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32歳のとき、ステージⅢCの子宮体がんが見つかったバックギャモン・プレーヤーの第1人者・矢澤亜希子さん(36歳) 子宮体がんになったことが、結果的に世界選手権優勝への道を開いてくれたのです

取材・文●吉田健城
撮影●「がんサポート」編集部
(2017年9月)

「ステージⅢC2期」と確定

2013年3月上旬、術後、病室にパソコンを持ち込んでバックギャモンの勉強中の矢澤さん

3月に入ってすぐ矢澤さんは3週間の予定でK大学病院に入院した。

手術では子宮、両側の卵巣と卵管がすべて切除され、さらに所属リンパ節が系統別に残らず切除された。

手術は8時間に及んだが、驚いたことに矢澤さんは、術中、麻酔から覚めるという稀有な経験をしている。

「目が覚めたので執刀医のドクターに『今、どういう状況ですか?』と訊いたら『これから縫い合わせるところです』と言われた記憶があります。私は、考え事をすると睡眠薬を飲んでも眠れなくなることがよくあるのですが、この時も意識の強さが麻酔の強さに打ち勝ってしまったのかもしれませんね(笑)」

目が覚めたのはほんの束の間で、矢澤さんは、再度眠りに落ち、その後は術中に目が覚めることはなかった。

手術後は病棟に移されたが、夜になって全身麻酔が切れると強い痛みに苛(さいな)まれた。

「痛み止めをどれだけ飲んでも、痛みは強いままでした。じっとしていても痛いので、ナースコールもできなくて地獄でした」

この耐え難い痛みは術後1週間ほどで落ち着いたが、その後も、体を動かしたとき、咳(せき)をしたときなどに痛みが出る状態がしばらく続いた。

手術の2日後、病理検査の結果が出て、矢澤さんは主治医から傍大動脈(ぼうだいどうみゃく)リンパ節および鼠径(そけい)リンパ節に6個の転移が見つかったことを知らされた。これによって病期はステージⅢの中でも最も進行した「ステージⅢC2期」と確定した。

進行した子宮体がんでは、再発のリスクを減らすため、術後に抗がん薬治療が行われることが多い。矢澤さんも退院後に、タキソール(一般名パクリタキセル)とパラプラチン(一般名カルボプラチン)を併用するTC療法を3週間おきに6回の予定で受けることになった。

これが最後になるかも知れない という思いが……

副作用はどうだったのだろう?

「投与を受けるたびに、数日、痺(しび)れと吐き気に悩まされましたし、全身に画鋲で刺されたような痛みも出ました。それと脱毛で髪の毛が抜け落ちてしまいました。白血球値も1,000以下(本来なら無菌室に入るレベル)になったので感染症を避けるため外出時はいつもマスクをしていました。病院に行くときも人込みを避けるためいつも電車ではなくタクシーでした」

手術で卵巣を摘出したため、更年期障害にも悩まされた。

「手術で卵巣が切除され、エストロゲンが全く分泌されなくなったので、手術の翌日から1時間おきくらいに具合が悪くなりました。とくにホットフラッシュがひどくて、何も考えられない状態が続くようになり、バックギャモンどころではなくなりました」

この状態を脱却するにはホルモン補充療法を受ける必要があるが、初め医師は渋っていた。子宮体がんはホルモンの過剰が原因でできるがんなので、ホルモン薬を投与すれば再発リスクを高めることになるからだ。しかし、それをやらないとバックギャモンのプロ選手としての活動ができなくなると訴えたところ、主治医も理解してくれて、ホルモン治療を受けられることになった。

手術で大きなダメージを受けたうえ、抗がん薬の副作用と更年期障害で、矢澤さんは手術から4カ月が経過した7月に入っても、短い距離を歩くのがやっとという状態だったが、バックギャモンの世界選手権に出場するため脱毛した頭にウィッグを着けてモナコに向け旅立った。

主治医から反対されていたが、敢えて強行したのは、いつ再発するかわからないので、これが最後になるかも知れないという思いがあったからだ。

「この時の飛行機が1番つらかったですね。抗がん薬の投与を受けて3、4日目に乗ることになったので、副作用がピークになるタイミングで搭乗しましたから。手足の痺れはモナコについたあとも2、3日続き、大会前の練習の時、駒を持つたびに痛みが出るので、泣きながらやっていました」

矢澤さんは大会の司令塔であるトーナメントディレクターを訪ねて、子宮体がんになり抗がん薬治療を受けているため、試合中に具合が悪くなる恐れがあることを伝えたうえで、トーナメント本番に臨んだ。

バックギャモンの大会の多くは11点先取したほうが勝ちで1試合2、3時間で終わる。しかしメジャー大会は25点制で行われるため平均7、8時間かかる。連日こんな長い時間をかけて試合をしていくと最後まで体がもたないので、矢澤さんは、リスクが高いのを承知で早く試合を終わらせることが可能な戦術をとった。

これが実を結んで彼女は前年に引き続きスーパージャックポット部門で優勝。世界最強の女性バックギャモン・プレーヤーという評価を揺るぎないものにした。

子宮体がんにならなければ 今の自分はなかった

その後も、世界の主要な大会で好成績を収めた矢澤さんは、さらに腕を上げ、翌14年には、モナコの世界選手権と、ラスベガス・オープンで優勝し、同1年にメジャー大会で2勝する離れ業をやってのけた。

2014年モナコでの世界選手権で優勝。髪が伸び切らずカツラ着用で表彰式に臨む矢澤さん

その結果、翌15年の世界ランキングでは3位にランクされ、バックギャモンに対する関心が低い日本でも、様々なメディアで取り上げられるようになった。

子宮体がんという病を乗り越えて世界の頂点に立ったことは、快挙以外の何物でもない。

矢澤さんは、子宮体がんとの闘病を振り返って、この病気には随分苦しめられたが、その一方でこの病気にならなければ、今の自分はなかったという思いがある。

「私は結構、怠け者で、なんでも先延ばしにしてしまう悪い癖があるのです。もし子宮体がんになっていなければ、プロになり世界に挑戦する決断ができないまま、先延ばしにしていたでしょう。決断ができたのは、子宮体がんによる体調不良で、どれだけ生きられるかわからないという危機感が強くなったからです」

子宮体がんがもたらしたプラス要素はほかにもあるようだ。

「子宮体がんになって、いいコンデションで戦える時間が限られるようになったので、短期集中力が増したように思います。先延ばしする悪い癖も優先順位を考えて実行することが出来るようになりました」

このように子宮体がんになったことは結果的に矢澤さんのバックギャモン人生にポジティブな作用を及ぼしている。がんは容赦なく人の命を奪うこと性質がある半面、志がある者に対しては、成功に向け背中を押してくれることもあるようだ。