私の困った性格の一つに、いったん「こいつは敵だ!」と認識したら、ぜっっっったいに許さない💦という厄介なものがある。
高校生の時に「敵」と認識した友人との、20年に渡るエピソードをお話したい。
- はじめは「いいヤツだな」と思っていた
- ところが、私の恋愛の邪魔をするA君
- A君と衝突する
- 学校に来なくなったA君。そして。
- 約20年後。A君の実家の近くを通る
- 手のかからない、いい子だったA君
- もし今の私だったら
はじめは「いいヤツだな」と思っていた
高校に入学し、同じクラスとなったA君。私の後ろの席に座っていた。
A君は、山奥の田舎の中学校の出身だ。とても勉強ができて、フランクな性格で、少しプライドが高いところを感じてはいたものの、私は彼のことを気に入っていた。
高校に入ってすぐの頃、よくA君と一緒に下校した。
「なあミナオ。お前、彼女いるのか?」
ある時、A君にそんなことを聞かれたことがあった。彼に言わせると、都会――といっても地方都市なのだが――の中学生のほとんどは恋人がいると思っていたらしい。私は、自分からすすんで女の子の話をするのはあまり好きではなかったのだけれども、A君ならば茶化さずに聞いてくれるのではないかと思っていた。
「彼女はいないけど、好きな子ならいる」
この一言を発するのに、私にはちょっとした勇気が必要だった。
「中学の同級生か?」
「いや。同じクラスのBさん」
そうだったのかと、A君は短く笑った。A君の事情も聞いてみたところ、彼も中学の時に仲のよかった子と手紙のやりとりをしているらしい。私は、お互いの秘密を共有したような気持ちになり、彼とはいっそうの信頼関係が築けたように感じていた。
ところが、私の恋愛の邪魔をするA君
そんなA君が、私とBさんの間に割って入るようになった。それだけではない。私とBさんが話していると、くすくすと笑うような声が聞こえるのを感じるようになった。わかりやすく、鈍感な性格の私ではあったが、なにかがおかしいということはわかっていた。
ある時、共通の友人からこんなことを聞いた。
「ミナオ。実はな、Aがお前とBさんの邪魔をしようと話してるんだ」
「えっ?なんでだよ?」
「知らないよ」
「ばかばかしい。そんなことして何の得があるっていうんだよ」
「俺に聞くなよ。でも確かに、Aとその他2~3人が、そういう話をしているのを聞いたやつがいる」
私は、言葉が出ない。
A君と衝突する
私は、いったいなぜこんなことが起きているかわからなかった。私は、A君たちの考えが理解できないだけではなく、気味の悪さや怖さを感じたし、裏切られたという気持ちから「A君は敵だ」という気持ちが湧いてきた。
それから私はA君と話すことを止めた。私なりの抗議のつもりだった。当然、A君との関係は悪化する。そのことがさらに私の居心地を悪くさせていた。
険悪な空気のまま何ヶ月か続き、そしてついに、A君と衝突した。A君は激しく私を非難した。私自身はなにも責められることはないつもりでいたのだが、A君の感情に火をつけてしまったことに、取り戻しができないと感じた。
悔しくて、急に涙があふれてきた。しかも止まらない。大勢の同級生の前で、私はずっと涙を流していた。
学校に来なくなったA君。そして。
やがてA君は学校に来なくなった。不登校の期間は徐々に長くなり、月に1度程度しか登校しなくなった。時折A君を学校で見かけたときには、敵認識していることもあり、彼を激しく憎悪した。
私たちは断絶したまま、卒業を迎えた。
卒業から2年ほどが経った時のこと。
A君が亡くなったと、共通の友人から聞かされた。
自殺であった。
私は驚きながらも、「バチがあたったんだ」という気持ちが少々めばえた。そして「もしかして私との断絶で、おかしくなってしまったのではないか」という自責の念もあった。
それからすっかり、彼のことは忘れて過ごしている……つもりであった。
約20年後。A君の実家の近くを通る
それから20年近くが経った時のこと。私が地元に帰省をした際、たまたまA君の実家の近くを車で通りかかることがあった。
私はA君の家族がどうしているのか、気になってたまらなくなった。
車を止め、電話帳を調べ、うろ覚えの記憶から、A君の実家に電話をかける。
するとA君のお母さまが出た。
「まあ……Aの高校時代のお友達ですか。ぜひ、いらしてください」
私はA君の自宅へと足を運び、仏壇に手を合わせる。A君の写真は、あの頃の写真だ。
手を合わせ、お母さまと話をする。
「Aが亡くなってしばらくは、お友達もお参りに来てくださっていたのだけど……」
「私こそ、不義理をしてすみません」
「いえいえ。こうして思い出してくれただけでも嬉しいわ。Aと仲良くしてくれて、ありがとうね。Aも喜んでいると思うわ」
「……。」
私は、長い間気になっていたことを、お母さまに尋ねた。
「A君は、小さい子どものころ、どんな子だったんですか?」
「それは手のかからないいい子でした。いつも明るくて……。それが、あの高校に入ってから、おかしくなってしまって……。あんな高校に行かさなければよかった」
手のかからない、いい子だったA君
手のかからないいい子か、と思いながら、私はA君の家を失礼した。
私は心理学者でもないし、精神科医でもない。ましてA君でもない。彼がどういう心理を抱えていたのかは私にはわからないけれども、「A君は私と似たような子どもだったのではないか」と感じた。
俗にいう「いい子症候群」ってやつじゃないかってね。不登校から自傷に至るプロセスは、まさにこの記事のよう。
勉強が出来て迷惑を掛けない、いい子じゃない私なんて、もはや生きている価値なんて無いんだ
今となってはもう闇の中の話だけども、私への態度が豹変し、学校に来なくなり、自殺を選ぶような生い立ちとトリガーが、彼にあったのだろう。
もし今の私だったら
意味のない仮定だけども、あの頃の私が今の私であったならば、彼の言動を許せただろうかと時折考える。
なかなか難しい問いなのだが、どちらかというと私はやはり許さないのではないかと思う。
A私の恋路を邪魔したA君には、実は複雑な事情があったのだとわかっていても「そんなのA君の事情じゃないか。それを私に押し付けないでよ」と思いそうなのが私だ。私は、心が狭く、利己的で、冷たい人間である。
私の恋路を邪魔したからといって、彼が楽になったわけでもなかろう。生きづらさは彼が自分自身と向き合うことでしか、解決しない。これはやはり彼の問題だったのだ……。
ただし幼い彼には、自分と向かい合う方法がわからなかっただろう。いい子でいなければ価値がないと思っていたのであれば、他人に相談することは「迷惑をかける」と思い、はばかられたかもしれない。
いったい、私は、彼は、どうすればよかったのか。
彼の死は、あれから20年以上たった今でも想像の余地を残し、私に様々な問題を投げかけてくる。
私自身は、それでも彼を許せないという私の心の狭さが憎らしくなる。
そんな私を、彼はあちらの世界からどう眺めているだろうかと、しばしば考える。
「なんだミナオ、お前、うつになって女装したって?バッカじゃねーのか?」
と、笑いとばしてくれたら、私も多少は救われるのだけど。