一昨日、母に呑兵衛旅行で買ってきたお土産の「笑う猫」を届けに行ってきた。新しい電池を入れて、母に「猫のお尻を触ってみな」と促す。恐る恐ると差し出した手でちょんと突っつくと、途端に猫がけたたましく笑い出した。猫の鳴き声じゃない。ギャハハハハハと人間の笑い方だ。それもしっぽを軸にもんどり打って笑っている。その笑い声の勢いにつられて母も思わず笑いながら「何、これ」を連発している。自分もそうだが皆さんにもあると思うけどあの胸の苦しくなるぐらいの笑い方だ。仰向けになって笑っている様はまるでひきつけを起こしているかのよう。何が可笑しいのかなんてどうでもよくて、ただそれを見ているだけでこちらも可笑しさが込み上げてくる。
今日は下の子供から預かったお土産も持ってきた。先日に夏季休暇が取れて北海道を旅してきたという。お土産は旭川動物園で買ったアザラシのぬいぐるみだった。昔流行ったあのゴマちゃんみたいだ。こちらは間違いなく本物で触り心地がとてもいい。母は大事そうに抱えて今晩から一緒に寝るよと嬉しそうに言っていた。下の子は小学校に上がるまでは何かと母親の世話になっていたから、母もその子からこうしてお土産をもらうのは相当に嬉しいのだと思う。
似たような土産になってしまったけど、違うタイプだし母もそれぞれに喜んでくれたみたいで良かった。その後は二つを並べては眺めたりゴマちゃんを抱いたり猫を笑わせたりと忙しそうだった。そんな母の姿はまるで子供のように見えた。いい年のとり方って案外子供のようになっていくことなのかもしれない。母の笑っている顔には欲というものが感じられず、ただ純粋に生きていることだけを楽しんでいるようだ。その様子が毎日毎日を無邪気に遊んでいた子供の頃と同じように思えたのだ。
このところの母は少し年を取ったような気がする。毎日1時間歩いていたのが30分になったりテレビを観る時間もかなり増えたりと、行動範囲も狭まった感じだ。しょうがないこととはいえちょっと寂しい。友人の母親の多くはすでに他界していたり施設に入院していたりする。それに比べて自分はまだ母に甘えている。母の健在のおかげであちこちにも出かけられるし好きなことができる。そのことは決して忘れてはいない。でもあと少しの間だけ。やり残しを終えたらしっかり親孝行するからさ。