撮影:奥村 來未
人は犬に、育てられているのだ――
最近私は、そんな風に思う。
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我が家には小学二年生、八歳になる娘がいます。
娘は、愛犬Mackが十歳の時に生まれました。
小さかった娘は、Mackの尻尾や耳をしゃぶったり、目を突っついたり。
Mackが優しく、全く怒らないものだから、まさにやりたい放題!
時にはジュースを塗ったり、はたまたおにぎりを毛の中にもみ込んだり、イタズラばかりしていた娘も、少しずつ“優しく撫でる“ことができるようになり、言葉を喋るようになると、「あっく、あーいーねー(Mack、可愛いね)」「あっく、おいえー、おいえー(Mack、おいでー、おいでー)」と優しく話しかけるように。
二歳になる頃には、よく一緒に病院へ連れて行ったからでしょうか、「私、獣医しゃんになる!」と話すようになりました。
娘が幼稚園の年中だった、5歳の時です。
Mackが背中一面焼けただれたようになってしまうほどの、酷い膿皮症を患いました。
あちこちから血混じりの膿が出て、臭いもひどく、部屋中が膿の臭いになるほどでした。
私がMackの背中の膿を絞っていると、娘は黙ってその作業を見つめていました。
そして突然泣きはじめたのです。
どうしたのかと聞くと、「なにもしてあげられないから」と、更に泣きじゃくりました。
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赤ちゃんの頃から、当たり前に側にいたMack。
娘が私に怒られたときも、Mackはすぐ側に飛んでいっては娘の涙を舐めていました。
きっと娘の中でのMackの存在は、その当時既に大きかったのでしょう。
それから数年経ち、去年11月に膵炎で危なかったときも、夫と娘と三人で大泣きし、家族全員がMackの存在の大きさを再確認しました。
今、娘は八歳になり、勉強が苦手なものの、相変わらず夢は獣医さんのようです。
娘は、Mackに足や腕を舐められたり、キスをしようとした娘の顔に、くしゃみでご飯を吹きかけられたり。
まるで小さかった頃の娘のような行動を、Mackが娘に対してしています。
娘が、笑って言うのです。
「私は沢山Mackに遊んで貰ったから、今度は私が遊んであげる番だもん」と。
Mackの介護によって、沢山の我慢を強いてしまっているなと心苦しくおもう毎日ですが、その生活の中で、娘は娘なりに学んでいることがあるのだな、成長してくれているな、と母はつい頬がほころびてしまうのです。
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きっと、人は犬に育てられている。
それを私は、うちの娘から教えられる――
文:奥村 來未
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