頭のよくない作者が書く天才と頭のいい作者が書く天才は違うとツイッターで拡散されていた。
色々と意見はあるのだろうが、後者の代表格が森博嗣の書く天才だという呟きが散見した。
何が違うかというと、前者は「IQ300、学校試験は全問正解、自他共に認める天才、CPOが協力要請する天才」
ココでネット民が言う「森博嗣の書く天才」とは作者のキャラの中でも「犀川創平」のことだと思うのだが
犀川は誰がどう見てもIQ高いし、多分学校試験は全問正解だったし(入試勉強いらずで難関私立に合格していた)、自分はともかく他人が認める天才だし、CPOではないが公安が協力要請する天才なので、前者にも当てはまると思う。
小学生のときにプリンキピアを読破している犀川先生はやはりキャラ設定盛っている。
犀川は非凡なのだが、なんとか常識人に見せ現代社会に適応しようと頑張っている天才であるので、ぱっと見凡人にも見えてしまう。
(隣りにいる令嬢が派手すぎて目立たないだけでもある)
ドラマで付け足された「言動が変人」とかアニメで付け足された「ファッションセンスが壊滅的」という設定は原作犀川には見られない。センスはあまりなさそうだが、無難な服を着ている様子で特に突っ込まれている様子は無い。ちょいダサくらいでとどまっている。不潔でも無い。
例えば交友関係も、突然ただの中学時代の同級生とかに会いに行くし、親友も居る。嫁の保護者にも気に入られている。広くはなくとも狭くは無くコミュ症でも無い。
初期シリーズの原作の中で天才をテーマにした作品がある。アニメ化もドラマ化も漫画化もされていない話で『笑わない数学者』という本だ。まず実写でやるには金がかかるのと、アニメや漫画にするにも、作品の裏に込められてる謎が難解で下手な脚本を書くと馬鹿がバレるので難易度が高く避けられているのだろう。トリックの都合上、この話の犀川は少しIQが低くも感じるのがミソだ。
そこで犀川が天才は変人で浮世離れしている(意訳)と語るシーンがあった。しかし実際はそうでもなく、結局その天才を自分より頭悪いと思い孤独を感じるような話だったように思う(感想)。
「犀川創平というキャラクターは探偵キャラ界隈のなかでも特に天才だと思う」という意見には同意する。
その犀川越しに見ると、天才を生み出すには最初に書いた『前者』と『後者』どちらかではなく、どちらも組み合わせることが必要になるのではないだろうか。
なお、
四季さんは、天才とか云々なしにしてもはや神様みたいになっているので、ちょっと当てはめて話すことができなさそうです。
犀川先生?作品内で言及されてる天才は西之園萌絵では? というか読んでて劣等感を覚える程のチートキャラというイメージが先行してるのかも知れないけど
いや、読破してるけど犀川先生のが天才だよ ただ西之園萌絵はだんだんスペシャルファクター的な存在になってるな
元のツイートを「強い作者が描く強キャラと弱い作者が描く強キャラは違う」と言い換えるとアホらしさがはっきりする。 作品のジャンルや設定されるリアリティレベルによる。で終わ...
元々の森博嗣本人のスキルにザ天才設定付け足したら超天才犀川ができただけではないのか という考察もできる