投稿もままならなかったでしょう。
とても、感謝、感激です。Tommyさん達にありがとうございます、と言いたいです。

あと
「良寛」は確かに「良観」の間違いです。すみませんでした。
ご指摘ありがとうございます。

仏法の慈悲心と正義の戦いの両立
「善悪不二」などについての思うところ、、
できるだけ早めに投稿します。
 

サンダーバード様

 投稿者:フロム関西
 投稿日:2017年 9月10日(日)15時46分15秒
絶対あると思います!(゜ー゜*)

実際、宮川雄法さんみたいな方も

おられるわけですから。

末端の組織の中ですら、事なかれ主義や

隠ぺい体質があったりしますからね…。

 

正当防衛

 投稿者:サンダーバード
 投稿日:2017年 9月10日(日)13時37分3秒
青年よ、仏敵を打ち砕け。

学会迫害の悪人は厳罰で

野たれ死ぬまで攻め抜け

2004年11月18日付聖教新聞寸鉄

誰の事を指しているのか

もしくは特定の人ではないのか

書いた人に聞かないとわからないですね


今思ったのですが

いままで学会が仏敵としてきた人たちの中には

正当防衛で学会批判をした可能性もありますね

祈り殺されちゃうんだから、黙っていたら

誰かを味方につけて元気玉もらわないと


学会が仏敵としてきた人の中には

実は違ってたって確実にあると思います

たとえばあの3人だって仏敵ですよね

正当防衛で本出してる
 

妙とは妙法の功徳

 投稿者:史人
 投稿日:2017年 9月10日(日)13時03分14秒 編集済
法華経をば経のごとく持つ人々も、法華経の行者を或は貪瞋癡により、或は世間の事により、或はしなじなのふるまひによって憎む人あり。此は法華経を信ずれども信ずる功徳なし。かへりて罰をかほるなり(P1232)

池田先生を呼び捨てにしたり、学会員を憎めば、憎ませてしまったが為に罰を受けていまいます・・・。
故にもし自分に対して憎む言動があり、その後悪さをしてきた時には即座にその者と縁を切らなければならない、そう思っています。
それこそ悪知識だからです。

妙法蓮華経如来寿量品の譬えで書かれていることと同じと考えています。
長くそこに留まれば、その人が受ける罰は計り知れないものとなりますし、その心は増長し続けていくからです。
つまりは、その人の為にその人の前から離れることだと考えられます。

そして、日蓮大聖人を上下万民が憎んだということは、即衆生の疑いを意味し、御本尊への不満を口にし、また不敬も厭わない、またはそれ故の行動に走るのならば、その人は獅子身中の虫であり、罪を重ね続け、次何に生まれてくるかわからない恐ろしいことになります・・・。

そして、「妙とは妙法の功徳なり」の御書があり、御本尊には触れられてはいないところから考えると、唱題行が如何に大切かということとお見受けします。
罰とはその人当人に留まらず、家族・縁戚等に及んでいくことが真に恐れるべきことであると信じますし、また見てきました・・・。
如何に他(宗)の人で正当性を主張しようとも、その行いが法華経を正しく流布してきた人を非難するものがあれば、罰と現われます。

また、「妙とは妙法の功徳なり」については守護国家論にある「妙楽大師の末代の鈍者無智の者等の法華経を行ずるに普賢菩薩並に多宝十方の諸仏を見奉るを易行と定めて云く「散心に法華を誦し禅三昧に入らず坐立行・一心に法華の文字を念ぜよ」已上此の釈の意趣は末代の愚者を摂せんが為なり散心とは定心に対する語なり」

「誦法華とは八巻一巻一字一句一偈題目一心一念随喜の者五十展転等なり坐立行とは四威儀を嫌わざるなり」

「一心とは定の一心に非ず理の一心に非ず散心の中の一心なり念法華文字とは此の経は諸経の文字に似ず一字を誦すと雖も八万宝蔵の文字を含み一切諸仏の功徳を納むるなり天台大師玄義の八に云く「手に巻を執らざれども常に是の経を読み口に言声無けれども徧く衆典を誦し仏・説法せざれども恒に梵音を聞き心に思惟せざれども普く法界を照す」已上此の文の意は手に法華経一部八巻を執らざれども是の経を信ずる人は昼夜十二時の持経者なり口に読経の声を出さざれども法華経を信ずる者は日日時時念念に一切経を読む者なり。」

の文にあるように、ここでいう「妙法」これを自身の我が身に当てはめてみた場合、お題目を唱えられない状況にあってもちゃんと修行になっていることを明かしています。
つまり「妙とは“自身”の功徳」と考えてもいい場合というのは、文中の「是の経を信ずる人」ということになるでしょうか!?
それであるが故に、同時にお題目を唱えていない時に遇った非難や憎しみの言葉・行動には罰の現象が厳然としてある、そう思います。

また、義浄房御書の中にある、「法華経の功徳と申すは唯仏与仏の境界・十方分身の智慧も及ぶか及ばざるかの内証なり、されば天台大師も妙の一字をば妙とは妙は不可思議と名くと釈し給いて候なるぞ前前御存知の如し、」というところの「法華経」とは「妙法」のことではないかと考えているところです。
もちろん、「法華経の妙の一字」という御文も見かけます。この法華経の妙の一字も「妙とは妙法の功徳」の妙の一字ではないか、そう考えられます。
つまり、自身の振る舞いがそのまま功徳となることと、御本尊と言っても、「功徳」の集まりであると自身決めているところです。

御本尊のことでどのようにこの御本尊と言われる人があろうと、その1点だけは忘れてはならないと思います。

最後に、ここでいう「散心」については、「誦法華とは八巻一巻一字一句一偈題目一心一念随喜の者五十展転等なり坐立行とは四威儀を嫌わざるなり」とある中で、上の文にある「一心とは定の一心に非ず理の一心に非ず散心の中の一心なり」の散心の中の一心が大切であって、御本尊については、まだ御本尊を広く顕されていない段階に於いても、御本尊の前に限らず仏になる修行になることを明かされたものと思います。

ここで「理の一心」とも述べられているから、御本尊を見ながらに非ずとも取れるのではないかと考えられます。
「坐立行とは四威儀を嫌わざるなり」とも書かれており、大変示唆に富んだ御書であるなと改めて思いました・・・。

補足:
御義口伝下
厳王品三箇の大事
第一妙荘厳王の事 文句の十に云く妙荘厳とは妙法功徳をもつて諸根を荘厳するなりと。
御義口伝に云く妙とは妙法の功徳なり、諸根とは六根なり此の妙法の功徳を以て六根を荘厳す可き名なり、所詮妙とは空諦なり荘厳とは仮諦なり王とは中道なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は悉く妙荘厳王なり云云。

妙法尼御前御返事
此の法華経には我等が身をば法身如来・我等が心をば報身如来・我等がふるまひをば応身如来と説かれて候へば、此の経の一句一偈を持ち信ずる人は皆此の功徳をそなへ候
 

SGI規約のうわさ

 投稿者:悪汁ブシャー
 投稿日:2017年 9月10日(日)13時02分39秒
おかともさん
貴重な情報をありがとうございます

結局、金と権力ですか

要はSGIにはまだまだ人と金にのびしろがあるのと
先生亡きあと本部の言うことをきかせたいがため…

自信の無さの現れですね

法主を退座させられないようにガチガチに
固めたのは八尋と聞いたことがあります
会長の権限の強化
同じことをやっぱりやるんですな

流れと手法が第二次宗門問題と酷似しています
あの昭和の終わりから平成始めの頃を
再現しているような感覚です
ある意味、この話が本当なら
法主を退座させられなくした
八尋はA級戦犯ですな

いつの時代も宗門の力が落ちてきた時は
法主の権限を強化してきた

よほど弱体化の恐怖があるようですね

執行部は本当の折伏をやったことが無いのか
忘れたのか…
一人を折伏して本尊流布させるのが
どれほど大変かがわかっていないようです
わかっていたなら、処分など絶対にできない
まして、弾圧を乗り越えて
その国の仏法流布をしてきたSGIのメンバーに
恥ずかしくて指導など出来ないでしょうね
指導する姿を端から見たら
強がりにしか見えない情けない姿です

もし、会員が道を外してしまいそうなら
相手が納得できるまで上から指導などせずに
説明すれば良い
声を挙げている方々は学会憎しで
やっているのでは無く
大切だからこそ声を挙げている
考えて声を挙げているのだから
納得できる答えが聞ければ
良き会員として、また戦えるだろう

規約のみならず、国内に於ける会計など
不透明なことが、信頼を失わせている
ことがまるでわかっていない

やはり、会憲より規約がホシのようですね
除名になった方から聞いたところによると
審査会規定が後から後から未公開を良いことに
どんどん出てきたとか
今回の会則と会憲前文のように
意外にSGI規約も審査会規定の焼き直しのような
お粗末なものの可能性があるのでは?










 

先生のご近況を、ありのまま報道しろ

 投稿者:ミネルヴァの梟
 投稿日:2017年 9月10日(日)13時01分33秒
神奈川新聞に、池田先生が寄稿されたらしい。

見出しは、「核なき世界へ   市民の声を  」 となっていて、核兵器禁止条約について書かれている。

そのことに関連して、池田先生は本当にお元気なのかどうか、疑う意見が外部から上がって来ていて、確認すべきだと言っている。

この事は、我々学会内部の人間にとっても大きな問題だ。

時折聖教珍聞で、どこそこの会館を先生が訪問された、という記事が載るが、その時間その会館に居た人に聞いてみても、お姿を見たりお会いする事は出来なかった、という話ばかりで、実際にお会いしたという人に、私はまだ会った事がない。

以前ならそんな事は無かった。必ず何人かの人がお会い出来ていて、その話を直接聴けるのが普通だった。

先生のご動向がよく分からないというのは、s.54年頃と同じだ。当時聖教珍聞は先生のことを、何も知らせなかった。
今も、当時と同じ事が起こっているのではないのか?

先生は、本当にお元気なのかどうか。
そういう疑念が外部にまで広がっていけば、執行部も、もう本当の事を知らせるしかなくなるだろう。

今後の広宣流布は弟子の世代に任せた、という意味で、先生はわざと何も言われないのだ、という人が居る。
私もかつてはそう考えていたが、今は違う。大きな路線変更が無いならそれでもいいかも知れない。

しかし今は池田先生の路線との乖離が、あまりにも大きくなり過ぎていて、新興の邪教団かと見まがうほど、急速に変質している。許容出来るような範囲は、とうの昔に超えた。
完全な邪教になるのを、現場が辛うじて防いでいる状況だ。  上はもう腐り果てた。

大御本尊を棄て、平和主義を棄て、権力に迎合する今の行き方を、池田先生の明確な宣言も無いのに、正統の弟子なら受け入れられるはずもない。
 

宮川雄法様m(._.)mダメよ~ダメダメ様へ

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール
 投稿日:2017年 9月10日(日)12時56分43秒
栃木の久保田です。m(._.)m

ダメよ様m(._.)m代理投稿ありがとうございます。m(._.)m

宮川雄法様m(._.)m強く深く同意致します。

原田ニセ会長みたいな内弁慶で臆病な奴共通してますよね。師弟の分断、罪は重いと思います。揃いも揃ってよくあんな『似た者同士』集まったものです。

戸田先生曰く『どぶ板を剥がしてみろゲジゲジとかしか居ないだろ』とか言われてましたよね?

真面目にやってたときもあったんだろうけれども今は完全に伏魔殿と化してます┐('~`;)┌

 

悪汁ブシャーさんへ「SGI規約」

 投稿者:おかとも
 投稿日:2017年 9月10日(日)11時55分13秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73732

会憲とセット販売のSGI規約。
風の噂です。

まさに現在のトレンド! 解任やら除名やらが強調されている。
会員除名の権限は各国SGIだけではなく、「日本に置かれる」SGIの本部も握る。
ところが(SGI本部の)「理事」については解任や除名の規定は無い。
個人の除名だけではなく、各国「団体」も除名できる。言ってみれば「破門」笑
その場合、御本尊も返還しろ。どこぞやらは「今後下付しない」だけだったが、SGIの場合は「返せ」。
各国SGIは、毎年の会計監査が終了し次第、SGIの本部に報告・提出せよ。

以上、うわさです。

歴史ある世界宗教カソリックの場合、
トップには様々な国の出身者が就いていますが、
新興世界宗教創価学会は、その「憲法」により、
永遠に日本人が牛耳る「世界宗」であり続けるようです。
 

復習・教学部レポート③

 投稿者:ダメよ~ダメダメ
 投稿日:2017年 9月10日(日)10時50分57秒
復習・教学部レポート②よりの続き。

以下、続き。

4.計画がもたらす影響

以下、御本尊に関する教義変更、及び会憲が実現した場合の問題点と影響を列挙しますが、何より重大なのは、池田先生に御迷惑が掛かることと、国内外の会員が苦しむこと、この2点です。


  4-1.御本尊の教義変更がもたらす影響  ①まず教義変更についてですが、総本部に安置される「学会常住御本尊」は日昇法主による「戒壇の大御本尊」の書写、国内外の会員が日夜拝している御形木御本尊は日寛上人による「戒壇の大御本尊」の書写です。本質次元においては、「戒壇の大御本尊」も、書写された御本尊も、南無妙法蓮華経という各じ法体が顕現したものであり、各質・平等と言えます。

  しかし、書写された御本尊には、「之を書写し奉る」と明記されており、「戒壇の大御本尊」を必要以上に否定すれば、書写された御本尊自体の存在根拠が不安定化しかねません。
会員が日夜拝している御本尊の根拠が揺らげば、会員の信仰が動揺してしまいます。
  大聖人の「出世の本懐」についても、専門委員会の場で谷川総長は「『出世の本懐』の意味だって変えればいいんだ。独立した教団なんだから、変えてもいいんだし、変えられるんだ。南無妙法蓮華経の御本尊を顕したことにすればいいんじゃないか」等と発言しています。教義は、一度変えたら後戻りはできません。変えるなら、完全な実証と理論の裏付けがなければなりません。失敗すれば、万代に禍根を残します。しかし現時点で、十分な教学的準備はなされていません。

  ②続いて、合議の体制の崩壊の可能性についてです。

全学会にとって最重要の課題でありながら、正常な意志決定の手続きが全く踏まれていません。
推進派は、他の執行部に対し話し合いを拒絶し、独断専行で事を進めています。
また、「全ては池田先生の強い意向である」と説明する一方で、池田先生に対して当然するべき御報告を全くしていません。結果として、池田先生を利用して、自分たちの方針を押し通そうする形になっているのです。一度、こうした意思決定が行われれば、合議の体制が崩壊してしまいます。

  ③さらに、会員の御本尊に対する信仰の動揺についてです。御本尊は、文字通り「根本尊敬の対象」であるゆえ、御本尊の教義が揺らげば、会員の信仰の土台が揺らぎます。
「今まで信じていたものは間違っていた。やってきたことにも意味がなかった」と、疑問を引き起こすことも必至です。
  会員の教義理解の度合いも様々なレベルがありますので、必ずしも全ての会員が教義の変更を受け入れられるとは限りません。その結果、御本尊を巡る不毛な論争が沸き起こり、組織は分断され、場合によっては分派も起きかねません。
「黄金の3年間」が「争乱の3年間」になってしまいます。 八尋弁護士は、周囲の人に「多少の退転はやむを得ない。9割は付いてこれる」という趣旨の発言もしています。谷川総長も「多少、血が流れるのはやむを得ない」と明言しています。 しかし、会員に無理なく理解させていくための準備は全くなされていません。

  ④最後に宗門からの攻撃についてです。

協議の拙速な変更は、学会攻撃の格好の口実を宗門に与えてしまいます。
教学部が懸念しているように、ある程度の道筋が見えているとはいえ、完全完璧な実証と理論の裏付けがあるとは言えない実情があります。
  学会は、これまで、日顕の「戒壇の大御本尊」否定発言や正本堂破壊を大謗法として破折してきました。そうした論拠も自ら崩してしまうことになります。
第一線の会員は、坊主や法華講などから、ここぞとばかり攻撃されると予想されます。
  宗門事件それ自体が、「日蓮大聖人法門を厳格に護る学会を、堕落・逸脱した宗門が破門した」という図式ではなく、「教義を変えた学会が、教義を護る宗門から破門された」という図式に変わってしまう可能性さえあります。


  4-2.会憲制定がもたらす影響

①会憲には、上記の御本尊に関する教義変更が明記されています。

「学会常住御本尊」を根本の大本尊、「広宣流布大聖堂」を根本道場と位置づけているのです。

  ②会憲には、それ以外にも多くの問題を孕んでいます。

例えば、「会長」の条文には「(世界創価学会)会長は、日本『創価学会』の会長が就任する」とあります。日本に圧倒的な経験の蓄積があるので、日本主導で世界広宣流布を推進することは、実際上のSGIの組織運営としては何ら問題はありません。海外組織の中心者たちも、それで十分納得しています。

ただ難しいのは、それが「明文化」された場合です。  例えば、日本の副会長に女性は1人もいませんが、会則には「女性を副会長にしない」とは定められていません。
女子職員は結婚すれば退職することになっていますが、雇用契約には「結婚したら辞める」とは定められていません。
これらは明文化されない「不文律」であり「慣行」であり、「実際上の判断」です。もし、これを「明文化」すれば、「男女差別」の団体として社会的な糾弾の対象になってしまいます。
  「日蓮世界宗」は「世界宗教」なので、その「世界性」「普遍性」「平等性」が問われます。
この条文を読んだ海外の宗教学・仏教学の研究者から、「世界の会長を日本の会長が努めるという条文は、なぜあるのか。仏教の平等の精神に悖るのではないか」と疑問が呈された場合、全く答えようがありません。日本の侵略戦争の犠牲になった国々から、日本優越主義と受け取られることも懸念されます。特に、韓国や台湾では、「日本の宗教である」ことが弾圧の理由になっています。日韓関係、日中関係も悪化の一途を辿っておりますので、更に事態が悪化した場合、再び弾圧や迫害が起きないとも限りません。

  ③会憲には、日本創価学会会長(=世界創価学会会長)の権力を制限する規定は一つも定められていません。池田先生がいらっしゃる限り、それでも何の問題もありません。
今の「創価学会会則」でも、日本の会長の権力を制限したり、会長を罷免したりする規定はありませんが、池田先生が上から厳しく指導されているので、実質的に権力が制限されているのと各じ状態です。しかし、近い将来を考えれば、全世界の教義・人事・財政・活動方針といった重要事項について一人の人間が全権を握れる体制は極めて危険と考えられます。

700年前の「日興遺誡置文」にさえ「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からず事」「衆議為りと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧く可き事」と、「貫首」と「大衆」の双方の権力を抑制する規定が存在しています。


復習・教学部レポート④に続く。
 

北京の行事

 投稿者:おかとも
 投稿日:2017年 9月10日(日)10時40分49秒
今日の聖教報道の、こうした類のイベントには、
以前なら博正さんが参加されてましたが、
そうならなくなったのは、
「メモ」
にある池田家外しの一環ですね。
 

強いなーれ、強くなーれ、絶対に強いことがあ~正義なんですよ!?

 投稿者:大日本創価査問センター
 投稿日:2017年 9月10日(日)10時39分5秒
カンビース!ありがとよ、俺のことが第一面だよ、写真はないけどね。明日の紙面には掲載されるんだよ?

いいか!よく新聞読めよ、第三面だよ、識者が語るなんとか運輸の代表者の話。

強くなーれ、強くなーれ、強いことがあ、正義なの。それが幸福なんですよ。皆が幸福になる必要は無いの!
俺が強くてえ、正義でえ、幸福なの!わかったか!
どんな手段を講じても、強いことが正義ぃ~なんだよ!
池田先生の名代として、中国行って人民大会堂でえ、先生みたいにカッコ良く会談するのがあ~夢だったんですよー

ファッ、ファッ、ファッ、ファッ、ファッァ~
大日本日蓮世界宗創価学会、総裁の俺にィ~皆んな跪坐く日が間近なんですよオ~
 

メアリーの子羊

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2017年 9月10日(日)10時35分52秒
小作人さん、同感です。ドンマイです。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73991

→私は『人間革命 第12巻 涼風』を読んで欲しい。立正安国論が分かるようになるはずです。三災七難が。数十年前は非科学的だと言われましたが、今はその科学が味方してくれています。ところで怪鳥ロプロスが三重まで飛んで来たてか? こっちに向かっているのか? 奴の足首には輪っかをつけて監視すべきだ。警視庁じゃなくて気象庁が。

匿名希望さんは重要な所を指摘されています。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73981
>本幹の記念映像は、なぜその重要な部分を削除したのか? 死刑という言葉に、会員、外部が勘違いするのを恐れて削除したのか? それならば、ナレーションで背景を解説すれば良いことです。私は今回、削除された部分が、一番重要な部分だと思って、学び、伝えてきました。原田執行部のご都合主義、弱さには、残念です。<

→池田先生・創価学会は死刑廃止を訴えています。なのに「死刑」という言葉を使わざるを得ないほどの巨大悪だというのです。そう表現することでしか伝えられない悪なのです。
それを説明する実力がない。言論戦などというが、そんな実力はない。本来なら池上彰に負けないくらいの言論力があったはずだ。大阪では八尾くらいだろうか。説明できないから質問も恐れ、事なかれ主義に人間主義が侵されていく。特に折伏と称する「宗教の勧誘」に顕著だ。野球で言う「ボールを置きにいく」というやつだ。負けるな藤浪晋太郎!

ダメよさん、『復習・教学部レポート』シリーズ、ありがとうございます。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73982
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73984
>「池田先生のいらっしゃる今やるしかないんだ」と既定の方針を受け入れるよう強要<
>教学部が原田会長に窮状を訴えたところ、原田会長からは「全ては池田先生に御指導を頂きながら進めていることだ」と逆に叱責を受け、秋谷議長らの考えに従う<
> その後、教学部として長谷川本部長と大山第一庶務室長に確認したところ、「全ては池田先生に御指導を頂きながら進めている」という原田会長の発言が事実と全く隔たっていることが判明<

→やはりここですね、急所は。「弟子の皮を着た畜生」という本性。
元職員3名がサイレントアピールする「池田先生の健康状態を公表」が重要ですね。
「池田先生はお元気」……これが一番のウソですね。このウソの奥にある邪悪を赤ずきんちゃんは見破らなければ喰われてしまう。「♪狼なのよぉ~気をつけなさいぃ~」だ。「♪羊の顔していても 心の中は 狼が牙をむく そういうものよ」だ。「♪この人だけは 大丈夫だなんて うっかり信じたら 駄目駄目 駄目駄目 あー駄目駄目よ」だ。「♪今日もまた誰か 乙女のピンチ」だ。
https://www.youtube.com/watch?v=x0a1UGXNDPM
「池田先生はお元気」……「通さばリーチ」のつもりか?
「池田先生はお元気」……これを通せば全てが通る。「全ては池田先生の御意向(御威光)」。教義変更も、集団的自衛権行使も、共謀罪も、会憲も。
SGI会長は日本創価学会怪鳥よりも下? それも「全ては池田先生の御意向(御威光)」。

羊千匹(374919さん、ミミズとちゃいまっせ)。獅子一匹? どこに?

“メアリーは小さな子羊を飼っていた その羊毛は雪のように白かった メアリーが行くところどこでも 子羊もついて行った”
“君は彼女たちの歌を聞けた ラララララララララ”
“ある日羊は学校へとついて行った それは規則に反する 子どもたちは笑い 学校の子羊を見て楽しんだ”
“すぐに教師が追い出した それでも近くに居残って 辛抱強く待っていた メアリーが現れるまで”
“「でも子羊はメアリーをすごく愛していた」真剣な子どもたちは叫ぶ 「そしてメアリーも子羊を愛している ほら」教師は返答した”
“君は彼女たちの歌を聞けた ラララララララララ”
『メアリーの子羊』ポール・マッカートニー&ウイングス
https://www.youtube.com/watch?v=V7Ntu4Rw3yw
「こんなのはロックじゃない!」フーのピート・タウンゼントはビートルズと共にもはやポールは終わったと思ったらしい。これからはフー(最大音量でギネスブックに載っていた)の時代だと思っていたら、当時まだ小さかった自分の娘からこのレコードをせがまれて悔しがったそうです。ソフトパワー万歳!
 

mission 様

 投稿者:虹の戦士
 投稿日:2017年 9月10日(日)09時26分33秒 編集済
YouTube動画サムネイル>>この動画を再生する

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メッセージありがとうございます。

美しくない腹駄学会が「創価学会教学部顧問」とした創価大学教授宮田氏
は牧口先生のことをいろいろ研究されてるのに、以下のことは
知らないのでしょうか?

WIkipediaからです
”牧口は、宗教の価値を「実験証明」することであると強く主張した。
宗教というものは体験する以外にわかるものではない
水泳をおぼえるには、水に飛び込む以外にない畳の上では、
いくら練習しても実際にはおぼえられない。
勇気を出して自ら実験証明することです"

私はこれが創価学会の原点のように思えます。
座談会、みんなの体験談があっての創価学会。

教学も大切ですが、でも、まず
みなさんが真剣に信じ、祈り、その結果
体験したことのほうがわかりやすく、説得力が
あると思います。

医者に見捨てられたけど、必死に唱題したら
病気がなおった、お金に困って、必死に祈ったら
偶然買った宝くじが当たって必要なお金が
やってきたとか、そういう本当の体験談が
海外の人たちでも、私も信じてみようと
思うのだと思います。

宝くじの話は、去年タイの座談会で
タイに長く住んでる日本人の年配の男性から
ききました。

その体験をきいて、私もときどき宝くじを
買ってますが、真剣さが足りないのか
困ってないのが大聖人様にバレている
のか、宝くじはあたっていません。

そのかわり、なにか良いことがあるような
気がしています。もっと、願い事を明確
にしないといけないのかもしれませんね。

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美というと、詩人キーツの詩の一説

“美は真 真は美 それがすべて
  汝らが知り また知っておらねばならぬことだ“

この言葉を思い出します。

http://poetry.hix05.com/Keats/keats09.greecian.html

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http://imagine-happy-life.tokyo/

 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、三重総県の師弟勝利総会への御出席、誠にご苦労様で~す(笑)

 投稿者:カンピース
 投稿日:2017年 9月10日(日)08時49分16秒
おはようございます。原田怪鳥様、三重での師弟勝利総会への御出席、誠にご苦労様で~す(笑)

でも、珍しく谷川主任伏怪鳥様が1面を飾ってマスねぇ~、誠におめでとうございま~す(笑)

女性同伴でないからか? きちんと学会代表として、誰々と参加したと具体的に報道されておりまぁ~す(笑)

原田怪鳥様、どうか見習っていただいて、今後は訪問団とブチ上げるならば、具体的に誰々と行ったという報道をお願いしまぁ~す(笑)


ともあれ、原田怪鳥様、三重での総会で、ありがたぁ~い御指導をされたみたいデスが、少しばかり、ピントがズレておりまぁ~す(笑)

「異体同心」ではなくて、原田怪鳥様にとっては、「異体同組織」じゃあないんデスかぁ~(笑)

信心が無い怪鳥様にとっては、「組織による権力」しか頼るモノがないのはよく解るのデスが、

信心と組織をごちゃ混ぜにして、やってるコトは自らの「権力強化」ばかりなりでは、ますます求心力は失われマスよぉ~(笑)

「言っているコトとやっているコトが違う」と、会員は鋭く見抜いていると思いマスけどぉ~(笑)

それと、連日のごとく本部人事が紙面に踊ってマスが、これって、役職辞退者が増えているからデスかぁ~(笑)

まあ、ブラック企業顔負けのブラック宗教デスからぁ~、無理も無いコトと思いまぁ~す(爆)


今後も壇上からの「折伏だ!」「啓蒙だ!」との檄だけでは、先細っていくだけだと思いまぁ~す(爆)

この現状を打破するためにも、原田怪鳥様なり谷川主任伏怪鳥様なりの個人折伏、個人啓蒙、個人での財務4桁を希望しまぁ~す(笑)

珍聞紙面でも、本幹でも、イイですから、御発表いただける日がくるように、期待しないで待ってまぁ~す(爆)




 

「死刑」という表現

 投稿者:小作人@地上の発心
 投稿日:2017年 9月10日(日)07時54分24秒
匿名希望さんのご指摘通りの音声削除でしたね。
それこそナレーションの文句にあるように「たった3分何十秒」の訓示なのに。

(新入会の方は、人間革命12巻「宣言」の章をご参照ください)

なぜ「それを使用したものは、ことごとく死刑」と二度も繰り返しおっしゃったのか?
「死刑」のフレーズだと人聞きが悪いからって、ピントのズレた“忖度”してんじゃね~よ(怒怒怒(`д´)

追伸1
  鈴之助様、「解説」はしておりません。先生のご著作からの「抜粋」です。

追伸2
  ーQーさんドンマイ!

・・・では、ぼちぼち支度して王城会、、、じゃなかった、今年は、、、宝城会の着任行ってきます。
 

今週のことば 2017年9月10日

 投稿者:どうみょうてん
 投稿日:2017年 9月10日(日)07時31分16秒
さあ 躍動の座談会だ。
一人一人に光を当て
生き生きと体験を語れ!
「自他共に喜ぶ」
生命の讃歌を賑やかに!
 

根本清浄と三障四魔!

 投稿者:螺髪
 投稿日:2017年 9月10日(日)06時11分44秒
 おはようございます。

 生命論理から、三障四魔に少し迫ってみました。

 「此の法門を申すには必ず魔出来すべし 魔競はずは正法と知るべからず、第五の巻に云く『行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る 乃至随う可らず畏る可らず 之に随えば将に人をして悪道に向わしむ 之を畏れば正法を修することを妨ぐ』等云云、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ」(兄弟抄1087㌻)

 有名な御文ですから、通解はいらないでしょう(笑い)。

 「行解既に勤めぬれば」の“境地”を久遠元初の「根本清浄」から湧き出る「清浄」としたらどうでしょう。「信」によって得られるのと同じものです。

 「清浄」には、周囲のあらゆるものが襲いかかってきます。高圧縮の気団(高気圧)から、低圧縮の気団(低気圧)に空気が流れるのと同じです。「清浄」には、己心の外側から煩悩障・業障・報障の「三障」が、また、内側からも、陰魔、煩悩魔、死魔、天子魔の「四魔」が襲いかかります。とりわけ「四魔」は己心の中から起る“衝動”と言え、生きるために創造した六道、九界、つまり古い「識」(=智慧)との闘いだと見ることができます。

 その意味でも、心王(しんのう)、心数(しんじゅ)の心王(しんのう)は、己心の中心の「根本清浄」から生み出される「清浄」と言えるかも知れません。既成勢力と、新進勢力との闘いというのは避けて通ることのできない、すでに「生命」の誕生とともに組み込まれた仕組みなのでしょう。その「存在」を賭けた闘いです。

 その「闘い」そのものを、「離れる」のではなく、「切り捨てる」のでもなく、「煩悩即菩提・生死即涅槃」と、むしろ「活かす」方向に転じたのが法華経、なかんずく大聖人仏法の極意なのではないでしょうか。その極意とは「明らむ」です。「明らめ」て、その機能を活用することです。

 「法華の心は煩悩即菩提生死即涅槃なり、離解の二字は此の説相に背くなり 然るに離の字をば明とよむなり、本門寿量の慧眼開けて見れば本来本有の病痛苦悩なりと明らめたり 仍つて自受用報身の智慧なり、解とは我等が生死は今始めたる生死に非ず本来本有の生死なり、始覚の思縛解くるなり云云、離解の二字は南無妙法蓮華経なり」(御義口伝773㌻)

 「一切衆生生老病死を厭離せず無常遷滅の当体に迷うに依つて後世菩提を覚知せざるなり、此を示す時煩悩即菩提生死即涅槃と教うる当体を礼拝と云うなり、左右の両の手を開く時は 煩悩 生死 上慢不軽 各別なり、礼拝する時両の手を合するは煩悩即菩提生死即涅槃なり、上慢の四衆の所具の仏性も不軽所具の仏性も一種の妙法なりと礼拝するなり」(御義口伝768㌻)

 貪り、瞋り、癡か、慢心、疑いの煩悩は、「生命」がこの娑婆で「生きる」ために創造した「妙法蓮華経」の変化相です。十界互具の原理で、条件さえ整えればいつでも「仏性」に戻ります。脳の座でいえば、延髄、小脳、間脳などの「古い脳」(脳幹)にあたるでしょうか。「新しい脳」の大脳新皮質やその前頭前野などの統制によって自虐の道をたどるのを避けます。その総合自制の機能こそ、「明らむ」ことであるやにも知れません。

 「之に随えば将に人をして悪道に向わしむ」です。「悪道」とは、地獄、餓鬼、畜生の三悪道です。三善道の修羅、人、天に居たからといって関係ありません。九界の声聞、縁覚、菩薩にいたからと言って関係ありません。「随えば」三悪道に堕ちるとの仰せと拝せます。

 「之を畏(おそ)れば正法を修することを妨ぐ」です。もし「畏(おそ)れる」ことがあれば、「正法」を「修める」ことが不可能になるということになります。このごくごく当然の、もっとも普通の道理を説くことが果たして「カルト」なのか吟味してもらう必要があるでしょう。

 ※赤胴鈴之助さん、ご賛同ありがとうございます。また日々の投稿、いつも拝見しています。

 

21世紀への選択 自らの本質を思い出し、無知の鎖を切る P147 投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2017年 9月10日(日)03時45分17秒 編集済
21世紀への選択 自らの本質を思い出し、無知の鎖を切る P147 投稿します。
ポイント
*、テヘラニアン・・・・・・・
 この比喩でいう「拘禁」はすなわち「無知」を譬えたものです。

「無知」から自身を解放してはじめて、人は「錯覚の鎖」を脱し、洞窟外の清浄な光を

経験できるのです。

プラトンは、このような人を「哲人王」と呼び、彼のいう「理想の国家」を治めるのに

ふさわしい人だとしています。

そしてこの「光」を、プラトンは「真」「善」「美」を包含する理想だと考えています。

*、池田

「魂が学び終えていないようなものは、何一つとしてない」というプラトンの言葉には

いつも感動します。

人間の可能性を信じた素晴らしい言葉です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小作人@地上の発心さまが牧口常三郎の「価値論」を解説してくださいました。

【「真なるもの」すなわち「真理」は、認識の対象であって、けっして価値ではないことを
解明したものである。】

そして・・・>牧口の新たに樹立した価値体系は、美・利・善である。価値の最大・最高なるも
のを「大善」においている。<

ポイントは・・・真は価値ではないと言う事を理解して下さい。

価値の順序は、螺髪さまの意見が正しいと思います。

>「美・利・善」の価値は、美=好き嫌い、利=損得、善=善悪ではなかったですか。

 当然、「美< 利< 善」となります。<

だからといって、プラトンの価値が下がることはないと、池田先生は述べられています。

【「魂が学び終えていないようなものは、何一つとしてない」というプラトンの言葉には

いつも感動します。】

人間の英知は無限大であると先生は説いておられます。

地震、洪水、ミサイル、恐ろしいことは次々と襲ってきますが、祈りの御蔭で、不安はありません。
かならず人間の英知は、この苦難を解決する方法を、見つけ出すと信じているからです。

鈴之助
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上野殿後家尼御返事にいわく
「夫(そ)れ浄土と云うも地獄(じごく)と云うも外には候(そうら)はず・ただ 我等がむねの間

にあり、これをさとるを仏といふ・これにまよふを凡夫と云う、これをさとるは法華経なり、

もししからば法華経をたもちたてまつるものは地獄即寂光(じゃっこう)とさとり候ぞ、

たとひ無量億歳のあひだ権教を修行すとも、法華経をはなるるならば・ただいつも地獄なるべし」(1504-09)と。

現代文

生活していくうえで、極楽浄土と云ったり地獄(じごく)と云ったりしますが他の事ではありません。
地獄も極楽も私たちがむねの間(命)にあるのですよ。

このことをさとる人を仏というのです。これにまよう人を凡夫といいます、これをさとるには

法華経です。

もしそうであるならば、法華経をたもっているひとは、地獄即寂光(じゃっこう)とさとっています。

たとえ長い間念仏・真言など権教を修行しても、法華経を、はなれたならば・ただいつも地獄

なのですよ。
 

21世紀への選択 自らの本質を思い出し、無知の鎖を切る P147

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2017年 9月10日(日)03時42分50秒
21世紀への選択  自らの本質を思い出し、無知の鎖を切る P147

テヘラニアン
 そうです。そのことに言及する前に、まずプラトンの「認識論」から順を追って述べたいと

思います。

 プラトンは『国家』のなかの有名な「洞窟の比喩」で、人間の在りようを、暗い洞窟内

に縛られている囚人の状態に譬えています。

 洞窟内の囚人は、直接外界は見えず、外の光が洞窟の壁に映している「物の影」しか見

えません。

プラトンは、この洞窟内の囚人の感覚と、洞窟外の直接光による認識を区別します。

池田
 洞窟内の囚人は影しか見えないのに、その影を実体そのものと思って錯覚する。

 囚人はわれわれ、現実社会の普通の人間ですね。

 つまり、プラトンによれば、私たちがふだん見ている事物は「倒錯」にしかすぎない、

ということになる。

テヘラニアン
そうです。この比喩でいう「拘禁」はすなわち「無知」を譬えたものです。

「無知」から自身を解放してはじめて、人は「錯覚の鎖」を脱し、洞窟外の清浄な光を

経験できるのです。

プラトンは、このような人を「哲人王」と呼び、彼のいう「理想の国家」を治めるのに

ふさわしい人だとしています。

そしてこの「光」を、プラトンは「真」「善」「美」を包含する理想だと考えています。

池田
 いわゆる「イデア論」ですね。牢獄はわれわれの日常の領域を表し、太陽に照ら

される世界が「理性の対象となる領域(ホ・ノエートス・トポス)」を表します。

イデア界です。

テヘラニアン
 私はプラトンの思想を私たちの言語に内包される概念で説明しました。

プラトンにおいて、感覚は人間の認識の二つの源の一対として、概念作用と対比されてい

ますが、しかしプラトンの見解では、感覚より概念作用のほうが優れた源とされています。

池田
 概念とは私たちが頭の中で考える領域、「理性の対象となる領域」ですね。

こちらのほうを、プラトンは優れていると考えていた。

理性によって、われわれはイデア界を認識することができると。

テヘラニアン
そうですね。この見解をさらに補強するのが、プラトンの「人間精神論」です。

池田
 「想起(アナムネース)論」ですね。

テヘラニアン
 そうです。プラトンによると、人間は別の世界・・・完全な認識が可能な世界・・・

つまりイデア界からやってきたが、現世に下りてくるうちに自分の出自を忘れてしまった。

ゆえに、「学ぶこと」は何か新しいものを得るというより、忘れたことを想起する過程

である、というのが、プラトンの考えです。

 ですから、彼の教育法は独特の対話術でした。

 そのなかでプラトンは学生たちに、彼らの精神が何を忘れているかを問うことによって、

学生を訓練したのです。

池田
 私もよく青年とソクラテスやプラトンを巡つて語り合うことが多いので、しばしばプラトンの

著作をひもとくことがあります。

 いま、言われた「想起論」は『メノーン』に出てきますね。

 「魂が学び終えていないようなものは、何一つとしてない」というプラトンの言葉には

いつも感動します。

人間の可能性を信じた素晴らしい言葉です。

厳密にいえば、プラトンの場合、「永遠の霊魂論」がその背後にあります。

「霊魂」という実体的な”もの”の存在を認めない仏教の観点からみれば、多少の違和感

はあるのは事実です。

しかし、「想起論」を「霊魂論」ではなく、「人間のもつ無限の能力」を表現したものと

考えれば、一転して、非常に示唆的なものとなります。

テヘラニアン
 まったく同感です。私の理解では、人間の学習能力は無限です。

だが私たちは、文化的な構成概念(概念成形)や五層から成る感覚体験(感覚)という網に

とらえられてしまっています。

私たちはより大きな理解へ進むために、洞察能力(精神的理解)や行動(試行錯誤)を必要と

します。

池田
 人間はどれほど崇高な力をもつか。

違った角度ですが、記憶や思考をつかさどる大脳皮質のシナプス(神経繊維)がそれぞれ結合

した場合、その結合は十の十万乗にまで達する可能性がある、と言われています。

宇宙全体の陽電荷粒子が十の百乗もないといいますから、実際は不可能にしても、人間

の可能性は宇宙を超えるのです。

「私は人の一万分の一しか、記憶力がなくて」といっても、約十万のゼロから、わずか四つ

をとっただけです。

テヘラニアン まったく変わりませんね。(笑)

池田
 これは一つの例ですが、人間はもっと英知を発揮できるはずです。

プラトンは、普通の人間を無知の鎖に縛られた囚人に譬えました。

しかし、プラトンのいう「無知」とは、初めから何も知らないのではなく、知っていたの

に忘れてしまった、ということです。

われわれは、自らの崇高な本質を「思い出す」ことによって、無知の鎖を切ることができ

るのです。

現代社会に広まる無気力や無関心は、この「崇高な人間の力」を確信できないことが大


きな原因です。

テヘラニアン
 同感です。人間の無限なる可能性を開花させる文明の出現を、現代社会は渇望しているのです。

 おそらく、プラトンやカント、また仏教やイスラムの叡知が果たすべき役割は非常に

大きいのです。

 この点、アリストテレスは、師であるプラトンの認識論を部分的ではありますが、受け

いれていました。

 アリストテレスは、知識の源としての感覚(五感体験)を最重要視しました。

それゆえ、彼は現代科学を創設した哲学者と見なされるのです。


池田
 感覚的世界と理性の世界の区分ですね。現実界とイデア界と言ってもよい。



 

本魔・仏敵は誰だ

 投稿者:サンダーバード
 投稿日:2017年 9月10日(日)02時17分52秒 編集済
さっきの話をもう少し具体的にだけど

たしか私が高等部の時だったと思うんですよね

で、話てくれたのが高等部担当だった男子部の方

で、その男子部の方の勤務先は自動車工場です

男子部の方が前工程で

死んだ人(男子部の方にとっては職場の先輩)が後工程

ミスがあるとスパナとか工具が飛んでくる

毎日毎日本当に嫌だったと、必死に祈ったと言ってました

で、自動車の下に潜り込んで作業している時に

自動車の下敷きになり死亡


私も自動車工場のライン作業の経験があるので想像は出来ます

毎日毎日、びくびくしながら8時間

死んでくれと思って当然

殺されても仕方ないような人間だったと思う

スパナとか投げつけられたら、殺すのは正当防衛ですね


で、私が言いたいのは、もしその人が本当は仏の味方だったらどうするんですかってこと

たとえば北条さん、すでに亡くなっているけど

北条さんは先生を守ろうとしていたと言う人もいます

かりに北条さんがどこかに生まれていて

皆の北条けしからんって思いが通じて

くしゃみで済んだらよいけど

石につまずいて転んで怪我したらどうするんですか
 

(無題)

 投稿者:-Q-
 投稿日:2017年 9月10日(日)01時19分2秒
牧口価値論の各要素の並びについては、当方の記憶違いでした。皆さんのご指摘通り「美・利・善」が正しい順です。

美は芸術的価値、利は経済的価値、善は人道的価値と考えていたため、経済は芸術より劣位にあるものと思い込んでいました。訂正のうえお詫びします。失礼しました。

 

復習・教学部レポート②

 投稿者:ダメよ~ダメダメ
 投稿日:2017年 9月10日(日)00時00分44秒
①よりの続き。

以下、続き。

しかし、こうした訴えは、にべもなく撥ねのけられ、「付いてこれない会員が多少いてもやむを得ない。池田先生のいらっしゃる今やるしかないんだ」と、既定の方針を受け入れるよう強要されました。
  ③教学部が原田会長に窮状を訴えたところ、原田会長からは「全ては池田先生に御指導を頂きながら進めていることだ」と逆に叱責を受け、秋谷議長らの考えに従うよう指導されました。
  その後、教学部として長谷川本部長と大山第一庶務室長に確認したところ、「全ては池田先生に御指導を頂きながら進めている」という原田会長の発言が事実と全く隔たっていることが判明しました。
  その後も専門委員会が開かれるたびに、秋谷、谷川の方針に従うよう強要を受けましたが、教学部は「池田先生を苦しませたり、会員を悩ませたりすることはできない」と自らの主張を譲りませんでした。
  ④9月20日には、日本の執行部、SGIの首脳、教学部などによる会議が開かれました。
そこでも、原田会長の方針に多くの出席者から強い懸念が示され、原田会長は、事実上、その方針を撤回せざるを得なくなりました。
  ところが、9月26日に世界の主要国の中心者を招集した会議で、原田会長は、一度撤回した方針を再度打ち出しました。
さらに、日本創価学会会長が世界創価学会をコントロールすることを明文化した会憲を発表し、11月の来日の際に賛各の署合をするように求めたのです。
  こうした説明も、全ては池田先生の強い意向であるかのような雰囲気で行われているため、各国の中心者たちも、ほとんど異議を唱えることはできませんでした。それでも、「創価学会は日本の宗教である」として弾圧を受けてきた台湾の林剣理事長から、日本中心の考えが明文化されていることに率直な不安が表明されました。
  各国の中心者たちは、日本の幹部の前では遠慮していても、「このようなことは、国に帰って説明できない」と一様に困惑し、苦悩していました。
  ⑤その後は、教学部が主張を全く曲げないため、4人の推進派は大幅に後退を余儀なくされ、10月3日の中央会議で、原田会長は再度方針を撤回する形となりました。
それでも、方面長たちから、会長の説明に疑問が出され、答えられなくなった原田会長は、しばしば立ち往生する有様でした。
  ⑥にもかかわらず、中央会議の翌日、教学部に対して、既定の方針を貫くという原田会長の指示が谷川総長経由で伝えられました。
10月末に再度、中央会議の意義を込めた方面長協議会を開き、師範会議、総務会、最高指導会議、各国SGI首脳会議を通じて、11月8日に全世界に向けて発表する算段のようです。
  ⑦しかし、会憲の条文の不備も次々と明らかになり、当初の計画はほとんど破綻状態です。
それでも、秋谷議長、原田会長の意志は変わらず、事態は混迷の一途を辿っております。

  
 

同盟題目

 投稿者:
 投稿日:2017年 9月 9日(土)23時55分18秒
今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族 が健康長寿であります様に
原田会長、副会長、弁護士の詐欺師ネズミ男達に働かされている
創価学会職員の皆様方に
御題目をおくらせていただきました
おやすみなさい
 

復習・教学部レポート①

 投稿者:ダメよ~ダメダメ
 投稿日:2017年 9月 9日(土)23時45分44秒
既に4年が経過していますが、この教学部レポートの通りにこの数年徐々に推移しています。

信濃町界隈は躍起になってこの文書の存在そのものを否定し、怪文書扱いしてきましたが、教義、会

則、そして今回の会憲制定とほぼ教学部レポートで指摘をし、危惧していた状況になっている。

今回の会憲制定でますます暴走している信濃町界隈。この機会に教学部レポートを復習してみましょ

う。


【2013/10/13】総本部の御本尊と日蓮世界宗創価学会会憲の問題点

1.御本尊の教義変更と会憲制定の計画

①いわゆる「戒壇の大御本尊」から完全に決別し、総本部に安置される「学会常住御本尊」をもって創価学会の新しい「大御本尊」とする、教義上の大転換の計画が進んでおります。
その大転換が、総本部完成という今の時に合わせ、「池田先生の強い意向」として発表されるのです。総本部である「広宣流布大誓堂」に設置される池田先生の碑文にも、「学会常住御本尊」が「大御本尊」であると明記されています。

  ②さらに、総本部の完成とともに世界宗教としての体制も完成させるという構想のもと、全世界の創価学会の憲法である「日蓮世界宗創価学会会憲(世界創価学会会憲)」が制定される運びとなります。
「会憲」には、「学会常住大御本尊」を根本の大本尊、「広宣流布大誓堂」を根本道場とする旨が謳われています。
また、世界創価学会会長には日本創価学会会長が就任するという規定が明文化され、日本創価学会会長が、教義・人事・財政・活動方針の全てにおいて世界をコントロールする体制が打ち立てられることになります。

  2.計画が孕む問題性

この一連の計画を主導しているのは、秋谷議長、原田会長、谷川事務総長、八尋弁護士の4人です。
  計画は、世界宗教としての体制の完成という大義合分とは裏腹に、世界宗教としての体制を崩壊させる危険性をはらんでいます。日本の最高幹部からも、「信仰の根本の問題なのだから、もっと皆の意見を聞いて、もっと時間をかけて、慎重に進めるべきだ」と心配の声が上がっています。
  にもかかわらず、秋谷、原田、谷川、八尋の4人は、「池田先生の強い意向」と「教義の裁定権は会長にあるという会則」を盾に、独断専行に近い状態で強行突破を企てています。

  このままの計画が実現すれば。
  ①国内外の会員の信仰が根本から動揺し、組織も混乱し、日本と各国のSGIとの関係も悪化し、結果として創価学会は衰退を余儀なくされます。

  ②また、全てが「池田先生の強い意向」として行われるため、池田先生の歴史と業績が致命的に汚され、一切の混乱の責めが池田先生一人に集中することは確実です。

  3.問題の経過

①一連の計画は、秋谷、八尋を中心に、2、3年前から秘密裏に進められてきたようですが、詳細は不明です。
  ②本年春には、SGI各国の首脳を集めて、「会憲」の概要が説明されています。
  ③御本尊の教義については、総本部の慶祝委員会(谷川委員長)のもと、9月に専門委員会が発足しました。
メンバーは秋谷、谷川、八尋、金沢、森田康夫に、教学部から遠藤、森中、宮地が加わりました。
  専門委員会では、御本尊の意義について議論を深めるというのは見せかけで、内々で既に決まっている方針を教学部に承認させ、その方針に沿った説明文を作らせるための場に過ぎませんでした。
  教学部側は、いわゆる「戒壇の大御本尊」を巡る議論については、ある時期に決着をつけなければならないのは確かだが、学会が過去何十年にも渡って尊重してきた経緯もあるので、教義の根幹が混乱したり、会員の信仰が動揺したりしないよう、慎重の上にも慎重を期すべきだと訴えました。
 

記念映像のスピーチ改編

 投稿者:匿名希望
 投稿日:2017年 9月 9日(土)23時25分50秒
本幹に行ってきました。

記念映像、素晴らしい内容でした。

が一点、戸田先生の宣言のスピーチ改編されてる部分がありました。そこが残念。

改編部分【】が切り取ったと思われる部分(うる覚えですみません。。)

それは、もし原水爆を、【いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。】なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利を脅かすものは、これ魔物であり、サタンであり、怪物であります。【それをこの人間社会、たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でも、それを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります。】

要は、使用したものは、いかなる理由があろうとも死刑にしなければならない。それぐらい重い罪なのだ、と戸田先生は主張しています。

宗教家として、日蓮仏法として、死刑という制度そのものに相反する部分があるにも関わらず、戸田先生は、核兵器を使用した者、民族は、死刑にしなければならない。

と仰っています。

本幹の記念映像は、なぜその重要な部分を削除したのか?

死刑という言葉に、会員、外部が勘違いするのを恐れて削除したのか?

それならば、ナレーションで背景を解説すれば良いことです。

私は今回、削除された部分が、一番重要な部分だと思って、学び、伝えてきました。

原田執行部のご都合主義、弱さには、残念です。

STBに追加する際は、編集し直しおいてください。

よろしくお願い致します。
 

ツイッターより

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ
 投稿日:2017年 9月 9日(土)23時07分10秒
最近のツイッターは盛り上がってますね(笑)

「地区部長とすれ違って「広布部員」申込書を渡されたので、考えときますと答えた。毎週会合や協議会、着任で時間を拘束し、各種の勧誘・選挙運動やらせ、移動も動員も全て手弁当の上「上納金」まで納めてくれる。非課税。こんなに美味しい商売はないわな。今般「会憲」で権力基盤も強化。賢い人達だ」
 

以上は、新着順1番目から50番目までの記事です。

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