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同盟題目

 投稿者:
 投稿日:2017年 9月 9日(土)00時02分19秒
今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
原田会長、副会長、弁護士の二枚舌の方々に
自身の罪が速く自覚できます様に
御題目をあげさせていただきました
おやすみなさい
 

不思議なる縁(代理投稿)

 投稿者:シャクソン ファイブメール
 投稿日:2017年 9月 8日(金)23時18分46秒
宮川氏の代理投稿です。


No3.不思議なる縁( えにし )
久遠の友との再会を果たす.
(拡散希望)
「 仏法に於て大小・権実・前後のおもむきあり。若し此の義に迷いぬれば、
邪見に住して、仏法を習ふといへども還って十悪を犯し、五逆を作る罪よりも甚だしきなり 」( 御書1206頁 )
我が師、池田先生の慈悲と平和の思想、常楽我浄の幸溢れたる創価学会。
原田 某を会長と仰ぎ、やっかみ、嫉妬、謀略、査問、献金、地獄、苦悩、罰、溢れたる原田喪価学会信濃教。
どす黒い鉄鎖を打ち切り、自ら先生の幸福と歓喜の世界に飛び立つ人の流れは、
いかなる権力をしても止める事は、最早出来ない。
今、幾百、幾千、幾万の、毒気から目覚めた先生の弟子達が、
自分自身の輝く仏性に目覚め、どす黒い鉄鎖を切り
池田先生の御許に集結している。
師の魂を体現した久遠の同志からのメールを紹介したい。


ーー友からのメールーー
宮川様
いつも大変貴重な発信を頂き、本当にありがとうございます。
宮川様の発信で日を追うごとに、原田喪価学会に対する怒りが増してきます!!
この実態を自身の人脈で着実に拡げていき、
その一人一人にもう一度、
池田先生と奥様への報恩感謝の思いを打ち立てて参ります!!
御投稿を転送させて頂いている中、ある婦人部の方は50年続けてきた財務に区切りをつけ、
布施を断つことが出来たとメッセージを下さいました。
これは宮川様のおかげであり、背中を押して頂いたとのことで、スッキリの心境だと申しておりました(^-^)
着実に善の連帯は拡がっておりますが、
決して油断せず、天魔に足元をすくわれぬよう精進して参ります 。
私が、ある場所にて体験を話させて頂きました際の
原稿を送らせていただきます。
ただ、私が、実名を出してしまうことで若干、御迷惑をかけてしまう方がおりますので、
名前は伏せて御紹介頂けると大変助かります。
しかし、この原稿に書いてあることは全て事実です。
当事者の方が読めば、誰が誰に対して話しているか必ず判ります。
そして人権侵害にも似たことを平気で行なう幹部たちには、
自身がアドルフ・アイヒマンと変わらないことを自覚してもらわなければなりません!!
ただ、宮川様に問い合わせがあった際には、私の名前を出して頂いて結構でございます。
引き続きどうかよろしくお願い申し上げます。


( 真の池田門下として )
みなさん、こんにちは。
私は創価学会の会員ではありますが、現在の原田会長を中心とする執行部は間違ってい ると確信して、
声をあげました。反執行部と言われれば、その通りであります。
私が現在の創価学会執行部に対して間違っていると確信する理由は、何も難しいことで はありません。
現執行部のやり方が三代会長の御指導に反しているから、
そして三代会長の精神を破壊 しようとしているから、だから私は声をあげようと決めました。
その結果、私は本年4月14日、地元支部の副支部長を解任となり、一壮年部員になりました。
本日は、池田門下の自覚と決意を込めてお話しをさせて頂きますので、どうかよろしくお願い 致します。
私は昭和62年、21歳の時に現在の支部で入会し、男子部では創価班本山担当、本部担 当として着任致しました。
また、圏広宣部長として宗門などから会員を護るために戦って参りました。
そして壮年部に移行してからは、約10年間、地区部長として三地区に渡って担当させて 頂き、
折伏・新聞啓蒙・公明党支援とその時々の活動を地区の皆さんと共に、全てやり切る ことが出来ました。
それぞれの地区で様々な活動の歴史を刻むことができ、
共戦して頂いた 同志のみなさんには今も感謝の思いで一杯です。

組織活動中心で打ち出しには、何の疑いも持っていなかった、そんな私が、
「あれ、どういうこ とだろう??」と疑問に思い立ち止まったのが、
2015年6月4日の衆議院憲法審査会のことでした。
3名の憲法学者が「集団的自衛権は憲法違反である。」と表明し
「外国軍隊の武力行使が 一体化するおそれが極めて高い。」と発言したことに、
私は心の中で何かが引っ掛かりまし た。
前年の 7月1日に憲法9条の解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認すると決めた閣議決 定の時は、
正直あまり心配はしていませんでした。
「 法制化する際に必ず公明党がしっかりや ってくれる 」
「 平和憲法を絶対護ってくれる 」と信じており、
例え自民党が暴走することがあっても、公明党という強力なブレーキがガッチリと効いて、
この日本が向かう方向を安全運転に導 いてくれるものと確信していました。
ところが憲法審査会以降、安保法案に違憲と表明する圧倒的多数の憲法学者が現れ、
歴 代の内閣法制局長官たちが反対してくる事態となっては、本当に合憲の範囲内なのか、
私の中では様々な疑問点が出てきました。
そうこうしているうちに、
7月16日に衆議院本会議の採 決で賛成多数、法案は可決してしまったのです。
高村・中谷・北側各議員、この安保法案の中心者たちが口を揃えて、現行憲法下では
集団的自衛権の行使はできないと、憲法を改正しないとムリであると以前は豪語していたの に、
今回は真逆の主張をしています。
特に公明党副代表ともあろう者が、武力による抑止 力の必要性を訴える始末です。
池田名誉会長はトインビー博士との対談で
「武力による自衛の方向は、すでに行き詰ってきているといえましょう。」
と明確に武力の拡大を否定しています。
この師匠の言葉に照らして、公明党は完全に違背していると、私は確信しました。
そこで私はまず、支部長・本部長・圏長に直接訴えました。
どの単位でも構わないので、 安保法案についての政治学習会を開いて欲しいと真剣に申し出ました。
しかし、圏長は早々に
「開催するつもりはありません。」
との返答。
支部・本部については市議会議員が入っての会合を検討すると言われましたが、結局会合が持たれることはありませ んでした。
日本全国でこれだけ関心があり、多くの国民が危機感を感じている法案に対して当時はまだ、納得できる説明と内部討議資料がないのです。
法案に賛成するにしろ、反対するにしろ、 私たち現場会員への説明と資料が全くなかったのです。
与党の一員である公明党を支持する者として、
このまま何も知らない、
判らないではすまされないと強く感じ、
一般紙のデジ タル版や SNS の情報などで安保法制の利点と問題点を調べていきました。
時には市議会議 員のお宅に訪問して、公明党本部から受けている説明を聞き、疑問点をぶつけてくることも ありました。
しかし、調べれば調べるほど、憲法9条に違反する可能性が高く、
専守防衛を貫いたとは、とても言えないのではないかと、疑問は深まるばかりでした。
そして何より、私たちの師匠が 命懸けで道筋を構築して下さった、創価の平和思想が学会内部から崩れていくのではない かとの強い危機感がありました。
私は7月中旬の地区協議会で集まったみなさんに語りかけました。
「今回の安保法案は、正直私もよく判りません。
しかし、憲法違反の可能性があると言われる法案です。
とにかく、皆さんで一緒に勉強しましょう。そして自分自身で考えましょう。」と。
それから地区協議会や唱題会で15分程度の時間を使い、
安保法制の学習を行ないました。私はその時点での報道を教材として配布し、発信して参りました。
あるときは、憲法審査会の模様をニュースでしか見ていないとの地区のみなさんに、与野党双方の意見を含めて 編集した動画を作成し、それを地区協議会で観ることもありました。
私の中では安保法案反対の立場は決まっていましたが、地区のみなさんには賛成・反対 双方の情報を知って頂き、
師匠の平和思想に照らした上で、あくまでも自分の頭で考えて ほしいと願いながら進めていきました。
私は、地区部長というのは地区の壮年部長とは考えていません。どこまでも、地区四者の リーダーであり、地区全員とその御家族を幸福に導く、責任者です。
そのリーダーが判断を誤れば取り返しのつかないことになる怖れもあります。
地区をお預かりするには、その責任と 覚悟を持ってやらないといけない、今もそう考えております。
学習会を重ねていくうちに、ある婦人部の方は言いました。
「 私たちは毎日朝晩、勤行の 最後に『世界の平和と一切衆生の幸福のために』と御祈念しているのに、
この法案はなんか おかしいわよね。」と。
私はそれを聞いて、少しずつではありますが意識が変化してきたなと、感じることができました。
しかしそんな矢先、9月初めの協議会に突然、本部長と副本部長がやってきて、会合終了 後、
みなさんが帰った後に、
こう言いました。
「 あなたは、今後、協議会や座談会で、政治の話しは一切しないでください !
あなたが話しをすることは、地区部長としての話しになるから、 地区のみんなが誤解します。
今の打ち出しの事だけ、しっかり協議して下さい。」と。
私は即座に
「選挙の支援活動が始まれば、当たり前のように政治の話しになります。
内部 討議資料が下りてきて、政治学習会も普通にやるのに、
なぜ今、政治の話しがいけないの か、まったく意味が判りません。」と反論しました。
支援期間以外は政治の話しをしてはいけない、などという指導は聞いたことがありません。
支部や本部で安保法制の説明会を行わな いのを棚に上げて、地区に圧力をかけてくるような実態があり、
結局それ以降は地区での政治学習会を行なうことが出来なくなりました。
また、公明党の国会議員が県の支部長会で質疑に応えてくれる機会があった時には、
この ように言われました。
「 あなたが参加しても、議員さんの説明に納得できなければ参加する 意味はないですよね。
それに貴方が質問すると迷惑がかかるから、会合には参加しな いでほしい。」と。
支部長の代理で参加する予定だった私は、本当にびっくりしてしまいました。
これはもう、開かれた支援活動ではありません。
公明党の政策に納得しなければ排除される、
閉ざされた、偽りと盲目の支援です。
師匠・池田先生は
「私たちは公明党を支援するために信仰しているのではない。」
「いかなる政党支持の人であろうと、
いかなるイデオロギー をもつ人であろうと、
この妙法の旗のもとには、
全く、なんの差別もなく、平等に包容されるべ きであることを、明確にしておきたいのであります。」
と言われています。
それにもかかわらず、 創価の現場には差別と不平等の実態があったのです。
そして、組織からの一方通行の伝達 ばかりで議論することなく、上意下達の打ち出しをこなすことが活動家の戦いになっていま した。
特に、打ち出しを流す幹部たちが勉強不足なのは致命的です。
選挙運動には関心が 高いのに、政治や政策にはほとんど関心がありません。
これでは「心して政治を監視せよ!」との戸田第二代会長の指導にも反していると言えるのではないでしょうか。
その後も、参議院中央公聴会での公述を引用して、支部長・本部長に私は
「今回の安保法案 を肯定する池田先生の御指導を、ぜひ教えて下さい。」と訴えましたが、
応えが返ってくるこ とはありませんでした。
そして、9月17日、 参議院特別委員会での強行採決、
9月19日、本会議での法案可決を目の当たり にして、
私は現在の公明党は創価三代会長の平和理念を踏みにじり、
権力の魔性に喰い 破られた政党だと強く確信するに至りました。
そして今後、国政での公明党は一切支援しな いことを支部長から県長までに対して宣言を致しました。
それからしばらくは選挙体制にならなかったので、私は地区のみなさんに勝利感がある活動を心がけて指揮を取って参りました。
どこまでも純真で健気なメンバーがたくさんおりま す。
その方たちと、三代会長が築いて下さったこの創価学会を断じて護るとの祈りを重ねていました。
そんな中、元職員3人のブログを見つけた私は、
第1回、横浜座談会をはじめ、数回の座談 会に参加させて頂き、
師匠・池田先生の正義を胸中に、志を同じくする方が全国にたくさ んいらっしゃる事を知りました。
自然に横の連携を取るようになり、有志の勉強会に参加する こともありました。
ラインの活動と違って、なんの縛りもなくお互いに本音を言い合えること、
双方向の意見が言える場は非常に大切だと感じました。
それが今の創価の最前線では、まず、ないことだからです。
2016年になると地元市議選と参議院選の支援シフトに入りました。
私は、県長に再度、「公 明党の支援は一切できないので、地区部長としての支援活動はやりません。」と申し出たと ころ、
5月に地区部長を交代となり副支部長専任になりました。その後、7・3のサイレントアピ ールに参加したのをきっかけに、7年ほど担当していた支部統監部長を解任になりました。
そしてこのころから、
県長・圏長ペアの懇談という柔らかな査問を受けるようになります。
この時点で、
私は何度も、現執行部は退陣すべきと発言していたので、反安保法制というより反執行部の反逆者と認識されていたようです。
懇談( 査問 )では、サイレントアピールや元職さん主催の座談会に参加した理由、
彼らとの連携頻 度などを聞かれ、
県長から「あなたは反創価学会ですか ?
あなたは副支部長なんだから 学会の方針と違う意見を言い続けるのなら、今後、役職の解任もありえます。」
と、通告されま した。
現執行部が創価三代会長に違背することがあれば、当然声をあげるべきです。
それに、 役職があることで言いたいことが言えないのでは、学会内の言論統制になってしまいます。
師匠・池田先生はこう言われています。
「 正義感を決して失ってはならない。
世間ではよく『清濁併せ呑む』ということが度量のように言われるが、
不正・不純を容認し、それに慣れて しまえば自分自身が濁っていく。
そうなってしまえば、本末転倒である。」と。
今まさに、不正・不純を容認し、隠蔽体質の現執行部自身が濁っているのではないか、
そう思えてなりません。
私はサイレントアピールに参加する際、事前に県長・圏長にメールで報告していました。
また、懇談の時にアピールの話しになると必ず、
「サイレントアピールなど意味のない行動は、 やめた方がいいですね。」
「 時間の無駄です。やめた方がいいと思います。」と言われました。
思想・良心の自由、
そして表現の自由を憲法で保証されている行動を、
時間の無駄と言 い切るその心根に、私は無慈悲さを強く感じました。
参加される方、地元で応援してくださる 方、
無事故・大成功のお題目を送ってくださる方、
その全ては創価三代会長の思想と理念 を護り抜こうと決意している善の同志です。
対話拒否の執行部とは真逆の人たちです。
私は、この善の同志のみなさんと今後も連携していきますと、県長たちに言い切りました。
この年最後のサイレントアピールには私の同級生で古くからの友人 A 君と参加致しました。 彼とは毎年、東北の被災地に行ってボランティアをしたり、復興の進捗を見て回っています。
私はその道中で、現執行部の狂いと会員軽視の実態や元職員3人の戦いをよく話してい ましたので、アピールの参加を打診したときは快く OK してくれました。
当日は大誓堂前でしっかり1時間、プラカードを持って立ってくれました。
終了後に感想を 聞いたところ、元職員さんと直接話しをしてみて「とても嘘を言う人たちではない、信じられる。」
「これほど多くの方々が真剣に今の創価学会を変革したいと行動しているのが判った、これ には正直驚いた。」
と話してくれ、またひとり良き理解者が増えたと私はうれしくなりました。
その後、私がサイレントアピールに A 君を参加させたことで、新たな動きがありました。
本年3月、総県長と県長が私の勤務先の社長に
「私が、現執行部に敵対している活 動をしている。」
「学会から除名された輩との連携は悪同志であり、やめさせたほうがいい。」
などと伝えに来たそうです。
それと共に元職員の3名さんや創価学会を除名された方のことを批 判していき、会って話しをしたこともない方々を仏敵扱いして、
その行動がいかに尋常でな いかを話していったとのことです。
その上で総県長たちは「このままでは私の処分もやむを得ない。」との話もあり、
私と 30年来の付き合いのある社長は大変心配してくれました。
数日後、仕事が終わったあとに社長に呼ばれた私は、全て御書と三代会長の御指導に照 らして間違ったことはしていない、現執行部が師匠に敵対していると真剣に話しをしたところ、
私の主張を少し理解して頂きその正義感を認めてくれたのです。
この日のやり取りで、総県長たちが社長に接触した理由のひとつは、
私と一緒にサイレント アピールに参加した人物を特定することだと思いました。
案の定、友人 A くんにも県長による 懇談が行なわれることになりましたが、ここには A くん本人だけに留まらず彼のお姉さん夫 婦にも同席させるという展開になっていきました。
A くんは当然、自分の意思で参加しているわけです。
何も知らない、関係のない姉夫婦を 巻き込むやり方にはとても憤っていました。
兄弟抄に「此の 法門を 申すには 必ず 魔 出来 すべし 魔 競はずは 正法と 知る べからず」
とあります。まさに御書の通り、魔が 競い起こっていると実感し、私は A くんを心から激励致しました。
これらの内容をアレンジして某掲示板に投稿したところ、一週間ほどで投稿者を特定する ための確認が来ました。
それは、総県長や県長が直接私に連絡するのではなく、
一婦人部 に確認してもらい報告させるという、なんとも卑怯なやり方でした。
そして4月になり総県長・県長のもとで懇談することになりました。
この時は総県長の質問 に対して私が応える形で進み、総県長は手元にある資料を見ながら、
4年ほど前からの私 の行動、
サイレントアピールや会合への参加状況、
掲示板への投稿内容などの事実関係を 確認してきました。
そして、
「あなたは反執行部なのに、なんでまだ創価学会に籍を置くの か !」と、
暗に自主退会を促しているような聞き方をしていました。
以前、県長との懇談の時 も何度か同じ質問を受けていましたので、総県長たちは私に創価学会を退会してもらいた いのかなと思えましたが、
私は「自分から退会することは、絶対にありえません。」とハッキリ 申し上げました。
最後に総県長は「今後も除名になったメンバーとの連携を続けますか?」
「あなたの考えを 変えるつもりはありませんか?」と聞かれたので、
私は「はい。」と応えると、県・総県の監査 委員会で検討して学会本部に上げ、その上で県長から話しが行くと言われ懇談会は終了し ました。
そして、4月15日、私は地元の会館に呼ばれて、
県長から「学会本部の人事委員会で検討した 結果、4月14日付けで貴方の役職を解任することになりました。」
と口頭で通告されました。
こうして私の副支部長解任が決定いたしました。
主な理由は、除名された方たちとの連携 と掲示板への投稿になります。
ことの発端は、私が思考停止をやめただけです。
正しい基準のもと、自分の頭で考え始め ただけでした。
創価学会は永遠に三代の会長が基準です。
しかし今の創価の活動には、何 が正しくて何が間違っているかを、一度立ち止まって考えることがありません。
その結果、戦争が出来る安保法制を成立させ、
平成の治安維持法と言われる共謀罪法ま でも成立させてしまいました。
これに加担し、悪に魂を売った公明党はもはや解党するしか ありません。
そして、多くの被爆者の方々が長い間待ち望んだ、核兵器禁止条約が賛成多 数で採択されても、何の声明も出さない現執行部は全員即刻退陣するしかありません。
三代会長が命懸けで築いて下さった、創価の絶対的平和主義が破壊されようとしている。
現執行部は、師に敵対している。
だから、我々は声をあげねばならないのです。
悪を見ておいて責めなければ、自分自身が与同罪となります。
師匠・池田先生は「悪は放 置すれば増長する。皆、騙されてしまう。
悪人と戦わなければ学会が破戒されてしまうのだ。
破邪顕正といっても、あくまでも破邪が先である。」
と御指導されています。
今は、まさに破邪 の時です。
学会員、非学会員にかかわらず、
生涯、池田先生を人生の師匠と定めた私たちは、真の 同志です。
創価三代会長の思想と理念を、断じて失うわけには参りません。
みなさん共々に、真の池田門下の旗を高らかに掲げて、
善の連帯を強く、大きく拡げて参 りましょう !
 

大聖人の警鐘

 投稿者:一人のSGI
 投稿日:2017年 9月 8日(金)23時14分6秒
>エセ良識派…とは言い過ぎかもしれないが、冷静さを自認できても結果として弛緩した空気が悪を攻める側に流れてしまう。<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73828

小作人@地上の発心 様
ご意見ありがとうございます。

私の先の投稿が、皆さんの悪を責める士気を下げていたら、それは私の意図する事とは正反対なのでもう少し書かせていただきました。
まず御書の御文を引用します。

主人の曰く、予少量為りと雖(いえど)も忝(かたじけな)くも大乗を学す 蒼蝿(そうよう)驥尾(きび)に附して万里を渡り 碧蘿(へきら)松頭(しょうとう)に懸(かか)りて千尋(せんじん)を延(の)ぶ、弟子一仏の子と生れて諸経の王に事(つか)う、何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜(あいせき)を起さざらんや。
其の上涅槃経に云く「若し善比丘あつて法を壊(や)ぶる者を見て置いて 呵責(かしゃく)し駈遣(くけん)し挙処(こしょ)せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨(あだ)なり、 若(も)し能(よ)く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子・真の声聞なり」と、余・善比丘の身為らずと雖(いえど)も「仏法中怨」の責(せめ)を遁(のが)れんが為に唯大綱を撮つて粗(ほぼ)一端を示す。
   立正安国論 p26

私は、非力ではあるが、恐れ多いことに大乗を学んでいる。青蠅が駿馬の尾について万里を渡り、緑の蔓草は松の枝先に懸って千尋の高さにまで伸びていく。
仏弟子である私は、唯一の仏である釈迦仏の子として生まれて、諸経の王である法華経に仕えている。
どうして仏法の衰微を見て悲しまないでいられるだろうか。

その上、涅槃経にはこうある。「もし善い比丘がいて、仏法を破壊する者を見ていながら、放置して、追い出したり責め立てたり罪を数え上げて処断しなければ、この人は仏法の中の敵であると知らなければならない。
また逆に、もし追い出したり責め立てたり罪を数え上げて処断したりするなら、釈尊の弟子であり、真の声聞である」
私は、善い出家者というわけではないが、「仏法の中の敵」と責められるのを免れるために、要点だけを取り上げてその一端をおおよそ示しただけである。

引用終わり

「立正安国論」のこの御文は、一応は「正法」を破壊し民衆を翻弄する他宗の高僧達に対しての破折の精神、行動を述べられたものです。
しかし、「金光明経には「若し深く世法を識らば即ち是れ仏法なり」」と御書に有る様に、「仏法」は「世法」に反映されるべきものであるなら、世の悪を呵責する事も又仏法の精神に適う事であり、逆にそれをしないことは仏法の精神に反するものです。

「仏法を破壊する者を見ていながら、放置して、追い出したり責め立てたり
罪を数え上げて処断しなければ、この人は仏法の中の敵であると知らなければならない。」

残念ながら、今の執行部は「仏法を破壊」することと同時に、「深く世法を識ら」ないという事になるでしょう。
もちろん、「仏法を破壊」する無明が「深く世法を識ら」なくする根源でありましょうが。

ですから、私達は声をあげないといけません。
「仏法」「世法」に渡る悪を呵責し、どういう風に悪いのか事実を明らかにし、
まず現在の全員の幹部をその立場から身を引いてもらい、組織をメンバーの手に取り戻す様な戦いが必要でしょう。
全ての虚飾をはがして、正しく機能するシンプルな組織を実はみんな望んでいるのではないでしょうか。

生命が永遠かどうかは証明はできません。
しかし、生命が永遠だと信じて、生きている間に努力をし、もし生命が一回きりだったとしても何も失うものはないが、どうせ生命は一回きりだから、好き勝手に悪行も構わずに続けて、もし生命が永遠でその宿業を来世に持ち込むとしたら取返しがつかない、、という話が法華経の智慧にあったと覚えています。

一生はゆめの上・明日をごせず・いかなる乞食
には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず、
   四条金吾殿御返事(不可惜所領事) p 1163

この御書の一節を、どの様な心で拝するべきでしょうか。
大聖人は警鐘を鳴らしています。
 

谷川ドン

 投稿者:大阪の地区ブチョウ~
 投稿日:2017年 9月 8日(金)23時05分8秒
谷川ドンは地獄行け~♪♪
 

23時より同盟題目開始です。

 投稿者:信濃町の人びと
 投稿日:2017年 9月 8日(金)22時56分26秒
池田先生と奥様のご健康をいのります。
よろしくお願い致します。
 

怪鳥

 投稿者:八尋みのる
 投稿日:2017年 9月 8日(金)22時22分32秒
♪かいちょー
はらだー は♪
空を飛び~♪♪

w w w
 

(無題)

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2017年 9月 8日(金)22時16分49秒
本幹同中、行って来ました。聖教掲載以上の会憲情報なし。今度は北海道に怪鳥ロプロスは飛ぶそうな。厳重注意。「おめでとう」というが、本当にめでたいのか? 気象庁は聖教を読むべきか?  

雷雨に地震(笑)

 投稿者:カンピース
 投稿日:2017年 9月 8日(金)21時35分18秒
おそれおおくもかしこくも、原田怪鳥様に御訪問いただいた大分は本日雷雨、

メキシコでは地震だそうデス(笑)被害に遭われた方々には申し訳ありませんが、

怪鳥動く時、災難起こるようデス(笑)
 

【定期案内】「教学部レポート」「遠藤文書」をお読みください!

 投稿者:信濃町の人びと
 投稿日:2017年 9月 8日(金)19時40分49秒
■公明党の変質。実は、その理由は学会の現執行部の狂いにあります。いわやる原田学会となり、狂った様子がよくわかります。

教義変更の裏にあるのは、4人組みによる学会乗っ取りの策謀です。事実、記載された内容の通りに事が運んでいます。

遠藤文書では原田会長の指示により携帯電話を取り上げるなどの人権無視の有り様がうかがえます。なぜ怪文書と騒いだのか?執行部の魂胆が透けてみえます。

********************
【教学部レポート・遠藤文書を希望される方はこちら】
をご覧ください。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64034

【教学部レポートとは】
http://sgi-shiteifuni.com/?p=10270

【遠藤文書】
http://sgi-shiteifuni.com/?p=2096
 

本日の東京新聞

 投稿者:窮状
 投稿日:2017年 9月 8日(金)18時52分49秒
こんなのが出てました。  

脳波の「P300」!

 投稿者:螺髪
 投稿日:2017年 9月 8日(金)18時08分45秒
 SaySaySayさん

 ありがとうございます。「440ヘルツ」ですかぁ(笑い)。

>ギターもピアノもヴァイオリンもそれぞれに音色は違います。この個性が「異体」です。しかし、同じ《法則》440ヘルツに則っています。これが「同心」です。生命のハーモニーです<

>「同心」の「心」は正確には「観心(カンジン)」の「心(ジン)」です。ただただただ「信心(シンジン)が同じで、自身の生命の周波数を南無妙法蓮華経ヘルツに合わせるだけなのです。題目でチューニングを合わせるのです。それを奴らの『壊れかけのRadio』は出来ない(投稿者:SaySaySay   投稿日:2017年 9月 8日(金)11時12分39秒 )<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73927

 Aマイナとか、そんなところからきているのですね。コードも知らない私ら素人には……???(笑い)

 脳波の「P300」の話って語れます? 嘘ついていると、たちまちに反応してしてしまうっていう脳波の「P300」です。目の動きに出るって、思っているんです。例の〇尾ちゃん、「男女の関係はありません」と言ったあと、右目がわずかに瞬きました(笑い)。この「P300」の波形、米国では裁判に採用しているというのですが……。


 

(再掲)おーた君の説明責任ww。ご本人は説明せず大臣交代。以前にガソリン代不正請求も。

 投稿者:通ります(コテハンの)
 投稿日:2017年 9月 8日(金)17時43分12秒 編集済
おーた君の2015年9月10日  投稿者:ひかり
投稿日:2017年 6月 8日(木)12時41分13秒   通報
太田国交相 堤防決壊その時
(ソースは学会のきらわれもの「しんぶん赤旗」だが、事実だよ)

〈金集めパーティー〉

 公明党の太田昭宏国土交通相(衆院東京12区)が茨城県常総市で鬼怒川の堤防が決壊し、大きな被害が出た9月10日に、政治資金集めパーティーを開き、みずから出席していたことがわかりました。太田氏側は、本紙の取材にこの事実を認めています。

 このパーティーは、東京・麹町のホテルで開かれた「太田あきひろ 2015政経セミナー」。

 本紙への太田事務所の説明によると、太田氏は当日の午前7時10分、関東・東北豪雨災害の対応のため、国交省防災センターに到着。同10時40分に同センターを出発、セミナー会場に同11時前に到着しました。いったん、防災センターに戻ったあと、午後0時10分、再度、セミナー会場に到着、同1時までセミナー会場にいたといいます。

 今回の豪雨災害で、常総市が鬼怒川東側の北部に避難指示を出したのは10日午前2時20分。同6時すぎに、同市若宮戸で川の水があふれだし、セミナー開催中の午前11時40分には、同市三坂町でも水があふれだし、午後0時50分には、同町で堤防が決壊しています。

 太田氏は、ほぼ毎年、「政経懇話会」「政経セミナー」などの名目で資金集めパーティーを開催しています。

 太田氏の資金管理団体「ビジョン21」の政治資金収支報告書によると、2010年には、11月1日に東京都豊島区のホテルで「前衆院議員太田昭宏君を囲む2010政経懇話会」を開催、1741万円の収入をあげています。

 11年も11月1日に豊島区のホテルで「2011政経懇話会」を開催、1659万円の収入。13年は9月24日に麹町のホテルで「太田あきひろ2013政経セミナー」を開催、844万円の収入があります。

 14年分の政治資金収支報告書はまだ公表されていないのでわかりませんが、「政経セミナー」名目で、毎年のように支援者を集め、多額の政治資金を集めていることがわかります。

 常総市だけで死者2人、避難指示や勧告対象者は3万4000人にも上る大災害となった最中に、河川管理の責任者である国交相がカネ集めパーティーに出席していたことは、無責任のそしりをまぬがれません。

 太田氏の事務所では、本紙の問い合わせに「災害状況の掌握、関係部局との打ち合わせなど、終日、防災センターを拠点に対応・指示をしていた」などと説明、「こちらの対応に問題はなかったものと認識している」としています。

 

説明責任

 投稿者:匿名希望
 投稿日:2017年 9月 8日(金)14時43分36秒
ガソリーヌ山尾の不倫問題。

昨日の会見、質疑応答が無しで、一方的に打ち切ったとのこと。

他人にはあれだけ、国会で説明責任を、説明責任を、などと発言していたのにも関わらず、

自分のことになると、その説明責任すら果たせないという身勝手な会見。ブーメランの民進党らしい姿(離党届は出しましたが)。

離党ではなく、議員辞職すべき。自業自得だ。
 

【論考Ⅰ・論考Ⅱの関連資料】まとめ

 投稿者:大仏のグリグリのとこ
 投稿日:2017年 9月 8日(金)13時13分0秒 編集済
■ 論考Ⅱ【論文抜粋と関連資料】■まとめ

①【西山論文抜粋Ⅳ】「6.創価学会の再建と会長就任のあと」
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73621

②【関連資料Ⅴ】「小説・人間革命」第4巻「秋霜」
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73622

③【関連資料Ⅵ】「教学上の基本問題」について(6・30)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73623

④【関連資料Ⅶ】「大白蓮華(1974.4月号)」てい談 法華経の展開 第一回
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73624

⑤【関連資料Ⅷ】戸田会長全集第4巻
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73625



■ 論考Ⅰ【論文抜粋と関連資料】■まとめ

①【西山論文・抜粋Ⅰ】「法華仏教研究」第24号(140頁から142頁)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73084

②【関連資料Ⅰ】妙悟空著『小説・人間革命』
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73085

③【西山論文・抜粋Ⅱ】「法華仏教研究」第24号(142頁から143頁)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73086

④【関連資料Ⅱ】法悟空著『小説・人間革命』第4巻「生命の庭」
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73087

⑤【西山論文・抜粋Ⅲ】「法華仏教研究」第24号(153頁から154頁)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73088

⑥【関連資料Ⅲ】法悟空著『小説・人間革命』第5巻「烈日」
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73089

⑦【関連資料Ⅳ】「創価学会の歴史と確信」戸田先生の論文(昭和26年7月10日)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73090
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73091



***※***※***※***※***


■【西山氏の4つ問題提起】■

http://6027.teacup.com/situation/bbs/73079


■【西山茂氏の論文の「まとめ」(「法華仏教研究」第24号158頁から161頁)】■

http://6027.teacup.com/situation/bbs/73080

http://6027.teacup.com/situation/bbs/73081

http://6027.teacup.com/situation/bbs/73082

http://6027.teacup.com/situation/bbs/73083
 

偶然の出来事では、ないだろう

 投稿者:ミネルヴァの梟
 投稿日:2017年 9月 8日(金)12時58分40秒
本日9月8日は、戸田先生の「原水爆禁止宣言」から60周年の大事な日。

しかし、聖教珍聞で大々的に取り上げれば取り上げるほど、虚しさだけがつのる。

何度でも言うが、公明党は核兵器禁止条約に、反対しているのだ。学会執行部も、裏では当然同意だろう。

要するに、原田執行部は口だけなのだ。やる気などない。
有言不実行という最も恥ずべき道を、自ら選んでいる。

不言実行ということであれば、実行出来なくても批難されることは無いだろう。
だが、口に出して言った以上は実行しなければ、二枚舌の大嘘つき教団と言われても当然なのだ。

国家権力に対して諫暁するという、大聖人伝統の精神を棄ててしまっているから、もう後は、二枚舌をフル回転させるしか方法が無いのだろう。まさに喪価学会になりかけているし、上層部はもうなっているようだ。


通常の1000倍という太陽フレアの爆発。
ハービーに続いて、史上最大のハリケーン、イルマの発生。
ますます、依正不二の現証がはっきりして来た。

太陽フレアの影響が地球に到達するのは、8日午後3時~9日午前0時頃。電子機器が狂う可能性があるが、ちょうどその日は北朝鮮建国記念日。ICBMの発射が懸念されている。
ICBMが誤作動して変な場所に落ちたら、それこそ大変なことになる。

ハリケーン イルマの最大風速は82メートルらしいが、竜巻並みだ。竜巻並みの強風がずっと続くということか?直撃されればどんな災害が起こるか、想像もつかない。

いよいよ待った無しの状況になって来たが、偶然の出来事ではないだろう。1日も早く原田執行部を叩き出せば、自然や宇宙の運行も正常に戻って行くと確信している。
もう一段、ギアを入れ替えようと思う。
 

【「論考Ⅰ」と「論考Ⅱ」】まとめ

 投稿者:大仏のグリグリのとこ
 投稿日:2017年 9月 8日(金)12時00分9秒
■【西山論文についてのグリグリ論考Ⅱ】■

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http://6027.teacup.com/situation/bbs/73903


■【西山論文についてのグリグリ論考Ⅰ】■

http://6027.teacup.com/situation/bbs/73474

http://6027.teacup.com/situation/bbs/73475

http://6027.teacup.com/situation/bbs/73476

http://6027.teacup.com/situation/bbs/73485

http://6027.teacup.com/situation/bbs/73486

http://6027.teacup.com/situation/bbs/73487

http://6027.teacup.com/situation/bbs/73488
 

俺の写真は見たかぁ~先生クリソツだろうォー

 投稿者:大日本創価査問センター
 投稿日:2017年 9月 8日(金)11時18分8秒
あのなぁ~、原田ばっかり話題にするんじゃないよお~
ファッ、ファッ、ファッァ~俺の話題ぃ、ちゃんと出せよお~。
メガネ掛けて、遠くから写真撮ってるから、分からない?ふざけんじゃないよぉ~、俺だよ、俺。
俺が映ってるの、大日本日蓮世界宗創価学会、総裁の俺だよぉ~。俺の世界が始まったんですよ、分かってんのか?先生にクリソツだろう?

皆んな、俺につき従うんですよ。分かったか!言うこと聞かない奴は一割だろうが、三割だろうが、皆んな除名なんですよ。この掲示板の皆さん、覚悟していろよ、俺は執念深いのぉ、徹底的に対話しますよ、一方的にね!
アメリカだろうが、東南アジアだろうが、対話して除名します!その時はよろしくね~ファッ、ファッ、ファッア~。
 

自由への旅立ち

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2017年 9月 8日(金)11時12分39秒
元職員のブログが更新されています。
『【10.22(日)学会本部前サイレントアピール決定!!】』
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-125.html
彼らはイベント的な部分よりも対話、懇談を重点的に時間をかけるようになりました。このことは大きい。納得を引き出しやすい。

螺髪さん、いいですねぇ~いいですねぇ~いいですねぇ~。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73923
>人は納得で動きます。「個人の時代」のいまは、なおさらです。「納得」は「満足」同じの意味と捉えられます。「満足」は「成仏」ですから、つまり「納得」は「成仏」だと言えます。「己身と和合するを今者已満足と意得可きなり」(御義口伝720㌻)、「満足とは成仏と云う事なり」(同)とある通りです。「納得」しない道理に人が従うわけはありません<

>みんな、心の奥底で「成仏」したいと願っているからです。<
→そうです! そもそも仏界がもともと備わっているということは、そういうことです!
本幹同中TMネットワーク木根さんが、池田先生から「本当はみんな信心したいんだよ。分からないからしないだけなんだよ」と言われたことを発表していました。
分かるようにして“差し上げる”、開示悟入して“差し上げる”のが折伏です。

>「納得」と言っても、それを「外」から挑もうとすれば、我執や、固執をはずすところから始らなければなりません。誰もが、これまでの集積の「智慧」に凝り固まっているからです。凝り固まっていなければ生きて来れなかったかも知れません。「楽於小法」です。日蓮大聖人、池田先生の言葉には、皆、納得します。それに反するから「納得」しないのです。いかなる道理があるにせよ、その道理を説明する義務は、それを提示する側にあります<

>「仏法は勝負」の本質は、単に凌(しの)ぎ合って「勝つ」ことだけではないようです。それでは修羅の争いです。長い目で見れば、争いは続きます。仏法の勝利は、相手も「納得」することです。中の“敵人”が“去る”ことです。「切る」ことではありません。納得して、むしろ味方に着くことと言えます<

>大聖人は、敵人が去ることの本質を「作礼而去(さらいにこ)」とされてます。<

それに引き換えアホの弁。
>池田先生は、小説『新・人間革命』に、つづってくださっています。「『創価学会仏』たる根本条件は、広宣流布への異体同心の団結にある」と。今回の会憲制定で、学会が世界宗教へと雄飛する体制は、より強固なものとなりました。私たちは、どこまでも永遠の師匠・池田先生のご指導を根本に、全世界が異体同心の団結で、御本仏の御遺命たる一閻浮提広宣流布を断行していきたい<

「異体同心」は「異体」でなくてはなりません。多様な考え方が存在する必要があります。そんな「ダイバーシティ」が「提婆City」にはない。
「同心」を奴らは知らない。誤解させるように悪用して、「同体」化させて「異体」をぶち壊しにしている。このことを全世界の学会員、全宇宙の地涌の菩薩は怒らなければならない。闘わなければ令法久住できなくなる。
「同心」の「心」は正確には「観心(カンジン)」の「心(ジン)」です。ただただただ「信心(シンジン)が同じで、自身の生命の周波数を南無妙法蓮華経ヘルツに合わせるだけなのです。題目でチューニングを合わせるのです。それを奴らの『壊れかけのRadio』は出来ない。
https://www.youtube.com/watch?v=C7QVaahn44A
そんな奴らと呼吸を合わせれば『地獄へ道連れ』になります。
https://www.youtube.com/watch?v=V3XFwc1XIyc

音楽なら、音叉を使ってラ(A)の音を440ヘルツに合わせます。ギターもピアノもヴァイオリンもそれぞれに音色は違います。この個性が「異体」です。しかし、同じ《法則》440ヘルツに則っています。これが「同心」です。生命のハーモニーです。

この「同心」部分を勘違いして「同体」にして、その法則上の矛盾から結局「異心」になってしまいます。これを奴らはやっている。「異体」が出来ず「痛い」「遺体」となる。
「異」「体」「同」「心」から4つの組み合わせが理論上ありますが、御書には「同体同心」という言葉だけがありません。理論上はあり得ますが、実際には「同体異心」になってしまう。このような解説が池田先生の御書講義(大白2014年8月号)にもあります。だから「同心」にするには「異体」にするしかないのです。「異体」に出来るかどうかが勝負なのです。
それを奴らは世界SGIを日本の下に組み込み、同質化させようとした。会憲は生命の《法則》に反した謗法というしかない。

謗法に宇宙は反応する。太陽フレアは今日から数日間、通信等に悪影響を及ぼし、使用できなくなり、社会生活に支障をきたす可能性があると言われています。全世界で。
今回、驚きなのは、今は太陽の活動が最も弱い時期であり、太陽フレアは起きにくい時期であるにもかかわらず、それが最大級で発生したということです。
太陽活動は平均約11年周期(この周期が長くなってきているとの指摘もある)で強弱を繰り返します。最近で太陽活動が最も強かったのは映画にもなった『2012』年頃です。だから今が2024年頃ならともかく、なぜ2017年9月なのか?
ちなみに、同様に太陽活動が弱い時期に大きな太陽フレアが発生したのが2006年!
そう! 提婆達多の本性が明かされ怪鳥が交代し、現怪鳥誕生!
そして、その頃からの池田先生のスピーチは書籍化されることもなく、全集に収録されることもなく、「無かったこと」にされようとしている。五老僧によって!

我々も怒っているが、諸天も怒っている!

“僕は自由になりたい 自由になりたいんだ”
“嘘から解放されたい 独りよがりの君にはもううんざりなんだ”
“自由を勝ち取らなければいけない 僕は自由にならなければならないって”
『自由への旅立ち』クイーン
https://www.youtube.com/watch?v=f4Mc-NYPHaQ
 

こんにちは

 投稿者:誠実一路
 投稿日:2017年 9月 8日(金)10時54分50秒
グリグリさん「論考Ⅱ」読ませて頂きました!

論考Ⅱの(3/8)にあります
・昭和26年2月の「第2回目の回心」から同年5月の第2代会長就任に至るまでの期間を分水嶺として、創価学会の活動ぶりが一変していくことを指して、戸田先生は「発迹顕本(迹を発(ひら)いて、本を顕す)」と呼んだものと思われます。
との箇所に大きく考えさせられました(^^)

当時、戸田先生がそこで何を根本として観て、感じられたのか興味がそそります。
恐らく池田先生も状況は違えど同じモノを観られたのではないかと推察出来ました。

私達もまた、師匠と同じ大聖人の眷属でありますので平等に「発迹顕本」が可能であるとの確信が深まりました(^^)

「論考Ⅲ」も楽しみにしております!
ありがとうございますm(__)m
 

二十一世紀への対話 143

 投稿者:まなこ
 投稿日:2017年 9月 8日(金)09時32分1秒
【池田】 私も、日本にとって最も大事なことは、何をもってアジアに貢献しうるかであり、アジアは何をもって人類の文明の発展、平和の建設に、積極的な貢献ができるかということであると思っています。

アジア地域は、現実には、率直にいって世界の後進地域であり、その広範な部分は飢餓の恐怖によって覆われています。工業用原材料の供給という面からいっても、世界には他により有利な供給源がありますし、また科学技術の発達により欧米諸国や日本で代替品の開発が進められているため、アジア諸国の立場は相対的に恵まれているとはいえません。アジア独自の工業化が本格化するのは、まだ遠い先のことといわざるをえないでしょう。 また、学問や文化の面でも、欧米諸国に比べてはるかに立ちおくれています。ただ、私が東アジア諸民族の底流にあるものとして着目しているのは、仏教思想の存在です。キリスト教よりはるかに古い仏教思想の影響は、今日はっきりと目に映る部分は少なくなってきていますが、東アジア人の精神を潤し、耕して、その歴史を平和の二字に包んできたことは、確かだと思います。また、仏教思想を根底として育まれてきた東アジアの文化は、自然と人間との見事な調和のなかに、人々の心の内面にしっとりとした落ち着きを感じさせながら、一面では“生”への強いバネとなるものをもっています。こうした点からみると、東アジア人が人類の文明と平和に貢献できる道は、哲学、宗教の分野であり、なかんずく仏教思想であろうと思うのです。


【トインビー】 平和の確立と人類文明の進展に主要な、積極的な貢献をなすのは、東アジアであろうと期待します。世界の諸問題の安定化こそ世界的破局に代わる唯一の道ですが、私は、他のアジア地域、すなわちインド・パキスタン亜大陸と中東地域は、こうした安定化にさほど積極的役割を演じそうにないと思います。

中東には膨大な原油の埋蔵量がありますが、インドも、パキスタンも中東も、経済的に立ちおくれています。しかもこれらの地域は、政治的にも混乱しています。ヒンズー教徒とイスラム教徒、アラブ人とイスラエル人、パキスタンとバングラデシュ、アラブ圏の政治的保守派と急進派――等々の対立は、北アイルランドでの旧教徒・新教徒間の紛争と同性質のものを、さらに大規模にしたものです。このため、西アジアの諸国民は、おそらく人類の諸問題解決への助けとはならないでしょう。彼らはむしろ、他国民の助力を得て解決しなければならない、独自の地域的問題を抱えているのです。

これに対して、東アジアの状況はどうでしょうか。中国は、いまのところ経済・軍事両面では超大国ではありませんし、それらの面で米ソと対等になろうとしても、それに成功する見通しはずっと先のことです。しかしなお、米ソ両超大国、日本、その他多くの国々が、今日すでに中国を世界の一大勢力とみなしていることを、その行動において示しています。ソ連は対中関係の危倶から、西側に対して一段と和解的な態度をとっています。ニクソン大統領も、北京訪問によって、中国を重視しているところをみせました。これらは、いずれも今日の中国の威信をはっきりと示すものです。この威信は、中国が現在もち、また将来もつようになると予想される物質的な力とは、まったく不釣り合いなほどです。ではこれは、一体どう説明すべきでしょう。

アヘン戦争から中国共産党の大陸制覇に至るまで、世界の各国は中国を軽蔑をもって扱い、何の気のとがめも感じずにいじめぬいてきました。いまでも中国は、物質面からいえば、西欧諸国、ソ連、日本などに比べて、中国史のあの屈辱的な一世紀間よりも、さほど力を強めたとはいえません。にもかかわらず、中国の重みに対する評価が今日のように高まったのは、その現代史における比較的短期間の業績によるのでは必ずしもないようです。むしろ、それに先立つ二千年間の功績と、中国民族が常に保ってきた美点とに対する認識によるようです。この中国民族がもつ美点は、あの屈辱の一世紀間にも発揮され続けましたし、とりわけ現代では、国外に移住した華僑たちの、世界各地における個人的活動に示されています。

東アジアは、数多くの歴史的遺産をもっています。それらはすべて、東アジアを全世界統合への地理的・文化的な基軸にさせうるものです。これらの遺産とは、私のみるところ、次のようなものです。

第一に、文字通り全世界的な世界国家への地域的モデルとなる帝国を、過去二十一世紀間にわたって維持してきた中国民族の経験です。第二には、この長い中国史の流れのなかで中国民族が身につけてきた世界精神です。第三に、儒教的世界観にみられるヒューマニズムです。第四には、儒教と仏教がもつ合理主義があげられます。

第五には、東アジアの人々が、宇宙の神秘性に対する感受性をもっており、人間が宇宙を支配しようとすれば自己挫折を招く、という認識をもっていることです。私には、これは道教がもたらした最も貴重な直観であると思われます。第六に、これは仏教と神道とが、すでに今日では絶滅したはずの法家を除く、中国哲学の全流派と分かちもっているものですが、人間の目的は、人間以外の自然を支配しようとするような大それたことでなく、人間以外の自然と調和を保って生きることでなければならない、という信条があることです。

第七に、東アジアの諸国民は、これまで西洋人が得意としてきた、軍事・非軍事の両面で科学を技術に応用するという近代の競技においても西欧諸国民を打ち負かしうるということが、日本人によって立証されたことです。第八には、日本人とベトナム人によって示された、西洋に敢えて挑戦する勇気です。この勇気は今後とも持続されるものでしょうが、人類史の次の段階においては、人類の当面する諸問題の平和的解決という建設的な企てに捧げられることを、私は期待します。

現代世界は、中国人がどんな職業にもきわめて有能であること、また高い水準の家庭生活を営むことを、体験的に知りました。中国人は自国が弱体であったときも、また事実上混乱状態にあったときも、常にこの美点を発揮し続けてきました。もっとも、中国も、常に混乱状態にあったわけではありません。一九一一年から一九四九年に至る動乱期以前にも、すでに幾度かの混乱期があったことは事実です。しかし、紀元前二二一年の最初の政治統一以来、政治的にはおおむね統一が保たれ、効果的に統治されてきたのでした。

紀元前二二一年以前の中国政治史は、旧世界の西端部における政治史と似ています。中国も、数多くの戦闘的な地方国家群に分裂していたのです。しかし、紀元前二二一年以降というものは、ごくまれに、しかも短期的に、政治的分裂や無政府状態に逆戻りするだけですんでいます。全体としてみれば、帝政中国の歴史は、一つの政治上の成功譚だったのです。しかも、それは今日なお“人民共和国”という形で存続しています。これは、西洋に恒久的な政治統一と平和をもたらそうとして果たしえなかったローマ帝国の歴史とは、劇的な対照をなしています。

ローマ帝国の崩壊後、西欧世界は、ひとたび失った政治統一を、二度と取り戻すことができませんでした。なるほど西欧世界は、人間活動のあらゆる分野で巨大なエネルギーを開発し、過去五百年間に、経済面や技術面で、またある程度は文化面でも、世界の全域を統合してきました。

しかし、ローマ帝国解体後の西洋は、自らも、また世界の他の地域においても、政治統合を果たしていません。むしろ政治面で西洋が与えた影響は、世界を分裂させるものでした。西洋がその境界線を越えて普及させた政治体制は、地方民族主権国家体制です。ローマ帝国解体後の西洋の政治的伝統は、民族主義的なものであり、世界主義的なものではありません。この点からみて、西洋は、今後とも全世界の政治統合を果たせそうにないのです。もっとも今日、政治面での世界的統合が要請されているのも、もとはといえば、西欧諸国民が世界中に勢力を伸張した結果、政治面以外での世界的統合が確立されたためであることは事実です。

未来において世界を統合するのは、西欧の国でも西欧化された国でもなく、おそらく中国であろうと考えられます。そしてまた、このような未来の政治的役割を担いうる兆しがあればこそ、そこに中国が今日驚くほど世界の信望を集めているゆえんがあるとも考えられるのです。中国の統一政府は、今日までおよそ二千二百年間、ほんの時折りの空白期を除けば、あとはずっと数億の民を政治的に統合してきました。しかも、統一中国は、その政治的宗主権を被保護国群に認められ、文化的影響力もはるか遠隔地域にまで及ぼすという、いわゆる“中華王国”(ミドルキングダム)でした。事実、中国は紀元前二二一年以来、ほぼあらゆる時代にわたって、世界の半分における引力圏の中心になってきました。最近の五百年間というもの、全世界は政治面を除くあらゆる分野で、西洋の企てによって結合されました。おそらく中国こそ、世界の半分はおろか世界全体に、政治統合と平和をもたらす運命を担っているといえましょう。


 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、「原水爆禁止宣言」60周年、誠におめでとうございま~す(笑)

 投稿者:カンピース
 投稿日:2017年 9月 8日(金)08時34分18秒
おはようございます。原田怪鳥様、「原水爆禁止宣言」60周年、神奈川青年部が記念書籍を出版とのコト、誠におめでとうございま~す(笑)

でもねぇ~、原田怪鳥様、北朝鮮の核問題が世論を騒がしている中で、平和の団体を印象付けしたいのか?

ここのところ、やたらと「原水爆禁止宣言」や「核兵器禁止条約」に関する記事が目立ちまぁ~す(笑)

原田怪鳥様、言えば言うほど、矛盾があるコトに気が付きませんかぁ~(笑)

「原水爆禁止宣言」を「遺訓の第一」としながら「核兵器禁止条約」国連会議に日本の創価学会大患部サマは、誰一人参加していない(笑)

コンペートーからも誰も参加していない、原田怪鳥様御自身として何らの声明も書簡も出していらっしゃらない(笑)

褒めちぎるワリには、「じ・き・で・し」たる原田怪鳥様の行動が、まるで見えましぇ~ん(笑)


また、本幹での原田怪鳥様のありがたぁ~い御指導を心に刻んでいきたいと思いまぁ~す、誠にご苦労様で~す(爆)

「団結固く世界宗教へ雄飛」だそうデスが、ここでも、原田怪鳥様、「池田先生にご報告を申し上げ、ご了解をいただいて」ってコトですが、

では、ナゼ? 池田先生のメッセージが無いのデスかぁ~?

会則改変の時も教義変更の時も御観念文変更の時も「創価学会仏」制定の時も、師匠のメッセージはありませんデスたぁ~(笑)

思えば、教団としての基本部分の変更に関しては、ナニ一つ、師匠のメッセージがありましぇ~ん(笑)

あるのは、「師匠にご報告した」「御了解を頂いた」という原田怪鳥様のオコトバだけでぇ~す(笑)

原田怪鳥様、ホントにご報告されてるんデスかぁ~? ナゼ? 師匠のメッセージが無いのか? 説明責任を果たしましょうねぇ~(爆)


>今回の会憲制定で、学会が世界宗教へと雄飛する体制は、より強固なものとなりました<
(政教珍聞4面より抜粋)

だ、そうデスが、素人目にも、強固になったのは、原田怪鳥様の権力だけじゃないんデスかぁ~(爆)

絶大なる権力を背に、上から目線で、「折伏しろぉ~!」なんて言われてもねぇ~(爆)

これすべて、原田怪鳥様の「票とカネ」のためじゃないんデスかぁ~(笑)

そもそも、>創価学会総本部が世界各国を指導する世界教団<(政教珍聞4面より抜粋)なんて思い上がりもいいとこデスよぉ~(爆)

日本人しかいない総本部が、様々な事情・状況がある、世界各国の現状に対応できるワケがありましぇ~ん(笑)

島国根性の日本人、さらにそのまた創価学会の中しか知らない島国根性の本部職員、そんな狭い目線で世界を語れるワケがありませんよぉ~(笑)

さらにそのまた、トップに立つ怪鳥様が、教団の全てを決定できる権力を持っていらっしゃる(爆)

もう、カルト教団そのものじゃないんデスかぁ~(笑)

世間の眼から見ても、日本人が世界を宗教によって支配しようとしていると思われマスよぉ~(笑)

原田怪鳥様、会のトップとして、ゼヒとも説明責任を果たして頂くコトを、期待しないで待ってまぁ~す(大爆)




 

自身の“最高峰”への道!

 投稿者:螺髪
 投稿日:2017年 9月 8日(金)08時17分27秒
 人は納得で動きます。「個人の時代」のいまは、なおさらです。「納得」は「満足」同じの意味と捉えられます。「満足」は「成仏」ですから、つまり「納得」は「成仏」だと言えます。「己身と和合するを今者已満足と意得可きなり」(御義口伝720㌻)、「満足とは成仏と云う事なり」(同)とある通りです。「納得」しない道理に人が従うわけはありません。みんな、心の奥底で「成仏」したいと願っているからです。

 「納得」と言っても、それを「外」から挑もうとすれば、我執や、固執をはずすところから始らなければなりません。誰もが、これまでの集積の「智慧」に凝り固まっているからです。凝り固まっていなければ生きて来れなかったかも知れません。「楽於小法」です。日蓮大聖人、池田先生の言葉には、皆、納得します。それに反するから「納得」しないのです。いかなる道理があるにせよ、その道理を説明する義務は、それを提示する側にあります。

 「仏法は勝負」の本質は、単に凌(しの)ぎ合って「勝つ」ことだけではないようです。それでは修羅の争いです。長い目で見れば、争いは続きます。仏法の勝利は、相手も「納得」することです。中の“敵人”が“去る”ことです。「切る」ことではありません。納得して、むしろ味方に着くことと言えます。

 大聖人は、敵人が去ることの本質を「作礼而去(さらいにこ)」とされてます。

 「此の法華経は生死生死と転(めぐ)りたり、生の故に始に如是我聞と置く 如は生の義なり死の故に終りに作礼而去と結したり、去は死の義なり作礼の言は生死の間に成しと成す処の我等衆生の所作なり、此の所作とは妙法蓮華経なり、礼とは不乱の義なり法界妙法なれば不乱なり、天台大師の云く『体の字は礼に訓ず礼は法なり 各々其の親を親とし各々其の子を子とす 出世の法体も亦復是の如し』と、体とは妙法蓮華経の事なり先づ体玄義を釈するなり、体とは十界の異体なり 是を法華経の体とせり 此等を作礼而去とは説かれたり、法界の千草万木地獄餓鬼等何の界も諸法実相の作礼に非ずという事なし是れ即ち普賢菩薩なり、普とは法界 賢とは作礼而去なり 此れ即ち妙法蓮華経なり」(御義口伝802~803㌻)

 Tommyさんの通解です。
 【このように法華経は、生死生死とめぐっていくのである。生のゆえに、冒頭に「如是我聞」とある。如とは如々として来るという仏の生命を明かし、生の義をあらわす。死のゆえに、最後に「作礼而去」で結ばれている。去とは去るのであるから死の義をあらわす。作礼というのは、われら衆生が生死のあいだに成す、あらゆる生命の所作である。この所作とは何かといえば、妙法蓮華経である。礼とは「不乱」すなわちリズムにかない、調和していくことである。宇宙即妙法であるから、そこには厳然たる調和が保たれているのである。
 また、天台大師は、次のように釈している。「体の字は礼と読む。礼とは法にかなうということである。子は親を親として尊び、親は子を子としていつくしむところに礼のがある。仏法の道理もまた同じことである」と。
 体とは妙法蓮華経、即ち三大秘法の御本尊のところである。このゆえに天台大師は名体宗用教の五玄義を釈するにあたって、まず、体玄義を釈したのである。また、体とは地獄より仏界にいたる十界のそれぞれ異なるも、究極するところはすべて妙法蓮華経に帰着する。この妙法蓮華経こそ法華経の本体なのである。これらの意義を「礼を作して去りにき」と説かれたのである。
 全宇宙の森羅万象も、地獄、餓鬼等の十界すべてが諸法実相の作礼すなわち妙法に帰依し、妙法を証明する振舞いとなっている。これがすなわち普賢菩薩である。普賢の普とは、法界即宇宙をいい、賢とは作礼而去すなわち宇宙森羅万象の振舞いを意味する。これが妙法蓮華経である】

 結論すれば、「妙法蓮華経」というのは「われら衆生が生死のあいだに成すあらゆる生命の所作」だと仰せです。「子は親を親として尊び 親は子を子としていつくしむ」その「不乱の礼」に修羅等が「礼」をなして去るというのです。あまりにも「尊い」姿に、自らの悪行を恥じ、自ら「礼」して去るということになります。そこには、言わずと知れた無言の「納得」があります。圧倒的境涯の違い、人格の違いがそうさせる言えます。われわれ凡夫にはそのような振る舞いはなかなか難しいですが、「諸法実相の作礼」にはそれが可能だと拝せます。

 この娑婆は、どう見ても、地獄、餓鬼、畜生の三悪道、それに修羅、人、天を交えた六道輪廻の世界であるようです。よくて、静寂(せいじゃく)の禅や、栄耀栄華の陶酔(とうすい)の世界です。

 「天上界」と一口に言っても、いろんな天上人(てんじょうびと)がいます。
 欲界には、下界に須弥山(しゅみせん)中腹に持国(東)、広目(西)、増長(南)、毘沙門(=多聞、北)の四天王がいますし、四天王が統率する八部衆もいます。須弥山頂上の忉利(とうり)天には三十三天と中央に帝釈天、また虚空には、夜摩(やま)、兜卒(とそつ)、化楽(けらく)、他化自在(たけじざい)の各天(以上六欲天)も、また人界との狭間には人界と天界を往き来する皇諦女(こうだいにょ)がいると説きます。色界には梵天ら十八天、さらに天界最上部の無色界には空無辺、識無辺、無所有所、非想非非想(有頂天)の四処の各天がいるとしています。

 「永遠」と、「万人」を目指して、「悟り」からの「仏道」が始まります。求道そのものや、ある種の覚りともいえる俯瞰(ふかん)の喜びもあるでしょう。自身を超えた他者貢献によって、より多くの喜びを獲得することも学びます。しかし、いままだ、それだけでは「万人」に普遍の「道」ではありません。「普遍」を開くには、「万人」の“喜び”を開く「道」がなくてはなりません。

 それは、各々が“最高峰”を目指し、各々が“最高峰”を獲得する「道」だと言えます。だが、そのためには、各々が“最高峰”を獲得する“原動力”と、それを生み出す「智慧」の獲得が不可欠です。各々の“最高峰”への“道筋”を得る「智慧」は各々が編み出していくものです。それは、自らがほしいままに受け用いる「自受用智」でしかありません。他者が手を取り、足を挙げて指し示すものではないということです。他者が示し得るとするなら、それはその“原動力”を発現させる方途だけでしょうか。


 

わが友に贈る 2017年9月8日

 投稿者:どうみょうてん
 投稿日:2017年 9月 8日(金)07時18分18秒
後継の友と一緒に
中継行事に参加しよう。
学会家族で協力し合い
万代の発展の基盤を!
黄金の思い出を共々に!
 

仏法破壊・師匠利用・奪生命力

 投稿者:飛翔こそ蘇生
 投稿日:2017年 9月 8日(金)03時10分49秒 編集済
大御本尊(自受用身の日蓮大聖人)の仏意仏勅による
凡夫即極を実現する広宣流布の希望の行進から

創価学会仏(嫉妬の創価貴族)の保身策略による
会長絶対を実現する化他自在の疲弊の消耗戦へ。

池田先生・広布の歴史・創価学会を偶像化して
体裁に盲従させる。

心(本心)と体(行動)を引き裂き
師匠と会員を分離させ
本仏をすり替えて信心を離れさせる。

54年以来
「池田先生を再び会長に」という勢力を
徹底して潰し続け

池田先生の力が衰えるのを
今か今かと待ち続け

そしてやっと
「創価学会会憲」の制定へ。

バカども。

そんな会憲には反対だし
そんな事に関わった人間には
退陣要求したいね。
 

21世紀への選択 必要な「驚きの感覚」と「畏敬の念」 P138  投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2017年 9月 8日(金)02時56分54秒
21世紀への選択 必要な「驚きの感覚」と「畏敬の念」 P138  投稿します。
ポイント
*、池田・・・・・・・・・・前略
 おまえの目を開けるのだ、そして見るがよいおまえの前に神がいまさぬのを。

農夫が固い土を耕しているところ、道路人夫が石を砕いているところ、そこに神はいたもう。



*、テヘラニアン・・・・・・・
 そうです。主要な諸宗教に道徳的、精神的に導かれない現代の世界は、自滅してしまうでしょう。

汚染、人口の増加、核兵器、生物・化学兵器による戦争によって、また精神と道義の貧困の

なかでの緩慢な死によって……。

*、池田・・・・・・・・・・・
「存在の重み」「生の重み」の実感です。

その感覚を保っておくために、「永遠なるもの」「自分を超えたもの」を感じようとする

宗教的な感性は、絶対に必要ですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
生涯&広布一筋兄弟さま、タイムリーな情報ありがとうございます。

いよいよ大日天の怒り爆発ですね。

大洪水が収まらないうちの、フレア爆発・・・通信障害、電力喪失などないように祈ります。

この災害は、次期SGI会長が引き起こしたと見ていいのでしょう。

トランプ大統領の白人優先主義・・・人種差別に対する怒りでしょうか。



ぐりぐり様の考察はいつか見た・・・読んだ記憶にはありましたが、忘れていたことを思い出させて
くださいました。

戸田先生の牢獄での悟達、・・・「小説・人間革命第4巻」(秋霜)抜粋・・・邪宗の跋扈」を放置してきたこと。

仏法の裁きは身震いするほどの恐ろしさです。



本日の先生の対談は、「驚きの感覚」と「畏敬の念」とあります。

総罰が次から次へと起こってきています、首都直下地震、大阪・上町断層地震怖ろしい事に成ります。

創価貴族に対して、【おまえの目を開けるのだ、そして見るがよいおまえの前に神がいまさぬのを】

痛烈なる先生の一撃です、心して拝しましょう。

鈴之助
 

21世紀への選択  必要な「驚きの感覚」と「畏敬の念」 P138

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2017年 9月 8日(金)02時54分9秒
21世紀への選択  必要な「驚きの感覚」と「畏敬の念」 P138

池田
 詩聖タゴールも『ギタンジャリ』のなかでこう謳っています。

「そのような詠唱を讃歌を数珠のつまぐりをやめるのだ。

扉をすっかり閉ざした寺院のこんな寂しい暗い片隅で、おまえは誰を拝んでいるのか?

おまえの目を開けるのだ、そして見るがよいおまえの前に神がいまさぬのを。

農夫が固い土を耕しているところ、道路人夫が石を砕いているところ、そこに神はい

たもう。

神は照る日も雨の日も働く者とともにいて、その衣は塵にまみれている。

おまえの法衣を脱ぎ捨て、あのかたにならって埃っぽい大地の上に降りて来るのだ!」
(森本達雄訳註『ギタンジャリ』〈一一〉、レグルス文庫)

ここには、近代のヒューマニズムと宗教の見事な両立が謳われています。

大乗仏教の菩薩行にも通じる精神です。

テヘラニアン
 そうです。近代的世俗性と宗教的信仰は、互いに排斥しあうものではあり

ません。

それとは反対に、宗教的信仰のない近代性の未来というものは、寒々として見通しは暗い。

池田
 それはガンジーの指摘でもありますね。

そして悲しいことに、二十世紀の歴史はそのことを証明してしまった。

テヘラニアン
 そうです。主要な諸宗教に道徳的、精神的に導かれない現代の世界は、自滅してしまうでしょう。

汚染、人口の増加、核兵器、生物・化学兵器による戦争によって、また精神と道義の貧困の

なかでの緩慢な死によって……。

池田
 今日の環境危機を早くから指摘していたアメリカの生物学者レイチェル・カーソン

のいう「センス・オブ・ワンダー」の感覚、つまり他者や未知のものに対する畏敬の念

が、いま失われているのではないでしょうか。

すべてを予測可能なもの、既知のものと矮小化してとらえ、それを支配したり加工しよう

とする。また、できると思っている。

テヘラニアン
 それはまさに世俗的ヒューマニズムがもつ傲慢さの表れですね。

ヒューマニズムは人間の運命、すなわち有限性、はかなさ、道徳的弱点というようなものの

大いなる神秘性を明らかにしていません。

信仰こそがそれをしている。だからこそ畏敬の念をもち、魅力を感じ、神秘を感じるのです。

池田
 自分以外のものを、軽視したり敵視するのではなく、まず「驚きの感覚」「畏敬の

念」をもって見る。

「存在の重み」「生の重み」の実感です。

その感覚を保っておくために、「永遠なるもの」「自分を超えたもの」を感じようとする

宗教的な感性は、絶対に必要ですね。

テヘラニアン
 まったく同感です。全面的に賛同します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次は第5章です。

第五章 永遠の生命の視座・・・意識と人生の変革
 

ネット対策室としは…

 投稿者:連絡の局
 投稿日:2017年 9月 8日(金)00時59分54秒
「やはりなー。しかしヤヒロのおやっさんにはかなわんわ」

まあ今回のメモに対する反論、まってるぞ(笑)ただし自分とこの板でね。どこかの官房長官みたいなコメントしか出来ないだろうけどね★

連絡の局より
 

Y君、その後は一壮年部員として謹慎、反省中?

 投稿者:連絡の局
 投稿日:2017年 9月 8日(金)00時50分21秒
この、「あっちもこっちも」事件は複数の婦人部幹部にまるでチェーンメールのようにあっと言う間に拡散したのだった。

Y君は、本来なら矢野問題の決着をつけるべきだったのを誰かがそのマジ本気ぶりに驚愕し、結果Y君は失脚する。おそるべしSCIA連絡。
 

今は腐れ仕事師の元男子部最高幹部のY君へ。

 投稿者:連絡の局
 投稿日:2017年 9月 8日(金)00時33分49秒
矢野問題関連のファイルを整理してたらこんなメモが出てきた。

2005年7月全体会議にて「ケダモノ、調べたらあっちもこっちも…病気です!」

Y君。実はこの前年の12月に一庶務職員の●Mさんと入籍したばかり。●Mさんは居酒屋チェーン店会社重役の娘さん。

あっちもこっちもは、Y君の在学中からのクセであったがそれをAKとS口の大幹部御二方が尽力し、Y君は晴れて結婚できたのだが。

結婚式では師匠から矢継ぎ早に激励のお言葉などを戴いてY君夫妻は感激していたとの報告。

しかし!翌年の都議選の最中に再び病気に火がついて再燃…

矢野裁判の渦中でのことでもあった。
のちに「会長は偉いのです!」と宣ったS青年部長も面食らうことに。

 

JNN世論調査(TBS)

 投稿者:tesuto
 投稿日:2017年 9月 8日(金)00時03分11秒
調査日ー2017年9月2日・3日定期調査 政党支持率 公明2・8(マイナス0・3) 共産4・2(プラス1・4) カッコは 前回8月5日・6日定期調査との比較  

同盟題目

 投稿者:
 投稿日:2017年 9月 8日(金)00時00分38秒
今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
原田会長、副会長、悪徳弁護士のネズミ男達に支配される
悲惨な創価学会職員の方々に
御題目をおくります
おやすみなさい
 

同盟題目!

 投稿者:信濃町の人びと
 投稿日:2017年 9月 7日(木)22時51分54秒 編集済
23時より開始です。よろしくお願いします。参加は任意です。
池田先生と奥様のご健康、ご長寿を祈ります。

追伸
グリグリさん。
論考ありがとうございます。じっくり読ませていただきます。

 

会憲

 投稿者:花の輪
 投稿日:2017年 9月 7日(木)21時22分18秒
日興上人が作られた
遺誡置文に
「時の貫主為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」

原田会長が「直弟子」ならばこの御文と同様の内容の一条を入れるべきではないでしょうか?

宗教で一番は怖いのは、最高責任者の堕落、転向
途中の幹部、まして会員の堕落、転向は
最高責任者さえしっかりしていれば
大丈夫である

故に日興上人は最高権力者の堕落、転向を厳しく断罪したのではないか?

原田学会が、本当に池田先生を永遠の師とするならば
この主旨の1文を入れるべきだと思う
そうでなければ
「池田先生は永遠の師」というのは
「絵に描いた餅」になるのでは?

宮川さんの代理投稿、読ませて頂きました
幾つかあるようですが…
まとめて読みたいと思いました
アーカイブにありますか?
教えて頂ければ、有難いです
 

見事なまでの破折

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール
 投稿日:2017年 9月 7日(木)21時12分27秒
・・に感動しています。

グリグリ様、ありがとうございます・

自然の脅威も様々な観点から言われますが、これほどまでに荒れ狂うには訳がありそうです。

しかし、見事なまでのハシャク・・スッキリ、キックリ・・

http://6027.teacup.com/situation/bbs/73903



374919氏が4919アメリカでは大変なことになっています・・

http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52014066.html

貼り付け

◎ハリケーン・ハービーがテキサス州、他を襲う。

テキサス州では51.88インチの雨が降り、洪水量は米史上最多を記録した。

ハリケーンの豪雨により海岸沿いの地域が浸水、また住宅、ビル、インフラが破壊された。

洪水量は米史上最多となった。さらに水系感染が拡大、蚊の繁殖、浸水した工場が爆発。

◎アメリカの西半分が山火事の被害に遭っている。

NASAの調査では、濃い煙が広範囲に広がりニューヨーク州の西部まで到達している。

現在、カリフォルニア、ワシントン、オレゴン、アイダホ、コロラド、モンタナの80個所以上で山火事が起きている。

山火事は猛暑、強風、乾燥した空気でさらに拡大中。多くの住宅や天然記念物、文化財が焼失している。

数千人が自宅から避難した。

◎北朝鮮が水素爆弾の実験に成功。彼等はアメリカを威嚇し続けている。

国際社会の警告を無視して、北朝鮮は攻撃的な姿勢をとり続けている。

つい最近、北朝鮮は日本上空にミサイルを発射させ、また、水素爆弾を爆発させた。

さらに彼等はアメリカ上空で核爆弾を爆発させることでEMP攻撃が可能だと威嚇している。

北朝鮮からのEMP攻撃でアメリカの送電網は機能不全に陥る恐れがある。

さらに北朝鮮が水素爆弾を爆発させた場所(山)が徐々に崩れている。

中国の専門家はこの山が崩壊すると、放射能汚染による未曽有の災害が起こると警告。

◎2つのXクラスの太陽フレアがアメリカの方角に噴出。

アメリカの送電網が大きなダメージを受ける恐れがある。

2つ目の太陽フレアの噴出時にプラズマの雲(コロナガス)も同時に噴出した可能性がある。

アメリカには4日以内に到達する。今夜はコロナガスのオーロラが見えるかもしれない。

ただ、サテライト、通信、送電網がダメージを受ける恐れがある。

サテライトや通信が使えなくなると、巨大ハリケーン・イルマ(アーマ)の状況が分からなくなってしまう。

ハリケーン・イルマ(アーマ)は米史上最大級のハリケーンであり、カテゴリー6にまで成長する恐れがあります。

今、フロリダに向かって進行中です。

さらに、ハリケーン・イルマ(アーマ)の後にも2つの熱帯性低気圧がアメリカ本土に向かって進行中です。

この低気圧もハリケーンに変わる恐れがあります。


https://jp.sputniknews.com/science/201709074061973/

貼り付け

過去12年間で最強の太陽フレア 地球上の通信状態が悪化


所長は「太陽フレアにより、欧州と米国ではすでに通信の質が悪化した」と伝えた。

ガイダシ所長はまた、慢性疾患を持つ人々は磁気嵐によって

9月7日に体調が悪くなる可能性があると警告した。
 

ツイート人さんへ

 投稿者:おかとも
 投稿日:2017年 9月 7日(木)20時44分46秒
「当時の台湾の理事長が指弾した件ですね。当然この理事長は後日更迭され、
台湾も誓約書にサインしています」

http://6027.teacup.com/situation/bbs/73889

とのことですが、当時の理事長は林釗さん。
そして少なくとも8月25日現在、理事長はやはり林釗のようです。

台湾SGIのサイトから

http://www.twsgi.org.tw/index-news-detail.php?n_id=6631

信濃町が手加減しているのか、信濃町をもってしても交代させられない台湾の力なのか。
 

シリーズ坊さんは見た!No.2

 投稿者:シナモンゴー
 投稿日:2017年 9月 7日(木)20時35分28秒 編集済
宮川日護師の代理投稿です。

続、見てはいけないものを見た。

坊さんは見た2.

憂宗護法同盟を使って、スパイ工作か?

先ず、私が知る偉大な創価学会は、昭和5年11月18日に初代牧口常三郎先生が、人として、最高の生き方を追求する大善生活を求め、

教育を通して価値を、創造する団体として、日蓮大聖人の変毒為薬の仏法を基底に広められた法である。

戦時中には、今回、公明党と原田学会が推進決定した共謀罪と同じ、治安維持法、及び、不敬罪で逮捕、投獄、

創価教育学会の設立日と同じ昭和19年11月18日に、74歳の御高齢にて獄死。
死因は栄養失調と記載されている。

昭和20年7月3日、
生きて獄をお出になった戸田城聖第ニ代会長は、創価教育学会を、創価学会と改め、人類の幸福、永遠の平和の為に、日蓮大聖人の御教えを根底に、75万世帯と言う未曾有の広布拡大を展開された。

昭和22年8月24日、
第三代 我が師、池田先生は、日蓮仏法の絶対世界平和思想、普遍的な自由平等、幸福の思想を、世界へと展開され、先生の価値創造と慈悲の精神は、世界の偉人の仰ぐところとなった。

2008年までの先生の御指導は、確かに修行の場としての、組織を認められている。

しかし、2008年以降、先生は、組織の中に必然的に、出るデーモン( 悪魔 )の存在を、1・26提言で御指摘下さり、

民衆、一人一人の中に崩れざる平和の要塞をつくる、エンパワーメントの開発を、強調されている。

今の原田学会の現状を見るに、秘密保護法、集団的自衛権行使容認、そして、初代牧口先生を死に追いやった共謀罪の成立。

そして、異議を唱える者への、組織的弾圧、査問、役職解任、生活の場を奪う処、除名処分など、どの一つをとっても、先生が危惧された、
組織悪であり、組織に巣食うデーモンであり、価値の破壊あり、反仏法である。

偉大なる我が師、池田先生の慈悲と平和の価値を創造する創価学会とは、全く別個の価値を喪う邪教と、断ずるものである。

巷で、我が愛する創価学会が、原田学会と、混同されカルト教団扱いにされるに、忍びなく、
原田学会信濃教、又は原田学会と呼称してきたが、今般、海外数ヶ国の同志及び日本の有志諸氏により、

価値を創造する、創価学会ではなく、
価値を喪失させる、喪価学会と名乗る事を命じるものである。

そして、貴殿らの陰湿姑息な幼稚な謀略を笑うものである。

幼稚な謀略。

「 宮川さん、俺は妙本寺さんの御本尊様を戴きたいんだよ。

お願い出来ないだろうか?」

憂宗護法同盟、佐○○道氏から初めて連絡を貰った際に、誰かに頼まれのかな?と言う疑念はあった。

私が、原田喪価学会の反平和、反平等、反仏法、そして、何よりも、
我が師池田先生の全ての思想に、反する師敵対の姿に、

日興遺誡置文の
「 謗法と同座す可からず.
与同罪を恐る可き事 」

「 謗法の供養を請く可からざる事 」

のままに、
座を分かつと、共に、
月に百万円の給与を蹴って十年を経た。

因みに、今回話題にする佐○○道氏は、3人の息子僧侶の分を含め、月額250万円を原田喪価学会、喪価学会より支給されている。

当初は、幾人かの僧侶は、連絡をくれたが、
直ぐに、儀典局、連絡局は、

今後、宮川に連絡を取る事は、相成らぬ。
宮川に連絡をすれば、奴は必ず会話を録音して悪用するから、連絡しないようにと、楔を打った。

そんな中、ニ・三名の僧侶だけは心配して密かに連絡をしてくれた。

やがて、実力者であった改革同盟代表を、得意の謀略で解任。

更に、昨日のFBで御紹介した尊敬する大橋正淳氏が突如逝去されると、

毎月、改革同盟、憂宗護法、青年僧侶全員を集めて戸田国際会館で行なっていた会議を、三グループに分けて、三か月に一度ずつに変更した。

その後も、誰々が本部に胡麻すってますよ、とか、

宮川さんを持ち上げていた、あのタレ目の醜い青年僧侶が、宮川さんの悪口言ってますよ、とか。

面白い事に、女房がフランスに帰国している事を良い事に、浮気している僧侶の調査を本部から依頼されたんですが、どの様に報告したら良いですか?とか。

派遣国で、由々しき事件を起こし、強制送還された青年僧侶の女房が自死しました。
一応、病死扱いにしましたが。とか。

学会に、下付本尊の原本を提供したのち、知られてはマズイ事実隠ぺいの為か、住職の死後、寺から追い出された青年僧侶は、カナダに住んでいます。とか。

浄圜寺には、海岸派遣の青年僧侶が入り、家族もろとも、和歌山の大寺院を追い出された大橋正淳師の子息( 青年僧侶 )が、

浄圜寺の住職に収まった青年僧侶に、酷い虐待を受けています。とか。

さすがに、恩ある大橋師の件に関しては、寺にも電話して抗議をすると共に、栃木に住む同志にニ度、寺を訪問して貰った。

今回、日興上人の御本尊様を欲しがった佐○○道も、種々情報を伝えてくれた1人であった。

勿体なくも、大本山 妙本寺 貫頭 鎌倉日誠上人猊下に、おかれては、妙本寺にて授与の本尊を数十体お預け下さり、縁故者への下付を、寛恕下さっている。

佐○○道氏の立っての願いでもあり、自身、妙本寺への帰伏を仄めかす言動もあった為、本来の授戒、下付の手順を省いて、寺院へ郵送と言う形をとった。

しかるに、本日、丁重な文と共に、御本尊を返却してきたのである。

情報通の方の言によれば、宮川が全国各地で下付している本尊を入手せよ、との指令が出ており、その類いでしょうとの事。

無造作に再奉包された御本尊には、明らかに信心無き輩が興味半分で、触った波動が、感じられた。

如何に、今まで種々に情報を、くれた御仁と言えども、
怒り抑え難く、電話にて、その理不尽を弾呵した。

もし、原田喪価学会が斯様な姑息な手段を以って、御本尊を入手したとするならば、許し難い暴挙也と断ずる。
 

twitterより。同心円で世界に希望を広げた池田先生。原田学会はピラミッド型の隷属主義。暗黒時代の幕開けか?

 投稿者:ツイート人
 投稿日:2017年 9月 7日(木)20時33分42秒
池田先生がお元気な頃は、先生を中心に同心円で世界に希望を広げてきた。今回の会憲は「世界教団としての体制を確立するため」としているが、どう見ても会長をトップに据えたピラミッド型だよな #創価学会  

今の組織には禁句があります。

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者
 投稿日:2017年 9月 7日(木)20時21分53秒
従軍慰安婦、南京大虐殺。これらは日本共産党の宣伝だとされています。南京大虐殺を口にすると、国賊、アカ、非国民、共産党の手先と罵倒されます。罵倒観世音大菩薩。南無公明党佛。以前に先生のご指導で、南京大虐殺を中国に詫びるご指導があったなどと云うと、今と時代が違うのだ、と罵倒されます。罵倒観世音大菩薩。南無公明党佛。  

ありがとうございました!

 投稿者:螺髪
 投稿日:2017年 9月 7日(木)19時21分25秒
 グリグリさん、ありがとうございます。
 仏の金言を信じた「法華証明抄」を彷彿させる論考でした。そこまで厳しく見ることができるのですね。

 論考Ⅲも楽しみにしております。


 

潮出版社と労災事故

 投稿者:ルパン三世
 投稿日:2017年 9月 7日(木)18時56分39秒
会員の浄財で赤字経営を継続する潮出版社。未だ経営陣は責任を取らず退陣しない。

労働基準監督署が定める労災認定基準は以下の3つである。
①長時間労働
②短期的過重労働
③不測かつ突発的な環境の変化

上記のことから、現在の日本社会は労働者保護の意識が高まり、企業の取り巻くリスクは高まっている。

未だに労働時間管理だけをやっている会社は、一度労災事故が起これば、会社自体がなくなってもおかしくない状況だ。

また、脳疾患・心疾患・精神疾患も現在では労災認定件数が増加傾向にある。

②の短期的過重労働は、出版社でいえば編集者の校了期間、経理部の決算期など、月単位では残業時間は基準より上回らなくても、『短期的』に過重労働が認められれば労災認定される。

③については、以下の例を紹介する。
2011年の東日本大震災の後、社会は節電の意識が高まった。
空調を弱め扇風機で補なったり、退社時間を早め、夜の節電を試みる企業があったり、これを機に蛍光灯からLEDに替える企業もあった。
その中で、社内の蛍光灯を半分近く抜いて節電を試みる暴挙に出た会社があった。そう、それが潮出版社。

社内は騒然としたようだ。
特に編集局からの『細かい文字を扱う業務なのだから勘弁してくれ』という声にも耳を傾けず、総務役員は蛍光灯を抜く指示を出していったという。

これによって視力が低下した社員がいたようだ。

これが③の『不測かつ突発的な環境の変化』に該当する。

ある日、出社したら業務フロアの蛍光灯が抜かれていた。業務に影響を及ぼしたが会社の方針なので我慢した。


それでは、社員の視力の低下と蛍光灯の光量の低下の因果関係はどう証明させるか。
これは、労働基準監督署に労働者が訴え、裁判になった場合、立証義務は企業側になる。
潮出版社が労働基準監督署が定める、安全配慮義務を怠っていなかったかを立証しなければならない。
このケースの場合、蛍光灯を半分近く抜いた場合の光量を測っていたかなども問われる。
そもそも、全従業員のタイムカードが17:00に自動で落ちる会社であるから、その時点で他の問題が生じてくる…。

なお、視力の低下は後遺症害に認定される場合もあり、その場合さらに国から補償がされることもある。

後遺症害は1級~14級。
両目を失明した場合は1級。
重度後遺症害に認定される。

自宅をローンで購入されている方は、その後の支払いが免除されることもある。

無能な総務役員のせいで視力を低下させてしまった潮出版社の社員の方は思いきって労働基準監督署へ届けを出すことをおすすめする。

また、精神疾患などにかかった方も泣き寝入りせず、堂々と訴えるほうが望ましい。

追伸、この潮出版社の総務役員は重大な疾患を患ってしまった女性社員に対して、『切らなければならないかもしれない』という、ハラスメント&非人道的発言&訴訟になってもおかしくない発言をした人間ですから、自分の身は自分で守ることが肝要です。
 

【西山論文についてのグリグリ論考Ⅱ】8/8

 投稿者:大仏のグリグリのとこ
 投稿日:2017年 9月 7日(木)17時58分35秒 編集済
「『仏法、かならず王法に勝れる』ということの確かな顕証を、戸田は身をもって知った。」(「小説・人間革命」第5巻「烈日」)

この言葉は、裏を返せば「獄中の悟達」を経たあとの戸田先生ですら、まだ「仏法が王法に勝る」という絶対的な確信はなかったことを物語ります。

だから、宗教や信心よりも、経済を先行して考え、第2代会長という就くべき地位に就かず、金儲けに走り、その結果、事業の失敗という法罰を受けたのではないかと考えられます。

3つ目の懺悔――すなわち、西山氏が「法罰を受けた理由①」に挙げた〝同会のことよりも事業に傾注してきたこと〟への反省というのは、「仏法が王法に勝る」という絶対的な確信がなかったこと、裏を返せば、「王法が仏法に勝る」という「錯誤」に陥っていたことへの改悛であったと言い換えることができると思います。

一言でいえば、大御本尊に対する不信です。それで、3つの大謗法を犯し、「法罰」を受けたのです。

以上、述べてきたことから、戸田先生が「法罰を受けた理由」は、

①「王法が仏法に勝る」という「錯誤」
②文上の法華経を重用し、文底を軽視する「顛倒」
③他宗教の跋扈を放置する「謗法与同」

とまとめられるのではないかと思います。


翻って、今の原田創価学会を見る時、戸田先生が「法罰を受けた理由」として懺悔している〝3つの大謗法”を3つとも派手に行っているのではないでしょうか。

詳しくは、論考の最後で述べたいと思いますが、簡潔にまとめるならば、

①原田学会は、「王法が仏法に勝る」という「錯誤」に陥り、信仰活動よりも集票活動を優先させる間違い、仏法より王法(政治・経済・司法等)を優先させる間違いを犯しています。
創価学会はもはや宗教団体ではなく政治団体と化したという指摘があるほどです。

②原田学会は、2014年の会則変更で、戸田先生の悟達と不可分の関係にある「大御本尊」を受持の対象にしないと宣言し、創価仏法の原点を破壊した上に、身延ずりの教学にかぶれ、日蓮本仏の文底仏法を捨て、釈迦本仏の文上仏法へと回帰しようとしています。

③原田学会は、聖教新聞等に邪宗まがいの「謗法広告」を平気で載せたり、自公連立維持の名のもとに、日本会議など国家神道の復活を目論む勢力に与同して、その跋扈を許し、日本全体の右傾化を助長させています。

そもそも、戸田先生の悟達は、牧口先生とともに国家神道の象徴である神札の受け取りを拒否し、投獄されたことから始まります。獄中で、何度、返本しても戻ってくる差し入れの「法華経」に不思議な縁を感じて、読み始めたところから、悟達に至りました。

日本会議らに与同するいまの原田学会は、神札を受諾したのも同然であり、牧口、戸田の両先生に対する許しがたい師敵対であり、大謗法であると断じるものです。

「創価学会仏」という集団力への崇拝も、「神国日本」を唱える勢力の「全体主義(ファシズム)」と何の変わりがあるでしょうか。

この大謗法の原田学会が、法罰を受けないとすれば、戸田先生の悟達が嘘になります。

執行部の面々らに個々の別罰が下ることは必定です。しかし、さらに恐るべきは総罰です。

仏法は体、世間は影――。
本体である仏法内の乱れは、そのまま社会の世相として現れます。

池田先生が第一線を引かれ、執行部の横暴が始まった2010年夏以降の日本は、大地震や異常気象が相次ぎ、他国侵逼の危機が迫るなど、三災七難の様相を呈していることはだれの目にも明らかです。

王仏冥合すれば、「吹く風枝をならさず雨壤(つちくれ)を砕かず」の理想的な世界が現出すると信じて多くの学会員が折伏に選挙にと打ち込んできましたが、公明党が与党になっても、創価学会員の国土交通大臣が誕生しても、災難は収まるどころか、ひどくなるばかりです。

これは、ひとえに原田学会が、創価仏法の原点である「戸田先生の悟達」を完全に否定し、大御本尊を冒涜した上、王法優先、文上回帰、邪宗の跋扈放置の3大謗法を犯しているからにほかなりません。

――如かず、彼の万祈を修せんより、この一凶を禁ぜんには――

創価仏法を破壊する“魔僧の集団”と化した原田学会を糺し、執行部を総退陣させる以外に、この難を止める秘術はないと確信するものです。


さて、【西山論文についてのグリグリ論考Ⅱ】では、西山氏が問題提起した「『発迹顕本』発言についての戸田の真意」について、主に「法罰を受けた3つの理由」に焦点を当てて考察してきましたが、

続く【グリグリ論考Ⅲ】では、戸田先生が論文(「創価学会の歴史と確信」)の中で、「この確信が学会の中心思想で、いまや学会に瀰漫しつつある。これこそ発迹顕本であるまいか」とおっしゃった「学会の中心思想」を成す「この確信」とはいかなるものであったのか――この発言の真意について、論考を進めたいと思います。


―【グリグリ論考Ⅱ】おわり ―
 

【西山論文についてのグリグリ論考Ⅱ】7/8

 投稿者:大仏のグリグリのとこ
 投稿日:2017年 9月 7日(木)17時56分53秒
牧口先生の7回忌法要を兼ねた「第5回定期総会」が教育会館で開催された昭和25年11月12日、戸田先生は数カ月ぶりに会員の前に姿を現しました。

8月下旬に理事長辞任の決意を固め、実質的に矢島理事長体制になっていましたが、一般会員に正式に理事長の交代が発表されたのは、この総会においてでした。

そして総会の最後、三たび演壇に立った戸田先生は、きわめて短い講演でしたが、「仏意仏勅」について、こう語っています。

・・・「小説・人間革命第4巻」(秋霜)抜粋・・・

「広宣流布は、仏意であり、仏勅であります。われわれ凡夫の力をもってして、これを左右することなど、絶対にできないのでありまして、仏意にあらずんば、絶対に不可能であります」
彼は、広宣流布の実現が、末代のわれわれへの仏勅であることを明らかにし、これこそ重大使命であるとして、次のように結んで言った。
「たとえ、いかなる大難に遭おうとも、ひとたび題目を唱えたならば、水を飲み、草の根を食み、そのために死ぬる日があろうとも、命のあらん限り、諸君と共々に、広宣流布をめざして邁進いたしたい。これこそ、私の唯一無上の願いであります」
 広宣流布という仏勅を、自らの使命とすることが、果たして仏意にかなうことであるかどうかが、今の彼の思い悩む問題であったのだろう。そのためには、動かすことのできない明らかな現証を、彼はひたすらに待ち望んでいたのである。

・・・・(抜粋おわり)・・・・・・・・

〝大御本尊のお許し〟――すなわち「広宣流布という仏勅を自らの使命とすることが仏意にかなうことの動かすことのできない明らかな現証」が出ることを戸田先生は待望していました。

その「現証」が出たのが、昭和26年2月初旬の「第2回目の回心」(“路上の悟達”ともいうべき神秘体験)でした。その中で、戸田先生は「ありがたい。なんとありがたいことか! おれは厳然と守られている。おれの生涯は、大御本尊様をはなれては存在しないのだ」と叫び、大御本尊の絶対の加護を確信することができました。

 その数日後のことでした。清算中の信用組合を解散してよいとの大蔵省の内意が通達されてきたのです。顧問弁護士すら、国法による法律的制裁は不可避として匙を投げていた事件が解決したのです。問題が解決した根本原因は何か――「烈日」の章には、次のように述べられています。

・・・「小説・人間革命第5巻」(烈日)抜粋・・・

「なにがそのような幸運な決定をもたらしたのか。
 ――戸田には、いまそれが、はっきりと解っていた。
 「無量義とは一法より生ず」
 ――最高の因果の法則は仏法である。一切の因果の法則の根本は仏法にある。したがって、「仏法、かならず王法に勝れる」ということの確かな顕証を、戸田は身をもって知ったといってよい。日蓮大聖人の仏法のすごさは、戸田を救ったが、また同時に彼の使命の重大さを警告したものとも思えた。
 彼は後顧の憂いが消滅したことを知ると、その残された生涯における使命達成への決意を強く固めたのである。はや、逡巡とも、怯懦とも、偸安とも訣別しなければならなかった。ここに、彼の最後の死の日にいたるまでの道程は、決定されたのである。
 

【西山論文についてのグリグリ論考Ⅱ】6/8

 投稿者:大仏のグリグリのとこ
 投稿日:2017年 9月 7日(木)17時55分41秒 編集済
次いで、西山氏の「法罰を受けた理由③」の「『邪宗の跋扈』を放置してきたこと」への懺悔が続きます。

・・・「小説・人間革命第4巻」(秋霜)抜粋・・・

 戸田城聖は唱題しながら、なお厳しく自らを断罪しつづけた。
 ――この五年間、私は何をしたのだろうか。敗戦直後、占領軍と共にキリスト教が、怒濤のように日本列島に上陸したが、それもやがて潮のひくように去って、深い根を下ろすことがなかった。
既成宗教は農地改革によって気息奄々としている。ただ、さまざまな新興宗教が雨後の筍のように簇生して、国内でほしいままに跋扈している。数年前、会員二百万を公称し、わがもの顔であった霊友会は、分裂と脱税によって弱体化したが、それでも百五十万を自称している。五年間に最も発展したのは、立正交成会であったろう。昭和二十年に、わずか千三百七世帯と記録されていたこの教団は、二十五年現在、六万世帯三十万人を呼号するに至った。
その他、S教団にしろ、世界Q教団にしろ、新興宗教は戦後の民衆の不幸と宗教に関する無知に乗じて、それぞれ教勢を拡大してしまった。
 ――許しがたいことは、宗教の根本義を誤ったこれらの教団の横暴が、ここ数年のあいだに、さらに無数の民衆を、ただ不幸の淵に追いこんでいる現実である。しかも、宗教を企業にして、得意顔で跋扈している。これは、はたして誰の罪であろうか。
戸田城聖は、わが心に問うた時、御宝蔵の前で慙愧の思いに身を顫わせた。
 ――敗戦後の不幸のどん底にいる民衆を、邪宗教団の手に、かくも多くゆだねてしまったのは、誰の罪でもない。私の罪だ。

・・・・(抜粋おわり)・・・・・・・・

この「邪宗の跋扈」を許した最大の原因は、戸田先生の論文(「創価学会の歴史と確信」)でいうところの「立つべき秋に立たず、つくべき位置につかなかった」こと、すなわち、創価学会の第2代会長に就任することを躊躇っていたことでした。

3つ目の懺悔は、この会長就任から逃げようとする「怯懦(きょうだ)」への改悟と、西山氏が「法罰を受けた理由①」として挙げた「同会のことよりも事業に傾注してきたこと」への反省が綴られていきます。

・・・「小説・人間革命第4巻」(秋霜)抜粋・・・

戸田は、創価学会の五年間の活動が、まことに不充分であったことを認めなければならなかった。そして、組織体として弱体であったことを思った時、会長不在のまま六年の歳月が流れてしまったことを、彼ひとりの責任として考えないわけにはいかなかった。
 ――恩師牧口先生の七回忌が目前に来ている。しかも、現在の自分は、苦悩の底に沈んでしまった。先生亡き後、会長就任を心のどこかで避けようとしてきた自分、それでいて大使命だけは自覚してきた自分、なんという矛盾に満ちた姿であったことだろう。一寸延ばしにのばしてきたのは、会長就任という容易ならぬ重責を予見してのことであったが、その怯懦の故に、かくも多くの民衆をこの有史いらいの不幸の危機に際して、邪宗教団にゆだねてしまった。
 ――まさに、その罪、万死に値するかもしれぬ。戸田城聖は、唱題を時にとぎらせながら、底知れぬ深い思索のなかで、われとわが身を断罪したのである。

戸田が会長就任を避けたのは、もう一つの具体的な理由があった。
牧口会長時代から、創価学会の経済的負担は、ことごとく彼ひとりで賄ってきた。そこで戦後の再建に身を挺した時、彼はまず経済的基礎の確立を急ぎ、組織体としての躍進を第二として考えていた。
彼は事業家としての経験から、資本主義社会においては経済力の充実がないかぎり、広宣流布という大業も途中で破綻することを恐れたのである。いま彼は、一手段、方法にすぎない経済の問題を、宗教革命という一切の根本問題より、先行して考えていた錯誤を、感じはじめていた。つまり、経済を左右するものもまた、彼の自覚した信心の使命感によることを悟ったのである。
彼の己心の戦いは、この時、壮烈を極めた。そして彼は決意したのである。
 ――いかなる苦難が、いよいよ重なろうと、これを乗りきらねばならぬ。もはや、わが身ひとつのためではない。ひとえに、わが使命達成のためである。日蓮大聖人の金言のことごとくを、断じて虚妄にしてはならないのだ。大御本尊様、万死に値するこの戸田城聖に、もしもその資格があるとお思し召すならば、なにとぞお許しくださいまし。

・・・・(抜粋おわり)・・・・・・・・

ここでは、西山氏の「同会のことよりも事業に傾注してきたこと」が、さらに具体的に、

①「経済的基礎の確立を急ぎ、組織体としての躍進を第二として考えていた」

②「一手段、方法にすぎない経済の問題を、宗教革命という一切の根本問題より、先行して考えていた」

という「錯誤」と表現され、

③「経済を左右するものもまた、彼の自覚した信心の使命感によることを悟った」

と述べられていることに注目したい。この「経済第一、信心第二」「経済が宗教や信心に勝る」という「錯誤」への反省が、「発迹顕本」へとつながっていきます。

そして最後に

④「大御本尊様、万死に値するこの戸田城聖に、もしもその資格があるとお思し召すならば、なにとぞお許しくださいまし」と――。

「法罰を受けた3つの理由」を懺悔・反省した戸田先生にとって、最大の問題は、“大御本尊のお許し”が出るかどうかでした。
 

【西山論文についてのグリグリ論考Ⅱ】5/8

 投稿者:大仏のグリグリのとこ
 投稿日:2017年 9月 7日(木)17時54分8秒
それでは次に、西山氏のまとめた「法罰を受けた3つ理由」をより深く読み解いていくために、その手がかりとなる「小説・人間革命第4巻」(秋霜)を抜粋して見ていきたいと思います。

※(再説)【法罰を受けた理由】(西山論文より)
①同会のことよりも事業に傾注してきたこと
②文上の法華経の講義を重視してきて肝心の文底の独一本門の弘通に専心して来なかったこと
③「邪宗の跋扈」を放置してきたこと


まず、「秋霜」の章に沿ってその流れを見ていくと、戸田先生は昭和25年10月末、大石寺へ詣でた際、客殿での丑寅勤行が終了した未明、一同から離れて戒壇の大御本尊が安置されている御宝蔵の前へ行き、石畳の上に端座し唱題をはじめたとあります。

そして、3つの大きな懺悔(法罰の自覚)をする模様が描かれます。

・・・「小説・人間革命第4巻」(秋霜)抜粋・・・

彼の脳裡には、終戦後の一切の事件が、次々と映っては消えていった。さらに、彼の現在の如実の姿も鮮明に浮かび上がった。彼は、わが身の謗法を自ら断罪したのである。

――戦後五年の月日が流れてしまった。学会は、まだ磐石の基礎から、ほど遠いところにある。何故であろう。私は、昭和二十一年正月、総本山の坊で4人の幹部を相手に、法華経の講義から始めた。

――それというのも、戦時中のあの弾圧で、教学の未熟さから、同志の退転という煮え湯を呑まされたからだ。この私の方針が間違っていたとは、どうしても思えない。方針は正しかったが、大聖人の仏法を理解させることにおいて、私は誤りを犯したようである。

――御義口伝を基にして講義したつもりであったが、受講者はなかなか理解しなかった。そこで天台の「摩訶止観」の精密な論理をかりて話すと、よく解る。勢い受講者が理解したものは、大聖人の法華経ではなくて、いつのまにか天台流の臭味のある法華経になってしまったのだ。

――では、理解力の浅い弟子たちの罪なのであろうか。いや、教えたもの、私の罪にほかならない。私が大聖人のお叱りをうけるのは、当然すぎるほどの道理だ。
なんということをしてしまったのだろう。
戸田は唱題しながら、ひれ伏してお詫びしなければならなかった。
(中略)
戸田が一身にその罰をうけて、いま翻然と悟ったところのものは「御義口伝」への果てしない郷愁であった。

初代、二代、そして今、広宣流布の真実の時来たり、いよいよ大法興隆の力いでんとする時、大聖人の仏法の真髄に直達するために、初めて「御義口伝」からの直道が開かれたのである。機根は充分に熟した。七百年来のさまざまな試行錯誤は、すべて今日のためにあったといってよい。

・・・・(抜粋おわり)・・・・・・・・

この懺悔は、西山氏の挙げた「法罰を受けた理由」のうち、②の「文上の法華経の講義を重視してきて肝心の文底の独一本門の弘通に専心して来なかったこと」に当たります。

「秋霜」では、天台の「摩訶止観」の精密な論理をかりて話したために、受講者が理解したものは、大聖人の法華経ではなくて、いつのまにか天台流の臭味のある法華経になってしまったことを反省し、大聖人の仏法の真髄である「御義口伝」を根本としていくことを決意しています。
 

新・人間革命 暁鐘 七 

 投稿者:フロム関西
 投稿日:2017年 9月 7日(木)16時44分33秒
――ただし、組織は手段であり、個人の信心の 向上を促し、

幸福になっていくための指導こそが、 その出発点であることを忘れてはならない。


あくまでも学会の組織の目的は、 一人ひとりのメンバーの

絶対的幸福であり、 成仏にあります。☆\_(・ω・`)


組織での役職も上下関係を意味するものではありません

――ゆえに
、メンバーは互いに尊敬しあい、共に社会の一員として理解、信頼し、

励まし合いながら、人生を勝ち飾っていただきたい。
学会は、人々の幸福と人類の平和、

すなわち広宣流布を実現する唯一無二の団体である。したがって戸田城聖は

「戸田の命より大切な学会の組織」と明言したのである。――

無条件で絶対に無謬ではないのです!

本末転倒と師弟利用による会員奴隷化を許すな!






 

【西山論文についてのグリグリ論考Ⅱ】4/8

 投稿者:大仏のグリグリのとこ
 投稿日:2017年 9月 7日(木)15時30分46秒
西山氏は、「『法罰』の自覚と、『発迹顕本』としての会長就任の決意について、戸田は、次のようにいっている」(同154頁)としたうえで、戸田先生の「創価学会の歴史と確信」等を引用していますので、まずはその箇所を抜粋したいと思います。

・・・西山論文より(同154頁)・・・

○「私は会長になることが、ほんとうにいやであった。」(「偶感」、1952年)

○「学会再発足のとき、立正佼成会(現在名)も同じく小さな教団として、やっと息をついていたのは、自分たちのよく知っているところである。しかるに、七か年の時を経過して、かれは大なる教団となって邪教の臭気を世にばらまいている。大聖人の真の仏法を奉持して邪宗ののさばるにまかせているのは、だれの罪かと私は自問した。『これは創価学会を率いる者の罪である』と自答せざるをえないのである。また、自分は、文底独一の教理を説いていると深く信じているが、教本においては文上の法華経を用いている。この二つの罪は、ご本仏の許すべからざるものである。私は大難をうけたのである。立つべき秋に立たず、つくべき位置につかず、釈迦文上の法華経をもてあそぶ者として大謗法の 罪に私 は問われたのである。」(「創価学会の歴史と確信」上、1951年)

○「(会長就任の)決意をもらすや、理事長矢島周平氏はじめ和泉、森田、馬場、柏原、原島、小泉、辻などの幹部、および青年部諸氏の会長推戴の運動となって、(1951年)五月三日、私は会長に就任したのであった。私は学会の総意を大聖人のご命令と確信し、矢島周平理事長の辞任とともに、会の組織をあらため、折伏の大行進の命を発したのであった。ここにおいて、学会は発迹顕本したのである。(中略)『いっさいの邪宗を破って、かならずや東洋への広宣流布の使徒として、私どもは、牧口会長の意思をついで、大御本尊の御前において死なんのみであります』(中略)これこそ発迹顕本であるまいか。」(「創価学会の歴史と確信」下、1951年)

・・・・(引用おわり)・・・・・・・・

 この戸田先生の論文(「創価学会の歴史と確信」)は、昭和26年5月3日の第2代会長就任当日の挨拶を元にして、同年7月10日に発表されたものですが、戸田先生自身が「第2回目の回心(路上の悟達)」および「発迹顕本(宗教体験)」に触れたほとんど唯一といってよい文献です。

その数少ない文献の中で、戸田先生が「このたびは路上において、『霊山一会の大衆儼然として未だ散らず』して、私の身のなかに、永遠のすがたでましますことと、拝んだ」と語るにすぎなかった「第2回目の回心(路上の悟達)」を、詳しく描いたのが、池田先生の「小説・人間革命」第5巻(烈日)です。

これについては【論考Ⅰ(※文上的「表現と体験」から文底的「表現と体験」への深化)】で考察した通りです。

また、池田先生は「小説・人間革命」第4巻(秋霜)で、戸田先生の「発迹顕本」へとつながる「法罰の自覚」についても詳細に描いています――。


・・・夕方ぐらいにつづく。
 

【西山論文についてのグリグリ論考Ⅱ】3/8

 投稿者:大仏のグリグリのとこ
 投稿日:2017年 9月 7日(木)15時27分49秒
さて、ここまでのことを踏まえて、本題の「『発迹顕本』発言についての戸田の真意の解明」に入っていきたいと思います。

西山茂氏は「発迹顕本」体験を定義して、
「(戸田先生が)戦後の1951年に事業上の挫折を『法罰』として受け止めた別の『回心』」(同139頁)
「事業上の失敗を文上の法華経の重用と他宗教の跋扈を放置した『謗法の罰』と受けとめた戸田が、今後は独一本門の広宣流布に邁進するという覚悟を固めて第2代会長に就いたことに対する戸田的な表現」(同131頁)と規定しています。

西山氏のいう「発迹顕本」体験は、

①事業の失敗
②法罰の自覚
③文上の法華経の重用
④他宗教の跋扈放置
⑤独一本門流布に邁進する覚悟
⑥第2代会長就任

などといった、さまざまな出来事からなる宗教体験であることが分かります。

西山氏は、これらの出来事の概要とそれぞれの関係性について次のように述べています。

「このようなこと(=他宗教の跋扈放置)は戸田にも分かっていた。だが、これを『法罰』として主体的に受けとめて『第2の回心』(発迹顕本)を経験するためには、外縁の一撃が必要であった。
そして、それは、間もなくやってきた。
すなわち、1949(昭和24)年の暮から戸田の事業は行き詰まりをみせ、翌50(昭和25)年には雑誌の出版で多額の負債つくったばかりか、小口金融でも彼が経営する東京建設信用組合が倒産して負債の取り立てにからむ刑事事件に巻き込まれた。
1950年の8月末、戸田は創価学会の理事長職を辞し、矢島周平を後任に立てて会員の前から姿を消した。
同年の11月、戸田は教育会館で開かれていた創価学会の第5回総会に1年ぶりに姿をあらわした。
明けて1951年の正月、戸田は、いままで、同会のことよりも事業に傾注してきたことと、これまでは文上の法華経の講義を重視してきて肝心の文底の独一本門の弘通に専心して来なかったこと、および、これまで『邪宗の跋扈』を放置してきたことなどを反省し、これからは創価学会の第二代の会長になって独一本門の広宣流布につとめるという覚悟を決めた」(同153頁)と――。

要するに、戸田先生の「事業の失敗」は〝発迹顕本するための外縁の一撃〟であり、事業の失敗を「法罰」と自覚し「反省」したところから「発迹顕本」は始まったという意味です。

そして「法罰を受けた理由」として、

①同会のことよりも事業に傾注してきたこと
②文上の法華経の講義を重視してきて肝心の文底の独一本門の弘通に専心して来なかったこと
③「邪宗の跋扈」を放置してきたこと

の3点を挙げています。戸田先生はこの3点を「反省」し、「第2回目の回心」の後、

①については、第2代会長に就任し、広宣流布の会務への専念
②については、「聖教新聞」や「折伏経典」等を発刊し、文底仏法根本の言論戦
③については、身延総攻撃等の折伏大行進

を、展開していきました。

このように、昭和26年2月の「第2回目の回心」から同年5月の第2代会長就任に至るまでの期間を分水嶺として、創価学会の活動ぶりが一変していくことを指して、戸田先生は「発迹顕本(迹を発(ひら)いて、本を顕す)」と呼んだものと思われます。
 

【西山論文についてのグリグリ論考Ⅱ】2/8

 投稿者:大仏のグリグリのとこ
 投稿日:2017年 9月 7日(木)15時25分0秒
残る課題は「『発迹顕本』発言についての戸田の真意の解明」です。

ここまでの考察で、すでにお気づきの方もいると思いますが、西山氏の論文を注意深く読んでいくと、西山氏は「第2回目の回心」と「発迹顕本」の語を区別して論じていません。

また、戦後の悟達を描いた「小説・人間革命」第5巻(烈日)への言及も、「創価学会の歴史と確信」に出てくる“路上で『霊山一会厳然未散』を実感する”神秘体験への言及もありません。

ちなみに、西山氏は「第1回目の回心」と「第2回目の回心」を次のように定義しています。

「この戸田の獄中の神秘体験のことを日隈は『獄中での回心』(日隈、前掲書)といっているが、戸田は戦後の1951年にも事業上の挫折を『法罰』として受け止めたという別の『回心』(「発迹顕本」の体験)を経験しているので、筆者は、1944年のものを『第1の回心』、1951年のものを『第2の回心』と呼んで両者を区別したい。なお、村上重良は、日隈が『回心』と呼んだところを、『宗教的体験』(村上重良、前掲書)といっている」(同139頁)と――。

整理すると、

①日隈氏は〝神秘体験〟のことを「回心」と呼び、

②西山氏は〝発迹顕本の体験〟を「回心」と呼んでいる。

対して、

③村上氏は〝回心〟という言葉を使わず「宗教体験」と呼んでいる。

となります。

「回心」という言葉を日隈氏のように「神秘体験」を指すと定義すれば、戸田先生の“事業上の挫折を法罰として受け止めた〟という「発迹顕本の体験」自体は、村上氏のいう「宗教体験」と呼ぶことはできても「回心」とは言えないのではないかと考えます。

もちろん、“路上の悟達(神秘体験)”を含む「発迹顕本の体験」全体を広い意味で「第2回目の回心」と呼ぶことは可能であると思いますが、ここでは、いちおう区別して、路上の神秘体験を「第2回目の回心」と呼び、「発迹顕本」の全体は、単に「発迹顕本」または「発迹顕本」体験と呼びたいと思います。

一度整理します。(論考Ⅱでの定義)

①第1回目の回心(獄中の悟達)

②第2回目の回心(路上の悟達)

③発迹顕本(宗教体験)

特に、戸田先生は「創価学会の歴史と確信」の中で
「この自覚(=「我、地涌の菩薩なり」)は会員諸氏のなかに浸透してきたのであったが、いまだ学会自体の発迹顕本とはいえないので、ただ各人の自覚の問題に属することにすぎない」と述べているように、「発迹顕本」を「個人」というよりも、むしろ「会」全体の問題と捉えています。
その意味でも、専ら個人に関わる「回心」と、主として「会」に関わる「発迹顕本」は区別したほうがよいと考えます。
 

【西山論文についてのグリグリ論考Ⅱ】1/8

 投稿者:大仏のグリグリのとこ
 投稿日:2017年 9月 7日(木)15時22分34秒 編集済
西山茂氏は、【同人誌「法華仏教研究」第24号(2017.7月発刊)】に発表した論文

「創価学会の基礎思考Ⅱ――戸田城聖の「獄中の悟達」とその後――」

において、「戸田は、1951年の会長就任のときに『発迹顕本』した(第2回目の回心)といっているが(中略)『発迹顕本』発言についての戸田の真意の解明と、それと獄中の神秘体験の関係についての無矛盾的な説明が求められている」と、重要な問題を提起しています。(同誌159頁)

【論考Ⅱ】では、この「『発迹顕本(=第2回目の回心)』発言についての戸田の真意」の問題を、改めて掘り下げ、解明していきたいと思います。

この問題については、【論考Ⅰ】で、昭和26年2月の「牢獄で知った喜悦の瞬間がまた蘇った」という神秘体験(=第2回目の回心)を考察しました。

この出来事(神秘体験)については、戸田先生自身も会長就任後に著した論文「創価学会の歴史と確信」の中で「以上の二つの法門(=転重軽受と三障四魔)を身に読ましていただいた私は、このたびは路上において、『霊山一会の大衆儼然として未だ散らず』して、私の身のなかに、永遠のすがたでましますことと、拝んだのであった」と、さらっとではありますが触れています。

この“路上の悟達”とも言うべき戦後の神秘体験を、池田先生は「小説・人間革命」第5巻(烈日)で詳細に描いています。

再説になりますが、この神秘体験を「烈日」の文脈に沿って見ていくと、

①昭和26年2月初旬の厳寒の日、日暮れ時に、戸田先生が事務所を出て、駅の方へ向かっていた時、突然、燦爛たる世界に包まれ、脚は地上を踏んでいて、なんの変化もなかったが、牢獄で知った喜悦の瞬間をまた体験した。

②〝宇宙即我・我即宇宙〟の歓喜にふるえ、遍満する永遠の一瞬を苦もなく感得し、大御本尊に厳然と守られている自身と、大御本尊をはなれては存在しない自身の生涯を自覚した。

という体験です。

この戦後の悟達(路上の神秘体験)と、戦前の悟達(獄中の神秘体験)との関係についても、「論考Ⅰ」で考察しました。

つまり、獄中の神秘体験(第1回目の回心)と、「発迹顕本」発言と密接に関係する戦後の神秘体験(第2回目の回心)との関係は、

①「文上的表現と文底的表現の関係」
②「文上的体験から文底的体験への深化」

と捉えれば、矛盾なく説明できるし、この二度の回心を合わせて「創価仏法の原点」と位置付ければ良いと述べました。

これによって、西山氏が求めていた〝第2回目の回心と獄中の神秘体験の関係についての無矛盾的な説明〟も、ある程度はできたのではないかと思っています。
 

公明党の程度

 投稿者: にゅうかい29
 投稿日:2017年 9月 7日(木)15時10分47秒
ミネルヴァの梟様の言うように、国会議員の歴史認識の程度は、目に余るものがあります。公明党の国会議員も推して知るべしでしょう。
 1981年に公明党最高幹部のみの判断で、憲法9条の拡大解釈の歯止めとなる、自衛隊の段階的解消の党綱領を葬り、自衛隊を容認して以来、現在まで、私なりには様々なやり方で、公明党の憲法9条改正への動きをとめようと、努力してきました。当時、私の男子部時代の先輩であり、私と同じ考え方をもっていたS議員さんと共に、私たちの党が、より良い中道主義を貫くためには、公明党員の一人一人が、歴史や社会学を勉強しなければ、現実の社会に流されてしまい、中道主義を貫くことが困難になってしまう。との考えを基に、政治・社会学者を招いての勉強会をしてゆくべきと、公明党本部に要求しましたが、本部より返ってきた返答は、「公明党員をお利口にしてしまっては、我が党は空中分解してしまう。ですから勉強会は致しません」との返答でした。
このような党の体質が、矢野・竹入体制で公明党が運営されていた頃の話です。現在も大して変わりはないでしょう。
 

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