もはやバカなプロデューサーがクリエイターを黙らせる魔法の合言葉みたいになっているが、

スケジュールって、何?

そこにアニメの思わぬ落とし穴がある気がする。

もう宣言しておくが、『薄暮』の絶対的使命は「クラウドファンディングでいただいた支援金をいかに無駄なく効率良く使うか」である。
これが瓦解したら、貴重な厚意を僕らがドブに捨てたということになる。
一方で、やれスケジュールがどうたら、早く作れ、早く終わらせ、という妙ちくりんな声は、僕らの作り方では費用対効果が悪いので聞かない。お尻を決めることはしないし、していない。
ただまったくのノースケジューリングだとワークフローが見えないから、大体のアウトラインを決めているだけだ。

詳しくはリターンイベントでも説明する。


そもそも、ファンは無理くりな作り方でも、絶対にスケジュール通りに観たいのか?それが最優先なのか?
いや、大半の人は、(限度はあると思うが)スケジュールよりも、しっかり作ってちゃんとできたものを観たいはずだ。
「スケジュール通り上げました!」ってドヤ顔で言われて、グチャグチャなもの見せられて、満足か?

大事なのは制作期間の短さではない。出来の良さだ。
当たり前の話なのだが、しかしプロデューサーはそんな声に誰も見向きしない。

良く「制作期間が短い程費用対効果がいい」とかぬかすバカが、業界内にさえいるが、だからプロデューサーって奴は嘘つきなのだ。
僕が『ブラック・ロックシューター』でプロデューサーをやった時は、「お金で時間を買う」という言い方をした。
所謂「撒く」という作業である。

これは時間短縮を図る分、いろんな事故のリスクを孕む。
そして実際事故るので、撒き直しが発生したり、作監作業の負担が大きくなり、結果作監を急遽増やしたり、要らぬ手間がどんどん増えていく。

最近も作監10人とかいうとんでもないTVアニメの話数を見たが、10人もいるならお前らで原画やれよ!!
何やってるの!?


じゃあなぜスケジュールがあるのか?
経理上の都合だ。
決算までに収支を合わせるためだ。
ホント、それだけ。

もっと簡単に言うと、いちサラリーマンとして、会社に赤字を出したと見られたくないないだけだ。
単に、自分の保身。

こういう点からも、製作委員会の有名無実化は明白なのだ。
PLが気になる会社はもうアニメを作らなくてよろしい!

アニメがスケジュールを金科玉条にする時代は、もう終わった。
予算を無駄なく使う、これが一番合理的で、大事なことなのだ。
そのためにはスケジュールがむしろ足枷になる。そうとすら思っておいた方がいい。


まぁ百聞は一見に如かずだ。
スケジュール主義の崩壊の象徴のようなものを、僕らはもうすぐ観ることになるのだろう。
来月かな?

それを目の当たりにして、目を覚ますがいい。