POOH TARO

物書きのはしくれ

孤独と自由

たまに全てを投げ出して
独りで生きられないか?
と考えるような少年時代を
僕は過ごした。

 

気が付いたら今となっては
家族の支えや仲間の支え無し
には生活が成り立たなくなっている。

 

良くも悪くも不自由な状況に
なっている。

 

孤独は悪いものだろうか?
僕はそうは思わない。
孤独と自由は同じものである。

 

たまに会う人がいつつも、
基本的には独りでいたい。
それが僕の生活スタイル。

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小学校から中学校だったろうか。
少年時代は殆ど友達が出来なかった。

 

おそらくスクールカースト最底辺から
スタートし、いじられたりイジメまがい
の事をされる事が多かった。

 

そのせいか独りでいる事を好んだ。
また、自分を鍛えていつか巻き返す
という想いのみを胸に抱いて生きた。

 

所詮、小中学校などの世界は
運動能力と学力、ルックスなどで
立ち位置が決まるわかりやすい世界
なのである。

 

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努力に努力を重ねた。

 

それなりには巻き返せたと思う。
少なくとも普通の立ち位置みたいな
ものは得られた自覚はある。

 

だが、心には確実に傷跡が残った。
他人といる意味がわからなくなった。
心のどこかで隣人は競争相手という
気持ちを植え付けられたのが少年時代
だった。

 

その後、挫折していく中で
今まで無理していた自分は偽りの自分
だったのではないか?と思い、
本来のスタンスというか思っている事を
素直に出すような人間になった。

 

今となっては良い仲間にも巡り合えた。
5割しか本来の自分を出さないで
仮に出来た仲間は所詮5割の関係である。
そのような事を考えるようになった。

 

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だが、その良い仲間達も社会人になる。
僕は謎の家業手伝いをしながらの
フリーランスになる。

 

バラバラになる運命だった。
だが、人生の一時に仲間がいたという
気持ちは財産である。

 

僕は今ほぼ独りで行動している。
孤独の男である。だが、同時にそれは
自由でもある。

 

人に囲まれてワイワイやっている事に
幸せを感じるならば、それを楽しめば良い。


だが、稀に独りが気楽という人がいる事、
どこにも自分の居場所が見当たらないけど
生きている人もいるという事。わかって欲しい。

 

「少年 いらすとや」の画像検索結果

とりあえず、僕に関して言うならば、
文章とWEBで遊べている内は
そこまで寂しくはなさそうだ。

 

楽しもう。今僕は自由の中にいる。
孤独と自由はイコール関係だ。
そのような事を考えている。