トンデモJアラートと北のミサイルに救われるサイコパス総理

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正に北朝鮮の予告なしのミサイル発射は、森友・加計学園疑獄によって刑務所に入れられるかどうかの瀬戸際にある安倍晋三にとっては“渡りに船”だ。

これが、サイコパス同士の阿吽(あうん)の呼吸ってやつだ。

サイコパス総理を救うのは、もはや北のミサイルだけとは・・・

北朝鮮の二度目の予告なしのミサイル発射。

Jアラートは、けたたましく「北海道上空を北朝鮮のミサイルが通過しました」と報じた。
上空とは、「宇宙空間」のことだ。

テレビのニュースは、Jアラートが発せられた北海道南部と東北地方の人々の様子を伝えた。
人々は、「頭の上を飛んでいった後で警報を出されても意味がない」・・・と言いつつも、頭を隠しながら、尻もなんとか隠そうとする

そして、「国は国民を守らない」と吐き捨てるように言った後、すごすごと再び職場に、学校に戻っていくのだ。

それで、とりあえずは、彼らの憤懣やるかたない感情は収まるのだ。

羊のような奴隷の国・・・この国の民は、犯罪予備軍のネトウヨ以外、何が起こっても決してパニックにならないだろう。
それは、3.11のときに外国人が称賛したように、日本人が冷静でクールだからではない。何一つ状況を把握ではない完全思考停止の国民だからだ。

アイルランドのジャーナリスト、デビッド・マクニール(David Mcneill)は、3.11のとき東京にいた。
彼もまた日本人とともに3.11の核災害を耐え抜いた一人である。

マクニールは、当時の様子について皮肉を込めてこう記している。

「(東京でさえ本当に)危機的な状況にあった正にその週、私の家の近くのビデオ店の勤勉な店員から電話があって、『お借りになったDVDを、まだご返却いただいていないのですが』と、私が返却し忘れていたことを、わざわざ教えてくれた」・・・

政治評論家で作家のディーン・ヘンダーセン(Dean Hendersen)は、こうした日本人の異様とも思える特殊な行動様式について、歴史的な側面からスポットを当てている。

現人神(あらひとがみ)としての天皇、その名において犠牲を払う必要があることを人々に教化することによって、日本人は、この地球上において、もっとも搾取される人々になっている。

長時間労働し、彼らを監督する人間に決して問うことはなく、社歌を歌い、就業後になれば、社員連れ立って酒を飲みに行くのだ。

このファシズムに抵抗でもしようものなら、即座に「反日本的」という烙印を押されてしまうのである。

この“犯人”には、精神障害があると思われます。


たいていの日本人は、この「公」の脅威に挑戦することより、自分の感情を押し殺す方法を学習してきたのだ。

今、ネトウヨにとっての現人神(あらひとがみ)とは、安倍晋三である。
それは、ディーン・ヘンダーセンが言うように、「精神障害がある存在」である。
このことは、西側のメディアでさえ勘付いていることである。

サイコパス (文春新書)』の著者、中野信子氏は、「歴史的にも、著名人や有名人にはサイコパスが多い」と述べている。

サイコパス (文春新書)』は、現在、Amazonベストセラー1位になっている。

これほど多くの人が、なぜサイコパスに関心を持ち始めたのか・・・彼らは、「1人を殺すと死刑になるが、1000万人を殺すと歴史上の英雄になる」謎を知りたがっているのだ。

すでに周知となっていることではあるが、「発する言葉のすべてが嘘である」という、常人には決して推し量ることさえできない
異常な人格の持ち主、安倍晋三の幼少期を知る人々からは、彼が紛れもなくサイコパスであることを裏付ける数々の証言が出ている。

・・・問題の平気でウソがつける性格は、実は小学校時代からのものだったようだ。

安倍には2歳年上の兄がいる。
この兄弟の性格が対照的で、夏休みの最終日、兄は宿題の日記ができていないと涙顔になっていたが、安倍は「宿題みんな済んだね?」と聞かれると、まったく手をつけていないにもかかわらず、「うん、済んだ」と平然と答えたという。

ウソがバレて、学校側から1週間でさらに別のノート1冊を埋めて提出するようにと罰が出ても、本人がやらず、安倍の養育係だった女性が代わりにやってあげていたというのだ。

一般人の子どもはウソをついたら必ず代償があると教育されるのが普通だ。ところが、安倍にはその経験がなかった。罪悪感が皆無で、自分のウソに責任をとらないまま、大人になってしまったようなのだ。

「親の顔が見てみたい」、「親が親なら子も子だ」というのは当を得ている。

サイコパスは、「同類を引き寄せる力」が強い。“同病相憐れむ”とは、日本人の専売特許だ。

晋三が国民に言っていることが明らかに嘘であることが分かっていても、これを、虚偽情報を創作までしてアクロバティックに擁護する大学教授、零細シンクタンク所長で自民党の国会議員、皇室の血筋を引く自称論客、デタラメ経済評論家、そして、ネットサポーターたち・・・彼らもまた、「サイコパス」でなのある。

そうしたサイコパスたちは、当初はTPPに猛烈に反対し、脱原発に賛成し、戦争反対を訴えながら、森友学園で幼稚園児に教育勅語の暗礁を強いていることに随喜の涙を流していた人々である。

しかし、今は、180度転換して、自分にとって都合の悪いことは否定したり、「知らぬ存ぜぬ」を通し、TPPに賛成し、徴兵制復活を推進しようとしている。

広島・長崎の残虐な原爆投下に、さして痛みを感じない似非日本人たち

サイコパスには確固たる政治信条などない。
だから、「声が大きい者」や「確信めいた言葉で話す者」に簡単に引き寄せられていくのである。

しかし、そうしたサイコパスの安倍信者たちの中にも、利にさといがために、如才なく立ち回る輩がいる。「金の切れ目が縁の切れ目」ということである。

それは、NHKを筆頭として、特にマスコミの世界に圧倒的に多い。

サイコパスは、大メディアのサラリーマン記者、いわゆる編集委員や論説委員、売り出し中のシンクタンク研究員、そして、CIAポダム「メディア・コングロマリット」のテレビ番組の司会者に圧倒的に多い。

彼らは、電波を使って、今日も視聴者に嘘を刷り込もうとしている。

ネットニュースにしても、テレビにしても、今回の北朝鮮のミサイル発射をトップニュースで取り上げている米国メディアは皆無だ。
もっとも、国民の3分の1が北朝鮮がどこにあるのか知らないという国だから、メディア側がニュース・バリューがないと判断したのかも知れない。

いっぽうの日本のメディアは、どうしたというのだ。

北朝鮮のミサイルに手も足も出ない国民の声を拾うだけだ。
もっとも、その国民にも問題が多い。

問題の多い国民の声を拡散して、根本的な問題には決して触れないのが日本のマスコミの異常性である。

かつて、政府は「北朝鮮の工作員による日本の原発をターゲットとした核テロ」を議論したことがあった。

また、北朝鮮とは名指していないものの、「非対称脅威(国籍を特定できない破壊勢力)による核テロの可能性」を真剣に議論したことがあった。

奇妙なことに、どこぞのJSF/軍事ブロガーとやらが、「原発にミサイルを撃ち込まれたら? 」山本太郎議員の質問は杞憂」という記事を書いている。

なぜ、この記者なりブロガーは「杞憂」と言い切れるのか?
なになに、「原発への攻撃は戦時国際法違反となる」からだそうだ。頭がクラクラしてくる。

かと思えば、日本でCIA読売の次の有害な産経が、支持率低迷にあえぐ安倍政権を支えるために、煽りに煽っている。
原発がテロやミサイル攻撃の標的になる可能性は高い」と。

そもそもが、戦時国際法違反するのが戦争なのだ。

有史以来、もっとも凶悪な行為は、広島・長崎への原爆投下である。国際法違反どころか、人体実験をするための大規模な虐殺に過ぎない。

米国は、いまでも日本が、「米国による原爆投下が明確な国際法違反である」と抗議することを恐れている。
それを言われたら、トランプでさえも沈黙するしかないのだ。

日本のメディアの見出しが、またふるっている。
北朝鮮ミサイル、日本国内の原発に被害今のところなし」・・・

民主党が政権の座にあったとき、幹事長の枝野はこう繰り返した。
「(放射能の人体への影響は)ただちに影響はない」。

彼は弁護士だから言葉の使い方を心得ている。たしかに「ただちに」ではなかった。
しかし、結果は、福島で大勢の子どもたちが甲状腺に異常を示し、ガンになった。

メディアは被害が出るまで、「今のところ・・・」この見出しを何度でも使うだろう。

そして、本当に被害が出たら、戦時体制を国民の間でも共有するように押し付けるだろう。
そのときは、第三次世界大戦に日本が引きずり出されるときであるにもかかわらず、自分たちは安全だと信じ込んでいるのである。

福島第一原発が破壊されたのも、安倍晋三が共産党の𠮷井議員に、国会で電源喪失の可能性を指摘されたのに、「我が国の原発おいてはですね、そうしたことは決して起こらない」と一顧だにしなかったことが原因である。

そして、今度もまた、北朝鮮が日本の領土にミサイルを撃ってこないとタカをくくっているので、逆に北の脅威を最大限に政治利用するため、思いっきりミサイルの恐怖を国民に煽っているのである。

しかし、日本政府は、北朝鮮が日本の原発をターゲットにミサイルを撃って来る可能性についてもシミュレーションしている。

しかし、霞が関も経団連企業も、原発にだけはミサイルが当たらない、と信じているのだ。
こうなると、もう原発カルト宗教だ。

多くの論客やブロガー、ツイッタラーまでもが書かなかったこと・・・
それは、こうしたサイコパスたちが、日本国籍を持った精神異常者に他ならない、ということである。

正常な思考力を持ち、言論に慎重なツイッタラ―たちは、日本人は、追い込まれても「団結したら強い」という神話を信じているようだ。
そのことによって、自分と日本とをつなぎとめているのだ。自己欺瞞と知りながらも・・・

今の日本人は、70年前の戦後復興のときの日本人ではない。

「多様性」とか、「価値観」とかいいながら、その実、なーんにもわかっちゃいないのに、自己表現の一環であるかのように、とりあえず何かを「言ってみたい」人々に過ぎない。

それでも、トランプ政権下の米国のように、国民を分断させるようなことに加担したくないと控え目な表現になってしまう。

ブロガーやツイッタラ―たちの「言ってもいいか?」、「いやいや、それを言っちゃオシマイよ」という逡巡は痛いほど伝わって来る。実は私も、そうだからだ。

しかし、ディーン・ヘンダーセンが言うように、この事態になってもまだ“精神障害のある犯人”の政権をアクロバティック擁護するサイコパスな有権者など、「日本人ではない」と切り離してもいい頃ではないのか。

少なくとも、日本と比較しても言論の自由度の大きい海外の論客から見ると、そのように映っていることは確かなことなのである。






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