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土曜スタジオパーク▽ゲスト 小松政夫[字] 2017.09.09

♪「電線にスズメが三羽とまってた」♪「それを猟師が鉄砲で撃ってさ」≫きょうのゲストは小松政夫さん。
♪「しらけ鳥飛んでゆく南の空へみじめみじめ」久本≫本当に、ああいう味を出せるのは小松さんしかいないなっていう。
伊東≫彼のすごいところは世の中、皆さんが…≫小松さんが芸能界に入るきっかけは昭和の大スター・植木等さんの付き人になったこと。
その師弟関係を描くドラマが先週からスタートしました。
♪「チョイト一杯のつもりで飲んで」♪「いつの間にやらハシゴ酒」はい、どうぞ。
失礼します!本日より運転手として来ることになりました松崎雅臣と申します!時代の寵児・植木等と彼を支え続けた青年・小松政夫の笑いと涙の物語です。
なんでそんなお母さんを追い返すようなまねしたんだ。
ばか野郎!俺の時間のことなんて考えなくていいんだよ!≫きょうは小松さんの素顔そして植木さんとの師弟愛についてじっくり伺います。
生字幕放送でお伝えします渡邊≫きょうのゲストはコメディアンの小松政夫さんです。
渡辺直美≫ようこそ「土曜スタジオパーク」へよろしくお願いします。
足立≫小松さんは芸能生活50周年ということでおめでとうございます。
拍手
小松≫ぱらぱらと盛大な拍手をありがとうございます。
コメディアンとして長く活躍し続ける秘けつというのは何でしょうか。
秘けつというよりモットーはね目立たず隠れずそっとやって50年というね。
そっとやっていくんですね。
あまり目立ちすぎるとおっこったときに目立つからなるべくそうやって長生きしたいなというね。
先ほどVTRにもありましたけど植木等さんとの師弟関係を描いたドラマが放送されましたが周りからの反響はいかがですか。
おかげさまで友人、知人、芸能界に関係ない人なんか忘れかけていた友達なんかからもずいぶん励ましの電話や手紙をもらいました。
僕は、ふるさとの博多から役者を目指して博多駅から万歳!万歳!日本一!と言われてそういう友達まで電話がかかってきたりすごい反響です。
渡邊≫そんな小松さんの素顔にきょうは迫っていきます。
まずは70年代の貴重な映像からご覧ください。
私、四畳半のザット・エンターテインメント小松与太八左衛門でございます。
歌は流れる、あなたの胸に今、歌謡界の王座にさん然と光り輝くお待ち遠さまベンジャミン伊東!
(拍手)人の迷惑顧みずやってきました、電線軍団。
それでは、まずいきなり、きょうはあの子からいってみよう!♪「電線にスズメが三羽とまってた」♪「それを猟師が鉄砲で撃ってさ煮てさ」♪「焼いてさ食ってさ」♪「ヨイヨイヨイヨイ」おっとっとっと」♪「ヨイヨイヨイヨイおっとっとっと」
拍手
足立≫すごい。
伊東さんはね、これをやるのに近所の人に見られるのが恥ずかしいから私じゃない、伊東さんじゃないという格好を自分でこさえたんですよ。
かえって目立っていますよね。
直美≫すごく目立っていました。
自分で現在デザインを描いているときに横で見ていたんですよ。
このふん装を作ってもらうんだってかえって目立っていた。
渡邊≫あんな曲、当時大ブームになって大人気だったんですよね。
今VTRを見たらスタジオでしたけどそのうち出前電線というのがあってどこへでも行きますと言って例えば消防署の職員の皆さんが訓練をちょっとやめて一緒にやったり浅草の三社祭の真ん中に行って動きが取れないところでやったり大変。
警察学校の生徒さんと一緒にやったり。
いろんな方々とやったんですね。
大変ですよ。
責任者出せって。
足立≫あまりにパニックこの「電線音頭」を始めるきっかけは何だったんですか。
この番組前身があったんですよ。
あまり視聴率がよくなかったのであと3回で打ち切りになりますと言って最後はみんなでどんどん好きなことをやろうと町内演芸大会というのがあってね。
アパートの長屋の大家さんが三枝さんが大家さんでそこできょうは花見じゃないけどアパートの人間が全部集まってやり始めたのが「電線音頭」だったんですけどそのときそれで切れたんですけど意外と評判がよかったからメインに押し出そうとなったのがこれでした。
どんなことを歌ったか全然覚えていなかった。
足立≫「電線音頭」1回踊ってみたいんですけど踊りが分からなくて教えてもらってもいいですか。
それは簡単ですけど踊ってみますか。
やって来ました。
私ザットエンターテインメント小松与太八左衛門でございます。
直美≫すごい。
♪「電線にスズメが三羽とまってた」♪「それを猟師が鉄砲で撃ってさ」♪「煮てさ焼いてさ食ってさ」♪「ヨイヨイヨイヨイおっとっとっと」♪「ヨイヨイヨイヨイおっとっとっと」
拍手
直美≫ありがとうございます。
すごい!パワーが半端ないですね。
小松≫半端ないとおっしゃってもね。
足立≫音楽が鳴った瞬間のスイッチがすごかったです。
渡邊≫じゃあ、お二人…。
今ので?踊るんですか。
いけるよ。
頑張れ。
♪「電線にスズメが三羽とまってた」♪「それを猟師が鉄砲で撃ってさ」♪「煮てさ焼いてさ食ってさ」♪「ヨイヨイヨイヨイおっとっとっと」♪「ヨイヨイヨイヨイおっとっとっと」
拍手
小松≫1回見ただけですぐに覚えられるんだ。
外のお客様も一緒に踊っていましたね。
直美≫ありがとうございます。
一緒に踊っていただき結構疲れますね。
足立≫みんなで踊ると楽しいですね。
これは伊東さんは人の迷惑、顧みずにやってきました電線軍団小松与太八左衛門のご登場と入ってくるんですよ。
直美≫楽しい。
渡邊≫もう1つ代表曲があります。
♪「しらけ鳥飛んでゆく南の空へみじめみじめ」♪「しらけないでしらけないで」♪「しらけたけれどみじめみじめ」直美≫ありがとうございます。
小松≫慌ててしまいましてね。
この鳥がね、50年前の鳥があったんですよ。
実際にあるんですか。
それをうっかり、私、慌てまして忘れてきちゃったんです。
足立≫いちばん大事。
帰るわけにいかなくなっちゃって申し訳ない。
鳥をね、本当に皆さんにご覧いただこうと思ったんですよ。
当時使っていたものをまだ持っていらっしゃるんですか。
本当に哀れなしらけ鳥になってしまいました、時がたって。
渡邊≫ちなみに「しらけ鳥音頭」は小松さんの口癖から生まれたそうですね。
今のことばで、よく言うとなんとかということばがいっぱいあるでしょ、造語が。
しらけるというのはホワイトキックと言っていたんです。
白くて蹴ると。
足立≫確かに。
それを私たちが誰かとお酒を一緒に飲んでいてくだらないことを言うとああ、しらけた、しらけ鳥が飛びまくっているねとそれから、しらけ鳥と。
曲としてはしらけ鳥飛んでいく南の空と東の空と、西の空と東西南北しかないです。
その間にせりふが入るんです。
みじめみじめふるさとにいるお母様が僕の夢は大きいのです。
僕は東京に出て今週中に総理大臣になって、お母様の大好きなカラスの焼き鳥をおなかいっぱい食べさせてやりたいのです。
しらけましたかといくわけです。
本当は4番まであるんです。
直美≫4番まで全部聴きたいですけどね。
渡邊≫小松さんのことを共演者はどう思っていらっしゃるのか「電線音頭」を一緒にやっていらっしゃった伊東四朗さんに伺いました。
伊東≫「土曜スタジオパーク」をご覧の皆さん、こんにちは伊東四朗です。
なんか若い人だなってまだあの感じじゃありませんからもうこういう、びんびんにさせた角刈りみたいな感じでね若者だなって感じでしたよ。
人は、みんなコンビだと思ってた人がいるらしいんですよ。
私が渡辺プロダクションの人かと思った人もいて私のスケジュールをナベプロに聞いた人がいたっていうくらいで、っていうのも「笑って!笑って!!60分」という番組と、それから「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」両方やってましたんでね週に2本やってると、やっぱりコンビかなと思われるのかな。
全く別だったんですけどね。
彼のすごいところは世の中、皆さんが見過ごしてしまうようなことをね重箱の隅をほじくるようにしてですね、拾ってくるんですよね。
ですから、あんたは偉い!とかねそういうのもあれ、人から取ってるんです。
そういうことを聞き逃さない人で、ですから私が、てんぷくトリオで北海道に行ったときもそこのフロアマネージャーの口癖が、上手だねてんぷくさん上手だねっていうのを話をするとそれいいなと思ってちゃんと自分でそれをはやりことばにしちゃうっていうところがねとにかく、いつでもアンテナを立ててる青年でしたね。
小松≫最高の褒めことばです。
伊東さんいろいろとお世話になりました。
ありがとうございます。
直美≫先ほど若いころは髪の毛がびんびんと言っていましたね。
つけ麺でしょ?イケメンですよね。
ナチュラルなギャグですね。
おいくつぐらいのときですか?これは22歳か23歳かな。
若いときですね。
ちょっとこれは…どこで撮った写真なのかな。
思い出せないけれど。
割合まだ入ってすぐというそのころまだお金持ちだったんですよね。
植木の師匠のところに行くときにその前は車のセールスマンをやっていました。
21歳、22歳で今でいう金額にすれば150万ぐらい稼いでいました。
すごい。
ラーメンが30円の時代ですからね。
かっこいい。
これは、なんでもかんでも大概のことはできたんですよね。
とんでもない額ですね。
ラーメンが30円の時代に150万。
いっぱいラーメンが食べられますね。
そんな小松さんですが先ほど以上に数々のギャグを生み出されています。
気になるの、ありますか。
直美≫ズンズンズンズンズンズンズン!小松の親分さんというのは?話せば長いんですが私が親分なんですよ。
いわゆるその道の方ですね。
伊東さんが子分でいつも全国行脚で、若い人が夜こんな夜、遅くまでお子さんが遊ぶもんじゃございませんよ、早く帰っておっかさんにこうこうしてやらなきゃいけないじゃないかとあの格好をして言うんですよ。
ばかばか!と言われると子どもにばかにされたもう立ち直れねえと泣くんです。
そうすると伊東さんがこんななっちゃったじゃないかこの人を立てるのは大変なんだぞカエルがぴょんぴょん飛ぶおもちゃで遊んでるんですね親分、機嫌を直していつものやつを分かりましたと言ってズンズンズンズンズンズンズン!小松の親分さんとしてやるんです。
ツーステップでやるんです。
元気になるんですね。
元気になるという親分さんです。
そしてすぐに泣いちゃう親分なんです。
続いてニンドスハッカッカ!マー!ニンドスハッカッカ!マー!ヒジリキホッキョッキョ!いいリズムですね。
谷啓さんが私は何気なく言っていたんですよ。
ニンドスハッカッカ!マー!ヒジリキホッキョッキョ!と言っていた。
谷啓さんは音楽としてはトロンボーン奏者で日本の3本指に入る人だったんですけどすばらしいと言ってくれたんです。
小学校低学年のときに黒板に先生が1足す1はという程度の計算で分かる人?と言われて手を挙げるんですね。
答えは2ですねと。
みんなが手を挙げてるとき私は手を挙げていないんです。
私は立たされて小松君、1足す2は?と言われて分かりませんと答えると、先生はなぜかしらニンドスハッカッカ!マー!ヒジリキホッキョッキョ!と言ったんです。
先生が急に?
笑い声
おかしい。
これを思い出したんだけど先生は頭がよくなるようにとおまじないをかけてくれたんです。
おもしろい先生ですね。
リズムもいいですね。
耳になじみますね。
どーして!どーしてなの?というのは?リズムアンドギャグとよく人に言われたんですけどどーして!どーしてなの?おせーて!までが私のギャグなんです。
人がやったことをデフォルメしただけで飲み屋さんみたいな長いカウンターがあって端っこの席だとします。
2番目にかっこいいお兄さんがたばこ吸いながらいるわけです。
隣のお嬢さんがどーして!どーしてなの?おせーて!私の悪いところがあったら何でも直すから!とすがりついているわけです。
そして、こっちを向いてあ!小松政夫だ!と泣きながら見るんです。
ここよく来るの?という会話をしたあとにまたどーして!どーして!とおせーて!というのがつくんですよ。
東京弁で男の人が使う下町のことばなんです。
すごい周りに不思議な方と出会うことが多いんですね。
渡邊≫細かいところからギャグを見いだす小松さんですが後輩の方たちはどう思っているのか伺いました。
久本≫「土曜スタジオパーク」をご覧の皆さん、こんにちは久本雅美です。
小松さんの何とも言えない肩の力の抜けた自然体のひょうひょうとしたおもしろさっていうかああいう人いないと思うんですよね。
私、大好きで、小松さんのお芝居というか、お笑いが。
伊東四朗さんとの名コンビどうかひとつ、とかおとうたまとか本当にああいう味を出せるのは小松さんしかいないなっていう小松政夫ワールドというのをすごくお持ちですよね。
タモリさんと小松さんがよく木の職人さんで…なんていうんですかね電動のこぎりで切る、ウィーンヒューンっていうようなああいう本当にうまいんですよね木を持ってきてよいしょって言いながら2人が職人さんになられてそれで木の職人さんが電動のこぎりで木をウィンウィーンって電動のこぎりの音もして切るときのシューンっていうああいうのを生で見させていただいたときは感動しましたけれども。
永遠のニンドスハッカッカヒジリキホッキョッキョ永遠のギャグでしょ。
小松の親分さんは永遠の私たちの中の永遠のヒーローですよ、お笑いの。
どうか、いつまでもお元気で私たちの憧れの的でいてくださーい。
また会ったら、今度は飲み屋でがぼがぼがぼがぼ一緒に飲ませてくださーい。
おごってちょうだいね。
山本≫「土曜スタジオパーク」をご覧の皆さん、こんにちは山本耕史です。
小松さんって本当にサービス精神旺盛な方でこんな世代の僕らが聞いてても本当、腹抱えて笑えるぐらいのこれは人柄なのかもちろん実力なんですけど僕は小松さんのお芝居で2回ぐらいドラマ中に噴いているのが噴き出してるのがオンエアされてると思うんですよ。
下世の大蔵が盗んだ金は四千両近い。
四千両?四千両?山本≫小松さんのときはわりと、面と向かってツーショットのときはいなきゃいけないからもちろん撮りますけどちょっとおもしろいことを小松さんが言って受けるときがあるじゃないですかカットバックっていうんですけどそういうときは、別々に撮ってもらってましたもん。
小松さんを、まず撮ってもらって、んで、僕笑っちゃうから、もうもう、それぐらい僕、小松さんはツボに、はまるんですよね。
噴き出していましたね映像を見ていて。
小松≫全然気付かなかった。
それがそのまま流れるというね。
足立≫久本さんがおっしゃっていた電動のこぎりの話が気になりました。
タモリさんがまだ私のうちによく来ていたとき瞬間芸というのは僕らは瞬間芸と言っていましたけど今は一発芸と言うのかな瞬間芸ということばはなかったんですけどサラリーマンのときにやっていたものだったのそれをちょっとやってみないかということで昔は今は縦ののこぎりだけど昔は円形だったんです。
こちらと向こう側に刃が付いていて普通の角材の場合
電動のこぎりで切るまね
向こう側で来るのを待っていて切れるわけです。
それは普通の材木です。
革が付いた木材を切るときは音がちょっと違うんです。
電動のこぎりで切るまね
ベニヤ板とかは薄いからまた音が違うんです。
電動のこぎりで切るまね
木っ端で切るとき
電動のこぎりで切るまね
大橋巨泉さんを切りましょうとか
大橋巨泉のものまね
人とかも切っていたんですね。
文化人を切ると称してね。
そんな小松さんが芸能界に入るきっかけになったのは大スターだった植木等さんの付き人になったことなんですよね。
もともと自動車のセールスマンをしているところから、植木さんの付き人になるわけじゃないですか。
なぜ、なろうと思ったんですか?九州博多から役者になりたいと思ってなかば家出同然で出てきたんですけれどもつてもない兄貴はこっちにいたから突然訪ねて行って俳優養成所みたいなところに入れば足が広がるかなと思ったんだけど入学金が払えなくて諦めて万歳!と言って送られてきたから帰れなくていろんなことをやっていてそうしたら車のセールスマンに引っ張られてハンティングされてそこに入ったんです。
私は見込まれて入ったから一生懸命売ったから何十万と稼いだことがあります。
11月で100万ぐらい稼いでいました。
二十歳のときでしたけれども。
そのときカラーテレビが初めて出てきたときビアホールに1台しかカラーテレビがそのときなかったんです。
キャビネットの上に画面が小さいテレビがあってそこに行ってそのころ私は金持ちだったからカラーテレビの前に大枚のチップといって支配人に渡してこの席は日曜日は私の席と7時が「シャボン玉ホリデー」でした。
それを目当てに行っていました。
植木等という人が大好きで。
俺は何しに東京に出てきたんだろうと思うぐらい「シャボン玉ホリデー」を見て思っていたんです。
何気なく置いてあった週刊誌を見ると小さな囲みで植木等の付き人兼運転手募集と書いてあったんです。
これは大草原の中に四つ葉のクローバーが出ていてここですよ〜!と呼んでいるみたいで。
よし、ということになってそれから寝ても覚めても行こうと思ったんです。
そうしたら何百人の中から1人通ったんです。
ということは私は何か持っているなと思ったわけです。
あちらとしては運転手が欲しかっただけですよ。
でも何百人の人から選ばれるんですよ。
当時、ラーメンが30円の時代ですよ。
スーツは20万、30万で仕立てていて毎日床屋に行って毎日顔をそって頭をセットして行っていたものですよ。
ことばも、ひとつきに何千万と売っていましたから、さようでございますかとかそれは私のほうでは判断しかねますとか話をしていたんです。
それは若い人とはちょっと違っていました。
そういうのもあったんじゃないんですか。
その付き人時代に植木さんはクレージーキャッツのメンバーでいらっしゃったんですけれども間近で見ていてどんなグループでしたか。
なんと言ってもミュージシャンとしては最高のグループですよね。
順番で言うと安田さんは音大を出ていて桜井さんはヘンリー桜井というのが本名で英国でピアニストでした。
植木等さんはギターで有名でした。
谷啓のトロンボーンは今でも日本でも3本の指に入ります。
石橋エータローは音楽家です。
ハナ肇さんだけだけ、ということはないかな。
リーダーとして最高でした。
犬塚さんはウッドベースですね。
弾きこなしていました。
昔はクレージーキャッツと言わなかったんですよね。
そうなんですか?米軍相手でお客さんだったんですけどもヘイ!ユー!クレージー!と言われるからクレージーキャッツにしようということになったんです。
決して頭がおかしいという意味じゃないんですよ。
空前の大ヒットとなったのがこちらの曲です。
♪「チョイト一杯のつもりで飲んで」♪「いつの間にやらハシゴ酒」♪「気がつきゃホームのベンチでゴロ寝」♪「これじゃ身体にいいわきゃないよ」♪「分かっちゃいるけどやめられねぇアホレ」♪「スイスイスーダララッタスラスラスイスイスイ」♪「スイーラスーダララッタスラスラスイスイスイ」♪「スイスイスーダララッタスーダララッタスイスイ」直美≫懐かしい。
小松≫たまりませんね。
このころはとにかく1週間で全部まとめて10時間しか寝られなかった。
1週間でですよ。
貫徹が続いたりしました。
貫徹ですよ。
次の日に4時間、寝られる。
その次が1時間か2時間しか寝られない。
私が運転しているからあれですけど後ろで毛布と枕をいつも積んでいてその間に寝てもらうというふうにしたことですからね。
この忙しさを切り抜けるといくら皆さん今、忙しいといってもそんな人はいないと思いますよね。
直美≫いないですよ。
渡邊≫アナウンサーは今、相当忙しいと思いますけど。
完徹はさすがにないですね。
昔は映画を年4本も東宝で主役をやっていたでしょ。
東宝で主役をやっていたでしょ。
テレビが「シャボン玉ホリデー」をはじめいろいろと7本ぐらいやってそして映画夜の10時に開始で朝6時までそれから、うちに帰ったらそれから寝ることもできないしその間行っちゃえと行くのが普通だったのね。
私は下着だけを取りに行って帰ったりそんなことが続きましたね。
直美≫植木さんも大変だけど小松さんが大変ですね。
ですから私は本当にね一日たりとも嫌だと思ったりきついと思ったことないです。
そばにいることがうれしくてうれしくて楽しくて楽しくて植木等を尊敬していましたから私は植木等の弟子というのがうれしかったです。
人が歩いていたらおじさん、僕ね植木等の弟子なんだよ!って1人ずつ言ってあげたかったです。
何も知らない人にね。
直美≫植木さんもうれしいですね。
そういうふうに思ってくれているというのは。
渡邊≫植木さんと小松さんの師弟愛を描いたドラマ「植木等とのぼせもん」が先週から始まりました。
原案が小松さんです。
♪「チョイト一杯のつもりで飲んで」♪「いつの間にやらハシゴ酒」♪「気がつきゃホームのベンチでゴロ寝」♪「これじゃ身体にいいわきゃないよ」♪「分かっちゃいるけどやめられねぇアホレ」♪「スイスイスーダララッタスラスラスイスイスイ」♪「スイーラスーダララッタスラスラスイスイスイ」♪「スイスイスーダララッタスラスラスイスイスイ」♪「スイスイスーダララッタスーダララッタスイスイ」♪「一目見た娘にたちまちホレて」♪「よせばいいのにすぐ手を出して」♪「ダマしたつもりがチョイとだまされた」♪「俺がそんなにもてる訳ゃないよ」♪「分かっちゃいるけどやめられねえ」山本≫ちゃんと普通の人なんですよね。
もうこんな働いちゃだめだよって言ってみたりなんでこんな歌歌わなきゃいけないんだって言ってみたり家族に会いたいなって言ってみたり。
なんか勉強になったといえば強じんな精神でもなく強じんな世界の中で強く生き抜いていくことでもなくすごい場所ですごい存在感を残して…本当に僕らと変わらない普通の…普通と言っていいのか分からないけれども…人間は変わらないけどもそこがね、すごく僕は学んだかな。
どんなにすごくなってもやっぱり1人のちゃんとした普通の人間でいなきゃいけないなって思いますよね。
直美≫普通の人って。
そんな激しい感じの方ではなかったんですか?はちゃめちゃなところとか。
小松≫全く。
だから、旅に一緒に行くとほかの人はどこかですごい洋食のフルコースとかなんとかというのさんまの焼いたのとかあじの開きとかそういうものが一膳飯屋みたいなところに入ってごはん食べた人です。
いちばん好きなのはいわしの丸干し頭からばりばり食べました。
80歳で亡くなるまで虫歯1本なかったです。
全部骨まで食べちゃうんです。
そういう店を探してくるのがまず大阪の公演があるとしたらその近所にそういう店があるかというのを探すのが私の役目でした。
夜どこかでおいしいもの食べるとかいうことはあまり関心がなかったです。
足立≫お酒も飲まれなかったんですか。
1滴も飲みません。
私が慣れたたころ日本酒のおちょこがあるでしょう。
おちょこをひっくり返すと少し高台という隙間があるでしょう。
冗談になめるだけなめましょう。
お正月だからといってもだめだって言ってるじゃないか。
俺は奈良漬けでへろへろになるんだからって。
ちょっと乾杯だけと言ってお正月ですからこれもだめだって10年も毎年、お世話になったところで年始に行かなきゃいけないのにその年行けなくなっちゃったんです。
私のせいで。
笑い声
10年間も続けて行っているのにおちょこの裏側をなめて沈没してしまってどうしましょうって私、どうしましょう。
笑い声
足立≫飲ませたばかりに。
渡邊≫植木さんは情の厚い方でもいらっしゃいました。
ドラマではこんなシーンが描かれています。
植木等の付き人になった小松政夫。
ある日突然母親が田舎から上京してきます。
小松≫かあちゃん?母親≫マサ坊!ちょ、何しに来たと?何しにって植木先生のとこば、あいさつに。
電話で来るなて言うとったやろ!そやけんて自分の息子が世話になっとうとに黙っとうわけにはいかんねんもん。
あんたもいっちょん連絡つかんし電話もどこかけたらよかか分からんしまさか死んどっちゃせんか?と…。
せからしか!あん人に母ちゃんと会う時間やらなかと!どんだけの人やと思うとうとね!今、日本でいちばん忙しか人やぞ。
≫小松は母親を追い返します。
そのことを知った植木は。
植木≫お前、自分がどういうことをしたのか分かってるのか!なんでそんなお母さんを追い返すようなまねしたんだ!せっかくいらんしたんじゃねえか!その…植木さん死ぬほど忙しいし寝る暇もないぐらい忙しいし俺のことなんかで…。
ばか野郎!俺の時間のことなんて考えなくていいんだよ!あいさつに来た母親を追い返したって聞いておう松崎、俺のことをよく分かってるな、さすがじゃねえかとでも言うと思ったのか?本当にそう思ったんだったら今すぐ出て行け!そんな付き人は、いらねえ!いいか。
親の心っていうのはな理屈じゃないんだよ。
ことばにできないものなんだよ。
お前のことが心配で迷惑かけていやしないかっていてもたってもいられなくてわざわざ博多から上京してくる母親の気持ちを、少しでも考えたことがあるのか?直美≫見入ってしまうシーンでした。
足立≫これは実際にあったエピソードなんですか。
小松≫帰れとは言わなかったんですけど実際来たら上がりなさいと言って自宅でごはんを食べていきませんか?と言ってやってもらったらえらいおどおどしちゃってしゃきっとせんか私どっちかというと男は強いものでしょう。
おふくろなんか一緒に住んでいると私の下着と自分の下着を別に洗ったりね。
お風呂は私が入るまで絶対に入らない。
だから一緒に住むのが困ると思ってるときがあったのね。
私が旅の仕事か何かで1週間いなかったら1週間風呂に入らないんです。
男の前に風呂に入らないという人でした。
乱暴なことばであいさつぐらいきちんとしなさいよというようなことは言った覚えがあるんです。
本来そういうことがあったんです。
帰ったら今ほどは怒られなかったけど結構怒られましたね。
お母さんになんてこと言うんだってお母さんだろ、お前友達に言うことばだよ。
そうじゃないのか、というようなことは言われましたね。
俺の靴を出してとか平気で言うのね、僕は。
お前あれお母さんじゃないのってうちに来たとき友達がみんな言ったことがあるんです。
お母さんにあんなことば使うのでおかしいと聞いたらおかしいよと言われたことがあります。
そういうところが身についていたんです。
足立≫独立されてからも師弟関係みたいなものが続いたんですか。
小松≫だって、うちの近所に来いというぐらいです。
砧というところに住んでいました。
ある日呼び出しみたいに電話がかかってきたんです。
何か悪いことしたかなと言ったらお前は1等地借家で住んでいるようだけどそんなことするな家を建てろうちの知っている工務店がうちの近所にいいところがあるから、そこに建てろってそばに来いということがあって昔はね。
ことだったんでしょうね。
金があるうちが友達もいっぱい膨らんできて私が帰ったときにみんな、宴会やっているんだからわいわいがやがやとそういう宴会を毎日やっていたからそんなもったいないことしないで家を建てなさいって言って早い話そばに来いということです。
式のあいさつでこちらにいきました。
お歳暮で来ました、ではなくてちょっとそこまで来たのでやりました。
ちょっとおいしいものが入りましたので寄りました。
肩でもももうかと思ってやりましたというのをしていました。
直美≫お子さんが生まれたときの写真ですね。
小松政夫という名前の名付け親でもあります。
これが私の実子ですが。
渡邊≫ご長男が生まれたときです。
神社にお参りに行ったんです。
帰りに連れて行ったんです。
そのときに色紙をいただいたんです。
代々木八幡神社ですね。
これは私のためにのれんを作ってくださったんです。
直美≫手書きですか?当時、こういうものってのれんというものははた屋さんとかああいうところで羽二重でも結構な値段がするでしょう。
小松政夫さんへ植木等からと電話1本で頼むと1週間でポンと届くんです。
納期が4か月かかりました。
奥さんいわく私の筆の勢いがいいときにあいつに送るんだとずっと稽古をしていたらしいんです。
納期4か月だよ。
着物1着分だな私が奥さんについてその着物屋さんに出入りしていたから大体60万円から70万円。
のれん分けというぐらいだから下手にのれんはくれない。
伊東≫それは「シャボン玉」に呼ばれたときですね。
これがいちばん最初です。
みんなでトリオの話をコントにしたりして最後に「お呼びでない」っていうところでやっぱり、みんなでトリオは何だろう?てんぷくかなあ?いやあトリオ・スカイラインじゃない?トリオ・ザ・パンチじゃない?ナンセンストリオじゃない?なんて話をみんなでしているところへ植木さんが、奥からトリオ?塗料はこれだろって言ってペンキの缶に、はけつけて塗料はこれだよって、人の顔にべたべたみんな塗ってっちゃうというのを、「お呼びでない」でやったんですよ。
こら、笑いましたね。
もう塗られているときから笑ってましたよ。
で、ある人のところまで行って「あれ?お呼びでない?お呼びでないね。
こりゃまた失礼いたしました」っていうのが、これが最初です。
あんなに一日やって楽しい思い出を作って家に帰れる人はまず、いなかったですね。
普通はそういう人いませんからね。
ティーショットは普通は黙ってますよ。
それが、しゃべりながら打ってるっていうね。
それからしてもおかしいし私が森の中に入れちゃったら俺が探しに行かなきゃいけないのにで、探して四朗ちゃんあったよ、ここ、ここって言って。
あ、どうもすいませんって言って行ってみたら、あったんですけど植木さん、これちょっと…ゴルフにはねル−ルやマナーはあるだろうけどそれ楽しいでしょう?本当に。
僕はあんな人は今までにいませんね。
足立≫仕事以外でのゴルフでも人を楽しませてくれる方だったんですね。
小松≫そうですねですから私も伊藤さんで思い出しましたけど伊東さんと植木と私と3人でゴルフによく行くことがありました。
そのとき四朗ちゃん俺なもうげいじゅうだよと言ったんです。
50歳ということねバンドマンの用語であるんです。
50ということは伊東さんがたぶん私と15違いますから私は35でした。
伊東さんはまだ40歳の前ぐらいか。
あのとき50くらいだったんだなと思うとびっくりします。
本当に気遣いとかまめでした。
ゴルフなんて楽しめばいいと伊東さんがおっしゃってたけどそのとおりですね。
正式な場所ではないんだから楽しみに行っているんだからスコアがどうのこうのということはないという感じですね。
ななみ≫♪「チュチュンがチュン」♪「チュチュンがチュン」♪「電線にスズメが三羽とまってた」♪「それを猟師が鉄砲で撃ってさ」♪「煮てさ焼いてさ食ってさ」♪「ヨイヨイヨイヨイおっとっとっと」♪「チュチュンがチュン」♪「チュチュンがチュン」
拍手
すごい、ななみちゃん。
ななみ≫小松さん、こんにちは。
小松≫こんにちは。
ななみの「電線音頭」どうだった?よく跳べましたね。
うれしい。
頑張っちゃった。
イエーイ!次はお酒が大好きな小松さんにおすすめの番組がある。
見てね。
チュチュンがチュン。
≫お酒好きのゲストを招いておもてなしする「あてなよる」。
京都在住の料理研究家にしてあての求道者、大原千鶴。
大原の繰り出す極上のあての数々にソムリエ・若林英司が相性抜群の酒を、めあわせます。
こよいは、唐辛子で呑む。
とうがらしを使った料理は辛さと、うまさの交差点。
若林≫これは日本酒なんですけど。
高橋≫なんか入ってますよ。
勝手に若林さんがやったんですか。
いやいや、それはいらないよね。
辺見≫でもなんか…。
若林≫あとから青いというか青いとうがらしの香りが。
高橋≫おいしい。
大原≫お代わりを入れてまいります。
ななみ≫おいしそうなお料理がいっぱい。
次は海外で取材したおもしろい番組があるから紹介するね。
「まるNフラッシュ」ワールド!≫80年代、アフガニスタンで統一戦線を組織しソ連軍と戦ったアハマッド・シャー・マスード。
写真家・長倉洋海はマスードと34年前に出会いその姿を追い続けてきました。
しかし、2001年タリバンが台頭する中でマスードは暗殺されます。
新しい国を作ろうという夢は果たせませんでしたがマスードはふるさと・パンシール渓谷に1つの小さな学校を残しました。
長倉は毎年、学校へ通い支援をしながら写真を撮り続けています。
それはいつかは分からないけれどそういう人材が出てきたときに…アメリカを代表する絵本作家ターシャ・テューダー。
手作りすることをこよなく愛し自給自足に近い暮らしをしていました。
ターシャが亡くなって9回目の夏。
ターシャを知らない、ひ孫たちがターシャの世界で遊び、学びます。
ここでは、両親が先生。
そして、自然が教科書。
森の暮らしは、毎日が発見と喜びにあふれています。
ななみ≫みんな顔がきらきらしていたね。
小松さんの子どものころの夏の思い出って何かあるかな。
小松≫夏の思い出は、やはり海水浴かな。
楽しいもんね。
博多ですからね、夏はやはり7月1日から15日まで博多祇園山笠というのがあります。
15年ぐらいは毎年10日間ぐらい帰っているんですよ。
この日だけは仕事を休んでいる夏祭りがあります。
これはまた別物と思っていました。
渡邊≫小松政夫さんが出演している「植木等とのぼせもん」は第1回の再放送があります。
夜は第2回が放送されます。
第2回も小松さんと植木さんの師弟愛が描かれています。
楽しみです。
小松≫きょうはどうなるんですかね。
私もまだ見ていないんですよ。
怖いね怖いね。
2017/09/09(土) 13:50〜14:50
NHK総合1・神戸
土曜スタジオパーク▽ゲスト 小松政夫[字]

ゲストは小松政夫さん。数々のギャグや大ブレイクした「電線音頭」「しらけ鳥音頭」を披露!大スター、植木等さんとの“心温まる師弟関係”についてじっくりうかがいます。

詳細情報
番組内容
ゲストは小松政夫さん。コメディアンとして生み出してきた数々のギャグや大ブレイクした「電線音頭」「しらけ鳥音頭」をスタジオで披露!名コントをともに演じた伊東四朗さんが、小松さんの意外な素顔を明かす!小松さんの転機は大スター、植木等さんの運転手兼付き人になったこと。黄金期の4年間、間近で目撃した植木さんの素顔とは!?さらに植木さんと小松さんの“心温まる師弟関係”について、じっくりうかがいます。
出演者
【出演】小松政夫,【司会】渡辺直美,足立梨花,渡邊佐和子

ジャンル :
情報/ワイドショー – 番組紹介・お知らせ
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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