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御本尊について

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08 /17 2017
以前の記事で「一機一縁の御本尊」について触れたが、これは宗門の云い掛かりであろうと考えていると述べた。経王殿御返事に「師子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり、日蓮守護たる処の御本尊を・したため参らせ候事も師子王に・をとるべからず、経に云く『師子奮迅之力』とは是なり」とあり、また「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ」ともある。

このように大聖人が全身全霊をもって認められた御本尊である。何処の土地、何処の寺院にあろうと、大聖人御真蹟の御本尊はその輝きに陰りの有ろうはずはないと考える。日興上人は大聖人御真筆の御本尊について、「日興門徒の所持の輩に於ては左右無く子孫にも譲り弟子等にも付嘱すべからず、同一所に安置し奉り六人一同に守護し奉る可し」と申され、すべて一ヶ所に集めて大事に恪護し奉るべきであるとされている。

残念ながら全国各地の寺院に散在しているのが現状で、これを一ヶ所に集めることは不可能であろう。大聖人も御本尊の扱いについて、「あまりに・ありがたく候へば宝塔をかきあらはし・まいらせ候ぞ、子にあらずんば・ゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり」と申され、出世の本懐であるところの御本尊は、みだりに譲ったりすることはおろか、見せることすら厳に戒められた。

御書に大御本尊への言及が無いことを以て、大聖人出世の本懐は大御本尊ではないと云う輩が増えているようだが、阿仏房に上記のように戒められた大聖人が、本懐中の本懐たる大御本尊を弟子・檀那等にひけらかすはずがないであろう。大聖人と日興上人だけが分かっていれば良かったのである。「日興跡条条事」には、「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊、日目に之を授与す」とされている。

日興上人は「弘安二年の大御本尊」を第三世日目上人へ授与することを明確に述べられている。「日興跡条条事」は偽書と云われているとも聞くが、後加文が挿入されていたとしても、日目上人への授与の御文として重要な文書である。御義口伝にも後加文があることで偽書とされているとも聞くが、文献学だけで大聖人の仏法を得ることが出来る訳が無かろう。信心の無い輩の妄言に振り回されてはならない。

日蓮仏法は日蓮大聖人と、大聖人が認められた御本尊を信ずるところから始まると考える。そして大御本尊は人法一箇の日蓮大聖人であらせられる。これを否定した創価は日蓮仏法を信奉する団体ではなく、学会活動は日蓮仏法の修行とはならないと知るべきであろう。それに気付かない会員には、立正安国論の一節「汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ」を贈りたいと思う。

大御本尊への信の無い者に「信心の血脈」は流れないことも知るべきであろう。詳しくは先の記事に書いた通りである。創価の打ち出しがすべて正しいと盲信してはならない。組織のぬるま湯に浸かっているのは心地良いとは思うが、「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」との御金言を思い起こすべきである。創価は現在の路線を改めない限り、滅亡への道をひた走ることになる。

このように書いてきたが、私は決して脱会を勧めているのではない。法華講へ行くようにそそのかしている訳でもない。私自身もいまだ創価の壮年部副支部長である。そして創価の滅亡を待ち望んでいる訳でもない。むしろその逆である。創価の滅亡を見たくないが故、会員の不幸を見過ごしたくないが故に、斯様に物申すのである。


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コメント

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No title

はじめまして ちよと申します


「創価の滅亡を見たくないが故、会員の不幸を見過ごしたくないが故に、斯様に物申すのである。」

ご自分の支部を見て 創価学会が滅亡するとお考えですか?
壮年部副支部長さんとして もしそうであるならば ネットなんかにいないで 支部中を 個人指導にまわられた方が よろしいと思いますが・・・

余計なおせっかいを 申し訳ありません

Re: No title

「真実を語る」のちよさん、初めまして。
コメントありがとうございます。

読んでいただいていること自体、ちょっと驚きです。(笑)

>ご自分の支部を見て 創価学会が滅亡するとお考えですか?

自分の支部を見てこのように考えているのではありません。
サイト紹介文に書いたように、会則改正に異議を唱えています。
すなわち「大御本尊不受持」が創価を滅ぼすと申しています。
それ故その非を糺す声を上げているつもりです。

本文にも書いたように、聖人御難事の「終にほろびざるは候はず」の御文が
未来の創価に当てはまるのではないかと危惧しています。
杞憂であればそれでいいのです。
日蓮仏法から外れ、誤った主張をした私一人が地獄を見れば良いのですから。
しかし「大御本尊不受持」が日蓮仏法から外れているとしたら、
上記の御文が創価に当てはまることになります。

それ故に「斯様に物申すのである」と、申しています。

ありがとうございました。

No title

そうでしたか
それなら 安心です
考え方は 人それぞれですからね(^^♪
ご丁寧なご回答 ありがとうございました
それぞれの広宣流布 頑張っていきましょうね\(^o^)/

Re: No title

考え方は人それぞれですが、宗教に正邪善悪高低浅深があるように、
考え方にも正しいものと誤ったものがあることはお分かりでしょう。

ブログにも深い思索に裏付けられた記事もあれば、
薄っぺらい表面をなぞっただけの記事もあります。

深い祈りと深い思索が求められていると感じる昨今です。

はじめまして。

私は学会員ですが、非活でろくに新聞も読んでいませんでした。だから、会則が変わったこともmacskaさんの記事で知りました。
私はmacskaさんの考えが正しいと思います。今の創価はおかしいと思います。でも、創価をやめずに祈っていこうと思います。創価が変わることを祈る人が少しずつでも増えていけば、何かが変わるかも。
macskaさん、陰ながら応援してますね。

我見なコメントで誠に失礼致します。

学会員でありながら、
池田先生や学会組織に
不信感が満載なオヤジです。

創価の先輩に指導を受けたいけど、
私の様なテンゴクの輩は
間違いなく、毒を吐くのです。

創価は、なんで大御本尊様を棄てたのさ?

その理由が、
日顕宗にある謗法の山と化したから?

はぁ?
創価は何を根拠に
大御本尊様が謗法の山に居ると?

日蓮大聖人の大仏法を正しく拝すならば、
対鏡は大御本尊様しかないと私は
思います。

創価の気に入らない法主によって
コロコロとお引越しなど、
大聖人様は致しません。
厳然といらっしゃると
私は思います。

Re: はじめまして。

はじめまして、小夜子さん。
応援コメント、ありがとうございます。

私が正しいか、創価が正しいか、どちらも誤っているか。
結論が出るには時間がかかりますでしょう。

>でも、創価をやめずに祈っていこうと思います。

私も除名にならない限り、創価に居残って祈り続けます。
声を上げ続けるのは、私にとっては創価への恩返しなんです。
邪教化しつつある創価を、何とか押し留めたい。
そう思って祈り、考え、書いていこうと思います。

ありがとうございました。

Re: 我見なコメントで誠に失礼致します。

空伽羅おじさん、コメントありがとうございます。

創価への不信感満載は、まったく同感です。

>創価は、なんで大御本尊様を棄てたのさ?

まさにその一点で私はこうして声を上げています。
私は学園出身なので、創価には恩があると感じています。
それ故に創価の邪教化を見過ごせないのです。
これからも書き続けると思いますので、よろしくお願いいたします。

ありがとうございました。

八界曼荼羅について

初めまして、婦人部の者です。
最近になり始めて知った疑問といいますか、ご存じでしたらお聞かせ下さい。
今更ですが実は私は最近になりたまたまネットを通して現在のご本尊のお曼荼羅はかつての十界曼荼羅ではなく八界曼荼羅だと知りました。
なぜ日寛上人は八界曼荼羅をしたためられたのか、そこに何の違いや意味があるのか、ネットでいくら調べても明確な回答を見つけることもできず、また組織の方たちにも私自身がなかなか活動や交流をもっていないこともあり、よってお聞きする機会もなく、今はそんな疑問に負けないようにと、これまでのようにご本尊と向き合いお題目を上げる日々です、、でも今になってそんな事を知るなんて、動揺したことは否定できません。
私は今のご本尊(八界)を受持いたしおおむね20年あまりが過ぎましたが、その間私はご本尊への何ら疑心を持つこともなくお題目を上げ続け、数々の身に余る功徳もいただいてきました。なので今になり、八界曼荼羅が云々というネットの記事を目にし、初めてそれを知った時はとても変な気分にもなり、、、、それでも私は目の前のご本尊を信じ大切にする心は変わりませんが、、、でも、なんで、、どうして日寛上人は八界曼荼羅をしたためられたのでしょうか?
もしご存じでしたら教えてください。
ネットでどなたかの記事に、ご本尊には様々な種類があるからとも書かれてありましたが・・。私は同士の方々を敬うべきという気持ちもあります、けれどその何倍もいつでも向き合うことのできる、どんな事も受け止め続けてくださった、ご本尊が一番大事で大好きなのです。うまくは言えませんが、今になって八界がどうのと知ってしまい、そのおかしな疑問が胸中に刻まれてしまったことが悔しく苦しいです。

re:八界曼荼羅について

初めまして、某地方都市の壮年部の者です。
横から失礼します。
つばき様への回答を私なりに考えてみました。


現在創価学会が会員に下付している御本尊は、日寛上人が享保五年六月十三日に書写され、栃木県浄圓寺に御安置された御本尊を御形木御本尊としております。
この御本尊は、中央の題目の両側に下記の諸尊が認められています。
・仏界:釈迦牟尼仏、多宝如来
・菩薩界:上行菩薩、浄行菩薩、無辺行菩薩、安立行菩薩
・縁覚界:(なし)
・声聞界:(なし)
・天界:帝釈天王、第梵天王、第六天魔王、大日天王、大月天王、大明星天王
    大持国天王、大毘沙門天王、大廣目天王、大増長天王
・人界:(なし)
・修羅界:(なし)
・畜生界:八大龍王
・餓鬼界:鬼子母神、十羅刹女
・地獄界:(なし)
伝灯の先師として天台大師、伝教大師
つまり、仏界、菩薩界、天界、修羅界、餓鬼界の五界しかありません。

日蓮大聖人が竜の口の法難後、佐渡に護送される前日の文永八年十月九日に初めて図顕された御本尊(楊枝本尊と呼ばれており、京都・立本寺に所蔵)は、中央に「南無妙法蓮華経」の首題が大書され、その左下に「日蓮(花押)」の名が示され、左右の肩に梵字で不動明王と愛染明王が記されているのみで、釈迦牟尼仏・多宝如来及び十界の諸尊も四大天王も一切書かれておらず、大聖人が認められた御本尊の中でもっとも簡略な形の曼荼羅となっています。
また首題の右側中央から下にかけて「文永八年太歳辛未十月九日」「相州本間依智郷書之」と、日付および図顕の地が明記されています。
楊枝本尊はもっとも簡略な形の御本尊であるため、その相貌には日蓮大聖人御図顕の御本尊の本質が表れており、文字曼荼羅の本質的要素が南無妙法蓮華経と日蓮花押にあり、釈迦・多宝の二仏は略されてもよい派生的なものであると考えられています。

釈迦・多宝の二仏を略した御本尊は現存する日蓮大聖人真筆の曼荼羅でも五幅を数え、その中には弘安年間に図顕されたものもあります。日興上人の書写本尊にも二仏を略したものが存在します。

当体義抄の冒頭に「問う妙法蓮華経とは其の体何物ぞや、答う十界の依正即ち妙法蓮華経の当体なり」と
また、
諸法実相抄の冒頭に「問うて云く法華経の第一方便品に云く「諸法実相乃至本末究竟等」云云、此の経文の意如何、答えて云く下地獄より上仏界までの十界の依正の当体悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文なり」
と仰せのように、十界三千の依正、すなわち森羅万象がことごとく、妙法蓮華経の当体であることが明かされています。

つまり、首題の五文字「妙法蓮華経」に十界の依正の一切が含まれているので、左右の諸尊が一部省略されても問題ないのではないでしょうか。

前述のように、宗祖日蓮大聖人が御図顕され、御開山日興上人が書写された御本尊の中にも十界の諸尊が省略されているものが現存します。
したがって日寛上人が書写された御本尊に十界の諸尊が全てそろっていないとしても、何ら気に病むことはないと思います。

Re: 八界曼荼羅について

はじめまして、つばきさん。
コメントありがとうございます。

教学的な背景と大意は、巨大猫さんが書いている通りなので重複は避けます。
これで納得していただければよいですが、もう少し蛇足を付け加えたいと思います。

>なぜ日寛上人は八界曼荼羅をしたためられたのか、そこに何の違いや意味があるのか
(中略)
>もしご存じでしたら教えてください。

正直云って知りません。おそらく知っている人は誰もいませんでしょう。しかしそんなことを気にしなくてよいことは、巨大猫さんが書いている通りです。大聖人御真筆の御本尊は百数十幅が現存していますが、それこそ多種多様です。諸尊が誰も認められず、和歌が書かれている御本尊すらあります。それでも大聖人御真筆の御本尊ですから、私がその御本尊に向かい題目をあげれば、功徳があることは信じられます。ここで重要なのは祈る側の信心です。大聖人を御本仏と仰げない者が祈っても功徳は現れません。
つばきさんもご家庭にご安置の御本尊に唱題し、数々の功徳をいただいてきた訳ですから、これまで通りに信じて題目をあげて行けば良いと思います。
もしまた何かあれば、遠慮なく投稿してください。

ありがとうございました。

Re: re:八界曼荼羅について

体長1.3mの巨大猫さん、初めまして。
詳細な論考、ありがとうございます。

宿板でお見かけしたことがありますね。
あちらではスーパー摧邪人と名乗っています。

我が家の御本尊は日達法主書写の特別御形木御本尊なので、創価学会下附の御本尊については、阿修羅王と提婆達多が認められていないのは気付いていましたが、正直あまり詳しくありませんでしたので助かりました。

ありがとうございました。

投稿の訂正

macska様
今朝ほどは失礼いたしました。

自分の投稿を読み返したら2か所ほど誤りがありました。
前半の日寛上人の御本尊の相貌のところです。
①天界の大梵天王の「大」が「第」になっている。
②「仏界、菩薩界、天界、修羅界、餓鬼界の五界」の修羅界は畜生界の誤り。

修正するため、右下の<編集>をクリックしたのですが、
パスワードを入力しなかったのが原因で編集できませんでした。

八界曼荼羅について

macska様及び体長1.3mの巨大猫様、この度は早々に、しかも大変詳しいご回答とご教示をいただきましたこと、感謝の思いでいっぱいです。
誠に、誠にありがとうございました。先にもお伝えしましたが、この数週間というもの、おもいもよらず胸中に芽生えてしまった答えの見えない不安かつ複雑な思いを、ただ目前のご本尊へ題目でぶつけることしかできませんでした、それがまさかこのような形でご教示いただけるとは・・
心の奥に潜んでいた恐ろしいもやもやが、一気に砕け吹き飛んだ気持ちです。
また本日ただ今より、心惑うことなくしっかりご本尊と向き合い祈って参ります。
最後になりましたがmacska様、私は最近になりネットでこうした意見の交換の場があることを知りました。そしてその中には読むにたえない暴言や中傷合戦のようなものがあることも・・・。けれどそのような中で、知性と理性に長けた見識で書いておられるmacska様のブログ、記事に出会い、そしてこの度この場をお借りできましたこと、心より感謝もうしあげます。ありがとうございました。

Re: 投稿の訂正

>macska様
>今朝ほどは失礼いたしました。

いえいえ、詳細に論じていただき感謝しています。

管理画面で訂正できるかと思ったら出来ませんでした。
訂正投稿してもらったのでよしとしましょう。

Re: 八界曼荼羅について

つばきさん、すっきりできてよかったです。

>また本日ただ今より、心惑うことなくしっかりご本尊と向き合い祈って参ります

御本尊は無限の仏力・法力を備えていらっしゃいますが、それを引き出せるか否かは祈る側の信力・行力に掛かっているのはご存知の通りです。御書に「叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず」とありますが、今まで通り純粋な信心に立ち返れたことを嬉しく思います。

ネット内の記事は本当に玉石混交です。くだらない記事はスルーして、深い思索に基づいた記事を読むことをお勧めします。ただしそのためには、それを見極める見識も必要とされます。私もまだまだ修行中ですが、一緒に研鑽してまいりましょう。

ありがとうございました。

創価の御本尊について

こんにちは。とどと申します。

元学会二世でです。
経緯を話させていただきますと、この度大病をしまして、2016年3月に頭の手術をし、腫瘍を取りきれず視力、視野も回復しきれず、残腫瘍に対して2016年5月に放射線治療を行いましたが、2016年9月に再発。
この間、創価が大御本尊から離れたことをしり、ダメ出しブログの管理人様よりご縁を頂き、改めて大御本尊に信を持つように意識した結果、2016年11月に日蓮正宗に戻り、今年9/1に再々手術した結果、視力視野も全回復、残腫瘍も全て取れるという大功徳を頂きました。
後遺症も一切ありません。
医者からはあんなに硬くて血管に絡みついていた腫瘍が、なぜプリンみたいになってて簡単に取れたかわからない。と言われています。

そこでご質問させてください。
創価の御本尊様で、大御本尊に信があれば同様の功徳を頂けるとお考えでしょうか。
確かに2016年3月までは大御本尊様に特化して意識して、創価の御本尊に題目をしていた訳ではありません(離れてる事すら知りませんでしたので^^;)
ただし、当時所有していた創価のお守り御本尊からいつも睨まれて感じがしていた事、自宅の御本尊と繋がっていない感覚だった事も事実です。日蓮正宗に戻って正宗の御本尊に対して唱題した時に繋がってる感覚が戻りました。

そして一点ご報告です。以前学会の座談会で大御本尊の話をした件を投稿させて頂きましたが、その学会幹部は、支部長、本部長、書記長全て電話をかけても、メールをしても反応なくなりました^^;

お手数ですが、よろしくお願い致します。

Re: 創価の御本尊について

とどさん、コメントありがとうございます。
また、業病克服の素晴らしい体験、おめでとうございます。

>創価の御本尊様で、大御本尊に信があれば同様の功徳を頂けるとお考えでしょうか。

結論から申しますと、あると考えます。
創価が御本尊下付を始めて二十年以上になりますが、その間の多くの方々が受けた功徳の山がそれを物語っていると云えましょう。私も2003年から付け始めた唱題表が2700万遍を超え、日々六根清浄の功徳をいただいています。
御本尊は何でもいいと云う訳ではありません。五老僧の末裔が書写した本尊では当然ダメでしょう。しかし創価下附の御本尊は日寛上人書写の御本尊です。宗門はあれこれ難癖をつけてきますが、日寛上人書写の御本尊であることは間違いないところです。
次は祈る側の問題もあります。大聖人を久遠元初自受用身如来と拝し、大御本尊を人法一箇の日蓮大聖人と拝し、大聖人の御遺命たる広宣流布を自身の使命として、不惜身命の決意で祈る者に功徳は現れると考えます。惰性で毎日の勤行・唱題していても、相応の功徳はあるでしょうが、宿命を転換し行くような功徳は無いでしょう。

繋がる繋がらないは個人的感覚ですので、私から申し上げることはありません。

私も座談会で大御本尊の話をしたところ、翌月からは日程連絡すら来なくなりました。現在の創価はそんなものです。だからといって現今の宗門へ行くつもりもありません。その理由は「三百年計画の大掃除」という記事に詳しいので、興味があればお読みください。

ありがとうございました。

ありがとうございました

こんばんは。
macska様、ありがとうございます。

>結論から申しますと、あると考えます。
創価が御本尊下付を始めて二十年以上になりますが、その間の多くの方々が受けた功徳の山がそれを物語っていると云えましょう。私も2003年から付け始めた唱題表が2700万遍を超え、日々六根清浄の功徳をいただいています。
次は祈る側の問題もあります。大聖人を久遠元初自受用身如来と拝し、大御本尊を人法一箇の日蓮大聖人と拝し、大聖人の御遺命たる広宣流布を自身の使命として、不惜身命の決意で祈る者に功徳は現れると考えます。惰性で毎日の勤行・唱題していても、相応の功徳はあるでしょうが、宿命を転換し行くような功徳は無いでしょう。

→非常に納得しました。
ただ当時の私のように大御本尊様に特化して意識してないパターンや、そもそも大御本尊様自体を知らないパターンが学会だと救われないのが非常に気がかりです。
私は会合に呼ばれない極悪?らしいので、なんとかしてあげたいですね。

あとは、今世でmacska様にこれだけ恋慕されている大御本尊様のもとにお連れしたいのも本音です。正宗のわだかまりがなければ、相思相愛ですから。
ただ、macska様の信念と使命があるので、ご祈念だけさせて頂きます。

お忙しいところ、ご回答ありがとうございました。
陰ながら応援させていただきます。

macska

soka