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ロットンダの歴史

History of Rotunda 【English ver.】

『遠西舶上画譜』(1984年/馬塲仲達)

バンガジュツ
引用元:国立国会図書館『遠西舶上画譜』4-18「蕃莪朮」
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目次 - contents -

これは、江戸時代の終盤、馬塲仲達によって書かれた『遠西舶上画譜』の写真である。この中にバンガジュツ(カンフェリア・ロットンダのこと)が登場している。

下のように「蕃莪朮」という文字と、「嘉永二」という文字がハッキリ見える。↓

蕃莪朮
嘉永2年は「1949年」なので、これで「カンフェリア・ロットンダは、1949年に日本に伝来した、ということがわかる。

「インド」というのは、なぜわかるか

下のように「薩外ヨリ来ル」と書かれているからだ。「薩外」(さつがい)は、今の中国語だと「インドのサワーイー」のことである。

江戸時代、インドと交流があったのか?

交流は積極的にしていた。

なぜ「インドと直接」でないのかというと、江戸時代、インドは「東インド会社」に統治されていたからだ。

というように、多数の「東インド会社」があったのだ。ここを通して、インド人の船員も日本に多く来ていた。

江戸時代の、インドと日本の交流について

これは、米国タフツ大学教授で、日本史学者の「ゲイリー・レアップ」(写真)が、著書に書いている。

文献の詳細
タイトルInterracial Intimacy in Japan: Western Men and Japanese Women, 1543-1900
(Google Booksで立ち読みする)
著者Gary P. Leupp(ゲイリー・P・レアップ)
(タフツ大学・歴史学部の教授紹介へ *英語)
出版年月2003年8月
出版社Continuum International Publishing Group(Google)
ISBN-100826460747(Google)
ISBN-13978-0826460745(Google)
*画像をクリックで、日本のAmazonへ。(アフィリエイトではない、ただのリンク)

『遠西舶上画譜』

「遠西」の意味

これは「西洋」のことだ。当時書かれた他の書物で『遠西武器図略」というものがある。文字通り「武器図鑑」である。

これは「西洋の武器をまとめたもの」である。『遠西舶上画譜』の方も「舶来の植物をまとめたもの」なので、「遠西=西洋」と考えていいだろう。

インドの植物も混ざっているが?

鋭い方は「いや、ロットンダはインドから来たんだろ?」と思うかも知れない。

これは「西洋」のことだと思われる。「遠い」と付けたのは、「西」だけだと、国内の「西日本」も指すからだろう。(別にあちらが「近西」というわけではないが)

もちろん「西洋」と呼んでもよかったと思う。しかし、江戸時代の人間から言わせれば、今の日本人の方こそ「遠西と呼べばいいのに」と思うかも知れない。

「遠い西洋」という、そのままの意味である。『遠西舶上画譜』以外でも、『遠西武器図略』という書物もある。西洋の武器についてまとめた書物だ。

「遠い西洋」という言葉を、現代語で訳すのは難しい。「海外」くらいしかない。多分、当時の日本人にとって西洋は「宇宙」のようなものだったのだろう。情報をまとめる時にも「遥かな世界への憧れ」のようなものが、あったのかも知れない。(勝手な推測だが)