1歳半が近づいてきたムスコは【あいうえおのえほん】に夢中です。頻繁に僕の所に来ては、「読め」と言わんばかりに本を突き出してきます。
僕は僕で家事やら自分の勉強やらあるわけですが、子供の好奇心を折るわけにもいかないので、本を持ってこられるたびに行動を中断し、読み聞かせに入っています。
そんな事を繰り返していると、ふと「あ、この状況って【俺の屍を越えてゆけ】だな」と思い至った次第です。
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【俺の屍を越えてゆけ】とは?
PS時代のRPGです。
短命の呪いを受けた主人公一族は数年という短い生の中で能力を成長させダンジョンを攻略し、次世代へ進歩と進捗を伝えてゆき、ラスボスを目指します。
このゲームのミソは攻略と育成のバランスです。
全盛期で能力の高い現世代のみを擁してダンジョン攻略に傾倒すれば、次世代が育たず詰んでしまいます。だから、どこかのタイミングで能力が高くとも伸びしろの少ない年上を主力から外し、次世代を鍛えていくのですが、その見切りをつけるのは難しい判断が必要でした。
自分の伸び代、子供の伸び代
僕には短命の呪いなんて無いし、少なくともあと10年くらいは全盛期としてバリバリやってく感じになると思います。学べば吸収出来るし、鍛えれば腹筋割るくらいは余裕ですが、20代の頃と比べると使わない能力の劣化速度が早まってきました。伸び代はあるものの限定的なものになるでしょう。
一方で次世代たるムスコは既に誕生しており、こちらはもう伸び代しかないですね。写真整理してて衝撃だったのが、1年どころか1ヶ月くらいのスパンで外身も中身も変化しているんですよ。1歳を過ぎて体の成長は落ち着きましたが、そのぶん頭の方が成長著しいです。
両者の伸び代を比較すると、僕の伸び代なんて無みたいなものです。
ムスコ育成へのリソース
伸び代がある方にリソースを集中した方がいいな、という思いはあるんですよ。
僕はもう今からスポーツやら芸術やら、はたまた別分野で大成することなぞ望めません。ムスコにはその可能性は大いにあります。いわゆる可能性の獣です。
だけど一方で僕の中にも「まだだ、まだ終わらんよ」という思いもあるわけで、やっぱり自分に向けたリソースも残しておきたいんですよ。
このブログをいつも見ていただいている方からすると「コイツ、まーた同じようなことで記事書いてるよ」って感じるかもしれません。それだけ解決に難い問題なんですよ、自分と子供(もっと言うと家族)のリソースの振り方って。
自分と子供の収束点を目指して
ゲームと違い我が家には先祖代々の悲願は無く、僕はムスコの幸せを望む一方で自分自身の幸せも追い求めているわけです。そしてそのためには、やはり自分の時間も必要になります。
ただムスコがおざなりで良いかというと、そうではありません。ムスコはムスコなりに1人でダンジョンを潜れるようになっていかないと、最終的に親たる僕がずっと面倒を見ないといけなくなるわけで、それは双方にとって不幸でしかないですよね。
結局リソースの振り方を色々変えてみて、ちょうどいい塩梅を探っていくんでしょうね。ムスコに偏って振ってみたり、それで僕が辛いならちょいと戻してみたり、行ったり来たりの収束点探し、昔なんかの講義でそんなのがあったような、無かったような。
後続の育成について
次世代の育成で言うと、最近は仕事の方も意識させられる場面があります。
経験が浅い人に成長のため大きめの仕事を振って、そこがボトルネックになってちょいとアタフタになってて、それを快く思わない人もいて、と。
企業価値は現在のビジネスだけでなく将来性も関わってきています。今はうまく回ってるけど次世代育ててなくて、世代交代とともに会社はガタガタになりましたー、ではダメです。育成含めて、現世代のお仕事です。
だから僕は若い人に仕事やらせて成長してもらう方針は賛成だし、そこで顕在化する問題のアレコレを解決するのはお金貰ってる偉い人のお仕事だと思います。
最後に
全然関係ないけれど、府中の森公園が思いのほかキレイで落ち着いてたので写真撮ってみました。こういう公園が近くにあれば、ムスコの遊びにも困らなくていいし、僕のストレス発散にもなるのになー。
こんな記事も書いています。
自分の時間については度々愚痴ってますね。
大人になりきれてないのかも。