「ララランド」を観た。
大傑作だった。夢のために運命の愛を諦める二人の物語。夢を諦め愛に、そして家庭に生きる大人たちには胸が痛くなるシーンの数々。
とさえ思った。
本作については数々の考察がなされ、語り尽くされた感もある。しかし、重要な演出について言及されていないのでそれだけ書き記しておきたい。
上映開始18分過ぎたあたり、セブが部屋に戻ると姉がいる。その姉についての話だ。
ちなみに、自室にいるはずのない姉に驚くセブの演技が秀逸だ。大昔の個人的な話で恐縮だが、学生時代びっくりする演技ができなくて未明から朝方まで演技指導をされたことがある。肩をビクッとさせてもわざとらしい、動きが緩慢だとびっくり感が弱い、表情は一瞬で変わらなければならず、またびっくりし終わった直後の表情も問われる。
びっくり演技ができなくて散々な目にあったぼくが断言する。セブ演じるライアン・ゴズリングの演技は完璧である。三ヶ月の練習で弾きこなすピアノも、見事なタップも必見だが、あのびっくり演技も見逃さないでほしい。
といって、言及したいのはそこではない。話を元に戻す。
夢に翻弄される人、されない人
ミアの夢はハリウッド女優、セブはジャズの店を持つこと。運命の愛で結ばれた二人は、お互いの夢のために別れる。その後意図せぬ形で再会を果たし、もしも愛に生きていればと空想する。その空想の10分間に観客は涙する。空想が終わり、二人が元の生活に戻るところで「The End」。見事な構成である。
本作では、表現の世界で認められようと、夢を追うもの、夢に破れるもの、夢を実現するもの、という具合に夢に翻弄される人々が数多く登場する。デイミアン・チャゼル監督の前作「セッション」同様、夢を追う厳しさが作品のテーマになる。
そんな中、セブの姉は夢なんてものを追わない。夢を追う弟に現実をみて大人になれと諭し、自身も実践する。ミアとセブの物語が進行する中、二人のドラマと対比するかのように姉のドラマが挿入される。
セブがミアを姉に紹介する時、彼女と一緒にいる男性が後の伴侶となる。映画中盤、ミアと別れたセブは姉の結婚式でピアノ演奏している。5年後、セブの家に届くクリスマスカードには姉家族三人の笑顔が並んでいる。この笑顔を見ると、夢なんて追わないで幸せな家庭を築くのが一番素敵なのじゃないかと思える。
なんだかんだ言って、映画「ララランド」の登場人物の中で一番幸せな人は、セブの姉だと思う。
まとめ
二兎を追う者は一兎をも得ず、である。
個人的には、仕事と家庭と夢と趣味を、がんばろうと思うけど。