ロットンダの歴史
History of Rotunda 【English ver.】
『遠西舶上画譜』(1984年/馬塲仲達)
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- Author:Seiji Fujii(藤井 誠二)
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目次 - contents -
これは、江戸時代の終盤、馬塲仲達によって書かれた『遠西舶上画譜』の写真である。この中にバンガジュツ(カンフェリア・ロットンダのこと)が登場している。
下のように「蕃莪朮」という文字と、「嘉永二」という文字がハッキリ見える。↓
「インド」というのは、なぜわかるか
下のように「薩外ヨリ来ル」と書かれているからだ。「薩外」(さつがい)は、今の中国語だと「インドのサワーイー」のことである。
江戸時代、インドと交流があったのか?
交流は積極的にしていた。
- 1600年代…「ポルトガル」を通して
- 1700~1800年代…「イギリス」を通して
なぜ「インドと直接」でないのかというと、江戸時代、インドは「東インド会社」に統治されていたからだ。
- ポルトガル東インド会社
- イギリス東インド会社
- オランダ東インド会社
というように、多数の「東インド会社」があったのだ。ここを通して、インド人の船員も日本に多く来ていた。
江戸時代の、インドと日本の交流について
これは、米国タフツ大学教授で、日本史学者の「ゲイリー・レアップ」(写真)が、著書に書いている。
タイトル | Interracial Intimacy in Japan: Western Men and Japanese Women, 1543-1900
(Google Booksで立ち読みする) |
著者 | Gary P. Leupp(ゲイリー・P・レアップ)
(タフツ大学・歴史学部の教授紹介へ *英語) |
出版年月 | 2003年8月 |
出版社 | Continuum International Publishing Group(Google) |
ISBN-10 | 0826460747(Google) |
ISBN-13 | 978-0826460745(Google) |
『遠西舶上画譜』
「遠西」の意味
これは「西洋」のことだ。当時書かれた他の書物で『遠西武器図略」というものがある。文字通り「武器図鑑」である。
これは「西洋の武器をまとめたもの」である。『遠西舶上画譜』の方も「舶来の植物をまとめたもの」なので、「遠西=西洋」と考えていいだろう。
インドの植物も混ざっているが?
鋭い方は「いや、ロットンダはインドから来たんだろ?」と思うかも知れない。
これは「西洋」のことだと思われる。「遠い」と付けたのは、「西」だけだと、国内の「西日本」も指すからだろう。(別にあちらが「近西」というわけではないが)
もちろん「西洋」と呼んでもよかったと思う。しかし、江戸時代の人間から言わせれば、今の日本人の方こそ「遠西と呼べばいいのに」と思うかも知れない。
「遠い西洋」という、そのままの意味である。『遠西舶上画譜』以外でも、『遠西武器図略』という書物もある。西洋の武器についてまとめた書物だ。「遠い西洋」という言葉を、現代語で訳すのは難しい。「海外」くらいしかない。多分、当時の日本人にとって西洋は「宇宙」のようなものだったのだろう。情報をまとめる時にも「遥かな世界への憧れ」のようなものが、あったのかも知れない。(勝手な推測だが)
- 国立公文書館「遠西武器図略」 Google検索「遠西」
- Google検索「莪朮」
- Google検索「ガジュツ」
- ↑(ガジュツの場合、漢字とカタカナで検索結果がまったく違うので、両方掲載)
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- 「コンチョロ」で「カンフェリア・ロットンダ」の意味
- 「コンチョロ・カームペリア・ロトュンタ」全部で「カンフェリア・ロットンダ」の意味
- 「コンチョロ」=「バンウコン」という意味(これだけ、他と全然違う)
嘉永二巳●年舶来ノ種
薩外ヨリ来ル
形状莪朮ニ似テ葉ニ紫色ヲ帯ル
色々●ク夏月筍(?)ノ傍ヨリ花萱(?)ヲ袖●●●二寸計花ノ開ク
彰十蒯(?)蕉ニ似テ開大四瓣白色紫碧色ヲ帯ブ
葵(?)一ツ先鰻ヲナス(?)
花ノモトニ太キ鬚ノ如キモノ三ツ今ニモ出ズル
わからない部分を「中略」で飛ばして訳すと、下のようになる。
嘉永2年、巳年(へび年)に舶来した種。
インドのサワーイーから来た。
形状はガジュツに似て、葉に紫色を帯びている。
(中略)
夏に○○の傍から?6cmほどの花が開く。
○○に似て、大きな4枚の花弁が開き、白色・青紫色を帯びている。
(中略)
花の元に太いヒゲのようなものが3つ、今にも出ようとしている。
薩外(さつがい)とは
莪朮(がじゅつ)とは
サワーイーとは
江戸時代の日本とインドの交流
ロットンダの日本伝来は、江戸時代
カンフェリア・ロットンダは、江戸時代の「1848年」に、日本に伝来している。(嘉永1年)
これは写真の『新渡花葉図譜』という資料でわかる。「コンチョロ・カームペリア・ロトュンタ」という名前で登場しているのだ。上の写真の、名前の部分だけを拡大すると、下のようになる。↓
「カームペリア・ロトュンタ」というのは、そのまま「カンフェリア・ロットンダ」である。江戸時代なのに、ここまで名前の発音が似ていることに、少々驚くだろう。
遠西舶上画譜「コンチョロ」とは?
これはわからない。確認できる限り、下の3種類の定義がある。
それぞれ説明しよう。
「コンチョロ」だけで「カンフェリア・ロットンダ」の意味
もう一度、冒頭の図を見てほしい。↓
上の写真の「キャプション」の部分だけ見ると、下のようになっている。
このようにコンチョロ(バンガジュツ)と書かれているのだ。そして「バンガジュツ」は「カンフェリア・ロットンダ」の和名である。だから、この部分だけ見ると「コンチョロ=カンフェリア・ロットンダ」ということになる。
「コンチョロ・カームペリア・ロトュンタ」全部で「ロットンダ」の意味?
先ほどの資料は「『新渡花葉図譜』:幕末渡来植物の一資料」というタイトルで、慶応大学・名誉教授だった磯野直秀氏(故人)が書かれたものである。
この資料の「口絵のみのPDF」では、先程のように「コンチョロ=バンガジュツ」と書かれている。しかし「文章のみ」のPDFでは、違うのだ。
(画像はクリックで拡大)
このように、「コンチョロ・カームペリア・ロトュンタ」全部で「Kaempferia rotunda」(カンフェリア・ロットンダ)という定義になっている。(和名でいうとバンガジュツ)
どちらも、磯野直秀氏という「同じ方」が「同じ資料」の中で使っている呼び名である。そのため、ご本人の中では「どちらかに定義が決まっていた」はずだ。考えられるのは。「コンチョロ」=「コンチョロ・カームペリア・ロトュンタ」の略ということである。
もちろん「コンチョロ・カームペリア・ロトュンタの略」と言っても、そもそもこんな名称を誰も知らないので、「あくまで、磯野教授がご自身の中で使われていた」ということだが、これだと辻褄が合う。
(つまり、「コンチョロ」でも「コンチョロ・カームペリア・ロトュンタ」でも、両方「ロットンダ」の意味になる)
しかし、実は同じ磯野教授が書かれた文献で、「コンチョロ=バンウコン」という記述も見つかっている。
(ロットンダは「バンガジュツ」なので、これだと「コンチョロ=ロットンダ」とは言えなくなる)
その文献も見てみよう。↓
「コンチョロ」=「バンウコン」?
掲載書籍 | 『慶應義塾大学日吉紀要』自然科学 42号(2007年9月) |
論文タイトル | 明治前園芸植物渡来年表 |
執筆者 | 磯野直秀(慶応大学・名誉教授)*故人 |
Wikipedia
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『新渡花葉図譜』:幕末渡来植物の一資料ロットンダ・明治時代
Kaempferia rotunda L.
Curtis’s Botanical Magazine, t. 6009-6073, vol. 99 [ser. 3, vol. 29]: t. 6054 (1873)
引用元:plantillustrations.org「Kaempferia rotunda L.」
つまり、1873年発行の『カーティス・ボタニカル・マガジン』の「99号」に掲載ということだ。ここから「1873年には、イギリスではロットンダの存在が知られていた」ということになる。
ろ武蔵野大学 http://mg.musashino-u.ac.jp/guide/information/pdf/soran_06_05_07_yak.pdf
Kampferia Parviflora