2017-09-05

反実仮想の「まし」とか英語仮定法とか

はてブエントリしている(していた)

日本語口語文法)のクソな所で打線くんだwwwwwwwwww

http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/5262274.html

6(二):反実仮想助動詞消失

「ましかば~まし」という現実とは異なる仮定現実不可能な願望を表すことが

かつての日本語ではできた

いまや「もしも~だったら」というただの仮定・条件と同じ表現しかできないという悲しみ

というのが入っている。


うろ覚えだけど、反実仮想の「まし」は鎌倉時代あたりに単なる推量になって

その後消失したというのを何かで読んだ記憶がある。

また英語でも12世紀頃(中英語時代)から仮定法(の一部)が衰退していったという話がある。

たぶん日本語史における中世期も英語史における中英語期も、言語の変化が比較的大きな過渡期の時代だったはず。

で思い出したのが、少し前に、はてブエントリ入りしてた

特定の条件下の話ができない人が多い

https://anond.hatelabo.jp/20170829143814

という話。

「例えば」とか「仮に」といった仮定上の話ができない人が多いという内容なんだけど、

たぶん言葉を使い始めたばかりの人間にとっては、

事実ではない仮定上や主観上にすぎないことというのは、

現代人間以上に理解が難しかっただろう。

そうした状況において、仮定上の話をマーク付けする特別文法というのは

理解認知を助ける上で大きな利便性があったのだと思われる。

でも言葉によって反実仮想を語れることが当然のことになってしまうと

(今でも反実仮想の話を理解するのが困難な人や状況があるとしても)、

利便性よりも、専用の文法を用意している冗長性の方が大きいと感じられるようになって、

言語の変化が比較的大きな時期では、捨てられる方向に動いたのかなと何となく思った。

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