上記まとめを読みました。
「ラノベは文学か?」 みたいな議論は定期的にTLに上がってくる。
これは「漫画は芸術か?」の議論と同じで個人的にはどうでもいいことだと思う。
だが、本音の部分では全然どうでもよくないと感じている自分もいるので、その相反する感情を一度言語化しておきたい。
ラノベも純文学も両方読めばいい
上記のような議論に対してどうでもよさを感じる最大の理由は、僕自身がラノベと純文学両方読むからだと思う。
当たり前だけど、両者を読み比べると全く趣を異にしている。文章に基準を置くか否かなんて些細な問題に思えるほどに。
どっちもいいよね。両方読めば違いをそのまま認めることができるのだけど、これがどちらか一方に偏っているとフラットに考えることが難しくなり、自分の好きな側に肩入れし、相手には厳しくなりがちだ。
やっぱり人間自分の好きなものが一番って思いたいですからね。
純文学も1つのジャンルに過ぎない
今回のまとめに限らず、この類の議論を眺めていていつも不思議に感じるのは、ラノベを好んで読む人の方が純文学を読む人よりも文学に対して高尚なイメージを抱きがちだということだ。文学は他の小説ジャンルよりも尊いものという思い込みが根底にある気がする。
実際のところ、そんなことは全然ない。昔はともかく、今の日本の純文学のできばえはひどいもんである。
でも、その「ひどい」というのは一般人が持つひと昔前の権威的な文学の枠組みの中で見た場合失格というだけで、過去の作家たちに比べて現代の純文作家が劣っているという意味ではないです。硬派と軟派の違いというか。
下の記事でも書いたように、現代の文学者は〇〇派とか〇〇世代のような団体戦から各々が自分の向きたい方角を向いて戦う個人戦に移行しているので、戦後のような大文字で語られる芸術としての文学はもはや存在しないのだと思います。
作家が文学という霧のかかった霊峰から降りてきて、1つのジャンルでしかなくなった。そういう感じなんだと思います。
文学も文学じゃないものも等価で流通する
ジャンルとしての純文学を文学であると定義するための判断基準は、読者の側ではなく、今のところ文芸誌や芥川賞などの文学賞が握っている。それらに携わる人々が「これは文学だ」と認めたものが文学作品として流通する。
突き詰めればそれだけのことでしかないわけです。だから「ラノベは文学か?」なんていう議論は冒頭でも言ったとおりどうでもいいことなんだと思います。
僕は、文芸誌や芥川賞に代表されるいかにもな文学はとうに死んだと思っていますが、読者がそれぞれの基準で判断する文学は延命可能だと考えています。
ただその場合、対象範囲は今やジャンルの1つになった純文学を含め、ライトノベルやその他のジャンルにも広がるでしょうね。
純文学なのに文学じゃない作品もあるし、ラノベなのにこれは文学だと読者に思わせるようは作品があっても何ら不思議ではない。ジャンルどうこうではなく、作家や作品ごとに読者が判断すればいいのではないでしょうか。
ただ、その膨大な作品群の中で、真贋を見分ける能力を現代の読者が獲得できるかどうかについては大きな疑問符がつきますが……。
今日はそんな感じです。
※個人的にはラノベのことは嫌いになっても「ブギーポップ」だけは嫌いにならないでいただきたい。ぜひ文学史にのせてほしい。
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