初秋の日、別居

あやです。
穏やかに秋の色がしみ込んで来ましたね。

先月私は、いろいろな初体験がありました。

  • 子供が正式にアスペ認定された
  • ストレス障害になった
  • 主人と別居することになった

子供が正式にアスペ認定された

先月、子供が5歳になりました。

その直後に区の療養センターで発達テストを受け、「アスペルガー症候群」である、と診断されました。

この症状の特徴をざっくりお伝えすると、

  • 空気読めない(人の気持ちを考えた発言ができず無自覚に他人を傷つける)
  • 協調性がない(集団行動ができず和を乱して周囲に迷惑をかける)
  • こだわりが強い(特定のもの・ことに執着しそれ以外に意識を向けられない)
  • 我慢できない(やりたい、と思ったことをやらずにはいられない)
  • 感覚器が過敏(聴覚過敏・嗅覚過敏などでストレスを感じ周囲に当たる)

といった特徴があります。

(症状の強さにもよると思いますが)控え目に言って、関わりたくないタイプの人間です。

息子の具体的な経験談でお話しすると、

  • 保育園の年度末の発表会で、みんなが遊戯を頑張っている中、一人ステージ中央前に躍り出て衣装を脱ぎ散らかし、その服を客席に投げまくる。
    クラスの子がキレて息子に殴りかかり、先生が止めに入って舞台は混乱。閉会後、殴った子のご両親から深々と頭を下げられる。
  • 電車内で下半身を露出させて「ねぇー見てーうふふ」とはしゃぐ
  • 一般レベルで特に臭っていない人を指さし、「あの人臭いー!!」とキレ気味に叫ぶ
  • 大型家電量販店で鞄からお財布を出そうと手を離した一瞬、全力ダッシュで逃走。3秒で視界から消える。隣の百貨店で発見

と言った感じに、控え目に言って、親として一緒にいるのがしんどいタイプの子です。
(しんどいと言えば、これに加えて8種食アレと重度アトピーと喘息もちなので、子育ては輪をかけてしんどいです)

小学校への進級は、様子を見ながら、普通学級か特別学級を考えていきましょうと言われました。

診断名が下ったのはやはりショックでしたが、一方で、ほっとした自分もいました。

「じゃ、子供を愛せないのも仕方ないよね」

と思えたからです。

親ですし、「仕方ない」で済ませられることはないとわかっているのですが、「子供を愛せない親なんて信じられない、人間終わってる」と世の9割9分の人に思われる状況から、「親も人間だしね…」と2~3割くらいの人に(少なくとも表面上は)理解を示してもらえる立場になれた気がして、勝手に少し救われた気持ちになれたんです。

人間は社会的動物だから、他人に理解してもらいたいし、受け入れてもらいたい。

けれど、子供を愛せない親なんて、理解も許しも得られない。当たり前ですが、「どうしても嫌なら手放していいんだよ」なんて誰も言ってくれません。

一人で育てなきゃならないという重圧、逃げられないという八方ふさがり感、みんなが頑張れているのに自分は頑張れていないという劣等感。自分最低だ、という自責。

そういう苦しみが、「アスペルガーの子供」というレッテルを頂けたことで、少し軽減されたんです。浅はかですけれど。

とある仲良くさせてもらっている人が、別の話題で「『あきらめる勇気』を持つことで幸せになれる場合もある」という話を聞かせてくれました。

私もあきらめて、「子供を愛せる親にならなきゃ」と自分を呪縛するのをやめようと思います。

愛せないものは、愛せないんじゃーーーーーーーーーーーーーーー!!!!

は!?子供がかわいそう!?

可愛そうなのは私じゃボケえええぇ!!!

こちとらアスペじゃないから空気わかるんじゃ!!!

この子が起こす騒動に申し訳ない気持ちや恥ずかしい気持ちを持つなと言われても無理だろーが!!!

マジで変な子生んで日本の皆さまごめんなさい!!!!

ごめんなさい!!!

ごめんなさい!!!

…勇気を出して、全国のアスペの子供が愛せない母親の声を代弁してみました。

「母親にこんなこと言われちゃうなんて、子供がかわいそう。これを読んで、子供がどんな気持ちになるか、考えられないのかな?」

そんな声が聞こえてきそうですが、親がどんな気持ちで日々一緒にいるかわからずに我が道を行き続ける子供なので、もうオアイコで良くないでしょうか?

…ダメかな?涙。

ストレス障害になった

人生初、ストレス障害になり、瞼と耳の奥(鼓膜?)がけいれんして、止まらなくなりました。

食欲がなくなって一日1食しか食べられなくなり、体の力が入らなくなり、自転車もめちゃくちゃ頑張らないと漕げないような状態でした。

心因性のものだという確信があったので、心療内科に行き、お薬を出してもらいました。
最初はそのお薬を飲んでいる間は痙攣が治まっていたのですが、そのうち、飲んでも止まらなくなりました。

お盆で義実家に行く前夜に悪化のピークになり、翌日、主人と子供で帰省してもらって、私は単身北海道の実家へ行き、療養させてもらうことにしました。

念のため、神経内科でMR、耳鼻科で耳の内部を診てもらいましたが、異常なし。

子供と夫と離れて3日経つと、薬を飲まなくても痙攣しなくなりました。

多分、キャパオーバーだったんだと思います。

私には、子供を一人で面倒見きれる器で無かった。

主人が仕事を頑張ってくれるだけで有難いと思える器で無かった。

それぞれに対して、受け入れたい、と思っているつもりなのに、繕えない強さで本心が拒否し続けていたんだと思います。

その葛藤が、体に支障を生んでしまったのだと思います。

療養しながら、どちらにももう会いたくない、という思いでいっぱいになりました。

子供は私を選びたくて私を選んで生まれてきたわけではないし、

主人は(もともと仕事が好きな人ではあるけれど)私たち家族のために働いてくれているのもわかっているのですが、

これからも一人で悩む孤独な日々が続くと思うと、「このままの生活はもう無理だ」と感じてしまいました。

関係再構築のための別居へ

発達テスト前後でキリキリしていたし、たまたま色々重なったからなんだと思います。

主人とは末永く生活していきたいと思っているのですが、今は一緒にいると体に異常が出てしまうため、しばらく別々に暮らすことになりました。

子供とも離れたかったけれど(むしろ子供と離れたかったけれど)、双方の両親が遠方で、共に働いているため、養護施設以外の選択肢がありません。
それは最終手段だな、と思い、ひとまずもう少し我慢してみることにしました。

…結局、アフィリエイトしてようがしてまいが、それはただの逃げの手段の1つだっただけで、何かが変わるのも崩れるのも、アフィリエイトはきっかけにはなれど大元の原因ではないのだな、と、
自分の現状や、某有名ブロガーさんの離婚発表などを見つつ、改めて感じたのでした。

シェアする

フォローする