ドキュメンタリー対談 ドキュメンタリー監督 松江哲明×演出家・振付家 冨士山アネット 長谷川寧
卒業制作の『あんにょんキムチ』から、一貫してドキュメンタリー作品を撮り続ける松江哲明。セルフ・ドキュメンタリーとして、自身の身近な事柄を題材にした強烈で生々しい作品を発表する一方で、昨年テレビ東京で放送された『山田孝之の東京都北区赤羽』、そして今春放送された『その「おこだわり」、私にもくれよ!!』では、俳優が俳優本人として出演することで、リアルとフィクションの境界をなくし、視聴者に驚きと興奮を与えた。そんな松江が監督した『おこだわり』に振付で参加した長谷川寧は、冨士山アネットというカンパニーを主宰する演出家・振付家である。出自は演劇だが、近年はダンス要素の強い作品をつくっており、テレビ、ミュージックビデオの振付から『死刑執行中脱獄進行中』などの外部作品の演出・振付まで手がける。そして現在、自身のカンパニーでは、ダンスはダンスでも、ドキュメンタリーを意識した作品づくりへとシフトしている。そんなふたりがドキュメンタリーをテーマに対談を行った。
『その「おこだわり」、私にもくれよ!!』の「おこだわり」ダンス
──今回の対談は、長谷川さんが“松江さんとドキュメンタリーについて話したい”ということで実現しました。普段、長谷川さんは舞台作品の演出や振付をされていて、松江さんは映像作品のドキュメタンリー監督をされていますが、この対談を見てくださる方は、ふたりの接点を知らない人もいると思うので、まずは、そこからお話していただけますか?
長谷川 松江さんが監督をしていた『その「おこだわり」、私にもくれよ!!(以降、おこだわりと表記)』の6話に振付で呼んでいただいたのが最初です。『おこだわり』のプロデューサーが、もともと知り合いで、本当に撮影の4、5日前に急に連絡がきたんですよ(笑)。で、6話だけかと思っていたら、ありがたいことに最終話も、という話になって……。
松江 もともとは、この作品にダンスシーンが入る予定は無かったんですよ。6話は最初の台本では、(オシリ)ペンペンズの道下(慎介)さんがベンチでギターを弾き語りするという設定だったので。だけどロケをしようと思った場所が使えなくて、代わりに用意されたのが野外ステージだったんです。その時に、本当に思いつきで「ここで撮るなら、いっそのこと踊ったりできないですかね?」と言ったら、スタッフが盛り上がって。その翌々日には長谷川さんの「おこだわり」ダンスが送られてきたので、「すげえ!」と思いました。その撮影がすごく楽しかったんですよね。その段階では、まだ放送されていないから視聴者のリアクションはわからないんですけど、きっと、この回は観る人にとってターニングポイントになると思いました。『おこだわり』には、“バラエティ番組をやっている”というフィクションの設定があるんですけど、6話はそれがガラッと変わる回。バラエティ番組だったものが、松岡(茉優)さんが問題を起こしてネットで炎上したせいで、シリアスなドキュメンタリーに変わるという回だったんです。だから、このダンスは観ている人たちにとって、インパクトの残るものになるな、と思って。それで6話を撮ったあと、最終回のラストもダンスで終わりたいと思うようになったんです。最終回は、最初から松岡さんがモーニング娘。のライブに出ることは決まっていたのですが、台本はそこまでしか書いていませんでした。でもライブが終わったあとに、松岡さんと伊藤(沙莉)さんが、ライブ会場の外にばーっと走り出して行って、それこそ『幕末太陽傳』みたいに、現実の世界に帰って、この番組として終わる、ということが、たぶんあの「おこだわり」ダンスだったら、モーニング娘。のライブを見せた後でもやれるな、と思ったんですよね。
『その「おこだわり」、私にもくれよ!!』第6話より
ドキュメンタリーの撮影の仕方………10回やる程度なら1回目のほうが絶対に良い(松江)
長谷川 モーニング娘。のあとって、相当プレッシャーでしたよ……。僕は最終回の撮影は、冨士山アネットの『DANCE HOLE』のツアー中で行けなかったので、先にセッティングだけしたんですけれど、どうだったんですか? 一発撮りで終わったんですか?
松江 一発撮りで終わりましたね。僕、大体いつも一発撮りなんですよ。
長谷川 6話の撮影も、すっごい早かったですもんね。
松江 何回も同じことをやると僕が飽きちゃうのもあって(笑)。やっぱり1回目のエネルギーが一番良いということを経験上、知っているので。逆に粘って粘って追いつめて、真っ白になるくらいまでやれば、1回目を超えられるのかもしれないけれど、10回やる程度なら1回目のほうが絶対に良い。それはドキュメンタリーと劇映画の違いで、演者がいまいちでも、良い風が吹いたとか、太陽の光が差したとか、そういう偶然も捕まえなきゃいけないから。だから僕は例えば“ダンスが上手くいったかどうか”みたいなところは見ていないんですよね。それよりも、その場の空気感、踊っている最中に松岡さんと伊藤さんが抱き合ったとか、そういう全体のことを見ているんです。で、ドキュメンタリーって勢いも大事なので、気持ちをいちいち説明するよりも“ノリで2時間いっきにやっちゃった”みたいな時のほうが、絶対に撮れているものは面白いんです。
長谷川 松江さんは、最近だと俳優やタレントさんと仕事をする機会も増えていると思うんですけど、キャスティングの時点で、そういう松江さんのやり方をわかってくれる方を選んでいるわけですよね?
松江 それはそうですね。例えば『おこだわり』もフェイクドキュメンタリーではありますけど、それでも、その人本人として出てもらう時点で、そのへんの意図がわかる方じゃないと難しいし。でも本当にここ数年ですよ、俳優やタレントさんとお付き合いするのは。
──もともとはセルフ・ドキュメンタリーを撮っていたわけですものね。
松江 そうですね。自主映画で自分の家族のことを撮ったりしていたので。だから「あ、ゲリラ撮影って、こんなにピリピリするんだ」とか、わかったのは最近です(笑)。もともとAVの現場にいた時はゲリラで撮るのは当たり前で、むしろ悪いことをして周りのリアクションも含めて撮っちゃおう、みたいな感じだったし。
長谷川 そうなんだ…!(笑) でも6話を観た時に、松岡さんは大丈夫なのかなあと思いましたけど、番組をやっている間に本当に炎上するみたいなことってありました?
松江 いや、まったく無いですよ。いや……少しはあったのかな? でも、おおむね、わかって観てくれている感じはありましたね。
──あらかじめ“フェイクドキュメンタリー”と銘打っていましたしね。
松江 ただ、 “このドキュメンタリーは、フィクションです。”という不思議な言葉を使っているところに僕らとしては狙いがあって、フィクションだと言っておきながら、絶対に本当にしか見えないものを撮ってやろうというのが『おこだわり』のテーマだったんですよ。だから、観ている人が「でも、これは松岡茉優の本音なんじゃないか」とか「伊藤沙莉と本気で喧嘩しているんじゃないか」というふうに思ってくれたら、こっちの勝ちだな、というのはありました。本当のふたりの関係性が見えてくるものにしたかったし、どんどん虚実のルールを崩していこうと思ったので。“何が起きてもフィクションだよ”という枠の中で“本当”を入れていく。そういうことをやってみたかったんです。でも、ふたりは大変だったと思います。喧嘩するシーンのあとは本当に必ず抱き合っていて、そういうところも全部撮っていたので。僕がいない時も、どこかにカメラがあるんじゃないか、と疑っていたみたいです(笑)。
『その「おこだわり」、私にもくれよ!!』第5話より
バラエティ番組とAVの面白さ
長谷川 今、ふと思ったんですけど、松江さんは『電波少年』って観てました?
松江 観てました観てました。すごく影響も受けてます。
長谷川 やっぱり、そうなんだ。僕も観てました。
松江 『電波少年』で、ミレニアムカウントダウンの特番をやった時に、松本明子さんがフライングで“ハッピーニューイヤー”を言ってしまって、そのあとに「間違えた!」って言うんですけど、それをテレビでやっているのが、「すげえ!」って思いましたね。プロデューサーの土屋敏男さんは「100年に1回しかできないギャグだから、そのチャンスを逃すほうがあり得ない」と言っていて、すごく格好良かった。
長谷川 近い時期にやっていた『(天才・たけしの)元気が出るテレビ!!』や『(痛快なりゆき番組)風雲! たけし城』なんかも、すごく悪ふざけしてましたよね。
松江 そうそう。だから僕が好きなものって完成された金をかけたコントよりも、生々しいドキュメンタリーっぽいものなんですよ。例えば『元気が出るテレビ!!』で、高田純次さんが東大に入りたい人を応援する企画があって、すごくふざけたこともやるんだけど、その一方で受験生のそばで泣いたりもする。要はバラエティという設定で始まったものが途中で本気になっていくんですね。僕はそういうものがすごく好きで、そこはテレビの影響だと思います。で、そういうものって映画よりもテレビのほうが合うと思うんですよ。映画って、映画館に観に行く時点で“どう騙してくれるのか”って身構えちゃうんだけど、テレビって偶然点けた時に映ったものが全てで、その時の自分の状況や心情で全然見え方が変わってくるので。そして油断して観た時に「わ、騙された!」って、なるわけですよね。だからフェイクドキュメンタリーも絶対にテレビでやるべきだと思っていました。あとは僕、AVの影響も大きくて、カンパニー松尾さんが旅をして女の子たちに会うという企画で、女の子たちの部屋に何が置かれているのか、それが映っているだけで、下手なインタビューより、よっぽどキャラクターが伝わってくると思ったんですよ。しかもAVって絶対にテレビには出ないような、本当にヤバい人や、逆に言えばすごく普通の人が出るじゃないですか。そういう人が出てきてセックスをしちゃう、というのがすごく面白かった。だからAVとテレビの影響はすごく大きいです。
『Attack On Dance』………お客さんと対話をしたくなった(長谷川)
冨士山アネット『Attack On Dance』2015年初演 © Hideki Namai
長谷川 僕、『監督失格』(11年/平野勝之監督)は観ましたけど、あの時、松江さんは周りにいたんですか?
松江 いました。告別式のシーンに出てくる写真にも、僕、写ってるんですよ。
長谷川 女優さんが自宅で亡くなっているのを監督が発見した時に、その現場の様子が偶然床に転がったカメラに記録されているじゃないですか。あれは強烈でした。「あ、こんなことアリなんだ」と思って。逆に言うと僕がやっている舞台作品というのは、どうしたって“嘘”なわけですよ、それはもう“劇空間” というものが用意されてしまっている時点で。それでも、どうやって本当のことを見せられるかな、と思ってつくったのが今、リクリエイションしてツアーをしている『Attack On Dance』という作品なんです。去年の初演の時は、地下アイドルや、ジャグリング、舞踏の人など、出自の異なる10人のキャストに、最後はいっせいに7分間のソロダンスを踊ってもらいました。その最後のダンスに至るまでに、僕がダンスにまつわる色々な質問をして、 “YES or NO”や、動きで答えてもらったり、あるいは各々の答えを数値化してスクリーンに映したりしたんですね。そうやって、ある種ダンスの神秘性を剥がした状態で、最後に踊ってもらう。お客さんは、それまでのキャストの返答を通して、お気に入りの人ができたり、自分なりのイメージを抱いたりするわけですけど、そういったものが最後のソロダンスで「こんなふうに踊るとは思わなかった…」みたいに裏切られたり、元々は気にしていなかった人に目移りしたりするわけです。そういうお客さんの嗜好が面白いなあと思ってつくった作品です。映像業界もそうかもしれませんが、震災以降、何を舞台でやるべきか、みたいなムードが演劇業界にもあって、そういう中で僕はお客さんと対話をしたくなったんですよね。だから、ここ最近は出演者に役柄があるような、いわゆる“物語”はつくっていないんです。
冨士山アネット『Attack On Dance』初演ダイジェスト
松江 (初演の動画を観ながら)へえ…あはは。面白そうですね。
長谷川 今年は場所ごとにキャストも変えていて、横浜公演には着ぐるみの人なんかも出ます。昨日まで、ちょうど現地のキャストと北京公演をやっていたんですけど、この後にサンパウロに行って、最後が横浜ですね。でも、やっていて難しいなあと思うのが、本番中にキャストに質問を投げ掛けるんですが、どうしてもその行為にキャスト自体が慣れてきてしまうところ。
松江 あー、はいはい。
長谷川 だから、松江さんが撮影を1回で、という気持ちはすごくわかるんですよ。でも舞台はどうしたって繰り返さなきゃいけないから。
──舞台上での質問を日によって変えたりすることもあるんですか?
長谷川 稽古中に、とにかく様々な質問をキャストにしていきます。本番ではそれを踏まえた上で、新しい、出演者の知らない質問を差し込んでいきます。そうすると、出演者の解答がブレるんですよ。そのブレが一番面白かったりする。
ドキュメンタリーで志向すること………求めるのは新鮮さや、生々しい初めてのリアクションで、“リアリティ”が重要(松江)
松江 いや、なんか今日、呼んでいただいた理由がわかってきました。僕が好きなものも、結局ドキュメンタリー性があるものなので。すごく完成度の高い完璧なフィクションよりも、隙間のある、できるだけ生々しいものが好きなんですよね。で、限られた情報…例えば今の話で言えば、出演者に対して同じ質問をしていっても、その答えによって全然違う個性が見えてきて、それが見えた時に、お客さんも揺さぶられるんじゃないか、ということを僕も信じていますね。
長谷川 そうなんですよね。去年つくった時は、ダンス規制法がテーマの発端としてあったので、本番ではダンスにまつわる質問をしていくんですけど、僕は“ダンス”という言葉を、お客さんには自分の仕事や、身近な事柄に置き換えて観てほしいと思っているんです。……でも回数を重ねることで色々難しい問題が生じてくるなあと。松江さんは一発撮りと言っていましたけど、仮に回数を重ねないといけないとしたら、どうしますか?
松江 でも、“1回で撮るということを1ヶ月間続ける”というのも、ひとつのパターンになっちゃうんですよね。だから、僕は必ずしも“1回”にはこだわらない。要するに僕が求めているのは新鮮さや、生々しい初めてのリアクションで、“リアリティ”が重要なんです。でも例えば1ヶ月の撮影期間中、ずっと1発撮りを続けていると、だんだんカメラワークも決まってきて、どうしたって慣れてきちゃうんですよ。そういう時に、敢えて厳しくNGを出して、すごく追い込んだりすると、今度は“繰り返す”ということが初めての経験になったりする。だから、そういう部分は結構意図してやりますね。やっぱり、僕自身はフィクションもアニメーションも観ますけど、自分がモノをつくるなら、一番面白いのはドキュメンタリーだと信じているので。
長谷川 松江さんは、もし劇映画の依頼がきたらどうするんですか?
松江 断ってきました。
長谷川 それは自分の作家性の問題ですか?
松江 というより、そういう企画は他の人がやっても変わらないと思うからですね。僕は自分の作品や世界観みたいなことよりも、世の中に足りていないことをやりたいという気持ちが強いので、別にセンターには行きたくないんですよ。はじっこで表現の枠を広げたいという気持ちがある。僕が遠くに行けば行くほど、間を埋めようとする人が出てくるから、表現がどんどん広がっていくんじゃないかと思っているんです。真ん中にいると王道のことしかやれないから、僕ははじっこで、どんどんふざけたことをやりたいんです。
出演者との関係………ドキュメンタリーを撮ること自体が攻撃(松江)
『Attack On Dance.CN』(北京公演)2016年9月 © Killarb
長谷川 はじっこ…と言うと、例えば北京公演の時には検閲があって、 “芸術で政治は変えられるか”みたいな質問をしようとしたら制作側からNGが出たんですよ。
松江 え、それ、NGなんですか?
長谷川 そうなんです。あとは“軍隊”という言葉も使わないようにしたんです。中国には軍隊の中で踊るダンスがあるんですけど、それを“軍隊ダンス”と表現したら、それでは良くないという話になり “文工団(ブンコウダン)”という、日本語として一般的にはよくわからない言葉を僕自身が言わなくてはならなかったり。だから僕もその規制との隙間を埋めていけないかなあということは、すごく考えるんですけど、そういう時に日本人の僕はやり逃げできるけど、現地のキャストのことを考えると、そうもいかないわけで……。松江さんは、キャストを守るということに関しては、どう考えていますか?
松江 でも言ってしまうと、そもそもドキュメンタリーを撮ること自体が攻撃だと思うんですよ。というのは“演じていないですよ”というのが前提で、要はその人の現実を、プライベートをどうしても撮らざるをえないから。つまり撮ること自体に、すでに加害性があるんですね。それはもう絶対に。だからカメラに撮ることが良いことだなんて言っている人がいたら、それは絶対に偽善だし、僕は嘘だと思う。必ず傷つけるんですよ。だけど傷つけないとできない表現がドキュメンタリーなんです。で、僕は正直に言うと、人を傷つけても作品が面白くなればいいや、と思っていた時期があるんです。それが『童貞。をプロデュース』(07年)を撮っていたくらいの時期。別に出演している彼らがどうなろうと、作品が面白くなれば結果的に彼らにとっても良いはずだ、と思っていたんです。その気持ちが変化したのは、やっぱり震災の後ですかね。できるだけ撮った人が、“出て良かった”と思えることをやろうと思うようになりました。『フラッシュバックメモリーズ3D』(12年)はまさにそうで、あれはGOMAさんが生きるための道具にしてほしい、と思ってつくった映画です。やっぱり、こっちは悪いことをしていないつもりでも、ドキュメンタリーを撮ったあとに、全然予想もしなかったところから怒られたり、出演者に今後の上映を拒絶されたりすることがあったんですよ。それでもいいや、と思っていた時期もあるんですけど、やっぱり震災の後くらいに、ちょっと変わりましたね。それは、もしかしたら結婚したことも大きいのかもしれないけれど。でも、僕は“傷つける”ということを自覚しているのであれば、“傷つけてもいい”と言ってつくる人も、否定はしません。
──“傷つける”とは言っても、その人を魅力的に撮りたいとか、愛嬌ある部分を見せたい、みたいな気持ちはあるわけですよね?
松江 もちろん。だけど、それは映っている本人にとっては、どうでもいいことだったりするので。こちらの理屈はつくっている側の理屈で、自分の名前が出るというだけで関わりたくない、という人だっているわけですからね。でも今はこんなふうに話していますけど、もしかしたら今後、やっぱりこの作品だけは絶対に嫌だと言われても、訴えられても、それでもつくらなきゃいけない、と思うことが出てくるかもしれないですけどね。
『童貞。をプロデュース』2007年(構成・編集:松江哲明)
『フラッシュバックメモリーズ3D』2012年(監督:松江哲明)
ドキュメンタリーをつくる上での、それぞれの立ち位置
──作品のテーマが自分と密接な事柄の場合はどうですか? セルフ・ドキュメンタリーを撮る時は松江さん自身のこともカメラの前にさらされるわけですよね?
松江 いや、怖いですけどね。
──ドキュメンタリーをつくる時の立ち位置に関しては、おふたりそれぞれ、どのように考えていますか?
松江 でも僕は作品によって全然違いますよ。例えば去年、東京都現代美術館に出した作品(『その昔ここらへんは東京と呼ばれていたらしい』)は自分の子供が生まれるまでを撮ったドキュメンタリーなので、その作品の主語は“私”。僕は5年に1回くらい、そういう作品をつくるんですよ。『ライブテープ』(09年)も自分の親父と友達が死んだ時につくったので、思いきり自分のことが入っている。でも『おこだわり』や『フラッシュバックメモリーズ』は、そういう立ち位置とは違っていて、今まで自分が培ってきた経験を相手にぶつける、というやり方。それは、たぶん“演出”なんですよ。自分でカメラを回すか回さないかも大きくて、主語が“私”や“僕”になる時は自分で回すことになる。そういう作品って、良くも悪くも広がりが限られるんですけど、でも絶対に強烈なものになるんだ、という意志ではつくっています。
長谷川 僕の場合は、そもそも『Attack On Dance』をつくった経緯として、自分の置かれた環境の変化があって。僕はもともとすごく作品をつくりこんでいくタイプだったんですけど、横浜の大桟橋にトラックを置いて、その荷台でパフォーマンスをする「DANCE TRUCK PROJECT」というイベントに呼ばれた時に、時間も限られた中で、じゃあ何をやったら面白いだろう、と思ったんですね。それで、とにかくトラックに人を鮨詰にして踊らせる、みたいなことをやれないかなと思ったんです。それで4、5日稽古期間があったので、「3回以上来てくれた人は全員出します」と敢えて言って、自分に課してできあがった作品が『Attack On Dance』の元となった作品。だから環境によって変わったというか、意図的に自分を追い込んだことで、これまでとは違うものができた感じですね。僕の場合も『死刑執行中脱獄進行中』(15年11月)や『歌劇 BLACK JACK』(16年9月)の演出、映像作品での振付などは、自分がこれまでの経験で得た、自分の得意な方法論でやっているという感覚なんですよ。それは松江さんの『フラッシュバックメモリーズ』や『おこだわり』にあたるものなのかもしれないです。
松江 いや、そうだと思います。
『死刑執行中脱獄進行中』(原作・荒木飛呂彦×主演・森山未來/構成・演出・振付:長谷川寧)© Hideki Namai
『歌劇 BLACK JACK』(音楽監督・ピアノ:宮川彬良/構成・演出・振付:長谷川寧)©(公財)浜松市文化振興財団
テレビと演劇………劇空間と戦っている、という感覚がすごくある(長谷川)
長谷川 でも、またチャンネルが違うという感覚なのですが、やっぱり、どうしたって嘘じゃないものは面白いと思って。それが僕にとっては統計だったりするんです。数字って残念ながら嘘をつかないので。そもそもダンスを数値化するなんて、すごくナンセンスなことだけど、だからこそ面白いというのはあるんですよね。でもその一方で、僕の場合はもう1回フィクションに憧れを持てるようになりたいと思っているところもあります。やっぱりフィクションが信じられなくなってしまったから、今みたいな活動をしているんだけど、どうしたら戻れるだろう、というのはずっと考えているかもしれません。なぜなら、どうしたって僕は劇空間という場でやっていくしか無くて、劇場という箱自体にドキュメンタリー性というのは、無いと言えば無いので。例えば最近やった『DANCE HOLE』(16年2-3月)という作品も、統計シリーズの一環ですが、出演者0人で観客は1回で10人しか入れないという公演でした。そこでは、“あなたたちはダンサーです。今からあなたたちに公演を行うためにリハーサルをしてもらいます”と言って、いろんな体験をしてもらう。暗闇の中を知らない人同士が手をつないで歩き回ったり、例えば“ミロのヴィーナス”と言ってポーズを取ってもらって、それが全員同じポーズなら振付として採用するとか。体験型という意味では脱出ゲームに近いのかな。まあ、そういうことをやってきて、自分の気持ちとしては劇空間と戦っている、という感覚がすごくあるんです。
松江 僕は最近の企画は、まずテレビに持って行きますよ。
長谷川 テレビって楽しいですか?
松江 テレビ東京は楽しいですね(笑)。でもプロデューサー次第だと思います。僕がなぜ、テレビで『おこだわり』みたいな作品をやるのかと言うと、ものすごく今、社会が窮屈だから。だって、僕が2000年頃に『あんにょんキムチ』という、自分の家族を撮る作品をつくった時には、日本の俳優さんが普通に韓国人の役をやっていて、例えば『GO』や『パッチギ!』みたいな作品があったわけですよ。在日コリアンが当たり前に映画のキャラクターとして描かれていた。凄いことだと思っていたら、今はその反動でものすごく在日が攻撃されていますよね。例えば蓮舫さんが台湾という出自を理由に政治家として問題視されるのって、相当キツいことだと思うんですよ。でも、そういうものをニュースにしないと、社会がガス抜きできないような窮屈な状態になっている、というのが震災以降、すごく加速していることだと思うんです。だから僕は自分の作品を、テレビという、なるべく広がる可能性のあるところに投げたいという気持ちがある。誰もが接するチャンスのある場所ですごく変なことをやりたい、ふざけたい、という気持ちが強い。それはたぶん、今、世の中が……特に日本という国がすごく窮屈になっちゃったからだと思うんですよね。
窮屈な日本と、海外との関わり方
長谷川 ヨーロッパなんかに行くとミックスが当たり前だから、逆に、よく日本は今でも純血主義みたいなものを守れているなあ、とは思います。
松江 だから日本で普通に流れてくるニュースの言葉が、ものすごく偏った視点だということに気づいていないことも怖いと思うんですよ。なぜ、僕がそんなことを気にするのかと言えば、人ごとではないからです。うちの息子もドイツと日本の国籍で、どちらかを選ばなきゃいけない時がくるから。僕は五歳の時に帰化しているので、日本人だけど血は韓国。だから僕の息子は、僕の日本国籍だけど韓国人の血と、お母さんのドイツ人の血という、すごくゴチャゴチャした出自なんですね。そこをネガティブに考えることは無いんだよ、と言いたいけど、この国の状況でそれを伝えるのはすごく面倒くさい。それが僕が言う“窮屈”ということです。
長谷川 僕のまわりにもそういう方はいるし、僕が韓国で仕事をした時には、ちょうど尖閣諸島の問題でもめている時期だったから、逆に韓国を批判するような記事が載っている雑誌を日本から持って行って、「どう思う?」と、フラットな感覚で色々ディスカッションしながら関係を深めていきました。でも僕は正直なところ、昨日も例えば中国でもインタビューを受けてきたばかりなんですけど、これらの近隣諸国はお互いにセンシティブな国じゃないですか。そうなった時に、やっぱりどうしても事実として変えられないことはあるな、という気持ちなんですね。僕自身、「だから●●人は……」みたいに思っちゃったりする瞬間はあるし。僕はでも、自分のそういう感情も認めていこうと思っていて。例えば、いつも時間通りに来ないな、とか思ったりすることも含めて。
松江 なるほど。
長谷川 こうして海外でリハーサルなどをしていくと“そういうものなんだ”というところから始めて、毒を笑えるくらいになっちゃったほうがラクなのかなとは思っていて。向こうも「だから日本人は……」と思うことはあると思うし。
松江 日本人って、なんでこんなにクソ真面目なの? って思うことはある(笑)。ただ結局、付き合うのは個人じゃないですか。僕は今、日本の社会の中で出てくる言葉と、アジアに対する言葉は、まだ国民性の話しかしていないと思うんですよ。でも“●●人の××さん”であって“●●人”ではないですよね。だから今日もこうして話していて改めて思うのは、窮屈な世の中になった時にそれを壊す力があるのは、やっぱりドキュメンタリーだなって思うんです。結局、生のエネルギーや生のリアクションというのは、あらゆる規制やルールを壊す力があると僕は思うので。
『ライブテープ』2009年(監督:松江哲明)
冨士山アネット『DANCE HOLE』2016年 © Kazuya Kato
フィクションが持つ力と、優れたフィクション
長谷川 ずいぶん前に僕、キューブリックのドキュメンタリーを観てすごく面白かったのが、当時『時計じかけのオレンジ』が何十週連続でヒットチャートにランクインしていて、『マイ・フェア・レディ』に継ぐ興行収入を上げていたのに、キューブリック自身が上映を中止したという話があったんですよ。
松江 ああ、そうですよね。
長谷川 それは娘さんに脅迫状が届いたから。家族のために中止したということなんだけど、逆に言えば脅迫状が届くというのは、フィクションが力を持っていた証拠だという気もして。日本で震災が起きたことや、イギリスのEU離脱問題だとか、今の現実って嘘みたいな世界じゃないですか。要は現実がフィクションを越えてしまった状態。だから僕にはどこかで、フィクションに戻れたら嬉しいな、という気持ちもあるんですよ。そこでフィクションが現実と向き合える力があるのかどうかは、まだ懐疑的なんですけれど。
松江 僕は、今みたいな社会がキツい時につくられるフィクションが、大体癒しになっちゃうのが悔しいんですよね。どうしても現実逃避するための物語が多くなるので。僕が好きな映画って、社会がキツい時に、その社会をちゃんと反映したもの……例えばアメリカン・ニューシネマには、そういう力があったと思うんです。つまり、いかにして現実と向き合いながらフィクションをつくっていくのか、ということが重要だと思う。そういう意味で言えば、今やっている『シン・ゴジラ』は、そういう映画になっていると僕は思います。あれは現実を反映したフィクションで、逆に言えばドキュメンタリーではできない作品だと思うから。ドキュメンタリーで『シン・ゴジラ』に描かれているようなテーマをやろうとすると、実際に被災した人を描くとか、ダイレクトにしか伝えられない。でもフィクションの力って、観ている人の記憶を刺激しながら、その先を描いて、さらに新たな可能性を提示することだと思うんですよね。僕は、やっぱり優れたフィクションというのは社会を取り込んで、現実を反映するものだと思っているので。
長谷川 僕も『シン・ゴジラ』は観ましたけど、それは知り合いから話を聞いて、今、映画館で観なきゃいけない映画だと思ったから、という部分は大きいです。というのは、僕自身はそれまでにゴジラのシリーズを観てきたわけではないから。もちろん、僕も庵野秀明の作品を観ていた世代ではあるんですけど、僕は『(新世紀)エヴァンゲリオン』が最終話に向かうにつれて作画崩壊していくのが、作品の裏側を想像できて、すごく面白いと感じたんですよ。あれって今思うと、一番の問いかけだった気がして。チームが限界でボロボロになっていった末に、「もうこれしかできません、ありがとう」と言って終わるのって、すごくドキュメンタリー性を感じたんですよね。
ドキュメンタリーの時間と見せ方
松江 (『Attack On Dance』のフライヤーを観ながら)そういえば、今回の作品って、どれくらいの時間なんですか?
長谷川 70分台です。僕、長いの嫌いなんです。
松江 いいですね。僕も最近、自分の映画は70分台です。そもそも作品のテーマを考えれば、撮る前からどのくらいの尺になるかは見えるので、基本的には90分以内に収める感じでつくってきましたね。
長谷川 それは作品の終わりどころとも関係があると思うんですけど、松江さんは、どうなれば“終わった”と思うんですか?
松江 でも現場で手応えを感じることと編集で使うかはまったく別ですね。
──撮影の最中に、この素材を使おうかな…みたいなことはあまり意識しないということですか?
松江 というか、「この素材を使おうかな」と現場で感じたものは、あてにならないですね。むしろ何か良いのが撮れたっぽいけど、その現場での高揚感をちょっと疑うというか。みんな盛り上がるんですよ、良いのが撮れると。でも、実は現場では気づかなかったところに、すごく良いカットがある可能性のほうが高いんです。高揚感にいく手前の素材のほうが実はすごく良かったりするので。そっちを使って一番良い所を切ると、観ている人には「あ、なんかすごく良いことが起こりそう……!」という雰囲気が伝わったりして。だから答えは敢えて描かないようにしています。
長谷川 最近、僕、作品の上演中は満足度70%説というのがあって……
松江 ああ、そういうことです!
長谷川 作品の途中で満足させてしまうと、お腹いっぱいになって、お客さんは、そのあと飽きるという。
松江 そうそう。
長谷川 面白すぎると怖いですよね。だから、その寸前で止めると、“次も次も!”と思ってもらえるのかなって。僕もそうありたいと思っています。
松江 ドキュメンタリーって、なんでも無いカットのほうが、実はすごく印象に残ったりするんですよ。さりげない映像をいかに美味しく見せるか、みたいなことはすごく気にしますね。だからドキュメンタリーの監督で、演出している時と編集している時で、同じ気持ちでやっている人は絶対にダメだと思います。編集している時に、演出している時の気持ちがのっかっちゃうと映像を切れないから。逆に編集の時に人格が変わる人は良いです。僕もたぶん、そっちなんですよ。
長谷川 僕がドキュメンタリーをやる時に考えるのは、何かしら記憶とリンクさせると強いな、ということですね。例えば今回、出演者には事前にダンスの出自について色々喋ってもらうんですけど、その時になるべく細かく具体的なことまで話してほしいと言っているんです。どこで、誰のダンスを観て、どんなふうに素敵だとか、格好良いと思ったのか。そういうことをすごく聞きたい。僕はもちろん、その人が出会った人がどういう人かは知らないことも多いのだけれど、そういうことを思い出しながら喋っている時に、“その人”が出るんじゃないかなあと思うので。だからサンパウロでも、出演者にたくさん話を聞こうと思っているんです。言葉が違うので細かいニュアンスを聞き出すのはとても難しい作業なのですが……。松江さんは結構、外国人の方とは仕事をされていますか?
国籍と個人
松江 最近、ヨーロッパの某国に撮影に行きましたね。あとは『あんにょん由美香』(09年)という作品の時は韓国人を撮りました。それよりも、僕は今、日常的に外国人と生活をしているので、常に言葉という意味だけでなく、“話が通じないな”ということはありますよ(笑)。
長谷川 僕もドイツは好きで結構行ってますけど、一緒に生活するって、どんな感じですか?
松江 いや、でも僕は自分で決めたことなんですけど、妻に対して「合わねえな」と思う時に、ついドイツ人ということを考えちゃうんですけど、そう思わないようにしました。さっきの話に通じますけど、“外国人だから”みたいに考えると、その人個人の問題じゃなくなっちゃうじゃないですか。そうじゃなくて、“腹が立つ部分も好きな部分も、この人個人なんだ”と思うほうが良いかなという気はしますね。だって僕自身も妻と喧嘩をして気性荒く怒った時に、「やっぱり韓国人だから…!」とか言われたら、「いや、オレ個人として怒ってるんだよ!」という気持ちになるので、常に対個人でいようとは思っていて。そういう部分は、もっと取っ払われないかなと思っています。
長谷川 僕も北京の公演では、そのあたりはちょっと気にしました。なんか変に誤解されることも言いたくないなあと思ったし。
松江 でも乱しても良いんじゃないですか、それが表現になれば。その過程も含めて描ければ。
長谷川 それこそ、加害性の話になりますね。
松江 やる以上は、そこに加害性は出てくるものだから。
長谷川 僕が質問をして、それに答えてもらうという時点で加害性はあるんだと思う。
松江 だから“傷つけました”ということを描けば良いと思うんですよ。でも、それが通用しない社会だとは思うんですよね。このあいだの24時間テレビが批判されるのも、観ている人は“それだけじゃないだろう”と気づいているからですよね。
長谷川 出るはずだった人が直前で逮捕されるというのも、周りはしんどいでしょうね。あれをドキュメンタリーにしたら面白いんじゃないかな、とか思っちゃうけど……。
松江 本当に、そこを見せればいいのに、と思いますよね。何事も無かったようにドラマも撮り直して、何事も無かったみたいに放送したじゃないですか。なんで、みんな知っているのに、綺麗ごとで済ませようとしているんだろうって。オレはそっちのほうがおかしいと思う。この期に及んで、まだ言い訳するのかって。まあ、いろんなことが暴走しちゃって、今っぽい事件だなとは思いましたけど。
長谷川 本当に。
『あなたを待っています』『俺たち文化系プロレスDDT』………おっさんの青春映画にできたのが、個人的には嬉しい(松江)
映画『あなたを待っています』
長谷川 松江さんは今後の予定はどうなんですか?
松江 9月24日からポレポレ東中野で始まる、大橋裕之主演、いまおかしんじ監督、いましろたかし原作の映画『あなたを待っています』を、山下(敦弘)くんとお金を出してプロデュースしました。
──なぜ、漫画家の大橋裕之さんを主人公に?
松江 役者じゃない人を主役にしたいと思って。芝居の上手い下手ではなく、大橋さんはちゃんと大橋さんという人がカメラの前でも出せる人だから、良いなと思ったんです。あとは今の自主映画って、みんな、すごく気合いが入っていて、プロでも遜色の無いような作品が多いんですけど、今回の映画はみんなで遊びたいと思ったんですよね。だから、昔のピンク映画みたいな雰囲気で、いまおかしんじさんが三脚を立てて、ワンカットワンカット丁寧に撮っています。『タクシードライバー』みたいな、思い込みの激しい不器用な男が、ちょっと良いことをして、また孤独になるという話です。いましろさんらしい、地震や原発絡みのことも入ってきますね。東京から脱出したいと考えている男の話なので。
長谷川 そのあとがプロレスの映画ですか?
映画『俺たち文化系プロレスDDT』 © 2016 DDT Pro-wrestling
松江 そうですね、『俺たち文化系プロレスDDT』。11月26日からバルト9でやります。変な映画です。 “プロレスって、こうじゃないのかな”という僕の想いが出ていると思いますね。あと、おっさんの青春映画にできたのが、個人的には嬉しい。『童貞。をプロデュース』は、若者たちが、何か面白いことをしたいけど、どうしたらいいんだろう…とあがいている作品だったんですけど、そういう人がそのまま40歳になっちゃったけど、これからどうしよう…みたいな映画ですね。まあ、ネクタイを締められない、アラフォーたちの青春ドキュメンタリー。
長谷川 へえ、面白そうですね。
松江 僕も長谷川さんの作品、楽しみですね。
長谷川 横浜公演では松江さんにトークゲストとして来てもらうんですよね。いや、ありがとうございます。なんか緊張するな(笑)。
松江 (笑)。
松江哲明(まつえ・てつあき)/1977年生まれ、東京出身。ドキュメンタリー監督。99年、日本映画学校卒業制作作品『あんにょんキムチ』が一般公開され、複数の映画賞を受賞。その後『セキ☆ララ』(06年)『童貞。をプロデュース』(07)などを経て、09年に『あんにょん由美香』で第64回毎日映画コンクールでドキュメンタリー賞を、『ライブテープ』で第22回東京国際映画祭「日本映画・ある視点部門」で作品賞を受賞する。そして15年ドラマ『山田孝之の東京都北区赤羽』において、東京ドラマアウォード2015の演出賞を山下敦弘とともに受賞する。また、今年4〜6月には『その「おこだわり」、私にもくれよ!!』も放送されたばかり。11月より4年ぶりの新作映画となる『俺たち文化系プロレスDDT』が上映される。そのほか、映画評などのコラム執筆など。
長谷川寧(はせがわ・ねい)/作家・演出家・振付家・パフォーマー。2003年冨士山アネット設立。戯曲より身体を起こす「ダンス的演劇(テアタータンツ)」にて活動中。国内多数入選・参加他スイスでの映像作品提供、シンガポール招聘、韓国SPAF2012国際共同制作発表等国外活動も盛ん。近年では、他ジャンルのアーティストとのコラボレーションを通じて作品の本質を見詰め直す「擬・ジャンル」をテーマとして様々な活動を行う。代表作として[光のない。](2011)[シャウレイの十字架](2013)[The Absence of the City](2013) [Attack On Dance](2014)[死刑執行中脱獄進行中](2015)等。本年9月にはオペラ[歌劇 BLACKJACK]構成演出振付を手掛ける。
いましろたかし×いまおかしんじ×大橋裕之×松江哲明×山下敦弘× オシリペンペンズ×坂本慎太郎による映画『あなたを待っています』
『俺たち文化系プロレスDDT』
2016年11/26(土)、新宿バルト9ほか全国順次ロードショー
【監督】マッスル坂井、松江哲明【音楽】ジム・オルーク【出演】マッスル坂井、大家健、HARASHIMA、男色ディーノ、高木三四郎、鶴見亜門、KUDO、伊橋剛太、今成夢人、棚橋弘至、小松洋平【配給】ライブ・ビューイング・ジャパン
© 2016 DDT Pro-wrestling
冨士山アネット『Attack On Dance』
2016年10月20日(木)~2016年10月23日(日) KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ
【チケット】前売:3000円/当日:3500円/学生:2500円(要学生証)
【構成・演出・振付・出演】長谷川寧【振付・出演】兎かな?ウーシャカ、葛原敦嘉、久保佳絵、斉藤ケン、佐藤美玖、田村興一郎、KAIYA NISHIMURA、幅田彩加、風花、日置あつし