- 女性宮家創設と旧宮家皇籍復帰
- 戦後の皇室 GHQが11宮家を皇籍から離脱させた後の皇室
- 現在の皇室
- 内親王が結婚され降嫁された後の皇室
- 女性宮家が創設された後の未来の皇室の構成
- 歴代天皇は全てその父を辿れば、神武天皇に行き着く
- 旧宮家を皇籍復帰させるだけで男系男子は120名いる
- 現在、(マスコミは)皇室と皇別摂家並びに旧皇族に120名の「男系男子」の存在を隠しています。
表を数点、よりわかりやすいものに差し替えました。2017.8.20
女性宮家創設と旧宮家皇籍復帰
眞子様の婚約速報から過激になりだした女性宮家の創設ですが、先日twitterで回ってきた広告。愛子天皇を実現しようという呼びかけ。主催、ゴヨウツツジの会。
http://blog.goo.ne.jp/jyoteisiji2017/e/fca7755d2cc22ac595bd0735d6fd5eeb
ゴヨウツツジの会が運営する「女性天皇を支持する国民の声というホームページ」
今上陛下から皇太子の流れを直系といい、秋篠宮家の悠仁様は傍系、皇位は「直径長子継承」であるべきという主張のようです。
ここのホームページを見てみると、女性天皇に賛成している世論が原動力となっているようです。
秋篠宮殿下を次代の皇太子(待遇)とする方針で、生前退位関連法案が作成・提出され、今国会中に認められる可能性が高まっています。世論調査では8割近い国民が女性天皇賛成であることがわかっているため、できるだけ国民に気付かれないよう、こっそりと素早く、実現されようとしています。
⚪️ttp://blog.goo.ne.jp/jyoteisiji2017/e/5bafb80b3c8bb212ca0e4b58ec35b9d6
たしかに5月10日付の共同通信の世論調査では、女性天皇賛成派86%になっています。
眞子様の婚約速報前 5/10 世論調査
婚約速報後 6/9〜6/19までのネット調査
ちなみに眞子様の婚約速報が流れたのが5/16、小室さんの単独会見は5/17でした。
このネットアンケートは6/9〜6/19に実施。
賛成45.9% 反対48.3% わからない5.8%、賛成が減っています。
2017.6.3 よるバズ 「女性宮家」 にNO!
http://www.nicovideo.jp/watch/sm31344766
竹田恒泰氏、小林よしのり氏、高森明勅氏、柴山昌彦氏による「女性宮家」をテーマにした討論番組 。ネットだけの配信だったようだが、未確認。
番組最後に行ったアンケート結果
・上のゴヨウツツジの会が主張しているのは、「直径長子継承」であるべきという主張による女性天皇賛成であり、女性宮家賛成。
・高森氏は男系男子の歴史そのものに懐疑的、また、側室制度があったからこそ維持できていた制度だともいい、女性天皇、女系天皇賛成派。
・小林氏は今の皇族が減っていくことの対処として女性宮家創設は必要だと、またそれが今上陛下の望みでもあると言っている。男系男子にこだわっていたら、皇室は続かないので、女性宮家創設賛成派。
・竹田恒泰氏、柴山昌彦氏はそれに対して、2600年男系男子でつないできた歴史の重みについて、とにかく男系男子で繋ぐための知恵をしぼることが先だと。
(かなりざっくりの要約です)
戦後の皇室 GHQが11宮家を皇籍から離脱させた後の皇室
画像:http://kakosamach.com/kako-keizu/
現在の皇室
内親王が結婚され降嫁された後の皇室
この頃には皇太子ご夫妻も、秋篠宮ご夫妻もかなりご高齢になられています。
この時に悠仁様にご家族があり、たくさんの男の子が生まれていればいいのですが、保証はありません。
また、ご公務の負担は確実に増えます。
これが、女性宮家賛成派が早く創設に向けて皇室典範を改正しろという理由です。
女性宮家が創設された後の未来の皇室の構成
女性宮家が創設された後。
このように民間男子が皇族になり、その子供も皇族になる。
2600年の歴史の中で民間の男子が皇族になった例は一つもない。
そのため、推進派は、今いる内親王の一代限りだ、女性だけが皇族で夫は民間人のままだ、などと提案している。しかし、そもそも家族の中で妻は皇族、夫は民間人、子供も民間人などと区別をつけることは可能だろうか、非現実的だと、竹田さんの解説。
歴代天皇は全てその父を辿れば、神武天皇に行き着く
歴代天皇のうち、女性天皇は8人10代が存在した。 彼女ら全員が男系祖先に天皇を持つ男系女性天皇。男系男子の天皇に引き継ぐためのつなぎ的な役割。
女性で天皇になったものは、皆、独身か未亡人。
女性宮家から女系天皇へ
眞子様のところには今、小室さんという具体的にイメージしやすい方がいるので例に挙げて考えてみたいと思います。
たとえばもし、悠仁様にも、他の宮家にもお子様が生まれず、眞子様と小室さんの間にだけ男子が生まれたとすると、その子供が将来の天皇になる可能性も出てきます。
女系天皇が容認された時です。
その場合、その子の父をたどっても神武天皇へつながりません。
父を辿ると小室家。
全く違う王朝がその時点で誕生することになります。
旧宮家を皇籍復帰させるだけで男系男子は120名いる
東久邇 成子(写真一番左)様のお子様方
まず最初に、一番今の皇族と近い親戚だけを含めた構成図。
東久邇 成子(写真一番左)(ひがしくに しげこ、1925年(大正14年)12月6日- 1961年(昭和36年)7月23日)は、昭和天皇と香淳皇后の第一皇女。
今上陛下のお姉様。
”学習院時代は理科・作文が得意だったといわれる。1937年(昭和12年)頃から休暇の際には全国各地を単独で訪問するようになる。天皇の神格化が進む時代にあって、中等科5年生(1942年(昭和17年)頃)のときに次の様な文章を書いた。
“ | 私はどういうめぐりあわせか高貴な家に生まれた。私は絶えず世間の注視の中にある。いつどこにおいても私は優れていなければならない。私は皇室を背負っている。私の言動は直ちに皇室にひびいてくる。どうして安閑としていられよう(後略) | ” |
—光文社「昭和の母 皇太后さま」P161 |
成子内親王は生物学に関心を持ち、父帝の研究所での勤務を希望していたというが、1941年(昭和16年)5月に東久邇宮稔彦王の第一男子・盛厚王との婚約が内定[10]。
1943年(昭和18年)3月に女子学習院中等科卒業。学業成績は極めて優秀だった[11]が、高等科へは進学せず花嫁修業をする[12]。”
15歳で東久邇家の盛厚氏と結婚して男子を3人産んでいらっしゃる。その3人がまた5人の男子を生んでいらっしゃって、その5人のお子様が4人の男子を生んでいらっしゃる。
4人は悠仁様と同じ年代の男系男子のお子様だという。
成子様は1961年(昭和36年7月23日(満35歳)、死去
成子さんの夫になられた盛厚王について。
盛厚王(もりひろおう、1917年5月6日 - 1969年2月1日)。
皇族であり、陸軍の軍人。
1947年10月14日に皇籍を離脱し、東久邇盛厚と称することとなる。
成子様との間に5人のお子様がおり、そのうち3人が男子。
成子様とは1961年7月23日に死別し、その後、後寺尾孝吉の長女:佳子と再婚し、
2子がある。1969年に52歳で死去した。
東久邇宮家は、伏見宮家 → 久邇宮家 → 東久邇宮家 という流れで、新たな宮家を起こしている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E5%AE%AE#.E7.B3.BB.E5.9B.B3
ちなみに稔彦王(盛厚王の父)には明治天皇皇女が、稔彦王の長男には昭和天皇の長女が嫁いでおり、さらに昭和天皇の皇后である香淳皇后は稔彦王の姪で
(稔彦王の兄である久邇宮邦彦王の娘)、今の皇室との血のつながりは強い。
http://higashikuniprize.org/higashikuni.html
このうち、男系男子がいない宮家は「山階宮」「東伏見」「閑院宮」「梨本宮」
現在、(マスコミは)皇室と皇別摂家並びに旧皇族に120名の「男系男子」の存在を隠しています。
旧宮家の皇籍復帰は、この事実を国民が知って、旧宮家に戻っていただきたいという世論が盛り上がらなければ、なかなか実現しないだろうと思う。
そもそも、今の今上陛下、皇后陛下は女性宮家創設を希望しているし、ゴヨウツツジの会と同じく長子継承を願っているように思う。
その中にあって、旧宮家の方に戻っていただくというのは、戻っていただきたいという国民の声が大きくならないかぎり、旧宮家の方から手を挙げることなど不可能だ。
今回は、水間政憲さんが一番力を入れて説明していた東久邇家の方を取り上げてみた。