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【社会】

反核の柱、相次ぎ失う 盟友・谷口さん死去から3日

 被爆地・長崎が、核兵器廃絶運動をけん引してきた被爆者の「象徴」を立て続けに亡くした。八月三十日亡くなった日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の谷口稜曄(すみてる)さん=享年(88)=に続き、二日朝亡くなった土山秀夫さんは九十二歳。「理論の土山、感性の谷口」と称される二人は、核廃絶運動のまさに両輪だった。原爆投下から七十二年。精神的な柱を次々に失う現実に、関係者はショックを隠せない。

 谷口さんが亡くなった八月三十日、土山さんは入院先で取材に応じた。入退院を繰り返して足腰が弱り、リハビリ入院していた。ラジオで知った盟友の死を「片腕をもがれたような失望感」と強い言葉で表し「私と立ち位置や表現は違うが、互いに頑張りましょうといつも言い合っていた」と話した。ただ、自らについては「復帰して、早く読み、書く作業をしたい」と情熱をみせていた。

 原爆で赤く焼かれた背中をさらし、核廃絶の必要性を理屈抜きに訴えた谷口さん。一方の土山さんは原爆で身内を失い、自身も入市被爆後、医学者として、また被爆地を代表する学問の府・長崎大の顔として核廃絶の議論を国内外に起こした。核兵器禁止条約の採択は、「理論と感性」で訴えてきた二人の運動の成果ともいえる。土山さんが開設にかかわった長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)の鈴木達治郎センター長(66)は「実体験に裏打ちされた二人には説得力があった。(土山さんには)条約の実効性を高めるための助言をいただいたばかりで残念でならない」と声を落とす。日赤長崎原爆病院の朝長万左男名誉院長(74)も「これまでの運動は二人三脚。被爆者がいつかいなくなる現実が迫っていることに、改めて恐ろしさを感じる」と漏らした。

 長崎市の田上富久市長は記者団に「大きな二つの柱を失った。生きている間に核兵器禁止条約を形にできたのは、せめてもの慰めだ」と述べた。

 (西日本新聞・重川英介、沼口祐季)

 

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