職人的規範の優越
もう一つ、『POSSE』36号から特集以外の記事を引っ張ります。
松永伸太朗さんの「萌えゆく現場で燃えない「やりがい」」。タイトルはいかにもですが、言ってることは、「やりがいの搾取」というような言説では、職人的規範が優勢なアニメーターには全然届かないよ、という話。
最後のところで松永さんが述べているこれは、外在的批判と内在的批判という永遠の課題ですが、実は労働問題のいろんな所に顔を出すテーマでもあるんですね。
すごく端的に言っているので、やや長いですが引用しておきます。
・・・やはり社会学に携わる研究者で労働にも関心を持っている人が、かなり教育社会学に行ってしまったことが大きいですね。労働社会学において最終的にどう改善するかというフィードバックも含めて、労使関係の理論などがあまり真剣に考えられてこなかった一方で、教育社会学では、教育を改めれば労働も良くなると言うわかりやすい話がある。そうすると、やはりそちらに流れてしまいます。
でも、「やりがいの搾取」という主張は、アニメーターの人たちの立場に立って考えているとは思えない。たんに現状を外在的に批判しているだけです。当事者にとってみれば、研究者に外から何か言われるのは余計なお世話なわけで、それをするなら批判だけにとどまらず、何らかの現実的なフィードバックが不可欠です。研究を実践に生かして、現実に労働環境を変えていくような運動を作り出していくという観点からすれば、まったく話にならない。
そう考える時研究者の立場から取り組む必要があるのは、それぞれの産業・職業における労働者の同意が生まれる固有の論理を一つ一つ明らかにすることです。それは働き手を組織化する契機となり、労働運動を生み出すことにつながります。そこがうまく捉えられていない中で、「やりがいの搾取」のように外からいろいろ言っても現場で聞く耳を持つ人が出てくるわけはありません。
実際にアニメーターへのインタビューをとしてわかったことは、彼ら彼女らが求めているのは「職人」としての実力が適正に評価されること。たとえば1枚1万円に相当する仕事をした時に、2000円で済まされるのではなくきちんと1万円支払われることです。・・・・
つまり、問題は実力を適正に図る評価制度がまだ整備されていないところにある。職人的な実力観に準拠して同意が生まれるという状況があるのですから、まずはそのような実力の評価制度を作っていくことが求められているのです。
外在的批判に対する本質的批判としてまったくもっともであると同時に、ここはそれこそ労働問題、労使関係をいやというほど見てきた人であればあるほど、「問題は実力を適正に図る評価制度がまだ整備されていないところにある」という言説の危うさもまた、ひしひしと感じられところでもあるわけです。それを「それぞれの産業・職業における労働者の同意が生まれる固有の論理」にいかに根ざしたものとしていけるか、というところに、労使関係論なる今や絶滅寸前の学問分野のそもそも問題意識があったわけですが。
この難しさをわかりやすくしてしまってはいけないというのが大事。
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