2017-09-02

当事者が納得してればいいだろう、じゃないんだよ

体罰が無くならないのは、体罰行使する人間と、それを受け入れる人間が居るからだ。要は、今回のように「有効場合がある」からこそ無くならないんだ。でも有効性のある暴力が認められてしまえば、脅しやら何やらで無理矢理有効にしようとする人間が現れることは容易に想像が付く。それをどうやって判別する?

今回のことは日野某にとっても成功体験となっただろうし、今後も改めることはないだろう。次に氏に体罰を受ける人間がそれに耐えられる人間かどうかは誰にもわからない。

「だったらどうしたらよかったんだ」というが、そもそも暴力という選択肢存在することがおかしい。殴ったら止まるなんてことはベテラン指導者じゃなくても誰でも思いつく。ただそれは暴行であり犯罪だ。それをそのまま実行し指導から見逃せとのたまう、ちょっと自分に甘過ぎやしないか。それに殴っても止まらなかったらどうするつもりだったんだ。締め落とすのか?逆に殴り返されたら?

殴打ではない拘束、連行。これだけでもだいぶ印象が違ったんじゃないかと思うが、個人的には「暴力以外に止める手立てがない」と判断した時点で演奏会を中止すべきだったんじゃないかと思う。予想外のトラブルによる中止。払い戻し金等が発生するかもしれないが、その場合は発端の子の親と協議負担させるなりすれば、彼も自分のしたことの重大さに気付くだろう。

トラックバック - https://anond.hatelabo.jp/20170902005805
  • https://anond.hatelabo.jp/20170902005805

    そういやDVの被害者は 「私が居ないとあの人はダメだから」って考え方で、 加害者は被害者をつなぎとめるためにあえて暴力振るう とか聞いたことあるわ   こういう純然たる暴力を 個...

記事への反応(ブックマークコメント)

 

人気エントリ

注目エントリ

はてなからのお知らせ

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん