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バングラデシュ、クトゥパロング難民キャンプの高台に立つロヒンギャ難民の女性。彼女を含め、ミャンマー軍による弾圧を逃れて最近やって来た難民たちの多くが、新たにできたこの居住区に暮らしている。(PHOTOGRAPH BY WILLIAM DANIELS, NATIONAL GEOGRAPHIC)

処刑、掃討、性暴力、世界で最も弾圧されている民族ロヒンギャ

2017.09.01
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「踊れ!」

 怯える少女に、兵士が銃を振り回しながら命令した。水田で兵士らに取り囲まれているのは、女性や少女ばかり。ミャンマーに住む少数民族ロヒンギャである。14歳のアフィファさんも、そのなかにいた。2016年10月のある朝のことだ。

 ミャンマー国軍の兵士たちは、国境警備施設で9人の警察官を殺害した武装集団を捜索しているとして、アフィファさんの住む村を襲ったのだ。村の男たちは身の危険を察して森へ逃げ込み、女性と子どもたちだけが残されて恐怖にさらされた。

 屈辱的な身体検査の後、アフィファさんは2人の若い女性が水田に連れ込まれるのを目にした。続いて兵士らはアフィファさんに向かって、手で喉を掻き切るしぐさをして「今すぐ踊らないと殺す」と脅した。アフィファさんは、涙をこらえながら体を揺らし始めた。兵士らはそれに合わせて手拍子をはじめ、なかには携帯電話を取り出して動画を撮影する者もいた。

クトゥパロング難民キャンプの外で、食料の配給を受け取るために列を作るロヒンギャの難民たち。約50万人のロヒンギャが、ミャンマーを離れてバングラデシュへ避難している。(PHOTOGRAPH BY WILLIAM DANIELS, NATIONAL GEOGRAPHIC)

仏教国に住むムスリム

 事件は、ロヒンギャに対する激しい弾圧の、ほんの始まりに過ぎなかった。ミャンマー西部にあるラカイン州には、推定110万人のロヒンギャが死の恐怖におびえながら暮らしている。国連は、ロヒンギャを世界で最も弾圧されている少数民族のひとつとみなしている。(参考記事:「民族浄化に揺れるミャンマーの古都、迫害されるロヒンギャ」

 仏教徒が大多数を占めるミャンマーでムスリムとして生きるロヒンギャは、ラカイン州に何世代も前から居住してきたと主張する。ところが、1982年に定められたミャンマーの法律は、ロヒンギャの市民権をはく奪した。現在、彼らはミャンマーで不法移民という扱いを受けている。また、約50万人が避難している隣国バングラデシュでも、やはり同じように不法滞在者とされている。

 5年前、仏教徒とムスリム社会が衝突し、数百人が死亡するという事件が起こった。死者のほとんどは、ロヒンギャだった。モスクや村は火を放たれ、12万人のロヒンギャがミャンマー国内の簡易キャンプへ追いやられた。だが今回の襲撃は、ミャンマー国軍によるものだ。軍はミャンマーで50年間政権を握ってきたが、2016年に準民主的政権が誕生している。

 表向きは国境警備施設の襲撃犯探しとして始まった国軍による捜査は、その後ロヒンギャの民族全体に対する4カ月間に及ぶ弾圧へと発展した。国連と国際人権団体、そしてナショナル ジオグラフィックの取材に応えた目撃者は、処刑、大量拘束、村の掃討、女性に対する組織的な性暴力があったと証言している。ミャンマーの人権状況に関する国連特別報告者の李亮喜(イ・ヤンヒ)氏は、軍による人道犯罪があった可能性は「極めて高い」と考えている。

食料を受け取るために列を作るロヒンギャの難民たち。(PHOTOGRAPH BY WILLIAM DANIELS, NATIONAL GEOGRAPHIC)

7万5000人が家を追われた

 ラカイン州北部で何が起こったのか、全てが明らかになっているわけではない。第三者の調査団やジャーナリスト、支援団体が自由に現地に入ることを政府が許可していないためだ。当時の衛星写真から、ロヒンギャの村々が火で焼かれたことがわかる。アマチュア動画にも、火を放たれた村に大人や子どもの焼死体らしきものが横たわる様子が写っている。人権団体によれば、数百人が殺されたという。(参考記事:「迫害されるイラクの少数派」

 ひとつ紛れもない事実は、軍の襲撃によって7万5000人が家を追われ、国境を越えてバングラデシュに押し寄せ、難民キャンプにあふれかえっているということだ。その60%近くが子どもである(その他に、ミャンマー国内にも2万人以上の避難民がいると推定されている)。

 アフィファさんが村を出る前、兵士らは収穫を目前にした水田に火を放ち、民家から略奪し、ウシとヤギを全て撃ち殺すか奪い去ったという。全てを失い、命の危険をも感じたアフィファさんの両親は、家族を二手に分け、それぞれ別々の方向へ逃げるよう指示した。生存の可能性を高めるためだ。

 それから5カ月後、バングラデシュの難民キャンプ、バルカリまで命からがら逃げ延びてきたアフィファさんの父モハンメド・イスラムさんは語った。「家を棄てたくはありませんでした。でも、軍の目的はただひとつ。ロヒンギャをひとり残らず排除することなんです」。このとき、全部で11人いるアフィファさんの家族のうち、5人がバルカリへたどり着いた。

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