あなたも忍者の末裔(まつえい)かもしれない。青森大忍者部が、ベールに包まれている日本最北の忍者集団「早道之者(はやみちのもの)」の子孫を調査し、実態解明に取り組んでいる。早道之者は弘前藩に仕えた忍者集団で、幕末から明治初期まで当地で諜報(ちょうほう)活動をしていたことが分かっている。昨秋、弘前市内で発見された古民家を調査した結果、忍者のアジトであったことが判明。ルーツをたどると戦国武将である石田三成との密接な関係が明らかになった。同校忍者部では文献に残されている早道之者19人の名簿を頼りに、忍者の子孫を捜している。
この名前にピンと来たら青森大へ。
◆早道之者支配者
中川小隼人
◆早道小頭
小笠原惣右衛門
◆以下、早道之者
三戸傳内、斎藤長助、下山長右衛門、相馬惣兵衛、大高左五右衛門、高屋用之助、相馬半助、藤田助右衛門、佐藤伴内、葛西九兵衛、今四郎兵衛、三上惣助、外崎左五左衛門、永田権十郎、村市弥次右衛門、三浦傳右衛門、大沢五郎兵衛
(出典 御家中分限帳 貞亨二年=1685年、弘前市立図書館蔵)
上記は、弘前藩で活動していた忍者の実名が記された名簿だ。そもそも青森・弘前に忍者? と思う読者が大半であろう。別稿の解説にもあるが昨秋、弘前市内に忍者屋敷が発見されたことを機に、石田三成と関係を持つ「最北の忍者集団」の存在がにわかにクローズアップされ始めた。だが、隠密部隊のため、その実態はいまだベールに包まれている。忍者部では、主に東北地方に暮らす19人の子孫を見つけ出し、蔵などに眠る新たな文献が発見できればと、ロマンを追い求めて調査を行っている。
現在、その末裔がトップアスリートとして活躍している可能性も高い。蝦夷地(北海道)など周辺地域からの情報を、迅速に津軽藩に伝達してきた早道之者は、極寒の地での活動に耐えうる豊富な運動量に加え、俊敏性を兼ね備えた猛者たちが選考されたと推察される。例えば、今夏の全国高校野球青森大会の名簿で、忍者名簿にある三上姓を探してみると、青森山田のエース三上世視滝(せしる、3年)ら17人も確認できる。薬学部ながら歴史も研究し忍者部顧問の清川繁人教授(57)は「名簿には三上、相馬、葛西など青森県内に多い名字がかなりあるので何とも言えませんが、同じ名字なら早道之者の子孫の可能性はあります」と期待を寄せた。