今回は夏休みの間にちょっとまとめてみたネタを。

「Fate」は中国での人気も高く、現在の中国オタク界隈では日本のオタク系コンテンツの看板的な扱いにもなっています。
また昨年サービスが開始されたFGOの中国国内版サービスによって、更に広い層のファンを獲得しており、現在中国で最も勢いのある日本系のコンテンツと言っても過言ではないかと思われます。

ですが人気や注目度の高まりと共に内容に関する炎上も頻発するようになり、ここしばらくの間でも
中国オタク「始皇帝を怪物にするなど許されることではない」「始皇帝がアーサー王ごときに匹敵だと?ふざけるな!!」
中国オタク的FGO新サーヴァント真名当て事情 予想と共に反発も
といったことが発生しており、最近はゴタゴタの起こり易い、特に中華系のサーヴァントに関しては非常に扱いが難しいといった印象も出てきています。

それらの炎上と直接関係のある話ではありませんが、先日電ファミニコゲーマーに掲載された対談記事で、現在の中国におけるFateの炎上に関する問題の理由となりそうな話が出ていましたので、ちょっとその辺りに関してイイカゲンな話を……
(対談自体は中国とか全く関係無く、とても面白いので是非!)
【寺田P×奈須きのこ:対談】庵野「シャアをエヴァに乗せて」→スパロボPはなぜ断ったのか! Pが語る原作とゲームの狭間の葛藤。そしてFGOがスパロボから継承したもの

この対談で出た以下の発言

奈須氏:そこは先ほど言った、拡大解釈の楽しさですね。たとえば元になった神話では、「クー・フーリンはゲイ・ボルグという槍を持っている。この槍は必ず敵の心臓に刺さって、破裂させたと言われている」みたいな、たった2行しかないんですよ。ということは逆に言えば、この2行を守ってさえいれば自己流の解釈もアリなのでは、と。
だから近代の偉人をサーヴァント化するのには、ずっと反対だったんです。なぜかというと、キチンと歴史が残っているから。『FGO』では英霊の人数が増えたために、そのタブーを犯しているんですが。


は中国オタク事情的には非常に興味深い部分でした。
この発言にはFateにおけるサーヴァント設計の手法が中国の歴史コンテンツ、伝説系コンテンツの扱いとは真逆だというのがハッキリ出ているかと思われます。
中国においては
「自己流の解釈はナシ」
となっていますから。

現在の中国で歴史文化枠に入る中国の歴史上の有名な人物、伝説上の存在に関しては現在の中国社会における政治的、社会的な扱いや評価がガッチリと固まっています。

歴史文化枠にも入るような主流の歴史関係のアレコレに関しては、現在の中国的に正しい歴史や正しい解釈というのがあり、そこから外れるのは許されないといった扱いになっていると言えるかもしれません。
そしてこれは上の方の政治的な扱いに限らず、一般庶民の間でも歴史文化枠のジャンルによっては自己流の解釈や再構成をタブー視する空気があります。

これは過去の記事にも書いた話になりますが、中国では伝統的な文芸作品の「再構成」自体をタブーにするある種の美意識のようなものもあり、歴史文化枠の「勝手な改変」に関しては難しい空気があります。

例えば三国演義や水滸伝などの四大名著クラスの作品は中国を代表する「経典」(名作)枠に入ってしまっているので、歴史文化枠かつ政治関係のコンテンツになっているということから、中国では日本のような娯楽扱いのパロディ作品、翻案作品がなかなか出てこないといった事情があります。

また過去の中国の偉人、それも有名な偉人となるとどうしても歴史や文化枠に入るので、娯楽扱いにして勝手な自己解釈を入れるといったことはある種「軽んじる」こととも受け止められるので根強い抵抗感があります。

そんな訳でこの奈須きのこ先生の手法というかFate的な
「自己流の解釈」
というやり方でやっていくのは非常に難しく、更にそれを外国人が、それも日本人がやるのは爆発する火種を生産するようなものだという見方もあります。

もちろん日本国内でやる分には何の問題も無いのですが、現在のようにアニメやFGOを通じてFateが中国に展開され、日本の「二次元系コンテンツ」の看板的な扱いで注目されている中でとなると、「娯楽作品だから」と割り切って受け取ってもらうのは難しくなってしまいますね。

中国にもFateを面白いと思って許容してくれる、楽しめる人達が普通にいることは間違いないのですが、これだけ規模が大きく話題性もある作品となってしまうと、
「解釈の許容度」「娯楽の扱い」
の違いなどによりどこかで反発を生み炎上するということになってしまいます。

そして中国では炎上が「歴史問題関係の炎上」となってしまった場合、非常に厄介なことになります。
中国の政治的なゴタゴタをご存じの方は想像が付くかと思いますが、中国では歴史関係の解釈が政治のカードやある種の例え、「上綱上線」とも言われる路線闘争のネタとして扱われることがあります。

歴史文化枠の解釈に関しては政治的な要素がかなり強く出てくる上に政治的な問題に「巻き込まれる」ことが珍しくありませんし、単体作品の問題から歴史認識問題、そして社会的、政治的な問題と延焼していく可能性は否定できません。
例えば最近の中国における大人気ソーシャルゲーム「王者栄耀」に対する強烈なバッシングも、こちらの方面に踏み込んでしまったからという面が少なからずあるそうです。

以上のような背景がある中で、更に日本と中国の創作における表現やキャラ描写に関する感覚の違いという、いつもの問題も関わってくるわけですから、Fateの中華系サーヴァントに関する扱いは極めて難しいことになってしまいます。

例えば以前の始皇帝炎上関係の記事にも書きましたが、山田風太郎的なノリや石川賢的なノリ、更にはホラー映画的なノリは中国の感覚ではわりとアウトだそうですし、日本の過去の伝奇系でも行われてきた「強大な存在、スゴイ強敵」を表現する、ある種のリスペクト的な手法も理解され難いのだとか。

対談記事にもあるようにFateでは面白くすると同時に「リスペクト、尊敬の念」に関して重視されている、どのキャラもいかにカッコ良く魅力的にするかを競ってはいるのでしょうけど、解釈の前提となる背景や、表現に関する感覚が「日本と中国では違う」といった事情があります。

現在の状況は言ってみれば
「中国の歴史における有名な英傑を日本の感覚に基づいてFateでサーヴァント化すると、中国ではほぼ炎上する」
といったものになっているわけですし、ここ最近の始皇帝や武則天に関する炎上はある意味必然であったと言えるのかもしれません。

長くなってしまったので次回
「なぜFateの中華系サーヴァントはこれまで問題にならなかったか」
に続きます。