生長の家創始者 谷 口 雅 春 大聖師
菊地藤吉さんは、嘗て日本共産党員として北海道の全逓の闘争委員長をやっておられた人であります。 きわめて真面目な人で、人類を救うためには、どうしても、制度をかえなければならない、その制度によって人間に配給される物質の量が変り、それによって人間の幸福の量がかわると言うのでありまして、共産党員の方は皆唯物論者でありまして、この世の中は物質でできていると考えている。 その物質でできていると考えているこの世界をよくするには、物質的なものを破壊して行かなければならない。 従って人間を幸福にするのは制度を破壊しなければならないというわけで、きわめて真面目にそれに従事しておられたのでありますけれども、
「生長の家」 に触れられましてから、この世界は物質の塊でできているのじゃない、物質と見えているのは、実は心の相が現れているのである。 いくら形をかえても、結局心が変化しなかったならば、人類は救われないのである。 こういう気持におなりになりまして、そして 「生長の家」 の講師として活動し、各所で講演をやっておられるのであります。
この間北海道の 「滝上」 という所で講演をやられました。 そして講演を終りまして、演壇から降りて控室の方へ行こうとすると、後から菊地君の肩をポンと叩く男はある。 「おい、君、菊地君」 振り向いて見ると、「おお、下山君か」 ― というのは全逓の闘争委員長をしておった時に、相棒になって大いに活動しておったところの、やはり共産党員の友達であります。
「おお、しばらくぶりだな、今日は道を歩いていると、君の講演会があるというので久しぶりに君の顔も見たいし、そして話も聞こう、どんな話をするのだろうと思ってやって来たんだが、君の話を聞いていると、この間ぼくが10月の11日に、あのラジオ放送を聞いたその時に、谷口雅春という人が、『希望の泉』 という時間で話しておったが、その時に話をしておったこととよく似たことを話しているではないか。」
「いや、僕はその谷口雅春という人のやっている 『生長の家』 という、その教えの団体に今入っているんだよ。」
「どうしてまたそんな団体に入ったのか?」
「いや。 それじゃ君もしばらくぶりだから、一緒にお茶でも飲みながら話そうじゃないか。」 こういう訳で喫茶店に入ってお茶を飲みながら話したのであります。
そのとき菊地君が言うのに、この世の中は物質の塊じゃない、すべてこの肉体と見えているもの、形ありと見えているもの、あるいは制度と見えているもの、ことごとく形の現れていると見えるものは、これは心の相というものが現れているものなんだ。 肉体の病気だってやはり同じことなんだけれども、心で見る通りにこの世界というものは現れて来るのである。
われわれはいままで闘争闘争と考えていた闘争によって世界をよくすることができるんだ、できるんだ、こう思っていたんだけれども、人を悪いと思い、そして悪いことを認めて彼と闘争して、相手をよくしようと思ったってそれはできないんだ、悪いと見れば悪い相が現れて来るのであって、よくしてやろうと思っても、相手を悪いと思っている限りにおいては、人間は決して相手をよくすることができないということがわかったのである。
本当にすべてのものをよくするのには、すべての人間は神の子であって、初めから完全円満なものであるから、罪なんていうものは決してないんだ、悪いやつは一人だってないんだ、皆神の子であり、仏の子であるということを本当にこちらの心で拝みきることができた時に、相手が完全な姿になって現れて来る。
すべての人間はそういうように神の子であり、仏の姿だと本当に拝んだ時に、この世界が血塗らずして、闘争せずして完全になってしまうのだ。 ・・・・ 菊地君がこういう話をしました時に、
下山藤太郎君は 「この間、ぼくが10月の11日にあの 『希望の泉』 の時間に、谷口という人の話を聞いておったら、僕の神経痛が治ったのは、その谷口と云う人の話をきいた結果かも知れない』 と言って次のような話をしたのであります。 ――
実はその頃、私の家内が、自分の子供が思うように行かないので、自分の子供は、悪い子だ、悪い子だ、何とかしてよくしようと思って悩んでおった最中でしたので、ラジオ放送を聞いて、人間は神の子で完全であると知って、「ああ、今まで自分の子供が悪い子供だ、悪い子供だと思って、それをよくしようと思っておってもどうしてもよくならなかったが、これは自分が、うちの子供は悪い子供だ、悪い子供だと思っておったためにそうなっておったのだ、ああ、神様こしらえた神の子なるものが私の子なんだ、罪なんてないのだ、罪ある子供はないのだ、悪い子供はないのだ」 こう感じられてそこに思わず涙を流して泣き出したというのであります。
その時に、ラジオ東京の放送が、北海道では実に距離が遠いものですから、時々音が大きくなったり消えそうになったりする ― その時すうっとその音が低くなって来ましたので私 〈下山藤太郎君〉 は、右の手を延して、ラジオの音量を加減するあのつまみをひねってぐつと廻した。 そうしたらまた大きく聞えて来た。 家内が泣いている。
泣いていた家内が “あなた右手が動いたじゃないですか” と言った。 ハッと気がついてみると、2,3ヶ月前から、右手が神経痛で動かなかった。 もし動かそうとすると痛くてたまらなかったのが、痛くも何ともなく、手を伸ばしてラジオの 「つまみ」 を廻すことができておったのだということが判ったのですね。
“あ、どうしてこんなに治ったのだろう、これは偶然に治ったのだろう” と私は今まで思っておったのです。 ところが君の話を聞いた時に、“人間は物質じゃないのだ、肉体じゃないのだ、そんな悪い者はないのだ、病気になるような肉体はないのである” ということを聞いた時に、そうして “悪い子供はないのだ、悪い人間はないのだ、罪ある人間はないのだ” ということを聞いて私の心が変ってしまった。 “ああ、人間は神の子だ、完全だ、呪うものは一つもないのだ” こう気がついた時に、その時にぼくの心が変ったのでしょう。 そしたら、本来 “人間神の子” の完全な相がここに現れて、そうしてこの病気が治ったに違いない。
これが下山藤太郎君の述懐だったのであります。
『生命の實相』 第1巻の巻頭に、「生命の自性完全円満を自覚すれば神癒となって一切の病が消えてしまう」 ということが書いてありますが、それが本当に此処に実証せられたのであります。
『放送 人生讀本』 256頁 ~ 261頁
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10月11日放送の 『希望の泉』 は第7回放送分ですが
CD、カセットテープで販売されているのでしょうか。