男の産後うつに関する記事がありました。
最近、ちょっとずつだけれども、男の産後うつが取り上げられているような気がします😉。この記事の男性は、父、夫、部長の役割を全てやり抜こうとしてうつになったとのこと。
いつもながらの暴論だけれども、父、夫、部長の役割を全てやり抜こうするこの男性の行為は、自分の意志でやっているとはいえないのではないか、と私はちょっと思っています。
中動態とは何か
そのヒントを「中動態の世界」から読んでみようと思う。
中動態とは、おおざっぱに言うと「自分の意志でコントロールできず、そうなってしまっている」という感じで考えたらいいかな。
例えば、誰かを「好きになる」というのは、私の意志で好きになるのではなく、気がついたら好きになる状態。「好かれる」のも、私の意志や責任で好かれることはできないよね。
このように「行為の主体者に意志や責任が求めにくい」という行動を文法的に示すことが、かなり過去にはできていたのだけれど、行為の主体者に意志や責任が求められるようになり、中動態は徐々に受動態に置き換わっていったらしい。
難しい話ではあるが、ここでは「自分は自分の意志にかかわらずやってしまう行動がある」と覚えておいてくれたらそれでよい。
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自分の意志で抱え込んでいるのではない可能性
この記事の男性は、父、夫、部長の役割を全てやり抜こうとしてうつになったとのこと。
わかるなあ~。私もそうだったもんな。
中動態の世界的に言うと、この男性は、自らすすんで父、夫、部長の役割をこなそうとしていたのではなく、「自分の意志ではコントロールができず、仕事・家事・育児を過剰にやってしまっている」という状態だったのではないかと見える。
過剰にやってしまうという意味では、アルコール中毒と似たようなものかもしれない。
いやまあ、この男性が意思でコントロールできないという明確な根拠はないんだけれどもね😅
ただ、部長になって帰宅が10時になっても家事・育児に時間を割き、「自分を押しつぶす」ほどに自分自身を追い詰め、自分を「ないがしろにせざるを得ない」とまで自覚する。うつになった男性は妻から「薬を飲んでまで頑張る必要あるの?」と何度も言われたが、「頑張らない選択肢などない」とまで言う。
気持ちはわかるけど、それでもまだ頑張りを止められないのは、もう本人の意志の問題を超越している気がするのよね。
この人の性格や生い立ちまでは記事では述べられていないけれども、ここまでして仕事・家事・育児の三両立にこだわらなくてはならない何かが、男性の中にあるのではないかと思う。
ちなみに私の場合だと、私の両親がやはり家事・育児の分担を巡って不仲だったので、そんな家庭を再生産してはならないという決意があって、自分を押しつぶすほどに仕事・家事・育児を背負っていたことがあった。
思わず「過剰にやってしまっている」ならば、どうすればいいか
対策は私が語るよりも、下記の記事が参考になる。記事をもとに、私なりにまとめたい。
過剰に仕事・家事・育児をやってしまっているのは、自分のコントロールではどうにもならないのだと認めること。そして、なぜ自分はこんなにも仕事・家事・育児をやってしまうのかと、コントロールできない自分の過去を振り返る。その上で、もう一度仕事・家事・育児をどの程度引き受けるのかを考え直す、というところでしょうか。
余計なお世話が許されるならば、この男性には、自分を癒やしてあげてくださいと言いたい。
頑張りすぎてしまう心の問題をおざなりにはしたくない
こういう「頑張らない選択肢はない」とまで思いつめる切実さを抱えた人のことが語られることが、最近は少しずつ増えてきて嬉しい。
私がそうだったけれども、これは本当に修羅の道なのよ。
仕事も家事も育児も楽しくやってます!家族最高!感謝!リスペクト!ってのが理想なのはわかるけども、自分の意思ではコントロールできずに、過剰に負荷をかけて自壊していく人っているんだよね。これは男女問わないけどね。
家事・育児論は、ともすればテクニックや手法のこと、役割分担論に終止してしまいがちだけど、それに向かい合う男女の心、とくに頑張りすぎてしまう問題はおざなりにはしたくないね😉