ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

銭湯に行くようになった④

四角く切り取られた夜空を見上げる。細かい雨滴がちちちと顔に落ちてくる。湯に浸かっているので体に雨は当たらない。

顔に細かい水滴が落ちている、というよりも、顔がパチパチとかすかに弾けているような気がしてくる。頰が、唇が、額が、眼球が、鼻が、その入口が。目を閉じるとまぶたも弾けた。自分がサイダーになったかのよう。湯と夜気と雨で気が抜けていく。体を伸ばし、ひとり小さな露天風呂に漂った。

 

自分の暮らす部屋からものの1分で着くこの銭湯。もっと前からここに浸かっていたら、何か変わっただろうか。変わらなかっただろう。というか、そもそも僕はずっとこの銭湯にひとりで来られなかったのだ。連れていってくれる恋人ができなかったら、俺はいつまでもこの銭湯に足を踏み入れることは叶わなかったのだ。もっと前から〜なんて問いはありえない。俺は何年もずっと腐りかけのベッドに横たわり溺れていた。

行きたくても、ひとりでは行けなかった。好奇心よりも臆病や怠惰がまさった。

 

恋人はよく「東京に何年も暮らしているのに本当に何もしてないんだね」と言って、僕を憐れむ。ごもっともだ。

僕は東京に暮らしているという自覚をずっと持たなかった。仕送りをもらい、勉強をするわけでもなく、何か興味のあることもなく、働くわけでもなく、本当に毎日をくしゃくしゃに丸めて捨てていた。くしゃくしゃのちり紙の中には一瞬の夢すら入っていなかった。後には何も残らなかった。

たとえこの先僕が何かを達成したとしても、「あの日々があったから、今の僕がいる」なんて決して言えない。本当に何もなかったのだから。

 

僕はまだあの頃の自身の無為を冷静に分析することができない。6年という無為に対して1年の匍匐前進はまだ心もとない。全然距離が取れてない。ひとりになると、ふとあの頃の寂しさが蘇ってきて懐かしいようなこわいような気分になってくる。

 

目を開けると視界の端で非常口を知らせる緑の誘導灯が相変わらず光っていた。この扉の向こうに出れば僕の部屋がほぼ真正面に見えるはずだ。誰もいないし開けたいところだが、あいにく扉にはセコムだかアルソックだかの警報機が取り付けられている。赤いランプが扉のそばで待機している。扉を開ければ赤いランプが点灯してぐるんぐるん回り出すだろう。緑地に白のピクトグラム、赤いランプ、顔のしゅわしゅわ、思わずクリームソーダを思い浮かべる。

扉の向こうには、銭湯を知らなかった、クリームソーダも知らなかった、ベッドに横たわるあの頃の僕がいるかもしれない。

 

湯を出て、体をきちんと洗い、拭き、外に出る。恋人からLINEが入っていた。「仕事終わった。ちょっと飲み会に顔出してから帰る」とのメッセージが46分前に来ていた。「銭湯してた」と返したら「ずるい」と来た。

 

ごめん。僕はまだ銭湯に行くようになって1年も経っていないから、このずるだけは許してくれ。